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部会・研究会活動 <地域教育システムの構築に関する調査研究事業>
 
教育コミュニティ研究会・学習会報告
2001年6月

「地域教育コミュニティづくりの今」

(報告)野口克海

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はじめに

 東京の品川区をはじめ、いくつかの市で、公立小・中学校の通学区域の弾力化、選択制が実施されている。どの小学校へ子どもを進学させるかを決める権利が保護者の側にあるということは、一見民主的であるかのように見える。公立学校といえども、ぼやぼやしていると子どもが入学してこなくなりつぶれてしまいますよ、というのも市民の側から見れば、当然のことのように思える。

 誰だって、荒れている中学校や、学級崩壊だらけの小学校に自分の子どもを入学させたいとは思わない。少しでもよい環境のもとで教育を受けさせてやりたいと思うのも親心として理解できる。そういう親心に受けるやり方が東京ではじまったというのは、そうしなければならないほど「学校不信」が強く、「公立ばなれ」が深刻であるということなのだろう。

 今回、この特集に寄せられた五つの実践報告の学校は、この東京方式とは違う取り組みをしているところばかりである。「どの学校へ行っても本人の勝手でしょ。」という地域(校区)をばらばらにする方向ではなくて、「おらが村の学校を地域のみんなで大事に育てよう。」「子育ては、学校・家庭だけでなく、地域の教育コミュニティの力で」という取り組みである。

 「選択と競争」か「人権と共生」かということが真剣に問われている時代である。決して、めぐまれた地域ばかりではない。しんどいところがあっても、その中から、地域の教育力を再構築していこうとする努力の積み重ねが綴られている。そういう方向性が五つの実践報告に共通していることが前提である。どれも、熱心な取り組みで頭の下がる思いがする。

 「地域教育コミュニティづくり」という目的は同じでも、その目的へのせまり方がそれぞれ違っている。

 ちょうど、富士山へ登るのに、いくつかの登山コースがあるように、違った登山口から登っているところもある。

 そのあたりを検証するところから論を進めたい。

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一、福岡県田川市立金川中学校区

(地域の「ひと・もの・こと」との豊かな出会いをもとめて) ここでは、三つの方向から地域教育コミュニティづくりをめざしている。

(1)総合的な学習を進めるのに「校区を学習の場」と位置づけていること。

 四年の「復活!金川のまち」

 五年の「見つめよう!田川一の畜産の町」

 中学生の「職場訪問・体験学習」

 総合的な学習の時間を活用して、児童・生徒と地域のさまざまな人たちとの出会い、ふれあいを豊かに、というのはどこにでもあるが、自分や地域を肯定的にとらえる(セルフエスティームの高揚)、親の仕事や金川の町に誇りをもてるようにという軸が通っていることは大切にしたい。

(2)子育てハンドブック「のびのび金川っ子」を作成し、学習会・懇談会・講座を開催し学校、保護者、地域をつないでいること。

 「どんなことでも先生に相談していいんだ。」

 「なんか目の前が明るくなりました。」

 「私は、金川地区の住民で本当によかった。」

ここでも、保護者にもセルフエスティームの高揚を図っている。

(3)金川校区活性化協議会や地域行事での連携。

 健全育成を目的に一九九二年からはじまった「まつり金川」をはじめとした行事での交流やあいさつ運動などを通じた地域・学校・家庭のつながりの強化。

 ここで学ぶべきことは、学校の実態を隠さず知ってもらおうという姿勢である。相互理解や連携は、学校を開くことからはじまるからである。

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二 大阪府茨木市立三島中学校区

(夢をはぐくむ学校づくりをめざして)

 三島中学校区の実践報告では、実に豊かな実践をもりだくさんにしているので焦点が絞りにくいのだが、「(6)教育改革推進組織と『学校教育自己診断』からの課題設定」のところに注目して欲しい。

 三島中学校では「教育改革プロジェクト」という教育改革推進組織をつくり、その中の地域連携プロジェクトが「学校教育自己診断」を担当している。

 「学校教育自己診断」は学校の取り組みの評価を、校長、教職員、児童・生徒、保護者の四者によって行うもので、大阪府下では、半数を超える小・中学校で実施しているものではあるが、この三島中学校の取り組みは組織的であり、あとのデータの公開や分析、結果の処理などが丁寧に行われていて、保護者や地域の信頼や協力を得ていく上での大切な柱のひとつになっている。

 教員は人を評価するのは得意だが、評価されるのは嫌いだし、なれていない。まして、児童・生徒や保護者から評価されるとなると、とまどいもある。それでも「診断結果の報告」では、全質問項目とその回答結果を記載し、「改善に向けての来年度の方向性」も示している。さらに、学校評価の専門である大学教授を校内研修に招き助言も受けている。

 ここまで開かれた学校づくりにむけて努力をしている取り組みに対して、教育委員会などが「人、もの、予算、心」などでどのようにフォローしていくのかが問われている。

 三島中学の取り組みでは、地域の人たちによる学校活動支援組織、サポータークラブ、校区人材バンクを、中学校と校区の三小学校が合同でもち、授業にゲストティーチャーとして入ってもらっていることや、地域というヨコへの広がりだけでなく、地域をタテにもとらえて、保・幼・小・中・高との校種間連携のユニークな実践もある。

 たとえば、小学六年生への入学説明会に、中学校の生徒会・学級委員会の生徒が説明し質問に答えることなども楽しい。地域というものを、ヨコにもタテにも立体的にとらえる必要を示唆してくれている。

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三 貝塚市立第二中学校区

(地域ネットワークづくりをめざして地域とともに育つ子どもたち)

 貝塚二中の実践報告の中では、長い間積み重ねてきた地域との連携が進み、地域をあげての子育てという気運が高まる中で結成された「貝塚市立第二中学校区教育コミュニティ協力者会議」に注目したい。

 構成メンバーは、報告にもあるので繰り返さないが、福祉委員会代表、子ども会育成会代表をはじめとして校区全体の主な人びとが結集する組織となっている。

 「二中校区ふれあいイベント」など、二〇〇〇名を超える催しの実行委員会も、過去四回までは学校主導であったのが、五回目からは実行委員長がPTAから選ばれ、地域主催の行事になっていったこと。

 学校が地域との連携を図るよう努力するという段階から、さらに発展して、学校は地域の中にあるという段階にまで成長し、連携から共生、協働の方向へ進んでいることが見えて、すばらしいことだと思う。

 また、学校完全五日制をにらんだ「東小学校子ども広場ネットワーク」では、土曜日に校区の人びとや保護者が運営する「おもしろ科学実験」「昔の遊び教室」「太鼓づくりに挑戦」「マンガ教室」「料理教室」「アジャタに挑戦」などの講座が開かれ、地域に住む特技をもつ方がたに、全児童の四割が教えてもらったり、一緒に楽しんでいるというのもすごい。

 さらに、課題をもつ子どものケース(親子関係のくずれ、非行、不登校、いじめなど)に対して、関係者が集まりケアケース会議をもち、関係機関とも連携しながら支援活動を行うと報告されているが、これなどは学校関係者以外の人にも協力が得られるところまで進もうと思えば、よほど地域教育コミュニティの中での信頼関係ができていないとむずかしい。

 最後に、地域の方がたが編集し、発行する校区の情報紙「ゆめキャッチ」が、町会の協力で校区のすべて(九五〇〇軒)に全戸配布され、学校のようすや子ども会、イベント情報などが子どものいない家にも知らされていることなどは、地域の中の学校づくりには欠かせない大切なことである。そこまでできるだけのつながりと実績が貝塚二中校区にはあるということである。

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四 北校区ふれあいルーム

(地域も学校も楽しいことから「北校区ふれあいルーム」からの報告)

 「これはおもしろい!」「これはいい!」と読んだとたんに、つい、うれしくなってしまった。

 ここまでの三つの実践報告は、学校・家庭・地域の連携という場合、いずれも学校から保護者や地域の人びとに働きかけ、協力を得て地域教育コミュニティづくりをしていくというものであった。

 北校区ふれあいルームは逆のケースである。地域の方からの働きかけで学校が門戸を開いたケースである。しかも、敬老会や婦人会の大人の人たちが自分たちだけで楽しむカラオケルームのようなものとも違う。

 自然なかたちで子どもたちが一緒に参加している。それどころか、ふれあいルームの皆さんが子どもたちの「教えて欲しい」という要望にこたえて学校クラブ(華道クラブ、茶道クラブ、手芸クラブ、ゲートボールクラブ、パソコンクラブ)といった活動にも参加されるだけでなく、学校行事や総合的な学習の時間にも加わってくれている。

 授業参観の時には「ふれあいルーム」で、子どもの保育までしてくれる。学校も大助かり、子どもたちも大喜び、そして「ふれあいルーム」に集う地域の人びとも楽しいからやっている。 加えて、「北小校区は二六〇〇世帯、六三〇〇人、児童数四二二名の町ですが、そのうちのべ四六七二名が「ふれあい」をしました」という報告がある。

 「地域とは?」という問いに「地域の人とは、学校に関係していない人も、子どもがいない人も、そこに住んでいなくても何か関係のある人も含みます。当然住んでいるすべての人です。」という答えも正解である。独居老人九五名にもお誘いのお手紙を出して行事をもつ。

 北小学校の余裕教室である「ふれあいルーム」は自主運営、自主管理、自主創造が基本となっている。される側はよかったがする側が疲れるというのでなく、双方に喜びがあり、双方の学習意欲がさらに向上するというのが最も望ましい。その通りの活動が育ってきていることに感動をおぼえる。きっと、ここまでくるには、中心になってご苦労いただいた方がたがおられるに違いない。心から敬意を表したい。

 「北校区ふれあいルーム」からは本当に学ぶことが多い。他の地域にもぜひ参考にするようすすめたい。富士山に登るにはこういう登山コースもあるんだよ、と気づかされたケースである。

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五 高知県佐賀町教育総合推進会議

(ぬくもりのあるまちづくり、〜つながりの中で、子どもたちの未来を育もう〜)

 佐賀町は人口約四五〇〇人、中学校一校、小学校四校、保育所四所という、五つの実践報告の中では一番こじんまりした町である。

 読ませてもらっていて、「ぬくい!」という言葉が一番ピッタリする思いがした。佐賀町の実践報告には、「地域の教育力とは何か?」という問いに対する解答が、明解に述べられている。それは、報告の最後の行にある。「『つながりはぬくもり』なのだ。」という言葉がそれである。大阪の指導主事で、地域の教育力を一言で言いなさいと言われて「おっちゃんな、あんたのこと、小さい時から知ってるのやで」と答えた人がいた。なかなか、うまいことを言うと感心したものだったが、佐賀町の言葉の方がいい。

 まず、相手を知ること、そしてお互いに知り合うこと、さらに信頼でつながること、その上に立ってみんなで子どもたちをあたたかく育むこと、地域の教育力というのはそういうことである。

 「つながりはぬくもり」という言葉の重さをかみしめたい。そういう町づくりをするのが大変なのだ。

 都市化が進み、核家族がふえ、少子化・高齢化も進むなかで、道路や公園で遊ぶ子どもたちの姿も消えてしまった今日、一人ひとりがバラバラになってしまいそうな環境にあって佐賀町の人たちは「つながりはぬくもり」と言う。

 そう言いきれるだけの実践がある。

 「腹の中のことを遠慮なく出してもらうためには、少人数であることが必要。そこで、校区を二五に分けて一ケ月にわたって夜間の懇談会をもった。」「家庭生活はそのままで、保育所だけが一人舞台を演じても子どもを変えることはできない。だから、親の痛いところも指摘する。一緒にがんばろうと問いかける。」「先生らあ、差別を背負ってきた私らの思いなんかわからんくせに、という言葉はない。それは、つながりをつくりながら、親の思いに近づこうと努力してきたからである。」「今の先生の話を聞きよったら、子どもらあを何とかしたい、と熱意もってやろうとしてくれようがやから、自分ら保護者も先生らに協力せないかんがやないろうか。こちらこそ頼みますよ。ええと思うことはどんどんやってよ。」

 どれをとっても、すごい言葉ばかりである。きわめつけはつぎの箇所である。「年度末のある日、町内小学校四校の六年生の保護者が懇親会を行った。同じ佐賀中学校へ進学するその前に、保護者どうしも顔を合わせ、杯を酌み交わしながらお互いを知り合おうと、初めて実現した。」

 こんなことができる校区が日本中にあるだろうか。今まで聞いたこともない。「お酒の好きな、土佐の若い衆、それは、子どものためじゃなくて、自分たちが飲みたいからじゃないの」と焼きもちを焼きながら、ぜひ参加したいものだとうらやましくて仕方がない。

 結論は、佐賀町の実践は、地域教育コミュニティづくりの原点、一番土台となることが述べられているということである。すなわち、コンクリートとアスファルトでなくて木造と土のにおいが、機械工業でなくて家内工業、おふくろの味がする地域づくりである。

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六 地域の教育力の重要性

 大阪市内のある商店街を歩いていた時のことである。三差路のところで、四〜五メートルうしろから、女性の驚いて叫ぶ声が聞こえた。

 「キャーッ、やめてェー」高校生風の少年が、二人乗りする単車の走り去るようすが見えた。ひったくりの瞬間であった。商店街に人だかりができた。だけど誰もどうすることもできなかった。

 しばらく立ち止まっていた私も、何もできなかった。「匿名」ということを強く感じた。被害者である年輩の女性も、人だかりの輪の中の人たちも、加害者の少年たちも、お互いに都会の中の「匿名」どうしの群れであった。なんと無力なんだろう。お互いに名前も顔も知らない人びとがそこの場所(地域)に居合わせただけである。

 日本の一九六〇年ごろからはじまった高度経済成長が、都市化を進め、職住分離の核家族化を進め、こういう地域をつくりだしてしまった。本来、経済が発展するということは、物が豊かになることであるし、便利になることでもあって人びとに歓迎されるはずである。しかし例えば、テレビ、コンピュータ、ゲーム、インターネット、携帯電話などの情報化の進展は、人間関係の希薄化を生みだした。

 とくに子どもたちにとっては、少子化傾向と重なり、兄弟げんかや友達と群れて遊ぶ体験を減少させ、メディアを介したコミュニケーションや希薄な人間関係しかつくれない要因ともなっている。

 また、豊かな自然が開発によって姿を消し、子どもたちの遊び場であった森も川も池もなくなってしまった。子どもたちは、自然を奪われただけでなく近所の原っぱからも、路地裏からも追いだされ、交通事故の危険にさらされるようになった。さらに、職住の分離、サラリーマン化は、家業の手伝いなどの労働も失くしてしまった。

 子どもたちは、自然を失った、なかまを失った、労働を失った、そして、代わりに生きる目的として受験を与えられ、そのために友達と遊ぶ時間も失ってしまった。経済成長というのは、こうしてみると、子どもたちを、非常に厳しい環境・条件に追い込んでしまったといっても過言ではない。

 子どもだけでなく大人たちでさえも、前述した「ひったくり事件」に直面して、何もすることができないような「匿名」の力のない空しい群れに陥ってしまった。このような厳しい条件、環境で生きる子どもたちに、どのような手をさしのべればいいのだろうか。バラバラになって連帯を失った大人たちは一体、何をなさねばならないのだろうか。

 人間は環境によって大きな影響を受ける。育った環境による影響は大きいが、しかし、人間は環境を変える力をもっている。今、求められているのは、失われた地域の教育力を再構築することである。

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七 地域の教育力の再構築

 失われた地域の教育力の再構築といっても昔の伝統的なムラ型の地域共同体をよみがえらせようということではない。伝統的なムラ型の地域共同体には、私生活をすべて監視しあったり、干渉しあったりとか、閉鎖的で、村八分が行われたりとか、有力なボスが村を支配したりといった封建社会の伝統が生きる共同体もある。

 今、厳しい境遇におかれている子どもたちを救う地域共同体とは、そのようなものとは違う。若い世代の子育て、子どもの教育を地域の共同事業として支えあうという目的をもった地域共同体(ネットワーク)である。

 地域の子どもたちを真ん中に置いて、親も子も、お年寄りも、各団体も、学校も、家庭も、力を合わせようという地域の教育力の再構築が求められている。あくまでも、子どもたちが中心である。

 「自然」を奪われた子どもたちに自然体験を、「労働」を奪われた子どもたちに労働体験、職業体験を、「仲間」「人間関係づくり」の機会を奪われた子どもたちに異年齢、世代を越えた、ぬくもりのあるふれあいを、「時間」を奪われた子どもたちに自分をしっかり見つめ直す「ゆとり」と「目標」を。

 学校だけでは、幼稚園や保育所だけでは、家庭だけではできないことを、地域のネットワークで支援していこうという地域の教育力を再構築することが求められている。

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八 地域教育コミュニティづくりの方策

 冒頭に、私は富士山へ登るのにはいくつかの登山コースがあると述べた。「地域教育コミュニティづくり」という目標にむかうのにも、いくつかの方策があってあたり前である。しかし、山登りには守らなければならない基礎基本がある。「地域教育コミュニティづくり」を実践する上で、大切なことを整理しておきたい。

(1)まず、知り合うことから

   ――学校の情報公開――

 地域の方がたに教育コミュニティづくりの話をすると、「よしわかった、何でも協力させてもらいます。ところで何をしたらいいのですか?」という答えがかえってくる。学校で何をやっているのか、学校の考えていることが地域の方がたに伝わっていない。

 保護者も同様である。自分の子どもを通じてしか学校のことがわかっていないから、例えば子どもから「携帯電話を買って欲しい。友だちは皆もっている」と言われると、学校の考えや学校全体のようすが見えていないので判断に迷ってしまう。保護者が自信をもって子どもを指導するためにも、できるだけ正確な情報が必要である。

 問題行動や事件が起こった時も、学校は隠さないで情報を公開し、学校のできることとできないことをはっきりと示すことである。隠そうとするから学校不信が起こる。情報を公開し、地域や家庭に協力して欲しい内容を具体的に訴える。学校は地域や家庭のことを、知ろうとする努力がいる。

 高知の佐賀町の実践が原点であるといったように、お互いが知り合うこと、その為にも学校は情報公開、情報開示を積極的に行うことが不可欠である。

 さらに前むきに、学校教育自己診断を保護者も生徒も参加することによって、学校評議員会で議論したり、学校だよりで、全員に隠さず報告をする茨木・三島中学校の取り組みが大切である。

 子どもの人権やプライバシーへの配慮はいうまでもないが、一般的に、これまで学校は「隠そうとする」ことが多すぎた。人材バンクなどで、地域のお年寄りが学校へ来て、子どもに昔遊びなどを教えてくれる取り組みはたくさんあるが、学校に教えに来てくれた人たちは、愛着も感じて必ず学校の応援団になってくれる。「学校の壁をとりはらうこと」から、子どものための地域教育コミュニティづくりはじまる。

(2)楽しみながらの取り組みを

   ――連携でなく共生を――

 これまで、「学校・家庭・地域」の連携という言葉がよく使われてきた。図1のような関係である。学校、家庭、地域というのは、離れて連携しあうという関係ではなくて、二一世紀は限りなく同心円的に重なり合ってともに生きる時代である。その関係は図2のようになる。大阪・貝塚の実践にあるように、保護者がたえず学校に出入りする、参観日には空き教室の「ふれあいルーム」で活動する地域の方がたが子どものあずかり保育をしてくれる。学校も家庭も地域のいろいろな団体も自然に重なり合いながら子どもたちを中心にまわっている。そういう関係が大事なのではないか。

 加えて、もっと大事なことは、「ふれあいルーム」の方が言っていたように「子どもたちや学校がよかっただけでなく、私たちも喜びと充実感が得られたことでした。」という点である。子どもたちのために、やってあげるだけでなく、自分たちも楽しくて充実していることが長続きの秘訣である。義務としての「連携」ではなくて、楽しみながら「共生」するということではないか。

(3)組織的、主体的に

   ――タテにもヨコにも立体的に――

 貝塚二中に代表される地域教育協議会の組織は、ぜひ、どこの中学校区にも欲しい。はじめは学校が中心になっていたけれど、昨年からはPTA・地域の方が会長となって地域が主体になって取り組むようになったという方向性も望ましい。

 子どものいない家庭にも、パンフレットや機関紙を全戸配布するというヨコへの広がりや、保・幼・小・中・高のタテのつながりを意図的に、多様につくっていくことも大切である。組織は立体的でなければならない。

(4)地域を黒板にした授業を

   ――総合的な学習の時間を柱に――

 今日の子どもたちが奪われてきたものとして例示した「自然」「なかま」「労働」「時間」という大切なものを取りもどす努力は、学校では、当然、すべての教育活動を通じて行わなければならない。

 とりわけ二〇〇二年からの新教育課程に位置づく「総合的な学習の時間」はその柱となり得るものである。これまでの知識注入の受験勉強ではなくて教科書のない時間、体験や調べ学習やディベートや発表や、子どもたちが主体となる時間が総合の時間である。この時間の黒板は「地域」であって欲しい。子どもたちと地域とのつながりを意図的につくりたいものである。福岡、田川市の実践に学びたい。

(5)気になる子どもの支援体制を

   ――医療・福祉・専門機関とともに――

 信じられないような凶悪な少年事件が起こる。きっと事件の前に、少年はサインを出していたはずだ。「ボクは、苦しい――」と。信じられないような「児童虐待」の事件が起こる。きっと事件の前に児童や保護者はサインを出していたはずだ。「先生、助けて―」と。

 不登校の子どもたちがふえている。ひきこもりの子どもがふえている。地域の行事に参加できる子は、まだ安心な方に入る。地域には、学校には、「気になる子」が必ずいる。学校だけではダメである。地域だけでもダメかも知れない。「気になる子」に係わるメンバーでチームをつくりたい。

 養護教諭、担任、生徒指導主事、保護者、警察、保健所、医師、民生・児童委員・青少年指導員、ケースバイケースだが、一番しんどい子、一番気になる子を、放ったらかしにしない地域教育コミュニティであって欲しい。

 今日の教育改革の方向が選択と競争の時代であるからこそ、伸びる子をウンと伸ばすことも大事なのだけれど、弱い子がますます弱くならないようにケース会議が開けるような地域教育コミュニティをつくりたい。

(部落解放研究140号より)