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教育コミュニティ研究会・学習会報告
2001年10月29日

「松原市の四つの中学校区からの調査結果報告」

(報告)池田寛(大阪大学)
高田一宏(姫路工業大学)

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《池田寛》

 報告書の2部は大学院生が、期待以上のエネルギーを使ってまとめてくれた。今回は私が感じている4つの中学校区の現状と課題を述べたい。

 まず二中校区の特徴は、学校の荒れが学校と地域のつながりの中で解決法を見いだしていったことだ。多くの中学は不登校や荒れの問題を結局、管理強化で対応している傾向だが、解決の糸口を見いだせないでいる。二中校区で地域と学校の協働がすすんだのは、1996年のいきいきふれあい祭りがきっかけである。フェスタが学校と地域の壁を崩す役割をした。

 二中校区は地域的に新しく流入してきた層の多い庶民的な町である。束ねる地域の中心、キーパーソンがいたことも大きい。地域の組織と学校が点から線、面へすすんでいった。フェスタ以降は、地域の人からの学校に対するイメージが開かれた学校というイメージになった。学校が、地域の人の集まれる場になっていて、それはとても良いことと思っている。

 二中校区と対照的なのが、五中校区だ。もともとすんでいる地元の人たち、防災組織、消防団等が協働の核になっていった。小学校の実践を見ても、総合的な学習に、日常的な場面に、地域の人が参加している。

 そして学校の中にキーパーソンがいたことが非常に大きい。管理職だけでなく、一般の教師にそういう姿勢があった。そういう先生方の姿が地域の人の学校に対する信頼を呼び起こした。ほかの地域でも学校への支援はある。例えば茨木市の三島のさぽーと隊、貝塚市の子育てネットワークなどがそうである。そんな学校応援団ができている所は学校そのものが元気になっている。

 三中校区は、同和教育の伝統がある。これまで、三中校区は子どもを対象に同和教育や人権教育を作ることに焦点をあててきた。そこでの経験を活かしつつ、更に校区全体との協働を進めていくことが大事だが、その点で多くの課題に直面しているように思う。同推校と一般校との到達点の違い、そのバランスをとりにくいことに三中校区として取り組むことが課題だった。

 現在は、バランスが調整されて三校と地域が一緒になった取り組みが作り出されて来つつある。これまでになかった取り組みが生まれはじめている。特に注目すべきことはコミュニティレッスンや協働の取り組みとしてのフェスタである。

 子どもをあいての取り組みから大人も含めての人権教育への模索が始まっている。まだはっきりしたものは見えていないが、新しいものを目指していることは、全国的にもきっと先駆けになる。

 七中校区は渡日の子どもの問題を軸に国際化という観点での協働の取り組みが進められている地域だ。どちらかというと、学校発信で、学校と地域のコミュニティづくりがすすめられているといえる。ここは中学校が発信源といえるだろう。

 地域と学校は課題性なく結びつくのではない。課題を通じての一つ上の結びつき、おもしろさを実現している。まだ校区内に地域と学校のアンバランスは少し見られるが、キーパーソンがどの学校でも生まれた時に、学校と地域のアンバランスの構造は更に克服されるだろう。

全体的な評価としては、4つの中学校区ともフェスタを境にして変わりはじめたということだ。その背景には、松原市教育委員会のマイスクール事業などのプランがあった。

最後に3つの課題を述べて結びたい。


1. 就学前の子どもを持った親のネットワークをつくること
2. 課題を抱えた子どもや家庭への支援の具体化
3. 地域住民の活動拠点としてコミュニティルームの設置

以上である。

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《高田一宏》

 地域教育協議会が大阪府内に約300近くあるが、果たして何をするところであるのか、見えてないところもあり、そのことに危機感を持っている。だが一つの例として、その活動の中身が松原から見えてきた。松原の取り組みは、新しいコミュニティを作ろうとする壮大な実験である。重要なのは学校の役割だ。更に市教委のマイスクールの事業は大変大きな役割を果たしている。

 取り組みを振り返るとマイスクールのキーワードは地域であることがわかる。松原の学校は地域とのつながりで学校づくりを進めるというコンセプトがはっきりしている。松原では当たり前かもしれないが、よそへいくと当たり前ではない。さらにはマイスクールが始まる以前に、三中校区の取り組みは地域と学校がつながるという作風を作ってきたのではないか。また、松原では学校の教員同志のつながりも大変密だ。校区同研、松原市全体の同研活動も活発である。

 各中学校区のお祭りは、七中がスタートである。この校区には、中国の文化的背景を持つ子どもたちが多くすんでいる。中学校区としてのまとまりは学校をあげてのテーマ、フェスタのおもしろさが他の校区に伝わる。次の年、二中、三中、に伝わる、教員の横のつながりが強い。だから情報がネットワーク化されている。

 各校における総合学習でもそうで、横のネットワークがより活性化させた。

 一方、松原には活発な地域活動をしている地域がずいぶんある。消防団とかの地縁型の組織、それより後にできてきた、スポーツ振興会、ペタンク、グランドゴルフなど。町会のように皆入るのでなく、ボランタリーな組織である。さらに五日制がスタートしてできた推進委員会や現在の地域教育協議会。活動を見ていると古くからある活動、新しい組織がかみあって地域を活性化させている。

 既存の団体を束ねる形だけで動くのではなく、松原は古い組織や新しい組織が立ち上がって、数年間の状況でかみ合ってきている。フェスタは年1回だが、日常のつながりがある。フェスタは単に節目であるだけ。活動の日常性はどうして作られているのかが大切である。学校の教員の果たす役割も大きい。

 教育コミュニティというのは昔あった地域を復活させるのではない。高齢者と子どもというような新しいつながり、マイノリティとマジョリティのつながり、地縁的なつながりと新しく住む人々とのつながりができるなかでの新しい地域の再編である。

 松原ではそのようなつながりのなかで、地域に学校が助けられていると言うことができてきているし、お互いの利益になる有機的なつながりができてきている。今後の課題は、このような取り組みを松原市以外にも広げることである。

(N.T)