黒川報告は、被差別部落と「人種」の関係に注目し、1880年代から現在までの歴史的考察を加え、行政、知識人、人道主義者の言説により被差別部落が「異民族」や「異人種」としてどのように位置づけられてきたかを鋭く分析した。
1881年に解放令が公布されるまで被差別部落に対する侮蔑呼称は「身分」によるものが一般的であった。しかし1880年代の松方デフレ以後、被差別部落の貧困が注目され「特殊化」・「異種」・「種族」といった呼称が成立する。また当時の人類学者は、植民地支配の対象として日本列島内部におけるアイヌ、「沖縄人」、被差別部落を「他者」と見なす。
なかには異民族起源説を説く人類学者もいた。これらが「人種」に基づく差別の温床となり被差別部落の人々を「異人種」と強調する考え方が生まれた。1907年の日露戦争後、それまでの呼称が「特種(殊)部落」へ変わり人道主義者は被差別部落を生物学的な差異より異人種と見なし、また日本政府も人種起源論を展開した。
1919年以降、人類学を中心とする社会科学の人種概念の見直しや民主主義ならびに人類平等の考えが世界的に広がりを見せ、被差別部落への人種起源説が否定された。さらに2つの大戦中に生まれた「国民一体」、とりわけ第2次大戦中に「民族融和」の考えが流布するなか、異民族説は国家レベルにおいて意味をなさなくなる。しかし、被差別部落の劣悪な生活様式に対する民衆からの偏見は、依然として被差別部落を異なった人種とみなす傾向にあった。
最後に黒川さんは、戦後から今日まで優生学や遺伝学という衣をまとい被差別部落は異人種と表象されていること、また民衆レベルでは「一族の血がけがれる」、「何かしら違う」という認識に基づく人種起源の差別意識が温存されていることを強調し報告を締めくくった。
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