調査研究

各種部会・研究会の活動内容や部落問題・人権問題に関する最新の調査データ、研究論文などを紹介します。

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2008.03.31
部会・研究会活動 < 職業と世系に基づく差別」に関するプロジェクト>
 
合同部会(女性部会、国際人権部会、「職業と世系に基づく差別」に関するプロジェクト)
2007年12月9日

第1報告)

「セネガルにおけるカースト差別の歴史と実態」

報告:ペンダ・ムボウさん
(ダカール大学イスラム史教授)

 他の西アフリカ諸国と同様に、セネガルには歴史的にカースト制度が存在してきた。「カースト」と呼ばれてきた集団は、さらに鍛冶屋や金属・木工職人あるいは音楽などの職業によって細分化されていた。こうして人びとは古くから「カースト」に属しているかいないかで社会的に分類されてきた。もう一つ社会を分類してきた基準に「奴隷制」がある。「奴隷」であるか否かによって人びとは分けられてきた。「カースト」と「奴隷」の違いは、カーストの家族に生れたら一生カーストから抜け出せないが、奴隷の家族に生れた場合は抜け出すことができるという点だ。そのことは厳格に守られてきた内婚制が証明をしている。一夫多妻が認められているセネガル社会ではカーストの男性は他の国の女性を妻にしたり、外国の女性と結婚してカーストから逃れる手段を講じることがある。一方、カースト女性、とりわけ高い教育を受けた女性たちはカーストの男性を夫に選ぶことをせず、一生独身で通すことがよくある。セネガルにおいて結婚は家と家の問題であり、個人同士の問題とはされていない。そのため、現代のセネガル社会においてカースト差別が最も顕著に発現されているのは「結婚差別」である。カーストの人が非カーストと結婚するようなことになれば、大きな反対と社会的制裁を受けなくてはならない。そうした夫婦の間に生れた子どもは非常に差別的な表現で陰口を叩かれる。職業的には、高い教育を受けることで政治や行政の世界に進出するカースト出身者も多くいる。しかし、社会的に名声を得るような立場になっても、人びとはカースト出身であることを隠そうとする。セネガル社会が真の民主主義の道を歩もうとするならば、カースト出身者を含め人びとは自らをあるがままに宣言できるようにしなくてはいけない。

第2報告)

「部落女性の現状と課題」

報告:塩谷幸子さん
(部落解放同盟大阪府連合会副委員長)

 水平社宣言とともに部落解放運動が始まったのは1922年。それ以来、部落の女性たちは運動の中核を担い、部落の環境改善、解放教育、差別糾弾の闘いなど、多岐にわたる分野で活躍してきた。長い差別の歴史の中で、厳しい生活実態を強いられてきた女性たちは、あたりまえに人間らしい営みをしたいと強く願った。このような中、部落では早くから保育所建設運動に取り組んだ。外で働くから子どもを保育所に預けたいのではなく、家内労働を強いられている部落の親たちにとって、母親が家にいても条件が整っていない中ではまっとうな保育ができなかったからだ。「皆保育」・「保育の社会化」をめざして同和保育運動がはじまり各地に広がっていった。親の安定就労確保のために保育時間の延長実現にも取り組んだ。これらは部落の生活を変え、子どもを変え、母親を変え、今では夫婦のありかたも変えるに至った。働ける条件が整ったとしても、そのまま職場の条件改善にはならない。女性たちは最低賃金や社会保障についても学び、自分たちの権利の実現のために労働運動とともに闘った。これらは大阪の部落女性の労働実態調査の実施(1981年)へとつながった。こうした部落女性の主体的な運動へのかかわりは、その後、識字運動、生活保護支給額の男女差撤廃、母性保護(妊産婦のためのヘルパー派遣)、職域拡大の運動へと展開していった。

 1975年の国際婦人年世界会議により、日本でも女性の地位向上・社会参画のために国内行動計画が策定されることになった。部落解放同盟は政府への要請行動を展開し、「歴史的、社会的に疎外されている女性の地位改善に充分留意する必要がある」の一文を挿入させた。その後、運動の中でも女性差別についての学習が進み、部落差別と女性差別の二重差別という視点が確立されるようになった。そして女性差別撤廃条約の早期批准を求めた大阪府民会議を結成し、労働団体や市民団体と共同行動を進めた。女性差別撤廃条約は今も部落女性の行動の指標となっている。

 「おんなが変われば部落が変わる」と言われてきた。女性はさまざまな闘いに参加してきたが、動員対象であっても主要な役職からは外されてきた。さらには部落の中でのセクハラやDVの問題とも直面しなくてはならない。部落解放と女性解放の2つを解放同盟全体の課題にしていくことが強く求められている。

第3報告)

「ダリット女性の闘い」

報告:ブルナド・ファティマさん
(タミルナドゥ女性フォ-ラム代表)

 ダリット女性は、カースト制度のもとでのダリット差別、女性差別、地主や資本家から搾取される労働者としての差別など複合的に差別をうけてきた。上位カーストのブラーミン文化は浄・不浄の観念に基づく差別の慣行を広く定着させ、とりわけダリット女性は最も不浄なものとして扱われてきた。それを端的に表しているのは「マタマ」の慣行である。ダリット少女が村のヒンドゥー寺院のマタマの女神に治癒の目的で捧げられ、病気が治ればマタマと契りを交わしたとして一生結婚を許されず、寺院の祭りでの踊りや他のカースト男性の買春相手として生活していかなくてはならない。

 経済のグローバル化は農村に集中するダリット女性にもじわじわとその影響を及ぼしてきた。政府は地主と一体となって農地を多国籍企業に売却し、これまで農業労働者として低賃金で使われてきたダリット女性たちからその仕事さえ奪いつつある。輸出用に花栽培がもてはやされ、栽培農家が急速に増大する中、ダリット女性たちは安い労働力として使われ、農薬散布された畑で無防備なまま働き、健康を害している。輸出用の海老・魚の養殖池も政府の規制を無視して進んでいる。養殖用の処理薬のたれ流しで、ダリット女性たちが働いてきた周辺の畑や川は汚染され、仕事ができなくなっている。歴史的、文化的差別の構造の重圧をうけてきたダリット女性は、今、グローバル化という新植民地主義により、新たな差別にさらされている。

 このような中、私たちはダリット女性の意識化と組織化を進めてきた。「マタマ」の解放運動はマタマ女性だけではなく、それを支えているダリットの村人たちへの意識化運動へと徐々に広がっている。部落解放・人権研究所の安田識字基金により、マタマ女性のエンパワメントのプログラムも進んでいる。反差別国際運動(IMADR)との連携で、ダリットの子どもたちのデイケアセンター 建設も進めてきた。また、同じようにグローバル化の代償にされているアジアの農村女性との連帯活動も始まった。こうした活動を通して、私たちはダリット女性の解放を今後も進めていく。

(文責:小森恵)