調査研究

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部落問題に対する意識形成調査研究会・学習会報告
<第2回 研究会>

差別とは何か

(報告)益田圭(相愛女子短期大学)

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(1)現代の差別という現象について理解するために、概念の整理が必要になっている。例えば杉之原寿一氏は、差別とは何かという科学的な議論が深められてこなかったため、差別という言葉が恣意的に使われ、個々人の心や意識までもが差別として問題にされている、同対審答申のいう「実態的差別」が解消した後、残された「心理的差別・差別意識」解消のために、行政主導の教育・啓発が行われている、という現状認識にたつ。さらに差別の定義として「…基本的人権の享有とその向上が…(さまざまな理由から)、不当に、かつ実質的・具体的に制限されたり奪われたりすること。『部落問題用語解説(改訂増補版)』」とし、差別とは、意識され認識されるか否かに関わらず、何らかの差異を理由に基本的人権が具体的・実質的に侵害されている事実それ自体であり、心や意識レベルの問題ではない、と主張する。

 また、差別は実体概念であるから、同対審答申にある「心理的差別」という概念自体が科学的認識を欠く。差別意識はあくまでも意識であって、具体的・実質的に人権を侵害したり、実害を与えたりするわけではないから差別ではない、という主張である。

(2)差別に対する心理学の立場から簡単に整理すれば、 1. 態度と行動、 2. 差別と偏見、という概念から説明される。

  1. に関して。態度とは、社会事象(刺激)に対して、一定の仕方で反応させる内的な傾向であり、オルポートによれば経験を通じて体制化(組み立てられた)された精神的・神経的な準備状態をいう。態度と行動はお互いに影響しあい、一方が他方の原因になることがあると考えられている。

 態度をさらに3成分に分けた研究では、態度には「感情成分」「認知成分」「行動成分」があり、それぞれに測定可能な行動があるとされる。この行動とは、例えば「赤面する」という神経的な反応から、「三国人発言」のようなある意図を持った行動の言語的表現まで幅広い概念である。

  2. に関して。「差別」とは、ある社会集団や、それに所属する個人に対する、不当で否定的な「行動」であり、「偏見」とは、同じものに対する不当で否定的な「態度」であるという定義である。ここでは差別は「行動」として、偏見は「態度」として定義され、2つの概念は区別される。差別は外部から観察可能な具体的なものであり、偏見は観察不可能な心理的なものである。また、偏見は必ずしも差別を生み出すとは限らないし、差別は必ずしも偏見を前提としていない。しかし両者とも、社会の歪であることには変わりなく、行動としての「差別」を理解するためには、「偏見」への理解は必要不可欠である。

(3)今後の課題として、杉之原氏がいう「実質的・具体的な侵害」とはどういうもので、それらを含む差別とは何かという議論が必要だろう。また、35年前の同対審答申への批判は、現在の心理学の議論からすればあたっている部分がある。社会的・構造的な差別、私人間の差別、そして偏見、に整理しなおす必要はあるだろう。

 結論的には、行動としての差別(特に対人関係における差別)をなくしていくためには、意識や心といった問題からのアプローチは不可欠である。差別でないから差別をなくすための啓発は必要ない、教育・啓発は差別の恣意的な拡散だという杉之原氏の主張は、単なる定義論からの議論の飛躍である。差別という現象の定義は「科学的認識」のために必要である。ただ、「実質的・具体的な侵害」の検討とともに、これまでの社会的・構造的に数字としてあがりやすいものだけが「実質的・具体的な侵害」とは限らないという観点が重要だ。結婚・付き合いなどから部落出身者を排除しようとする心理、それに伴う被差別者の心理的不安定さといった課題など、単なる定義論に終始せずに、「差別」という現象を理解し「差別」に立ち向かっていくためには、「差別」を存在させているプロセスを検討することが、「差別とは何か」を理解するための本来の「科学的認識」であろう。したがって、定義が先にあるのではなく、まず現象があり、その現象が存在しつづけているプロセスの究明から定義に立ち戻っていくことが、本来の「科学的認識」ではないか。 (椎葉正和)