続く第5章「「遊び」の世界と不平等の再生産――ライフスタイルから見た若年失業・フリーターの析出」では、下層が再生産される実態を明らかにした第4章の論述をふまえ、再生産プロセスが本人達にどのように生きられているのかを、「遊び」の世界を手がかりにして描いている。
彼・彼女達の中には、早い者では小学校高学年から「学校に行かずに友達と遊んでた」と語る者がいる。カラオケ、ボーリング、原チャリのパクリなどの「遊び」の世界に早期に参入していくメカニズムを考える際、その楽しさ、引き止める親や教師の働きかけの機能不全、「こんなことをしていていいのか」という内面からのリスク感・リスク計算が働かないことを要因としてあげることができるだろう。
「遊び」の世界への参入を阻もうとする親の働きかけ、コントロールは、多くの場合空回りしており、一貫性や見通しに欠けるなど内容面の課題、説教の押し付けや繰り返しとなるなど方法面での課題があり、子どもの側の反発となって返ってくる。また教師による「引き止め」の働きかけは生徒指導としてなされるが、やはりこれも説得力をもって伝えられてはおらず、反発を生み出してしまう。
さて、3節では内なる「引き止め」を機能させないのは当人達が抱く将来展望の故ではないか、との仮説のもとに、主に女性の結婚・出産・家族形成に関する語りを整理している。早期の結婚で専業主婦に、早くに出産する、相手は「男らしい肉体労働に従事する人」といった将来像が複数の対象者から語られた。彼女達の周囲の環境から、そうした将来像、生活像が描かれることになるのだろう。現実に結婚や出産のタイミングは早く、彼女達は身近な、なじみの深い生活に入っていく傾向が見られる。不安定、困難とも思える状況は、当人達にとっては当たり前のものとして受け止められているようで、現実を変えるための生活の組織化、戦略が見られないことも特徴である。
彼・彼女達はモデルの限定性と「引き止め」の機能不全の故に再生産過程の中にあり、「社会的排除」と呼ぶべき状況に置かれている。こうした事態を予防し、あるいは危機に陥った若者を救うための方策が構想されねばならない。学校教育、社会教育両面での支援が求められるが、実効のある「引き止め」のロジックを探ることなど有効な対策を導くためには、「遊び」の世界や彼・彼女達の内面にさらに迫ることが不可欠である。