調査研究

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2006.11.16
部会・研究会活動 <若年未就労者問題(小中高のキャリア教育/労働市場問題)>
 
若年未就労者問題
(小中高のキャリア教育/労働市場問題)
2006年08月18日
上野加代子編著『児童虐待のポリティクス

―「こころ」の問題から「社会」の問題へ』第1章〜第3章の検討

鈴木喜子(大阪府立大学大学院前期博士課程)

 8月18日に行われた学習会では、今日の児童養護施設をめぐる動向と密接なかかわりをもつ児童虐待問題についての考察を深めるべく、上野加代子編著『児童虐待のポリティクス――「こころ」の問題から「社会」の問題へ』を取り上げた。

 本書は、その副題が示唆するとおり、また本書の冒頭で編著者の上野自身が述べるように、「心の病としての児童虐待の議論やSOSキャッチ・通報奨励の政策によってみえにくくなってしまった児童虐待問題の社会経済的側面、そしてジェンダーや社会統制の側面に焦点を当てる」(p.4)ものである。とりわけ今回は、児童相談所の児童福祉司としての経験から現在の児童虐待の語られ方や政策のあり方に批判を投げかけている山野良一の論文(第1章・第2章)と、児童虐待対策の先進地であるアメリカにおいて医療・心理モデル一辺倒であった1970年代に、虐待家族とその家族の位置する社会階層との関係を指摘したリーロイ・H・ペルトンの論文の抄訳(第3章)を中心に取り上げた。

 第1章において、山野は、近年の虐待死事例へのマスコミによる児童相談所バッシングや世論、そしてそれらに影響を受けた「官僚制(ビューロクラシー)の規制」の強化等の政策的変化の中で、児童相談所におけるソーシャルワークのありようが変化させられてきたと述べている。それは従来の、地域生活支援を前提に親子との関係作りを重視してきたソーシャルワークから、援助に非協力的な親に対して行政機関としての強権性を積極的に発動する「介入的ソーシャルワーク」への転換であり、「家族を見るまなざしの変化」が起きているということである。山野は、こうした対応の変化は、クライエントとのパートナーシップやクライエント自身が問題解決を切り開いていく力への信頼性といった現代の社会福祉の潮流とは相反するものではないかと疑問を投げかけている。

 また、最近の虐待事例の中に、第三者通報による事例が増えていることに関しても、その必要性を否定はしないものの、現状ではそれが地域の再生どころか地域の分解を促進し、問題とされる家族に対する差別感や孤立しがちな家族への被差別感を助長するものとなってはいないかとの危惧を表明している。そして、児童虐待問題を考えるにあたっては、一般市民を巻き込んで、家庭内での体罰や折檻をどう考えるか、あるいは子どもを家に置いたままちょっと買い物にいくことに社会的コンセンサスは得られるのかといったごく日常的な議論から始め、積み重ねていくべきであると主張している。

 続く第2章では、問題のとらえ方について、1980年代までは、家族構成や家計など社会経済的要因に視点が当てられていたが、児童虐待が深刻な社会問題としてマスコミに登場するようになった1990年代には、「豊かな社会」の中での「現代的な児童虐待」「家族病理」としての視点が色濃くなり、加害者となる養育者への治療を重視する側面が強く打ち出されてきたことを指摘している。しかし現実には、近年の複数の調査研究の結果をみても、経済状況、世帯類型、住居、親の学歴、職業・雇用形態等において、少なからぬ虐待家庭が極めて厳しい状況に置かれていることが明らかになっている。平均収入の2分の1以下の収入しか得ていない家庭が約3分の2を占め、生活保護受給者家庭が一般世帯の20倍以上の割合で把握され、平均収入の3分の1以下の収入しか得ていない母子家庭が3割以上を占めている。

 中卒で社会に出ざるを得なかった保護者が全体の45%を占め、母親に至ってはその割合は5割にのぼり、当然、社会的にも不利な職業に就いていることが多く、低賃金で過酷な労働を強いられている可能性が高い。こうした状況が2代、3代と続いており、「虐待の世代間連鎖」どころか「貧困の世代間連鎖」さえありうる話であると山野は述べる。また、虐待防止の目的で保育所を利用する際につきまとうスティグマの問題、セーフティネットとなるべき生活保護制度のハードルの高さ、ひとり親家庭や精神疾患を抱える保護者への支援の不十分さなど、子どもや家族への社会福祉の貧困さが児童虐待の発生に密接に関連しているのではないかと問題提起をしている。「家族病理」に焦点を当て家族や保護者の個人的な問題に原因を帰する傾向は、こうした家族の社会経済的な困難や社会的資源の不足という問題から注意をそらせる社会的装置にすらなりはじめているというのが、山野の見解である。

 第3章では、著者が冒頭から「二〇年以上にわたる調査や研究を経ても、児童虐待やネグレクトが強く貧困や低収入に結びついているという事実を超える、児童虐待やネグレクトに関する真実はひとつもない」(p.101)と力強く断言している。アメリカの児童虐待に関する様々な調査の結果から、貧困と低収入、公的な援助と食料切符、住宅状況、食料、健康、人種/民族、失業などについて検討を行い、虐待に陥る家庭の多くが生活困難な状況に置かれていたことを浮き彫りにしている。そして、外部のサポートがない場合に、親たちの貧困やそのストレスに対処する能力の不足がみられること、いくつかの州でなされている家族支援サービスの検討を通して、「児童虐待やネグレクトを減らす最も効果的な方法とは、貧困やそれに付随する社会環境的な困難性を減らすことなのだ」(p.140)と提言を行っている。

 前回の松本論文の知見に加え、上記の山野やリーロイ・H・ペルトンが示している知見を踏まえて考察すると、結局、虐待を理由として児童養護施設に措置される子どもが増えてきたとはいえ、それは問題の表れ方や措置理由の表記が異なるだけであって、施設入所せざるを得ない多くの子どもたちの家庭背景の厳しさには、今も昔も大して違いはないということが容易に想像できる。なお、学習会当日の議論では、このことと関連して、問題の背景の共通性にもかかわらず、「児童養護」問題の実践者・研究者はなぜ「児童虐待」問題に関して社会経済的側面を重視した視点からの発言ができなかったのか、あるいはしてこなかったのかという疑問が出された。また、国家が家族にどこまで介入すべきかという議論の前提として、社会における家族観そのものを問い直す視点が必要ではないかとの問題提起がなされた。

(文責:渡邊充佳)