本章においては、分担執筆者それぞれのテーマに沿って児童養護施設経験者の語りを分析する前に、児童養護施設経験者の進路選択、社会生活への移行に関する先行研究について整理を行う。そのうえで、本報告書の位置づけおよび意義について述べたい。
児童養護施設における進学率の低さは、児童養護研究会(1994:218-224)、望月(2004:156-159)、読売光と愛の事業団編(2003:179-181)をはじめとして、多くの文献で指摘されるところである。
児童養護研究会(1994:218)では、一般家庭で生活している子どもの高校進学率が95%近くになっても、児童養護施設で生活している子どもの高校進学率は60%前後を低迷していたことが指摘されている。小川他(1983:115)では、進学率の低さの背景となる理由について、児童養護施設職員の全国的な学習会である養護問題研究会第9回全国大会の基調報告を紹介している。それによると、進学率の低さとして、第一に子どもに学力がない、第二に問題行動を起こしやすく指導が難しい、第三に施設長をはじめ職員の中にも「進学がすべてではない。むしろ早く苦労させた方が子どものためによい」という考え方が根強くある、第四に私立にはお金がかかりすぎることと近くに適当な学校がないことをあげ、基調報告においては、これらの理由は子ども自身の問題や責任ではなく、おとな側の努力不足や行政側の怠慢であると指摘した。
児童養護研究会(1994)では、1973年に措置費に特別育成費が導入される以前からの大阪の取り組みを紹介し、その後の特別育成費の導入、つまり、行政による公費支弁がまかなわれるようになったことによって、高校進学率が1970年度の20.8%から1975年度の39.6%とおよそ二倍に跳ね上がったことを指摘している。そして、1988年になって私立高校への進学も公費支弁としてまかなわれるようになった。このあたりの変化については、次頁のグッドマン(2006:230)の表をみるとよく分かる。
図2-1:児童養護施設児童と一般家庭児童の義務教育後の進路比較(1961-1993)(%)
グッドマン(2006:230)より出典
それでは、現在の児童養護施設で生活している子どもの進学状況はどのようなものであろうか。
児童養護施設で生活している子どもの進路選択に関しては、全国児童養護施設協議会編(2006)平成17年度児童養護施設入所児童の進路に関する調査報告書(『全国児童養護施設長研究協議会第60回記念大会』資料、pp.433-pp.447)がある。この調査は、全国の児童養護施設550施設に調査票を送付して実施したもので、1980年より隔年に実施されてきた。児童養護施設に在籍していた子どものうち、中学校卒業者の進路に関する調査結果と高等学校卒業後の進路に関する調査結果が示されている。
まず、平成17年度(2005年度)の高等学校等進学率は87.7%である。全国の高校進学率が97.6%であり、その差は10ポイントほどに縮小していると言うこともできるが、施設で生活している子どもの進学率には盲学校・聾学校・養護学校が合わせて10.0%含まれていることを考慮すると、やはり、全国平均との格差は大きいと言わざるを得ない。
畑中(2006)は、特別育成費が拡充された後でも、ほとんどの子どもが高校に行けない状況であった児童養護施設において、教員の立場から行った進路保障の実践を報告している。彼の実践は、小川他(1983)で紹介された中学校教員、北沢文武の実践報告と重なるものがある。両者の間には20年以上の時間が経過していることに留意しておく必要がある。現代においても、こういった施設の現状は、畑中が報告する現場だけではないと推察される。
また、高校中退率は7.6%であり、全国平均の2.1%と比べれば3倍と非常に高くなっている。中退の理由のうち全国データと比較して高い数値となっていたものは、学校生活・学業の不適応が45.4%(全国データは38.4%)、問題行動等が20.0%(全国データは4.8%)である。
つづいて、高等学校卒業後の進路に関する調査結果に目をうつそう。有効回答施設数は330施設であった。そのうち、2005年4月1日現在における就職状況は、全体のうち69.0%が就職している。これは、全国データの17.4%と比較すると非常に高い数字である。逆に、高等教育等への進学率は非常に低い水準にとどまっている。高校卒業者840人のうち、四年制大学(通信教育部を含む)、短期大学(通信教育部を含む)の進学者は78人、9.3%であり、全国平均47.3%と比較すると大きく開きのある数字である。ちなみに、高等学校等の専攻課、専修学校(一般・専門)、公共職業能力開発校の進学率は12.0%である。
進学に関わる入学金・授業料の準備方法を複数選択でたずねた結果では、保護者からの援助が34.1%、本人の貯金が37.0%、各種奨学金の利用が65.3%、施設からの援助が17.3%である。入学金・授業料等が大きな出費となるため、各種奨学金の利用の割合が高い。利用した奨学金の種類としては、日本学生支援機構(11.5%)、自治体による奨学金制度(15.9%)、雨宮財団奨学助成(54.9%)、読売光と愛奨学助成制度(5.3%)、メイスン財団助成制度(1.8%)、JOMO就学助成事業(26.5%)である。これら大学等への進学を果たした児童養護施設経験者が、奨学金申請に際して進学に対する思いや理由について書いた作文を集めたものが『夢追いかけて』(読売光と愛の事業団編2003)である。そこには、なぜ大学等への進学を志したのかについての熱い気持ちが記述されている。
しかしながら、進学をいったん決意し入学を果たしたとしても、その後学業を続けていくことが簡単ではないことが次の調査結果から読み取れる。2005年度中の中途退学者は、21人であり、全体の12.1%である。その理由として、学校生活・学業不適応(38.1%)、進路変更(14.3%)、その他の理由(14.3%)、経済的理由(9.5%)などがあげられている(全国児童養護施設協議会編 2006)。
これらの調査結果は、一般家庭で暮らしている子どもと比べ、中学時の高校進学率から差があること、さらに高等教育機関である大学等進学率においては、より一層格差が拡大していることがわかる。全国児童養護施設協議会会長であった福島一雄は、先に紹介した作文集(読売光と愛の事業団編2003)の発刊によせた文章において、施設が受け入れる子どもの保護者の多くが低学歴であり、だからこそ世代間連鎖を断ち切るためにも学歴を子どもたちが持つことの重要性について述べている。
高校進学率に関しては、小川他(1983)をはじめとしていくつかの先行研究がみられる。しかしながら、大学等の進学に関わっての研究はほとんどなく、進学率の低さをもたらす背景や要因については検討されていない。
児童養護施設で生活していた子どもは、基本的に18歳になると措置解除となり、施設を退所することになる。全国児童養護施設協議会編(2006)平成17年度児童養護施設入所児童の進路に関する調査報告書(『全国児童養護施設長研究協議会第60回記念大会』資料、pp.433-pp.447)によると、2005年4月1日現在の児童養護施設を退所した子どもが家庭に復帰する割合は18.7%である。この数字からも、施設を退所した後、施設経験者は自らの住居、すなわち住居費と生活費全般を確保しなければならないことがうかがえる。
東京都社会福祉協議会児童部会調査研究部(2004)は、2001年度中に退所した子ども649名のうち就労自立をした145名の子どもについて、2002年10月1日付けでの追跡調査を行っている。この調査結果からは以下の二点が分かる。第一に、東京都内の児童養護施設を退所した人たちが、自立をする最初の段階において、助けがない厳しい状態にあることである。退所したときに親などから金銭的な支援があった者は全体の35.9%であり、半数を越える64.1%の者はそういった支援者がいなかった。加えて、退所時に何らかの課題があったと回答した者は90.8%であった。課題の内容としては、「人間関係等」が70.5%と最も高く、ついで「経済観念」(53.5%)、「家事等生活技術」(37.2%)、「情緒的な問題」(37.2%)である。
第二に、経済的に安定している者の割合が低く、中卒や高校中退で働いている者についてはより厳しい状況にあることが明らかである。社会保険の加入者は約5割であり、高校卒業者以外の者は40%と社会保険に加入している者の割合が低い。また、1ヶ月の収入が「10万円以上15万円未満」の者が51.4%、「15万円以上20万円未満」が31.0%となり、両者を合わせると8割を占めることになる。さらに、10万円未満のものが16.9%あり、経済的に非常に厳しい状況であることがうかがえる。
ここで紹介した調査結果は、20年近く前に児童養護施設卒園者の生活構造を明らかにする目的でなされた松本(1987)の調査結果と大きな差があるものではない。20年の間にさまざまな社会資源が拡充されたものの、児童養護施設経験者の置かれている状況には同じような課題が残り続けていると考えられる。
ここで松本(1987)の知見を紹介しておく。彼は二種類の調査方法を用いて、児童養護施設経験者の生活構造と貧困の固定化傾向の有無を明らかにしている。一つは、札幌市の養護施設を1975年から1985年に卒園した子どもの入所背景と進路の動向を統計的に把握する調査、二つ目は、札幌近郊のF園の卒園者、過疎地にあるG学院の卒園者合わせて23名の面接調査である。それらを通して、児童養護施設卒園者の生活の基本的な特徴を、低位な労働生活と希薄な「社会的ネットワーク」の相互規定性により形成される「袋小路的生活」として結論付けた。
こういった状況にある児童養護施設経験者が、もっとも厳しい状態、例えばホームレス、行方不明、犯罪者になる、といった事態に陥ってしまうリスクが高いことは容易に想像できる。実際、ホームレスを支援する雑誌である『THE BIG ISSUE JAPAN』において、中学を卒業してから10年間同じ職場に勤務し続けていたにも関わらず、現在ホームレスになってしまった若者の記事が紹介されている[1]。彼もまた、松本(1987)が「袋小路的生活」と呼んだ生活を送っていた者のひとりであると考えられる。
養護施設卒園者の生活の基本的な構造が「袋小路的生活」であるとするならば、そこから脱却するための条件を明らかにしていくことが研究上の課題であると松本(1987)は述べている。また、「社会的ネットワーク」の構成要素と個人との関係のみならず、自立の基礎となる「社会的ネットワーク」とは何かということ、そして、その「社会的ネットワーク」を自ら構成していく力量とは何かということが問われなければならないと結んでいる。
児童養護施設経験者が利用することのできる社会資源は、以前と比べ拡充されたとはいえ、家族資源に依存した福祉施策が展開されている日本においてはそれほど多いものではない。そのうち重要な資源となっているのが自立援助ホームである。1997年に改正された児童福祉法において、自立援助ホームがこれまで行ってきた援助活動が「児童自立生活援助事業」として位置づけられた。自立援助ホームを運営してきた遠藤(2002)によると、児童養護施設のアフターケア施設として自立援助ホームは始まったが、現在では児童養護施設からだけではなく、さまざまな施設や福祉機関(児童自立支援施設、家庭裁判所、少年院、福祉事務所、児童相談所等)から入居している。遠藤が紹介する4つの事例は、前掲の東京都社協(2004)で示された施設経験者が直面する課題について、それが具体的にどのようなかたちで経験されているのかを理解する助けとなるものである。全国自立援助ホーム協議会のHP(http://www1.odn.ne.jp/jienkyou/itirann.html アクセス日:2008年3月25日)によると、46箇所の自立援助ホームが存在する。長年、児童養護施設経験者の自立について研究を積み重ねてきた村井(2002)によると、自立援助ホームの援助の基盤は、日常生活技術を教えることではなく、「大人との信頼関係の形成」であるという。
また、近年における新しい変化としては、児童養護施設経験者自身による当事者活動の立ち上げがある。東京の「日向ぼっこ」、大阪の「CVV(Children’s Views and Voices)」の活動などがその例であり[2]、児童養護施設経験者自身による、自分たちの経験と実感に基づいた支援を構築しようとする実践である。
さて、本節で概観してきた一連の調査結果から、児童養護施設経験者の社会生活への移行は非常に厳しい面があることが明らかである。それは、松本(1987)が指摘するように、児童養護施設経験者が低位な労働生活と希薄な「社会的ネットワーク」の相互規定性により形成される「袋小路的生活」に陥りやすいからだといえる。これまでの先行研究においては、児童養護施設経験者の社会生活への移行の実態を明らかにした量的調査、また、児童養護施設経験者を含む多様な家族資源に恵まれなかった若者のサポートを担っている自立援助ホーム等の実践報告があるが、それらの知見を包括的につなげ、児童養護施設経験者の社会生活移行過程明らかにし、支援していく手がかりを探ったものは多くない。
進路選択、社会生活への移行というプロセスは、児童養護施設経験者が、施設から社会へと移行していくプロセスである。その過程で、どのようなまなざしを社会から向けられているかということは、児童養護施設経験者自身に大きな影響を与えていると考えられる。こういった社会からのまなざしは、児童養護施設で生活している子どもや児童養護施設経験者の言葉を読む限り否定的なものが少なくない。時には、差別ともいえる厳しい状況が経験されている。移行していく先の社会を、施設で生活している子どもや施設経験者はどのように見ているのだろうか。児童養護施設経験者自身、あるいは子どもたちの言葉を紹介したい。
みずから児童養護施設で生活をした経験をもつ市川太郎(2006)によれば、児童養護施設で生活している子どもには四つの苦痛があるという。①施設入所前の家庭崩壊などによる苦痛、②施設入所時の家族分離不安による苦痛、③施設生活上の苦痛(いじめ・暴力・体罰)など、④施設退所後の社会生活適応過程での苦痛である。最後の④で示される経験は、本報告書の研究課題と重なるところである。
市川(2006)は、施設で生活している子どもが書いた作文集である『続 泣くものか――子どもたちからの人権の訴え』(全社協養護施設協議会編1990)から引用し、特に「施設で生活していること」に対する差別について記述している[3]。さらに、市川自身も、自らの実名を公表して発言していくことの逡巡を率直に語っている。また、児童養護施設で生活する高校生が集い、施設での生活や将来について語り合うことに取り組んだ全国児童養護施設高校生交流会においても、第1回の鳥取大会から「施設にいることを隠したい」「話せない」「社会は施設を正しく理解して欲しい!」というテーマが討議されているという。さらに市川(2007)は、児童養護施設に対する誤解や偏見、差別についてより詳細に報告している。具体的な例として、「養護」という言葉の混乱、児童養護施設は悪いことをしたときに入れられる施設であるという偏見、銀行や金融機関に就職することは極端に難しいといった就職差別、施設出身であることを理由に結婚を断られるといった結婚差別などがあげられている。
児童養護施設職員時代から継続して施設を卒園した者の支援を続けている長谷川眞人(2001)は、ある児童養護施設の退所児童28人を対象に退所20年後の生活状況を調査した資料を基に次のような報告をしている。28人中25人は転職しており、転職のたびに施設の出身であることでいやな思いをしたという訴えがある。また、退所後の施設職員との交流については、大半の者は全くないと答えている。施設職員の個人的な好意や少ない友人関係に頼ることの限界、社会経験が未熟で生活の弾力性に乏しい施設経験者に対し、信頼できる相談機関や相談者を置くことの必要性を長谷川は訴えている。
児童養護施設で生活する子どもたちは、もっとも長くて2歳から18歳、あるいは20歳までの期間を施設で生活することになる。「施設で生活している」という事実は、施設経験者にとってアイデンティティーの一つである。しかしながら、先行研究では、多くの児童養護施設経験者がそのアイデンティティーを否定する、隠す、といった葛藤を経験していることが報告されている。
子どもの権利条約批准以降、児童養護分野において、児童養護施設経験者の声を聴く、当事者の声を聴くということが新しく試みられている。その成果として、神田(1992)や『子どもが語る施設の暮らし』編集委員会編(1999;2003)がある。さらに、全国養護施設協議会発行の『季刊児童養護』において2003年に始められた「当事者が語る」シリーズもそれにあたる。また、全国児童養護施設長会議においても、第57回全国大会から分科会のひとつとして「子ども(当事者)の声を聴く」が設けられ、以降59回大会まで継続された。60回大会においては、「当事者が語る自立と自立支援」をテーマとする分科会が設定され、翌07年の第61回においては、分科会名としては掲げられなかったものの、自立支援の分科会の話題のひとつとなっていた。
これまで、児童養護施設で生活している子どもや、施設経験者による言葉を紹介してきた。また、近年多く取り組まれている「当事者の声を聴く」という試みも紹介した。これらの研究会、あるいは書籍における児童養護施設経験者の言葉は、生活したなかでの実感に基づいており、非常に読み応えがある。しかしながら、個々の語りの個別性から学ぶ素材としての意義は大きかったとしても、児童養護施設経験者ならではの固有の課題は何か、また、児童養護施設経験者が抱えさせられている課題、言い換えると、社会からの差別を含め、社会が経験者たちに抱えさせている社会の側の課題は何かという視点からの整理は少ない。また、児童養護施設経験者をとりまくさまざまな資源や、本人自身の生活構造、社会からの差別を含めたまなざしをも含めて、包括的に整理されたものは少ない。
児童養護施設を経験した人たちの苦闘、支援する者たちの格闘がこれまで積み重ねられてきた。国や地方自治体による財政的な支援もほとんどないなか、自立援助ホームは実践を積み重ねてきたのである。そうしたなかで、1997年の児童福祉法改正以降、児童養護分野において「自立支援」は子どもたちに保障するべき大きな理念のひとつとなり、2007年9月に行われた厚生労働省社会保障審議会児童部会社会的養護専門委員会の中間報告書においても、「自立支援」という言葉は繰り返し述べられている。つまり、本報告書の研究課題とも重なる、児童養護施設を卒業した人の自立をいかにして支えるかというテーマは、過去も現在も継続して重要なテーマであるといえよう。
グッドマン(2006)は、「児童養護施設の働きが成功したかどうかを判定する最も重要な目安は、退所後に子らがどうなるかということであろう[4]」と述べる。谷口(2006)は、自身がフィールドワークを通して関わった青春学園という児童養護施設で生活した幾人かの事例を取り上げ、施設に入所することで生活が安定し、困難を乗り越えていく者もいる一方で、今ひとつ変わりきれずに退所後再び社会的に排除されてしまうケースも少なくない、と述べる。
児童養護施設経験者の進路選択・社会生活への移行というテーマは、社会的養護という日本の社会が責任をもった形で行われる養育、すなわち子育てが成功しているかどうかを考えさせるものである。加えて、児童養護施設で生活している子どもの教育を支える学校教育の責任についても考えさせるテーマである。
本調査の大きな特徴は、児童養護施設経験者自身が、どのように進路を選択し、社会生活へ移行していったかという過程そのものを、施設経験者自身の語りから明らかにしていることである。これまでそれぞれに整理されてきた児童養護施設経験者に関する知見を、構造的に包括的に整理することができることは、本調査における大きな意義ではないだろうか。加えて、進路選択という学校での経験を聞き取ることができたことも大きな成果である。子どもの育ちを支える役割は、子どもたちが生活する場である児童養護施設だけではなく、学校教育が担う面も当然大きい。福祉と教育は、厚生労働省と文部科学省という二つの行政機関によって実践がなされているが、子どもは、どちらの現場も行き来しながら生きていく存在である。しかしながら、一人の子どもの存在が、それぞれの現場において分断された形で語られることが多く、教育分野における児童養護施設で生活している子どもの研究は非常に少ない。本調査における施設経験者の語りは、それぞれの子どもの現場にたずさわる人たちに対して大きな示唆を与えるものであろう。
本調査においてお話を伺うことができたのは、児童養護施設で生活した経験をもった13人の方たちである。我々調査者グループが出逢えた施設経験者の方であり、かつ、人生について詳細にお答えいただくことを了解していただいた方たちである。前述したように、この時点で一定の偏りがあるが、そういった点を踏まえたうえで、対象者の経験に特徴や何らかの共通性があるのであれば、それがどういった要因によってもたらされているのかを明らかにする必要がある。このような作業により、児童養護施設経験者が抱え込まされている固有の課題を明らかにし、支援の枠組みを考える上での手がかりとしたい。
<引用・参考文献>
- 遠藤 浩(2002)「自立援助ホームからの提言」村井美紀・小林英義編著『虐待を受けた子どもへの自立支援』中央法規
- 長谷川眞人(2001)「当事者の語りに寄り添い学ぶ――児童養護施設出身者が語る過去・現在・未来」『子どもの虐待とネグレクト』第3巻第1号 2001年7月
- 畑中通夫(2006)「児童養護施設の子どもたちと進路保障」『部落解放』解放出版社、204-207
- 廣瀬さゆり(2006)『児童養護の当事者による、自立の力を育む援助に関しての一考察――児童養護施設特有の自立の課題と自立を育む要素の検証』東洋大学社会学部卒業論文
- 市川太郎(2004)「(実務ノート)子どもの意向を汲むとはどういうことか――児童養護施設生活経験者=当事者の立場から」『ケース研究』第281号
- 市川太郎(2006)「当事者から見た日本の社会的養護」望月彰 編著『子どもの社会的養護――出会いと希望のかけはし』建帛社
- 市川太郎(2007)「社会的養護当事者組織の意義と役割――児童養護の当事者参加推進団体『日向ぼっこ』の活動を通して」高橋重宏監修『日本の子ども家庭福祉――児童福祉法制定60年の歩み』明石書店
- 児童養護研究会(1994)『養護施設と子どもたち』朱鷺書房
- 神田ふみよ編著(1992)『春の歌うたえば――養護施設からの旅立ち』ミネルヴァ書房
- 神原知香(2004)「(研究ノート)高年齢児童・青少年に対する援助・支援に関する研究の課題」『社会問題研究』第53巻2号、117-132
- 『子どもが語る施設の暮らし』編集委員会編(1999)『子どもが語る施設の暮らし』明石書店
- 『子どもが語る施設の暮らし』編集委員会編(2003)『子どもが語る施設の暮らし2』明石書店
- 松本伊智朗(1987)「養護施設卒園者の生活構造――「貧困」の固定的性格に関する一考察」『北海道大学教育学部紀要』第49号、43-119
- 望月 彰(2004)『自立支援の児童養護論――施設でくらす子どもの生活と権利』ミネルヴァ書房
- 村井美紀(2002)「『自立』と『自立支援』」村井美紀・小林英義編著『虐待を受けた子どもへの自立支援』中央法規
- 村井美紀(2004)「『第57回全国児童養護施設長協議会』第一研究部会『当事者の声を聴く』を終えて(特集2子どもが語る自分史)」『児童養護』第34巻第4号
- 小川利夫・村岡末広・長谷川真人・高橋正教編著(1983)『ぼくたちの15歳――養護施設児童の高校進学問題』ミネルヴァ書房
- 大阪市児童福祉施設連盟養護部会処遇指標研究会(1996)『養護高齢児に対する社会生活援助に関する調査報告書』
- ロジャー・グッドマン著、津崎哲雄訳(2006)『日本の児童養護』明石書店
- 青少年福祉センター編(1989)『強いられた「自立」――高齢児童の養護への道を探る』ミネルヴァ書房
- 青少年と共に歩む会編(1997)『静かなたたかい――広岡知彦と「憩いの家」の三〇年』朝日新聞社
- 全国児童養護施設協議会編(2006)『全国児童養護施設長研究協議会第60回記念大会 資料』
- 全社協養護施設協議会編(1990)『続 泣くものか――子どもたちからの人権の訴え』亜紀書房
- 部落解放・人権研究所編(2005)『排除される若者たち―-―フリーターと不平等の再生産』解放出版社
- 谷口由希子(2006)「児童養護施設の子どもたちの生活の立て直しの困難性――脆弱な生活基盤の家族・子どもと社会的排除の様相」『教育』2006年12月号 国土社
- 田中理絵(2004)『家族崩壊と子どものスティグマ――家族崩壊後の子どもの社会化研究』九州大学出版会
- 東京都社会福祉協議会児童部会調査研究部(2004)「児童養護施設退所児童の追跡調査
- (平成13年度就労自立した145名について)」東京都社会福祉議会児童部会『紀要』平成14年度版
- 読売光と愛の事業団編(2003)『夢追いかけて――児童養護施設からはばたく子どもたち』中央公論新社
[1] 『THE BIG ISSUE JAPAN』第85号 2007年12月15日 p.26
[3] 竹内洋次さんの作文には、「現に私自身大学卒業時に一流上場企業の入社試験に落ちた際、あとで教授より施設経験が足枷になっていることを知らされ痛憤した思い出がある。教育公務員の道を選んだのも採用試験に差別がないと信じたからであった。結果的には教師になってよかったと思っている。しかし、職場の同僚たちにはこのことを全く話していない。教員間ですら同和問題をはじめ偏見が根強いからだ(全社協養護施設協議会編 1990『続 泣くものか――子どもたちからの人権の訴え』亜紀書房、pp.286-289)
[4] ロジャー・グッドマン(2006 p.243)
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