日本財団アジア・フェローシップ(API)プログラムの助成を得て、2005年3月から9月にかけて、最初の5ヵ月間はフィリピンに、あとの2ヵ月間はマレーシアに滞在し、それぞれの国内人権機関(人権委員会)の活動を調査・研究した。今回はフィリピンの人権委員会に関して報告する。
フィリピンの人権委員会は、1986年のピープル・パワーによる民主化を遂げた直後、新憲法に基づいて設立された。ニュージーランドとオーストラリアの太平洋諸国を除けば、アジア初の人権委員会だ。フィリピンはこれまでにほとんどの国際人権条約を批准しており、人権に関わる国内法もかなり整備されている。しかし、発展途上国の場合は、その実施状況が問題であることから、実際にどう浸透しているのかを調査してみたかったのである。
フィリピンの人権委員会の構成は、中央の人権委員会に5名の委員がいるほか、15のリジョン(地方)すべてに地方人権委員会が設置されているうえ、バランガイと呼ばれる最小の行政単位すべてに、人権侵害の申立てを受理するとともに人権教育を実施するためのバランガイ人権行動センター(BHRACs)の組織化が試みられている。こんなことは本当に可能なのだろうか。
BHRACsは、人権委員会と自治省が協力して組織しているが、全国に40,000強あるバランガイのうち、2002年時点で約35%に設置されているという。
私は、BHRACsによるコミュニティへのアウトリーチがどうなっているのかを調べるために、ルソン島北西部の北イロコス、南イロコス、ラ・ウニオン、パンガシナンの4州からなる人口420万人を擁するリジョン1の人権委員会の事務所に滞在しながら調査を行った。ここは、海岸線と山岳部を有し、先住民族も多く暮らしており言語も多様性に富んだ地域である。
調査方法は<1>文書分析(ケース記録)、<2>インタビュー、<3>フォーカス・グループ・ディスカッションの3通りで行った。
文書分析の結果、取り扱われた(ドケットされた)ケースで最も多いのが子どもの虐待で、とりわけ親族間のレイプが目立った。警察などの法執行者が人権侵害の加害者となるケースも多い。警察や軍隊の場合は、昇進の際に人権委員会の許可証を受けなければならないため、彼らはけっこう人権委員会の呼び出しに応じてやってくる。
一方、取り扱われないケースもかなり持ち込まれる。たとえば専門に扱う他の機関がある労働問題や土地紛争などである。また、無料法律相談のためにやってくる人が非常に多い。フィリピンはちょっとした文書を作成する際にも、法律に基づいて宣誓供述書を作ることがしばしば求められる。そのため、行政書士のところへ行けばお金がかかるが、人権委員会では無料でしてもらえることから、代書屋的な役割も果たしている。しかし、これが法律扶助につながっているともいえる。
特徴的なことは、取り扱われたケースが少ないことだ。なぜ少ないのか、人権委員会のスタッフにインタビューをしてみた。たとえば親族間レイプに関しては、子どもが被害者の場合、家族の説得によって取下げてしまうことが多いというのがその理由という。
こうしたケースは本来、警察に訴えるような事件であるが、警察や裁判所が充分に機能しないことが多いため、地方人権委員会がモニターするということが重要なのである。それから、政治家の圧力や介入が強いことから、証人を確保することが難しいこともドケット数の少ない理由だ。また必要な証拠を収集するための財源が不足しているという事情もある。そのため、資金力のあるNGOと協力する場合もある。
さらに、訴訟に金がかかる、保釈金を払えないなど人々の司法制度に対する不信感があるうえに、貧困層が頼りにすべき人権委員会には起訴をする権限がないことから、そこで人権救済が行われなければ結局裁判に持ち込まなければならないのである。その結果、「自力救済」、つまり報復するという手段を選ぶ人もいる。
各バランガイ人権行動センターには人権行動官1名が任命されている。彼らはケースを解決したり勧告をしたりするのではなくて、人権侵害だと認定すれば、地方人権委員会に送付するという役割を担っている。したがって、人権行動官は選挙によって選ばれる独立した存在であるべきだと決められている。しかし、厳密に実行されていない地域もあることから、リジョン1では改革していこうとしている。
私は、リジョン1のバランガイ人権行動官たちに集まってもらい、「フォーカス・グループ・ディスカッション」をしてもらった。そこで、なぜ申立て数が少ないのか、業務上どんな問題があるのかなどについて尋ねてみた。
一番の問題は、住民は行動官のところに行かないで、より権力や影響力を持っているバランガイ長(村長)に相談してしまい、行動官は呼んでもらえないという声が非常に多かった。地域社会が小さくなればなるほど、日常の政治の影響を受けやすくなって、独立性が担保できなくなっている。バランガイ長が単独で問題解決をしてしまう例が多いのである。
また、たとえバランガイ人権行動官に持ち込まれても、地方人権委員会に送付すべき人権侵害のケースなのかどうかの明確な基準があるわけではないので、研修をしていかなければ地域の人権侵害の申立て機関として機能しなくなると思う。さらに、そもそもBHRACsの認知度が少ないことがわかった。
リジョン1だけでも3,000以上のバランガイがあるため、すべてをカバーすることは困難である。そのため、リジョン内の13の大学と提携して、「人権教育センター」を設置して教員らが地域住民に人権教育を実施している。
こうしたことから、アジア地域の人権委員会の活動にとって、自治体やNGOがどう関わっていくかが大きな課題であることがみえてくる。