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2006.10.13
<部落解放・人権教育啓発プロジェクト>
 
部落解放・人権教育啓発プロジェクト
2006年08月08日
「平成17年度人権教育及び人権啓発施策」の批判的分析

阿久澤麻理子(兵庫県立大学教員)

本白書は、毎年政府が行った人権教育・啓発に関する取組みについて、国会に対してしたものの内容を文部科学省・法務省が編集し、発行するものである。平成15年度版以降、平成18年度版で4冊目となった。

章・節などの構成

白書は、毎年あらたに成立した法律や制度、施策、事業などに関する記述が、本文に付け加えられる形式をとっており、基本的な構成に大きな変化はない。

しかしながら、本年度版の目次構成で一つ目立つのは、「北朝鮮当局によって拉致された被害者等」(第1章2節12)が、個別の人権課題の1つとして、独立項目となったことである。17年度版までは「その他の人権問題」の項の一部にすぎなかったが、今年からこの項目が独立した。今後、啓発事業などにおける、この問題の取り上げ方に変化があるかもしれない。

そのほか、「障害者」という項目の表現が「障害のある人」へと変更された。本文中の表現も同様である(但し、法律等の名称は変わらない)。

個別課題

平成15年版と18年版を比べ、個別課題についての記述の変化、ページ数の増減についても調べてみた。

15年度版には、女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題、アイヌの人々、外国人、HIV感染者・ハンセン病患者等、刑を終えて出所した人、犯罪被害者等、インターネットによる人権侵害、その他の人権課題の12項目があり(18年度版は「北朝鮮当局によって拉致された被害者等」が加わり13項目)、なかでも「女性」「子ども」は、15年版の時点で各10数ページあり、他項目と比べても量が多かった。なお、「子ども」については18年度版になると5割近くページ数が増えている。また、「障害のある人」「犯罪被害者等」の項も、3年間で数ページずつ増加した。

もともとページ数が多かったり、ページ数の増加が目立つ項目は、新たな法や制度、新たな事業の実施に関する記述が多い(または増えた)ものである。したがって、このような項目は、現在進行形での取り組みがもっとも活発な領域とも考えられよう。たとえば「女性」の項では「男女共同参画基本計画(第二次)」の策定や、その他新規事業の実施、「障害のある人」の項では、「障害者の雇用の促進等に関する法律の一部を改正する法律」や「発達障害者支援法」の施行、「犯罪被害者等」の項では「犯罪被害者等基本計画」の策定などについての記述が18年度版から新たに加わった。「子ども」に関しては児童虐待への対応に関わる記述の増が目立つ。

一方、「同和問題」「アイヌの人々」「外国人」「刑を終えて出所した人」については、ほとんど変化がない。

また、前年どおりの記述がつづくと、それが継続して毎年実施されている事業なのか、それとも過去に実施されたことがそのまま記載さているのか、区別がつきにくいものもある。

一方、量だけでなく、記されている内容の「適切さ」にも目を向ける必要があろう。例えば、「外国人」の項には、外国語教育の充実についての記述がある。しかし、小学校の外国語会話学習、「英語が使える日本人の育成のための行動計画」(H15)に基づく英語授業の改善や教員の指導力向上などは、「外国人の人権を保障するとりくみ」といえるだろうか。また、「同和問題」の項目に、企業の社会的責任に関する記述が含められているが、CSRに「雇用の非差別」などに関する重要な取り組みが「含まれる」としても、CSRのすべてが同和問題の解決を目的とするものではない。人権教育・啓発の解釈をあまりにも広く解釈すると、そもそも、誰のどのような権利をまもろうとしているのかということすら、あいまいになってしまう。

抽象的・あいまいな「人権」観

人権が、人間の生活のすべての局面に関わるものであるとしても、だからといって、人権教育・啓発をあまりにも幅広く解釈しすぎることは、逆に焦点をぼかし、核となる取組みを置き去りにしてしまう危険もある。実際、多くの項目で、法や制度の整備が進んでいながら、法と人権がどのように関わるのかを理解したり、私たちが権利の主体としてこうした法や制度を使いこなしていくべきである、といった権利の主体意識をはぐくむような取り組みが、人権教育・啓発の中で行われていないのは、極めて不思議である。

学校教育においては、今年もまた、「豊かな心」の育成と「確かな学力」の向上とが人権教育の柱にすえられており、道徳の充実や「心のノート」の配布が人権教育の取組みとして記されている。人権啓発においては、多数の人びとが参加する大規模なイベントが実施されているが、人権イメージキャラクターのぬいぐるみが登場し、「人権を大切にしましょう」と呼びかけるだけでは、あるいは、抽象的な人権イメージキャラクターソングが流れるだけでは、「人権とは何か」を参加者が学んだとはいえない。人権が抽象的にしかインプットされない啓発や、心や価値観にばかり焦点を当てる教育を、私たちはそもそも、人権教育・啓発だと呼べるかどうか、考えてみる必要がある。

なお、法務省は最近、法教育に関する取り組みを進めているが、法教育においても、「人権」は重要な学習領域である。しかしながら、そのことについては、白書にはまったく言及がない。法教育において、「法と人権」を問題にしていながら、人権啓発では「思いやり」や「心」に焦点化した取組みを行う、というのは、不思議な役割分担である。

「人権教育のための国連10年」との連続性

また、「人権教育のための国連10年」が終了した現在、「10年」の取組みとの連続性についても注意が必要である。人権教育のための国連10年推進本部が公表してきた「『人権教育のための国連10年』に関する国内行動計画の進捗状況」には「企業、その他一般社会」「地方公共団体」の取組みや「国際協力」への言及があったが、本白書にはない。人権教育・啓発とは、市民社会を含む多様なステークホルダーが関わり、方向づけられ、実施されていくのだという基本的スタンスが、「白書」に移行する中で、ぬけ落ちてしまっている。

もっとも、白書というものは、基本的には政府の各省庁が、所管する行政活動の現状や将来の展望などについて、市民に知らせるために出すものであるから、本白書が、政府が主導となって実施した人権教育・啓発施策についてのみ、一方的に羅列していることは、「白書」の基本的な限界であるともいえる。また、「人権教育・啓発推進法」第8条にも、「毎年、国会に、政府が講じた人権教育及び人権啓発に関する施策についてのを提出しなければならない」と記されている。つまり、白書には限界があることを市民社会の私たちが気づき、むしろ政府以外の多様なステークホルダーによる取組みをまとめて公表したり、政府の白書を批判的に検証することが重要である(なお、このような法ができるとき、その文言のもつ意味にも、もっと注意をはらっておく必要がある、ということも付記しておきたい)。

(文責 阿久澤麻理子)