本報告は、近年のおよそ10年間に、この国の教育がどのように変化したのか、またその中で同和教育はどうであったのかを、改めて見つめ直したいという問題意識から提案された。
1995年「人権教育のための国連10年」がスタートし、「世界の人権教育と出会って,同和教育の発展をめざす」方向で、当時、なおも歴然と存在していた被差別部落の子どもたちの学力格差の問題を、参加体験型学習などの積極的な導入を通して、克服していこうとする取組が進められた。その一方で、1996年の地対協意見具申によって、特別施策の打ち切りが明言され、残された課題は一般対策に工夫を加えて取り組むとされたことを受けて、「同和教育の成果を人権教育としてすべての子どもたちに普遍化していくこと」「特別施策に頼らず学校教育の改革と地域連携で同和問題の解決をめざす」という基本方向で同和教育の更なる充実がめざされてきた。当時のこの方向は、1996年に中教審答申が「ゆとりの中で生きる力を」という路線のもと「知識の詰め込みから児童・生徒の主体的な学び」として提起した「基礎・基本の厳選」と「総合的な学習の時間の創設」が具体化されていく動きと同じ方向をめざすものとして受け止められていたのではないか。しかし、1998年に授業時数を1割削減し学習内容を3割削減した「新学習指導要領」が発表されたとたんに、「学力低下を招く」として批判が集中すると、それから以降の文教政策は、一気に「自由化・多様化」の名の下に新自由主義に基づく改革へと突き進んできた。
以来、中・高一貫校や通学区域の自由化といった「学校制度の変更」、最低基準とされた学習指導要領のもとでの時間割編成の弾力化、習熟度別学習といった「教育課程の変更」、免許更新制と教職大学院創設、教員評価システムの導入に見られる「教師教育や教員人事制度」、義務教育費国庫負担制度の見直しによる「教育予算の配分」、そして教育基本法の改定に伴う「教育理念の変更」と、怒濤のように押し寄せてきた「教育改革」の名の下での変化が、数々の答申や調査協力研究者会議報告といった形で準備されつつ、一方で、教育現場における様々な事象を過剰に取り上げるマスコミによる世論操作や「教育再生会議」といった諮問機関からの報告によって受け入れ易い社会的土壌が作られ、法改定や政策変更となって実施されてきたことが、豊富な資料をもとに具体的な事実を上げながら説明された。そして、そうした中で「被差別部落の子どもたちの教育の権利の保障」が核であった同和教育が、「すべての子どもたちの教育権の保障」へと広がるのではなく、「人権教育」がいつの間にか「人権についての教育」だけに矮小化され、さらにその内容が道徳教育と結びついて、「心がけ・思いやり」に、そしていまや「規範意識・公徳心」へとすり替えられている現実があるのではないかと提起された。同時に、「被差別部落に対する特別対策」が打ちきられたことによって、「一般福祉対策の底支え」がなくなり、学力や進路は公教育が保障すべきものではなく、個人の自己責任の問題であるかのように捉えられ、いまや被差別部落の子どもたちの学力保障はおろか、社会的に厳しい立場におかれた子どもたちの教育さえ充分に保障されない状態が生まれているのではないか、といった厳しい状況分析が提起された。
こうした報告を受けて、「法や政策はあくまで力関係のもとでつくられるものであるが故に、いまこそ学校や教員の主体の力が問われていること」同様に、「国際的には新自由主義の見直しが進められ、人権教育の重要性がますます高まっている中で、国内においては人権教育とは何かということ自体が曖昧になっているのではないか」という意見もだされ、改めて、状況を読み解き進むべき方向を提示していく情報発信力や、厳しい状況の中でも各地で奮闘している人々を結集していく主体の力をどのように再構築していくかが問われていることが話し合われた。
(文責:事務局)