問題意識を共有するため、参考までに私の書いた論文「部落解放運動と人権のまちづくり」について説明させていただきます。まず部落差別というのは地域に対する差別と、その地域に居住する人びとに対する差別で、それが他の差別との違いです。部落解放運動とは地域を変えていく運動、そして地域に住んでいる人たちの生活を高めていく運動です。部落には子どもからお年寄りまでいるわけですから、部落問題とは、まさにゆりかごから墓場まで、あらゆる課題があります。
もう一つ、自治体に働きかけていった、変えていったのが戦後の部落解放運動の特徴です。国は縦割り行政ということで問題になっていますけども、じつは、自治体も縦割り行政になっているんです。それを同和対策室とか同和教育課などを自治体に設置させたのは、画期的な意義があると思います。つまり、人権に関わる総合調整、企画立案機能を持った行政部局をかなりの自治体に設置させていったのは、大きな成果だと思います。今後、これをどう発展させていくかということが問われていると思います。
第三期の部落解放運動が提案されて久しいですが、これを私なりに整理すると、一つは部落の中において自立を高めていくための産業・職業の安定と、それと結びついて教育の向上に力点を置いていくこと。これは面的な整備だけでなく、個々の部落大衆の要求とか、おかれている状態を見て適切な方針を出すことですね。もう一つは国内外の差別の撤廃と部落差別の撤廃とを結びつけていくことです。具体的には、部落解放基本法の制定を求める運動もそうですし、また他の差別をなくす、周辺地域もよくしていくということでいいますと、条例制定運動があります。先ほど省略しましたが、条例には4種類ほどあるわけですね。一つは部落差別調査に対する規制条例で、大阪府、熊本県、香川県、徳島県、福岡県の5つ。二つ目は徳島県阿南市で作られたもので、部落差別撤廃・人権擁護条例といいます。内容的にはプライバシーの保護などもふれています。三つ目は大阪府泉佐野市が出発点になったのですが、「部落差別をはじめあらゆる差別を撤廃する条例」があります。四つ目が鳥取県、三重県なとで制定された条例で、「人権が尊重された社会をつくる条例」。だいたい、これら四種類の条例が作られています。それぞれ若干の違いがあるのですが、これからの方向としましては、「部落差別をはじめあらゆる差別を撤廃する条例」もしくは「人権が尊重されたまちをつくる条例」が多くなると思われます。あと対外ということでいいますと、反差別国際運動(IMADR)が結成され、世界の差別をなくしていく運動が広がっています。
この中で部落問題の解決に向けていちばんの鍵を握っているのが、「人権が尊重されたまちづくり」ではないかと思われます。というのは、部落と部落の周辺との連帯が作りだされた時に初めて部落解放の展望が生まれてくるわけですね。そういうことから言いますと、人権が尊重されたまちをつくっていく取り組みが、いちばん大事な取り組みになっていくのではないかと思います。
次に、伝統的に部落はどういうふうに見られてきたのか。「自分たちも苦しいけれど、あそこよりはましだ」という対象として見られてきた。部落で解放運動が起こって部落が変わってきた。すると「ねたみ差別」が起こってきた。なぜかというと、同和対策事業に対する説明がきっちり行われなかった。物的な事業に対する予算のつぎ込み方と、理解を求めていく教育、啓発に対する予算を比べると、あまりにも大きなギャップがあったという問題が一つ。もう一つは周辺の人たちもそれほどいい生活をしていたわけではないわけです。「あそこよりはましだ」と思ってたわけですから、それが部落だけがよくなってくると「何であそこばかりよくなるんだ」ということになるんですね。そういう意味では、今後、教育、啓発も大事ですが、それだけでは「ねたみ差別」は最終的になくならない。部落がよくなると同時に周辺もよくなっていくということが必要だと思います。一方で、去年4月から、地方分権一括法が施行されていますけども、自治体が果たす役割には大きいものがある。
あとは具体的な切り口で考えた方が分かりやすいと思いますが、隣保館が新しい役割を担おうというふうに変わってきています。ご存じのように50世帯以上の規模の部落には隣保館が建てられることになっていて、全国でおよそ1000あります。ところが実態は千差万別で、職員数も2-3人のところもあれば20-30人のところもあります。名称もどんどん変わってきています。たとえば大阪市内では人権文化センターと称しています。
隣保館とはもともと地域における自立支援がメインだったわけですが、1997年4月以降、その位置づけが一般施策に移行して、3つの機能を持つことになっています。一つは従来の被差別部落の人びとの生活相談・自立支援センター、二つは周辺地域住民との交流のセンター、三つに周辺地域をも含めた福祉と人権教育・啓発のセンター、です隣保館はこれら3つの機能を持つことになりました。
たとえば長野県御代田町の人権啓発センターでは、部落の人たちだけでなく広く町民全体に呼びかけてヘルパー養成講座に取り組んでいます。奈良県菟田野町では、部落解放センターが、部落だけでなく周辺の人たちも利用できるデイサービスセンターを付設しています。また大阪府箕面市の萱野中央人権文化センターは、NGOの交流の場に変わってきています。
大阪市では去年4月に条例が変わりまして、市内12ヵ所の解放会館を人権文化センターに改称し、周辺地域にも開かれたセンターになっています。
私は大阪市の住吉に住んでいます。一昨日、住吉の人権文化センターの運営委員会がありまして、そのなかで事業実績を見ますと、かなり部落外の人がセンターを利用しています。
隣保館の機能を広げていく場合にいちばん大きな問題は、従来の隣保館ではやっぱり対応しきれない場合があるんですね。増改築問題であるとか、ある程度の専門的な能力を持った職員を増やしていくとか、あるいは管理運営・事業費が、必要になります。そういう条件整備の面が必要になってきます。
周辺地域とも連帯したまちづくりということで、創意工夫を凝らした取り組みが進められています。滋賀県甲良町には2ヵ所被差別部落がありまして、部落人口が町人口の4割くらいを占めています。町長が解放同盟の役員を経験されていまして、町長になった段階で、部落解放運動で培ったノウハウを町全体に及ぼしたいという問題意識で、各小字(こあざ)ごとにまちづくり委員会をつくり、年間100万円くらい活動資金を出しました。琵琶湖に注ぐ水路を暗渠にすることになっていたのですが、蓋をするのではなく、むしろ疎水をまちづくりにいかしていこうではないかと問題提起され、そして小字ごとに自主的に計画を作ってもらいました。そのなかには、ちょっとした滝を作って、子どもたちがそこで遊べるようにしたり、みんなが寄れるような東屋を作る計画があったり、住民参加型のまちづくりを始めています。
もう一つ、大阪市住吉区の浅香地区の場合、大阪市立大学と地下鉄の車庫に囲まれ、部落が孤立させられていました。ところが地下鉄が延びたことから車庫が撤去され、その跡地をいかに活用するかということになり、解放同盟浅香支部だけでなく周辺の人たちも入って推進協議会がつくられ、海外技術者研修協会の関西研修センター、我孫子南中学校、特養が作られ、中央公園が整備されました。98年4月に開かれた「跡地まつり」には5万人の参加者がありました。このようなユニークなまちづくりの例があります。
こういうまちづくりを進めていくためには、根拠が必要だということで条例制定運動を進めてきました。今年5月現在、693の自治体で人権条例が制定されています。
鳥取県倉吉市の「倉吉市部落差別撤廃とあらゆる差別をなくす条例」では、審議会で総合計画をまとめ、それを実現するための前期5年の計画を作っています。具体的には、障害者に対してJR倉吉駅構内に電話ファクスの設置、在日外国人の無年金者に月額2万5000円支給、市内5ヵ所の隣保館の職員を一名ずつ増員し、人権文化センターへ拡充するなどの施策を行っています。
三重県の場合は、「人権が尊重される三重をつくる条例」が制定され、これに基づいて「三重県人権施策基本方針」「人権教育のための国連10年三重県行動計画」が策定されました。1998-2001年度までの第1次推進計画も作られています。
三重県のもう一つの特徴は、県の人権センターが作られていることです。ここは三つの機能を持っていまして、建物の管理や啓発・研修、相談などを行う「人権センター」の機能、同和教育に関する調査・研究、相談などを行う「同和教育センター」の機能、就職情報の提供、企業啓発、労働相談などを行う「労働対策センター」の機能の3つの機能をもっていまして、なおかつ、これらに関係する民間団体の事務所が置かれています。
ただ問題は、条例というものをみたときに、できている地域とできていない地域とで、非常に偏りがある。もう一つは、条例を作ったけれども何もしていないところが結構ある。せっかく作った条例を生かさなければならない、というのが、このプロジェクトの一つの狙いなんですが。
もう一つは、条例を自治体で実行していくための、国のバックアップ体制がない。ところが政府は部落差別をはじめあらゆる差別をなくすための法律や、人権が尊重された日本社会をつくる法律を作っていこうという動きはまだないわけです。そういうものを所管するセクションもありませんので、それもまたこのプロジェクトのテーマになろうかと思います。
同和行政と人権行政の関係をどう考えるのか、という問題があります。現在解放同盟が全国大行動を展開していますが、そのいちばんの目玉は、自治体に対する交渉を強めることで、「地対財特法」の期限切れ後の同和行政の方向をはっきりさせたいという点です。そのポイントは、同和行政とは何かということと、同和行政のやり方とを分けなければならないということです。
同和行政とは、部落差別があるかぎり実施される行政であります。ただ、やり方は従来のように特別措置法を作って特別措置としてやるやり方と、一般施策を活用するやり方とがあります。96年5月に地対協意見具申が出されまして、そのなかで、特別施策から一般施策に移行してはどうかという提案がなされたわけです。
問題は特別施策から一般施策に移行していくときに、たとえば義務教育の教科書無償にみられるように、特別措置として実施されたものが一般施策になることによって特別措置がなくなるということもあるわけです。これまで特別措置として行われてきた同和行政の中にはたぶんに本来普遍化すべきものが含まれていると思います。
二番目のポイントとしては、さきほど部落解放運動の成果として、自治体の縦割り行政を改め総合調整・企画立案する部局を作らせたと言いましたが、問題はこれをどうするかということなんです。自治体レベルで言えば、従来首長部局にあった同和対策室なり同和対策課が人権室なり人権文化課などに改組され、結果として部落差別撤廃に向けた施策が大幅に削減されたり、廃止されているところが一部に見られることです。
同和行政の成果を踏まえ、これを人権行政へと発展させることは大切です。ただ、そのうえで同和行政を廃止してはならず、人権行政の重要な柱として位置づけなければなりません。ここがポイントです。
なぜ同和行政をなくしてはいけないかというと、部落差別の実態がまだあるからですね。もう一つは、一般施策を使ってやっていく場合には、よけいに部落解放の視点をもっていなければ、また5年、10年経てば部落が劣悪な状態におかれてしまうということが起こりかねないからです。
最後に人権行政とは何か。人権が尊重されたまちとは何かを明らかにする必要があります。日本の現状から考えた場合、人権行政として踏まえるべきこととして、第1に、あらゆる差別の撤廃をめざすこと、第2に、すべての人々の自己実現を支援する行政、第3に、日本社会において差別の撤廃と人権確立を困難にしている風習や制度を変革する行政、第4に、日本が締結した国際人権規約や女性差別撤廃条約、子どもの権利条約や人種差別撤廃条約を実現する行政、が大事だと思います。
そのためにやるべきことはたくさんありますが、とりあえず、せっかく900を越す自治体で条例が作られていますので、それを集めてみようではないかということと、比較研究をしたうえで提言をまとめてみたいというのが一つの柱です。もう一つは、国に責任を果たしてもらうことが必要だということです。この二つを、このプロジェクトの大きなテーマにしてやっていってはどうかと考えています。
今日は第1回目なので、これまでの問題提起に関連しまして、それぞれの参加団体から問題意識を出していただきたい。まず北口さんのほうから発言をお願いします。