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2005.02.24
部会・研究会活動 <国際身分研究会研究会>
 
人権条例等の収集と比較研究および提言プロジェクト報告書
人権のまちづくり
-イギリスの取り組みから学ぶこと-

炭谷茂(環境省総合環境政策局長)

ただいま、ご紹介をいただきました環境省の炭谷です。このような場にお招きいただき、厚く御礼もうしあげます。きょうは「人権のまちづくり」で、1時間弱お話をさせていただければ、ありがたいと思います。

なぜ、こういうことを考えているか。また、なぜ、このような取り組みをしているのか、ですが、いろ

いろな動機があります。大きく言って2つの動機があります。

1つは、同和問題、人権問題の管見から、このようなことを考えているわけです。もう1つは、現在の社会の病理学、病理的というような諸問題に対して、どのように取り組むべきか。この2つの問題意識から「人権のまちづくり」を、1つの解決の手段として考えております。

1 同和・人権行政の歴史的帰路

まず、第1番目の同和問題また人権問題の解決という視点から、お話をさせていただきます。実は、このお話は、昨年、香川県での第35回部落解放全国研究集会でも、お話をさせていただきました。お聞きになった方にはダブるかもしれませんが、お許しいただきたいと思います。

今、ちょうど同和行政または人権行政の歴史的な帰路にきていると思っております。この平成14(2002)年の前半、2月、3月をどのように対応するかによって、今後の同和行政、人権行政の大きな方向づけがなされるのではないかな、と考えております。

(1)地対財特法の総括

これは、みなさま方、ご専門で、私の方が、むしろ教えていただきたいと思っています。1969(昭和44)年に同対法(同和対策事業特別措置法)ができ、いよいよ来月には地対財特法(地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律)が切れることになります。

そして、その後どうしたら、いいんだろうか。このまま過ぎ去っていいんだろうか、という問題意識を強烈に持っているわけです。

私自身、1993(平成5)年に、総務省の地域改善対策室長をやらせていただいた。そのときにやった大きな仕事の1つは、同和地区の実態調査です。この実態調査は、たいへん重要な調査だったと、ぼくは思うんですね。なぜかと言えば、あのように同和地区また同和問題について、科学的体系的かつ大規模に調査した最後ではなかったのかな。最後というと、また、これからあるのかもしれませんから。直近のものでは、最大のものだったと思います。

たとえば、同和地区については、5600(4442?)地区、全地区について調査をした。また生活実態調査、意識調査については、抽出率が5分の1。統計的に言えば、5分の1というのは、きわめて高い抽出率だと思います。そして、かつ、みなさま方のご協力によって、回収率は、同和地区の調査については、ほぼ100パーセント。生活実態については、80パーセントを超え、意識調査については70パーセントを超えている。このような調査においては、驚異的な回収率だったと思います。その後の分析・評価についても、おざなりな分析ではなく、私自身、最後の仕上げまでは出来ませんでしたが、実質的に最終的なところまでさせていただきました。かなり綿密な分析と評価が、なされているものじゃないのかな、と思います。

このようなことで、これからの同和問題を考える際には、この実態調査が、非常に大きな手がかりにならねばならないし、また、なってきたのだろうと思います。

その同和地区実態調査についての結論は、みなさん、ご存知のように、物的事業については、ほぼ目的を達しつつあるが、教育・就労・産業のような問題については、なお格差があり、なお改善しなければならないんじゃないのだろうか。また、人権侵害、差別事象は、残念ながら、かなり見られる。そういう結論に、おおざっぱに言えば要約できるのではないか、と思います。

(2)残されている問題

1993(平成5)年から今日2002(平成14)年、約9年経ったわけです。問題が解決しているのかなあ、と考えたとき、残念ながら、それを検証する手段である調査が行われておらないので、わからないんです。私自身は、1993(平成5)年の調査、あれだけ大きな調査でなくても、その後何らかの調査があってしかるべきではなかったのかな、と意見を述べてきた。が、残念ながら、類似した調査はなされなかった。なされなかった理由は、いろいろな政治的な思惑があったんじゃないかなとは思いますが。

しかし、調査がない以上、何らかの推計をせざるを得ないわけです。その後、平成の時代になってバブル経済が破綻し、不況下にあるわけですね。失業者は、最近の数字で言えば、330万人を超える。という状況などを考えますと、むしろ日本の社会というのは、悪い方向に行っているのではないのかな、と思います。

1つの例として、生活保護の例を考えてみます。1950(昭和25)年に、現在の新しい生活保護制度が出発しました。直近の一番古い数字は、1951(昭和26)年が出ているが、生活保護を受けている方の保護率が2.4パーセントですね。

その後、景気の波とともに、高度経済成長期に乗って、これが、どんどん下がっていきます。生活保護というのは、景気の遅行指数、やや遅れて出る数字です。景気が良くなれば減る。景気が悪くなれば、1年か2年の遅れをとって、上がっていく数字です。そのため、1995(平成7)年には、日本の社会福祉の歴史上、一番低い0.7パーセントで底を打つわけです。そして、その後、どんどん、どんどん、逆に上がっていく。

現在の数字は、たぶん0.9パーセントであると思います。0.7から0.9なので、たいしたことはないと思われるかもしれませんが。その人数というのは、たいへん多く、むしろ、ここで上昇に転じたというのは、非常に注目しなければいけないと思います。

いずれ1パーセント代に上っていくのではないかな、と思います。これは人員で見ていますから。かりに世帯での被保護率を見たら、相当の上昇です。むしろ、1951(昭和26)年の世帯保護率と同じぐらいの保護率になってきていると思います。と申しますのは、昔は大家族、今は被保護者は、だいたい単身ですので、このような結果になるわけです。

このように生活保護の状態を見てみると、むしろ悪くなってきている。そのようなことから考えると、さきほどのソフト面について改善すべき問題がある。就労、産業、教育などにあるということになれば、このような経済、社会の悪い状況というのは、むしろ一番弱い世帯に、弱い層に直撃しているのではないかな。というのは社会経済学や社会学の考え方からすれば、常識的な線じゃないのかな、と思います。

この間、部落解放同盟の書記長をしている高橋正人さんから、2002年 1月24日に出たという長野県の審議会の答申を送っていただいた。長野県という1県の分析では、やはり同じように「教育問題、就労問題、産業問題について、問題がなお残っている」という答申がなされているんです。

やはり、1993(平成5)年のときに明らかになった問題点は、残念ながら今でも残っているんじゃないかと推察する方が、より正しいのではないかな、と思います。

現在、これをどのようにしたらいいのかが問われている。2002(平成14)年3月に地対財特法が期限切れを迎え、特別対策から一般対策へ移行することは、もはや今の段階では、既成の事実だろうと思います。だとするならば、それで、どうしたらいいのだろうか。

私はある意味では、特別対策から一般対策へ流れるのは、歴史的にはやむを得ない、歴史的な必然のところもあるかなと思います。というのは、特別対策は一般対策が不十分な時代、必ずしも十分ではなかった時代に採られた措置であろうと。しかし、現在、一般対策というのは、量も種類もたいへん充実してきたことを考えれば、それを、うまく活用すれば、かなりの問題が解決できるのではないか、と思います。むしろ、活用しなければ、いけないんじゃないのかな。そして、問題を解決していくという姿勢で臨まなければいけない、と思います。

「もう特別対策はなくなったのだから、どうしようもない」では、残された問題は解決できない。むしろ、それについて十分できるだけの条件はあるわけです。そのような問題のあるところに優先的に適応されるのが、本来の一般対策ですから。これをうまく使っていけば、必ず残された問題は解決できる。また、逆に言えば、解決しなければならないと思っております。

(3)2つの原理と確認

これから、どのような方向で、同和行政・人権行政を考えたらいいのか。

これは、私が最近考えて言っていることです。2つの原理を基本にしなければいけないんじゃないかな、と思っております。

1つは、1969(昭和44)年、同対審答申にあるように「同和問題の解決は、国民的責務であり、国の責務である」と、はっきり書いてある。特別対策がなくなったからと言って、同和問題がある限り同和行政がなくなるわではない。問題がある限り、やらなければいけないというのは、1969(昭和44)年の同対審答申でも、明らかなことです。このことを、間違ってはいけないんじゃないのかな、というのが、第1の原理です。

第2の原理は、憲法からくる問題です。きょう、江橋先生がいらっしゃるので、間違いがあれば、後で、修正していただきたいと思うんですけれども。

私自身は、やはり憲法の中で重要なのは、やはり「人権の規定」であろうと思うんですね。終始一貫言ってきたことですが、同和問題を解決することが人権尊重国家になる、人権尊重国家になることが同和問題の解決になる。こういう1つのパラダイム(paradigm/見方・考え方を支配する認識の枠組み)で、ずっと考え仕事をし、また活動をしてきたんです。

私は、現在の憲法の規定のなかで、これからは憲法25条よりも憲法13条を中心におくべきであろうと考えています。13条というのは、世界各国の憲法の中にあまり例がない。もとをたどれば、バージニア憲法にあるものをGHQがドラフト(draft/草案)を書いてきたと言われていますが。

憲法13条の「個人の尊厳」とか「幸福の追求」は、人権の基本になるようなこと、それが非常に発展するようなことが、盛り込まれている。

私は、現在、環境行政の責任者ですが、環境行政の基本は憲法13条だと主張をしております。それに対して、最近、社民党国会議員の大脇さんという弁護士が、憲法13条を基本にするのは反対だ、とおっしゃっています。私は、やはり憲法13条に基本を置くべきだという主張を展開しております。そういうふうなパラダイムは、かなりの人が、同様のことをおっしゃっています。

同和問題=人権問題ととらえたために、「これからの同和問題は人権問題としてとらえればいい」「単に空念仏的なものでやればいいんだ」ということが、特に、都道府県、地方市町村または国のレベルで増えてきたんじゃないのかな、と思います。つまり、単に人権の啓発活動だけをやることが同和行政なんだと。同和行政=人権問題が、単なる標語行政、シンポジウム行政、講演行政になってきた。

しかし、人権というのは、本来、個別的具体的なものであっただろうと思っています。「人権」が唱えられて以来、「もともと人権というのは、抽象的観念的になる宿命がある」と、ずっと一貫して言われている。1789年にフランス革命によって、人権宣言が出た。そのときの内容も「人間は自由である」「権利において平等である」と言われましたが、この内容自身が抽象的で観念的になって、自ら常に闘う姿勢を示さないと空虚になってしまう。ということは当時の識者、特に、ぼくが読んだオーギスト・コントは既に指摘しております。

また、人権宣言にしても、恣意的選択的に使われている。「自由にして平等」といっても、当時の平等は男性における平等であり、女性においては、そういうふうに扱われてこなかった。また外国人においても、そういう扱いを受けなかった。非常に選択的恣意的であるのは、いろいろな憲法学者が言っている通りだろうと思います。

そのようなことからすれば、人権問題というのは、同和行政=人権問題なんだけれども、人権問題というのは、個別具体的かつ実態的に展開していくことが必要だろうと思っています。

ということは、何となく頭の中でわかるんです。じゃあ、具体的にどうしたらいいんだろうか、と悩んでいるのが、ほとんどの方だろうと思います。

2 解決の手法としての「まちづくり」

そこでずっと私が思ってきたのは、1つの提案として、きょうのテーマであります「まちづくり」の手法でやったらどうかな、ということです。必ずしも、それがすべてではありませんが、1つの極めて有効な手段じゃないのかなと思ってきました。

(1)「まちづくり」の優位性

さきほど言いましたように、問題が、教育、就労、産業、いろいろ多方面にわたっている。そのようなことであるなら、1つは、面としてやらなければいけない。地域としてやれば、そこに多くの住民が参加していただけるのが、第1点。

2つは、それぞれの地域の文化、地域の特性に応じたものにできるんじゃないのかな。

3つに、いろいろなものの総合性です。単独に教育だけ解決するというわけにはいきませんので、総合的に解決するには、はやり「まちづくり」。1つのまちを単位にしてやればうまくいく。

(2)名目だけの「まちづくり」の多さ

そのような観点から、いろいろな「まちづくり」がある。私が総務庁で仕事をさせていただたときも、「人権のまちづくり事業」があった。また、医療問題をやっていたときも「健康文化都市づくり」があった。福祉のときも「福祉のまちづくり」があった。しかし、何か、うまくいかないんですね。

いわば「人権」が「まちづくり」になったように、人権が名目だけになり観念に終わったように、名目だけの「まちづくり」があまりにも多いなあ、と。実態として成功した事例が、あまりないんです。ないことは、ないんですが、きわめて少ない。

だいたい、「まちづくり」も標語行政だ。柱に「健康なまちづくり」とか「人権のまちづくり」とか。そういう条例を作ったり(条例を作れば、まだまともな方ですが)、看板を掲げるだけ、宣言をするだけ、そういうふうなことがありました。そこで、ますます壁にぶつかってきたわけです。

(3)ノウハウの開発の必要性

本当の「まちづくり」をやるためには、ノウハウを開発、蓄積していく必要があるのではないか、と考えたわけです。

何か、そういうもので成功した事例はないのかなと、いろいろと探してみた。そうすると、実際は結構あるんです。一番成功した例は、アメリカのスタンフォード大学を中心にしたスタンフォードのまちです。あそこは大学を中心にして、世界の最高の頭脳のまちにした。元々は、何もない原野だったんですけど、ある富豪がスタンフォード大学に寄付をして、ああいうふうに「頭脳まち」になった。アメリカには、他に「医療のまちづくり」をして、世界の癌の研究集約地域になったところもある。

ヨーロッパの方で探してみても、このような「まちづくり」では、かなり成功している。しかし、それを見てみて、日本の場合の手本になるのかな、と考えてみたとき、なかなか、そういうものでは手本にならないんです。

そこで、何か、いい方法はないのかなと思って、ぶつかったのが、きょう、お話するイギリスのCANという団体の「まちづくり」手法です。

さきほど、冒頭に私は2つの視点から、「まちづくり」を考えてきたと説明しましたが、これは第2の視点です。

第2の視点の、現代社会の病理的な問題、または現在の社会が抱える社会問題について、注目せざるを得ない。その解決は、されていないんじゃないかな、と常に思っておりました。これが、きょう、用意していただいた資料の一番最後のところに、まとめて書かせていただきました。17ページにあります「現代社会の社会福祉の諸問題」というものです。たしかに、日本の社会は経済が進展し、社会福祉が充実してきたわけです。充実したにもかかわらず、あまりにも多くの問題が世の中にあるんじゃないのかな、と問題意識を常に持っておりました。

特に最近、目立ってきたのは、現在の日本の政策はアメリカナイズされ過ぎているんじゃないかな、と私は思います。

現代のアメリカは世界の超大国であり、アメリカの政策は、今、世界を席巻しようとしていると思います。アメリカの政策は、ひと言で言えば、市場原理を中心に、人間の創意工夫をより生み出して努力する者が報われる、そして豊かな生活に(つながる)。そして、競争に負けた人間には、セイフティ・ネットが準備されているから大丈夫、心配ありません、というのがアメリカ的な政策であろうと思います。

本当に、そういうことでいいのかな、と常日頃、疑問を感じております。それが、グローバリズムとして、小泉内閣もそうですし、その前の橋本内閣もそうですが、この考え方が基本になっている。つまり、市場原理である。しかし福祉も充実させます。セイフティ・ネットという競争に敗れた人に対しては手当てをします。というのが、日本の政策の基本だと思います。

なぜ、そうなっているかと言えば、現在の政策を作っているのは経済学者です。特にアメリカの大学で勉強する、もしくはアメリカで学んだ経済学者が、非常に影響力を持っている。現在の内閣を見てもそうですし、審議会のメンバーを見ても、そうだろうと思います。学者というのは、政策面についての影響力は、そう多くはないわけですが、基本的な原理には、ここ十年ぐらいアメリカで学んだ経済学者の影響は、非常に大きいと思います。

でも、そういう社会でいいのかなあ。あまりにも、能力のある人間、たまたま幸運に恵まれた人間、コネのあった人間、親から財産を引きついた人間だけが、恵まれる。そして、競争に敗れた人間は、セイフティ・ネットで面倒をみるから心配ありません、という社会では、いけないんじゃないかなあ。

それでは、それに対する対抗軸というのは、何なのかな、と思っています。

私自身は、三十数年間、ずっとイギリスを中心にして勉強をしてきましたので、その対抗軸は、イギリスを中心にしたヨーロッパにあるのではないかな、と思っています。

イギリスなりヨーロッパの思想は、アメリカの思想とは、基本的に異なると思います。それは何かと言えば、競争は、もちろん重要だが、社会全体が底上げして豊かになっていこう、というものです。それが、ヨーロッパのイギリス、スウェーデン、フランス、ドイツ、それぞれの国に同じような思想の影響が流れていると思います。そして、社会は1つの仲間なんだ、と。これは、ひと言で言えばソーシャル・インクルージョン(Social Inclusion)という思想です。ソーシャル・インクルージョンという思想が重要だ。みんな、社会の仲間に入っていこう、というのが、ヨーロッパの思想です。

日本の今の政策は、すべてアメリカを向いていますが、実際ヨーロッパは、まったく違うんですね。今のアフガンの問題で、EUとアメリカは、1枚岩になりますが、実際の政策、たとえばサミットなどでは大きく対立するのは、基本的な国家観が違うからです。

たとえば、ブレアの「第3の道」があります。「第3の道」というのは、結局、ロンドン大学のアンソニー・ギデンズという社会学者が作っていますが。「第3の道」とは、競争社会でもない、社会主義でもない、第3の道があるんじゃないか、それを歩こう、というものです。それと同じようにフランスでも、現在のジョスパン政権は「社会の仲間」(を提唱しています)。

特にさきほど言いましたソーシャル・インクルージョンはフランスで生まれ育ったものだと私は理解しております。特にフランスの場合は、もともとは家族主義的な農業国家ですから、そういう考え方を大事にするんですが。旧植民地から、たくさんの移民が入ってくる。その人たちが、結局、社会から排除されている。また一方、若い者の失業が目立っている。そういうものを、1つのソーシャル・インクルージョンとして仲間に入れていこうと、フランスで起こった思想です。

そして1988年には、社会の仲間に入れるための生活保護制度ができた。3年前には、社会的な排除を防止するための基本法が、できているわけです。私は、このような思想こそ正しいのではないかな、と基本的に思っております。

むしろ、アメリカが経済学を基本に政策を取っているとすれば、EUはむしろ社会学を基本に政策を取っているんじゃないかな、と思います。

そこで、さきほどの17ページを見ていただきます。現在の社会福祉の対象は、たくさんあります。これまで社会福祉の対象としてきたのは、貧困という面です。(現在は)むしろ、社会的に排除されるものが目立ってきているのではないかな。一方、社会的に孤立している線も重視しなければいけないんじゃないかな、と思います。

たとえば、ホームレスの問題。1999年のとき、私どもが初めて調査したとき、全国に1万6千人のホームレスが存在しました。現在は、3万人程度になってきている。この問題は、社会的に、どんどん排除されてきていると思います。

一番底辺の「社会的孤立や孤独」という問題です。自殺者などを例に取りますと、1997(平成9)年には2万人台でした。1998(平成10)年から3万人台に上がった。都会での孤独死は、めずらしくなくなった。高齢者の1人暮らしで、1カ月も2カ月も経って死体で発見されても、新聞記事にもならなくなったという状態じゃないのかな、と思います。

このような問題は、現在の社会福祉の世界において、なぜ解決できないのかな、と思います。むしろ、さきほどのようなアメリカ的な政策を基本にすれば、ますます、こういう問題が出てくる。そして、これはセイフティ・ネットでやればいいんだ、という考えでいいのかなあ。むしろ、EU的な考え方、ソーシャル・インクルージョンという考え方で、これを入れていくことが必要ではないのか、と思っています。

<1>「社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会報告書」(平成12<2000>年12月 8日)

私の厚生省時代の、社会援護局長の最後の仕事としてやらせていただいたのは、この報告です。「社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会報告書」を、ぼくが替わる1カ月前に、まとめさせていただきました。そのときの委員に、吉村靫生先生(社会福祉法人大阪自彊館理事長)も参加していただき、貴重なご意見をいただきました。

この内容は、自分の社会福祉の考え方を、全面的に取り入れたものでございます。できれば、この考え方を、ずっと後任のところにも引きついてくれればいいなあ、と期待をしています。

なぜ、こういう問題が起こっているのかを考えれば、4つの理由があるんじゃないかな、と思っています。

第1に、ぼくは福祉のパラドックスと呼んでいるが、社会福祉の法制、法律が充実すればするほど、こういう問題が生じるんです。社会福祉の法律は、権利義務の関係に立ちますから、要件をきちんと書く。たとえば、住所要件とか国籍要件とか。どういう人に社会福祉サービスを出すかという要件を、しっかり書かないといけない。そうしますと、そこから、もれてくる人間が必ずある。それに対して、戦前のように社会福祉がなにもなくて、一種のボランティアでやっている時期は、ここに困っている人がいると、要件などを聞いて、あなたは法律の要件に該当しないから助けません、と言わない。戦前は、前に倒れている人がいれば、これを助けたんです。それに対して、今は、なんとかいう法律の要件に該当しないから、うちではできません、ということになってくる。ですから、社会福祉の法律が、充実すればするほど、対象要件をしっかり書きますから、もれてくる。これは、一種の福祉のパラドックスと定義づけています。それが、1つ、あるのではないか。

第2に、ここに社会福祉の行政に携わっている方がいれば、たいへん失礼ですが、お許しいただきたいんですが。第1と相呼応するように、福祉行政のケース・ワーカーにしても、法律や国からの通達こそ万能というかたちの行政になってきている。そういうところが出てきているんじゃないか。

本来、ケース・ワーカーというのは法律をうまく活用する者であって、法律をうまく利用すれば救えるのに、あまりにも杓子定規に機械的になってしまったのが、第2の理由であろうと思います。

第3に、一般の社会福祉法人は、だんだん公の下請け機関になってしまった。公から金のくる仕事だけをやってきた。しかし、吉村先生のところのように、戦前からずっと困った人については、自前でも、お金を何とか用立ててしてやろうとやってきた。第1線の社会福祉法人というのは、本来は、そういう精神であったにもかかわらず、今は、ほとんどの社会福祉法人は、公からの委託、金のくる問題だけをやりはじめた。それが、第3の理由ではないかな、と思います。

第4に、現代の社会は家族の絆、地域のほころびがきたため、それを助ける機能が衰弱してきたからだろうと思います。

まあ、替わる直前だったので何を書いても大丈夫だと思って、このようなことを過激に書かせていただいたわけです。そういうことを、これにまとめたわけです。

問題点を指摘するだけでは、無責任な話ですから。それで、どうしたらいいんだろうか、と考えた。それには、私は、人びとが助けあう「新しい絆」と言いますか。「公」というと公的サービスという誤解を受けるのですが、そうじゃなくて、みんなで助けあおうとする、自分のことだけを考えるんじゃなく相手のことも考える、「新しい公」を作っていく必要があるんじゃないかと思います。

その1つの表れが、最近増えているNPOかな、と思っています。NPOがその1つの表れであるなら、そういうものに大きな期待をかけ、これから日本の中に定着させていくことが重要だろうという問題意識を持ってきたわけです。

3 CANとの出会い

さきほど申しました人権問題、同和行政の問題意識、一方現在の社会の病理的な問題、こういう2つの中で考えてきたのが、日英シンポジウムです。

(このシンポは)私は、さきほど言いましたように30年来イギリスを中心に勉強してきたので、何か英国のやり方を勉強できないかと思い、私が個人的にやったものです。

よく、こういうのをやると、厚生省や環境省が関係しているのかと言われるのですが、まったくありません。私の個人的な資金と個人的なネットワークでやったものです。

英国から人を招き、シンポジウムを2年前、2000年11月に第1回目をやった。英国から5人程度を呼び、東京と法政大学でシンポジウムをやらせていただきました。ぼくの十数年来の友人で上院議員であるレーミングを中心にしてまとめてもらった。そこでイギリスのNPOのあり方について議論をした。

その5人のうちに、CANという団体の人間が1人入っていたんです。スラム街の対策をしているCANという団体から、プロジェクト・コーディネイターのソビー・ブレイショーという女性が来てくれていました。彼女の報告を聞いたとき、非常にビックリしたんです。こんなにすごいことをやっているのかと感激しました。こんな団体が今まであったのか、と思ったんです。私は、むしろ、有名な「ヘルプ・ザ・エイジド」とか、そういう団体を念頭に置いていたんです。CANという団体を知りませんでした。

CANというのは、非常にゴロがいいんですが、コミュニティ・アクション・ネットワーク(Community Action Network)の略です。CANの設立になったのは、ブロムレー・バイ・ボウという地域です。これは、私も訪れたことがありますが、東ロンドンの最も劣悪なスラム街です。たいだい50の言語、50の人種が集まっている地域で、イギリスの中で二番目に大きいスラム街と言われています。そこの再開発をCANという団体が試みたわけです。

(1)CANの活動状況

ソビー・ブレイショーは、以下のような話をしてくれました。

1900年頃には、結核患者のために、公園が作られたが、地区の性格上、荒れ放題になった。たまたまボブという職員が、たいへん熱心に整備したけれども、ボブがいなくなったら、荒れ果ててしまった。そこで、契機になったのは1980年頃に、ジーンという20代の2人の子どもをもった母子家庭の女性です。ジーンは、子ども2人を抱えながら進行性の癌を患っていた。ホーム・へルーパーや、日本でいう保健婦さんが、ときどき訪れていたが、結局、誰も無関心で、誰も助けることができず、失意のままに亡くなってしまった。そうすると、こういう女性を、なぜ私たちは見逃したのか、と大問題になった。

そこで、いろんな議論が行われた。そこの地区住民から、悪いのは役所だ、役所は何もしてくれなかったじゃないか。役所の方は、われわれにジーンという女性のことについて連絡がなかったじゃないか、と。お互いに責任をなすりつけあった。お互いに責任をなすりつけあっても何の進歩もない。そこに登場したのが、牧師のモーソンという若者だった。お互いにどうしたらいいか、話し合おう、と中に入った。まず、この地区に保健医療の施設がない。いくら国に言っても作ってくれない、それじゃあ、自分たちで作ろうじゃないか、と始めるんです。だけど、お金がないじゃないか。それじゃあ、土地だけはボブの公園を借りて、そこにわれわれの手で病院を建てよう。センターの費用として、120万ポンド、約1億9千万円かかる。国の保健局の補助金として50万ポンド。あとの70万ポンドは、市中の銀行から借りた。そして、センターに開業医を開業させ、その賃借料で30年償還でまかなうという大事業を行った。

これは単なる診療所ではなく、健康相談も行う、生活の場でもある。建物自身も、木造を中心にした、たいへん立派できれいな建物を作るんです。それの金集めも、非常に上手にやるんです。そこの開所式のときは、ブレアがきた。アン皇女も呼んで、人のつながりを持って、それでヘルスセンターを確立する。保育所がない。さて、どうして作ったらいいか。たまたま、そこに教会があったので、教会の中を改造して保育所を作った。それから、子どもたちに元気がない。それじゃあ、ダンス教室をやろう。そして、レッスン料を取って、うまく経営する。その教室出身の1人の女の子が、ロイヤル・バレー団の1人になった。そんなこともあって、今はたいへん繁盛している。教師も、ブロムレーの人が、ダンスの教師として教えている。

それから、知的障害者の住宅を建てよう。自分たちで建てよう。だだし、お金は市役所からもらってこい。交渉はたいへんだが、粘り強く交渉して、自分たちで作る。そして、補助金を使ってうまくやる。

そういうやり方で、ブロムレーという地区の完全なる再開発、再活性化に成功するわけです。

他に、公園もしっかり整備する。自分たちで手入れをする。無料ではなくガードナー(gardener/植木屋、庭師)の資格を地区の人が持っていたら、そのガードナーに給料を払って仕事をしてもらう。必ず仕事と結びつけてやっていく、というやり方を取っています。

1億円以上のビルを、思い切って買って、オフィス・ビルにして、CANの団体でオフィス・マネージャーを雇って、そこに働く人間に知的障害者の方がたを雇ったりして、それだけで経営が成り立つようにする。そういうかたちで全英に18の支部を作り、専従職員で1000人を超えるまでに成功した。

(2)ブレア政権からの協力

ぼくは30年間、英国で勉強していて、こういう話を知らなかった。これを、もっと勉強する必要があるのかなと感じた。去年の11月下旬、今度はCANだけを呼んだわけです。15、16ページをご覧いただきたいと思います。去年の11月、大阪の解放同盟の方がたにも、たいへんご協力をいただきました。ワールド・トレード・センターでCANだけを呼んで、シンポジウムをやりました。

幸い大田知事も關助役も出てきていただき、たいへん私にとって、ありがたいことでした。この場にも参加してくださった方がたが何人もいらしゃる。また、吉村会長には、まとめる役員もやっていただきました。

その後、北九州市で、おもに北方地域を念頭において、このシンポジウムをやりました。同様に、非常に感激したわけであります。このレポートは、まとめておりますが、さしあたって、今月号のエッセイーでまとめたものを、ここにもってきました。

このとき来てくれたのが、モーソンという男で、CANの創始者です。いっしょに来てくれたトムソンは、非常にありがたいことに、1週間に1回はトニー・ブレアと会っている親友だそうでした。あと4人が来てくれました。

1回目のシンポジウムのときは、資金集めにたいへん苦労したので、2回目にはどうしようかなと思っていたら、ありがたいことに、ブレアが金を出してやろうと言ってくれたので、私どもはまったく金が要らなかった。そして渡航費用とか滞在費は、英国政府が持ってくれました。もってくれたうえに、パーティは東京の英国大使館の中でやってくれたり、大阪はブリテッシュ・カウンシルの代表者、北九州市は駐日の公使が1日付き合ってくれた。英国政府も、全面的な応援をしてくれたので、たいへんありがたいなあ、と思っています。

話の内容は、ソビー・ブレイショーが話した内容をモーソンが、わかりやすく説明して、あとの3人、4人がやってくれました。

そこで、その中心的な考え方が重要だと思います。その考え方というのは、ひと言でいえば、社会起業家、ソーシャル・アントプレナ(Social entrepreneur)フランス語ですよね。この概念なんですよ。これが、これから社会福祉という狭いものではなくて、社会政策ということを考えると、1つの大きな基本概念になるんじゃないのかな、と私は思っています。

これは後で知ったんですが、ブレアは就任演説に「これからの社会政策は、ソーシャル・アントプレナで行く。それが、第3の道だ」と言っています。去年の11月、英国政府が応援してくれたのも、自分たちが考えていることを受け止めてくれた、という一種の感謝と言ったらおかしいけれど、そういうものの表れ、お礼のつもりじゃないのかなと私自身は受け取っているんですが。

(3)成功の秘密

そういうキー概念であろうと思うソーシャル・アントプレナーという概念は、結局、何をやるのか。6つの要素があると私は思っています。

<1>は、ニーズ(needs/必要なもの)を第1に考える。<2>は、アイデアを重視する。<3>は、人の参加とか透明性を確保していく。<4>は、いろいろな企業とか国とか公との協力関係を得る。<5>は、効率性、企業性を重んじる。<6>は、個人の尊厳とかを最終的な基本哲学にしているのではないか。この6つの要素で、社会起業家という概念を構成していると、私自身は分析をしております。

現在の英国の社会政策、国内政策は、こういう1つの方向を取り始めているんじゃないかなと思います。それでは、1つひとつについて残り時間で要点を説明したいと思います。

<1> まずニーズ第一主義というのは、どういうことかと言いますと、さきほど、私が、日本の社会福祉の法制や、社会福祉に携わっているケース・ワーカーの態度というものを言いました。そうじゃなくて、これからは、まさにニーズがあれば、それを第1に考えることだろうと理解しています。まず組織を考えるのではなく、法律を考えるんじゃなく、まず、そこにある問題をやろう、と。彼らの言葉で言えば、people before structures です。structures は、構造とか組織です。組織を考える前に人を考えろ、ということです。14ページにある「社会構造よりも人びとを」がありますね、これです。

たとえば、病気の人がいる、知的障害者の人がいる、なんとかしなくっちゃいけないという場合、CANというNPOが勝手に建物を建てる。そういうものに補助制度がない場合であっても、いや、実際にやらないと、どうしようもないじゃありませんかというのが、CANの考え方です。

<2> 2番目にニーズがあっても他人まかせではいけない。自分たちで考え、アイデアをしぼることなんですね。彼らがぼくに言ったのは、いいアイデアさえあれば、金は後からついてくるんだ、と。そのために、デモスというシンクタンクを自分たちで作っています。どうしたら、これを解決できるかというアイデアを出す。現在、たとえばカフェを作ったり、いろいろな企業として成り立つことをしている。

<3> 3番目は、いろんな地域の住民を、ぜんぶ参加させる。彼らの言葉で言えば、Rocal democracy 地区民主主義だと言うんです。そして、透明性。もし、今、CANについてお知りになりたい場合は、インターネットでCANを調べれば、ぜんぶ出てきます。ぜんぶ、公開しています。

<4> 4番目には、これが重要なポイントですが、企業と公の協力です。何でも公に依存して「やってください」ではなく、われわれがやるから、あなた方は協力しなさい、と。企業に対しても、あなた方が協力すると、これだけ得をしますよ、というやり方で、説得するんです。頭を下げて、寄付をもらいにいくわけではないんです。コカ・コーラとかブリテッシュ・ガスとか、大きな会社から金でなくても、たとえばコンピューターの技術者をしばらく派遣してくれ、とかで協力してもらう。そのあたりが特徴です。公についても、こういうことをやるので補助金を出すべきだ、というようなやり方です。

CANはNPOですから、彼ら自身の信条としては、1970-1980年代は、むしろ企業と対立関係にあった。しかし、対立ではなく、いっしょにやるのが、まさに、これからの新しいやり方で、この方が発展性がある。

企業と公だけではなく、利用できるものは何でも利用しようという気持ちがあります。皇室のアン皇女を使ったり、芸能人を使ったり、ブレア首相も使う。本当に、うまくやっていく。それは一種の起業家精神かなと思います。

<5> 5番目には、効率性。やっぱり、そろばん勘定が合わなくちゃダメだ。だから、起業家というんでしょう。効率性、ソロバンを重視する。

<6> これだけだったら株式会社と同じか、ちょっと気のきいた会社と同じです。そこに問題を解決して「個人の尊厳」と言いますか、「人間としての向上」と言いますか。あくまで、その哲学を通して、企業にしていく。それがなくなったら、こういう団体の存在価値はないんだろうということです。

以上が、だいたいCANの活動です。

この考え方は、オーストラリアでも一部、アボリジニーの問題で試みられています。アボリジニーは、芸術的に、非常にセンスのいい先住民族です。それを、うまく利用する。知的障害者のために、結婚相談所をやって、それをうまくビジネスにする。オーストラリアでも、そういう活動が開始されています。

私自身は、これからの社会福祉というか、もっと広い社会政策の方向かな、と思っています。ですから、同じような考え方で、私は日本でも、それぞれ、まさにアイデアをしぼって試みていかないといけない。猿真似では、どうしようもないので。日本的なCANの立ち上げを、現在進めているところであります。

実際、ロンドンのブロムレーでは、世界で2番目のスラム街だったニースに、2016年だったかに、オリンピックを招致しようと動いています。ぼくは、よくなった後を見ていませんが、そう聞いております。

これは、1つの新しい社会「まちづくり」の手法だろうと思っております。これだけが、唯一の方法ではないと思いますが、かなりのノウハウがあるので、参考にして取り組んでいただければ、ありがたいと思います。

これで、終わります。ありがとうございました。

2002.02.03に報告されたものです