調査研究

各種部会・研究会の活動内容や部落問題・人権問題に関する最新の調査データ、研究論文などを紹介します。

Home調査・研究プロジェクト・報告書一覧人権条例等の収集と比較研究および提言プロジェクト > 報告書
2005.02.24
部会・研究会活動 <国際身分研究会研究会>
 
人権条例等の収集と比較研究および提言プロジェクト報告書
人権のまちづくり-住環境面の改善を中心に-

内田雄造(東洋大学)

 東洋大学の教員をしています内田です。いろんな所で知り合っている人がいて、大門さんとここでお会いするとはびっくりしました。というのは、今日私は自治労に頼まれて作ったレジュメを発表しようとしています。二つのレジュメが入っているのですが、一つは都市計画学会の論文報告で出したぶんです。そうして都市計画学会の50周年記念に作ったのはこれを詳しく展開しています。

 今日のお話は本来ならばこれに沿ってやるべきなんじゃないかという気がしたんですけど、実は私これを書く前に友永さんに出てこいといわれて報告してるんですね。私としては同じことをここ研究所で2度報告するというのはあまり気が進まなかったので、むしろそれを踏まえて今どんなことを考えているのか、特に自治労のほうで議論している事を皆さんにお知らせしようと思ってあえてもう一つのレジュメを持ってまいりました。

 すみませんが、主に住環境を中心としたまちづくりの問題は私が今日お持ちしたはじめの方のレポートをお読みいただければと思います。そのなかのちょっとした、簡単な表があってそこはあとで引用しようと思います。だから今日お話しようと思うのは地域再生とまちづくりに向けてということで、まだ公式のレポートではないんですが自治労の自治研担当者と議論をしてまして、考えているところのものです。この地域再生の中でもベースとなっているのは同和地区のまちづくりの部分ですので。読みながら補足説明していこうと思います。急いでつくったんで、本当に1日くらいで書き上げたんで不充分なところ多いんですけど。

今日、経済のグローバル化に伴い、都市・農山漁村を問わず、地域住民の生活はいよいよ厳しくなりつつあります。これに対し、まちづくり・むらおこしを重視し、地域のコミュニティワークを地域再生の手がかりとすることを追求する本レポートは、後でもいろいろ言いますが、仕事の面ではコミュニティビジネスという言葉がありますし、あとEUではソーシャルエコノミーやボランタリー経済といったりしていますが、

<1>コミュニティワークとその経済的側面を表現するソーシャルエコノミーを評価すると共に、コミュニティワークの具体像を明らかにし、コミュニティワークと自治体行政の関係を考察すること。ここで、コミュニティーワークといったときに、私は部落のまちづくり、あるいはアメリカのスラムや荒廃地区のディベロップメントコーポレーション、あるいはアジアのローインカムセルツメントのまちづくりをイメージしています。EUのことはあまり分かりません。

<2>都市計画からまちづくり・むらおこしの転換を推進するとともに、というのは後でも言いますが都市計画といったときには非常に物的な色合いが強いわけです。それに対してもっとソフトにとか環境をといってきたわけですが、わたしの場合建築学科の教員をしていますし、どうしても物的な計画に偏りがちなわけなんですけど、ソフト化をもっとすすめようと。まちづくり・むらおこしを地域のコミュニティ・ディベロップメントと位置付けコミュニティ・ディベロップメントの各パートとしてそれぞれのコミュニティワークの発展を図ること。各分野というのは、後掲の表1を見てください。例えばテーマと書いてあるのはパートごとのテーマをあげていると理解してください。3番目は直接部落のまちづくりとかかわっていないんですけど,

<3>大都市、大都市近郊、地方都市、農山漁村と地域ごとに空間的に分断されて、各々の領域内にとどまっている今日のまちづくり・むらおこしの施策に対し、各々の地域で生起している生活困難や地域のコミュニティワークをパースペクティブに捕え直し、各地のコミュニティワーク間の関係性を整理し、さらにネットワークを形成することにより、まちづくり・むらおこしを活性化し地域再生を図ることを意図している。というのは、自治労の自治研でですが、例えば私が関係しているのはまちづくり部会、農村部会とか農業部会とに割れてるんですね。ネットワークをつくりテーマを共有化しようという議論があってこういうことを書いているんですね。

1、コミュニティワークをめぐって

(1)コミュニティワークの重要性

従来、地域社会が有していた社会的・文化的役割、特に社会的セーフティーネットとしての役割は、今日の国家行政と、まあ、自治体行政も含みますが、市場メカニズムの二領域では十分に対応できない。コミュニティワークを重視する必要があり、地域経済の視点からはソーシャルエコノミー・ボランタリーエコノミーを積極的に育成していく必要性がある。あるいは、このコミュニティワークを仕事として考えるのはコミュニティビジネスという感じです。実はできたてのほやほやだと思うんですけど、兵庫県のまちづくり局住宅宅地課が制作した「元気なまちであり続けるために」というレポートを持ってきてくれたんですが、その中で兵庫県は何をしたいかというと、コミュニティビジネスを支援したいというんですね。

特に、まちづくりの分野で支援したいと。こういうコミュニティビジネスやこういうNPOなら可能性があるということを書いていまして、私は前から浅香の山本さんなんかと部落にヨーロッパのようにちゃんとNPOを作って地域でやっていこうということを考えていて、そういうことを行政が受け止めてきたなぁと思います。これに関してはまた後からお話しますが、例えば今の体制の中でやってるのは国家行政と自治体行政です。もう一方では市場メカニズムなんですけど、それではすくいきれない問題がたくさんあるんだと。そこら辺の社会的・文化的な営みをちゃんとやっていこうということを書いたわけです。

(2)自治体行政の役割

ここは自治労に向けて書いています。言いづらいんですが、自治労の問題点というのは成り立ちからして、まずアプリオリに公共サービスは善、自治体労働は絶対必要だと言うところから組合ができていますから、ちょっとこう、力点の置きかたが違うんじゃないかという私の問題意識で書いています。自治体行政として今やることは公共サービスの担い手というところもありますが、自治体行政には自治体の総合計画、あるいは各分野ごとのグランドデザインの作成とマネージメント、マネージメントとは進行管理といえばいいのか、常に時系列の中でどうしたらいいのかというのを審議会かなんかでチェックしてやり直していくという役割を果たすことが必要だと思うんです。都市計画や自治体行政ではグランドデザインは一生懸命やっているんですけど、マネジメントが弱いと思います。

次に、グランドデザインの作成やマネージメントにあたっては、情報公開やアカウンタビリティ、住民参加・参画が不可欠である。

グランドデザインの内容としては、自治体としての基本方針の下にともすれば縦割りに分断されがちな国の行政施策を地域の立場から見直し・総合化すること、これは、自治体はがんばっていると思います。

私がこういうと批判もあるかもしれませんが、自治体は市場メカニズムが円滑かつ適正に機能するようマネージすることと、社会的なセーフティネットを構築すること、コミュニティワークやソーシャルエコノミーを積極的に育成し、それとのコラボレーションを行うことが重要であると思います。このとき市場メカニズムを円滑かつ適正に機能するというところは議論があるかもしれません。

(3)公共サービスのあり方

これはなぜ「公共」なのかというのが裏にあるからなんですけれど、無前提に現行の公共サービスを善としないで、具体に即し、なぜ公共サービスが必要なのかを市民と共に論じていく必要があるだろう。これはおもに自治労に向かって、ごみの問題にしても介護の問題でもいいんですけど、市民レベルでいうと公共がそのまま素直に受け入れられる状態ではないと。例えば、ちゃんと公共サービスを担う労働者の労働組合が担当する分野の将来像、例えば清掃関連労組が省資源、廃棄物の3R施策(リデュース、リユース、リサイクル)や大気汚染といった課題を具体に即し市民と共に論ずる中から廃棄物処理の方向を提案し、さらに関連する公共サービスのあり方を再検討するといったプロセスがないと、やはり無理なんじゃないかと、そういうことをちゃんとするべきだということを言っています。

バブル期の第3セクターによるリゾート開発事業や都市開発事業の失敗、「地域失業対策事業」とでも称すべきある種の公共事業の総括が避けられない。今のような無責任体制の第3セクターは駄目だろう。また、地域に金を落とすことが目的になっている公共事業の総括が必要であるということです。

(4)コミュニティワークの主要課題

EUの第3システムというのは、一応本は読んだんですが僕自身あまり実態を知りません。アメリカのコミュニティ・ディベロップメントは解放研究所なんかでもしっかりやっていまして、私も前から追っていました、そしてアジアの問題も入れればコミュニティーワークにはだいたい次のような分野があると考えます。

<1>住宅・住環境の整備と管理

<2>アメニティの保全・創出

<3>環境の保全と省資源、省エネ、環境への負荷の削減などサステナブルな生活の追求

例えば、ちょっと脱線しますけど、コストの計算をかつては非常に狭い範囲でやっていたわけなんですけど、ライフステージ全体にわたる、ライフサイクルコストに改められ、さらに今はそれが主流ではなく、ライフサイクル環境負荷なんです。国のプロジェクトの場合で言えば、ものをつくって、利用し、解体して、サイクルするまでにどれだけのCO2がでるか、そういう状況になっています。

<4>心身ともに健康な生活を営める医療・保健・介護のシステム

雇用のことを書き忘れているので、書き足さないといけない。

<5>地域産業や地域商業の活性化

<6>地域文化・市民教育の振興

<7>仕事の創出

これらの課題はアジアやアフリカの「スラム」のまちづくりのテーマでもあるし、日本の被差別部落のまちづくりでも先進的に取り組まれている課題でもある。特にアジアの「スラム」や日本の被差別部落のまちづくりでは、まちづくりは住民主体の運動として位置づけられている。

先ほど表と見比べて欲しいと言いましたが、私は1970年代から部落のまちづくりに関わってきたわけです。当時、まちづくりをおもしろいなぁとおもっていろいろ調べて回ってたんですが、1990年代から様変わりしたと思っていまして、人権のまちづくりという言葉がいいかどうかは分かりませんが、人権のまちづくりといわれる内容が1970年と比べてずいぶん違う。70年でも、参加とかコミュニティーの組織化なんて、当時の総計のつくりかたなんてすごいと思います。

今日こられている住吉にも何回か調査に行きましたけど、まちづくりの7つの原則とか非常にすばらしいと思いましたが、今日ではさらに、ワークショップとかパートナーシップとか違う概念がどんどんつくられているんですね。それから、部落産業の振興でも当時では非常にスローガン的だったんですが、今日では就労支援をどうするのかとかワーカーズ・コレクティブを部落で立ち上げていくのかとか、企業支援をどうするかとかを、大阪では西成がやっていると思います。

それから住宅にいきますと、かつては公営住宅要求とか、不良住宅の改善がスローガンで、これはそれなりの必然性があったんですけど、今では多様な住宅の供給や、要するに公営住宅だけでは無理だと言う考えがあるんですね、公営住宅の建替えや家賃補助とかコレクティブハウス、もともとはウィメンズリブの方々が北欧なんかで年老いて、もう一度ゆるやかな共同生活を追求したのがコレクティブハウスです。いろんなタイプがあるんですが、一戸一戸の住居はちゃんと保障しながら、共同のリビングとか共同の食堂とか、ゆるやかな共同生活ができないかということをいっているわけです。グループホームというのはグループハウスということもありますけれど、例えば高齢者など一人ひとりでは独立した生活ができない人が何人かで寄り集まって、あるいはヘルパーをそこで雇うあるいは派遣してもらうことによってできる限り自立した生活を送ろうと言うのがグループハウスです。

それから住み手参加の問題。例えば私が関わった北九州の北方地区なんかはワークショップ方式でやりましたし、御坊も住み手参加、日之出でも住み手参加のコーポラティブというのをやっていますし、かつては、スクラップ&ビルドで、全面的に取っ払ってそこに改良住宅を建てる、あるいは道路とか下水の問題だった。今は、改善型のまちづくり、部分的に悪い部分は直すけれど、今までの文化とか空間を残していこうと。それから周辺と一体に整備していこうとか、集まって住む楽しさとか、ずいぶんかわってきていると思うんですね。環境の問題もかつては部落産業の廃棄物処理の問題が強かったが、今はもう少し環境共生とかいうようになっている。

それから福祉の問題、かつては、隣保館や高齢者施設だったんですけど、今は高齢者の自立支援センターとか配食サービスとか、小規模の特養を地域に引っ張り込んでそれをどう活用するかとかというふうになっている。

文化もかつては行政闘争というのはどうしても格差是正が中心テーマであったが、いまは参加とか部落の伝統をどういうふうに見直していくのか、まちづくりとか部落解放運動を、こういったら怒られるかもしれませんが、エンジョイしていこうとかになっている。

法的な問題もかつては如何に特措法を活用するかだったんですが、人権の視点から一般法をチェックするとか、再構成するとか。あるいは行政とNPOのパートナーシップをどうするかとかそういう視点になっていて、こういう視点は、アメリカのコミュニティ・ディベロップメント・コーポレーションやアジアのスラムとほぼ共通すると思うんですね。ただ、アメリカのはどちらかというとNPOが主導で、NPOが地域に入っていくという形ですが、アジアや部落のまちづくりは「コミュニティ ベースド オーガナイゼーション」即ち地域にベースをもつオガナイゼーションがやっているという違いがある。

(表1)

(5)コミュニワークの担い手

コミュニティ・ディベロップメント及びその分野を構成するコミュニティワークの担い手は国によって差異はあるが、基本的にはNPOやCBOです。私はアジアのまちづくりに関わっていますが、アジアのまちづくりではNGOという言葉はあんまリ歓迎されないんですね。ヨーロッパからミッション系の団体がお金を集めてきて、適正に配分するというのがNGOのイメージです。現場で実際にやっているのはCBOだと思うんです。ですから、何かあるときには、「CBO&NGOの皆さん」という挨拶をするわけです。

ワーカーズ・コレクティブというのは一種の生産協同組合です。日本では農協とか漁協とか手垢にまみれていますが、そうではなくて、何人かの人が自分達の身の丈に応じてお金を出し合って自分達で仕事をつくろうというのがワーカーズ・コレクティブです。別の意味で消費者生協もありますね。ヨ-ロッパの住宅組合というのは、今後日本でもなってくると思うんですけど、住宅組合というのはもともと労働組合の中から出てきたわけで、一種の生産協同組合の住宅版なんですね。例えば組合員のメンバーでマンションを作る。所有権は組合がもっているわけです。そして組合員は利用権をもつというかたちで、日本では今こういう形は認められていませんが将来的には認められていくでしょう。

地域に密着した社会福祉法人はもちろん、ベンチャー企業などもその対象と考えたい。

消費者生協や住宅組合は歴史的には地域の労働組合運動の中から発生したものが多いが、今日あらためてコミュニティワークへの労働組合の参加も大いに歓迎されるでしょう。

(6)自治体行政とコミュニティ・ディベロップメントやコミュニティワークを担うNPO、CBOとの協業

自治体行政とNPO、CBOとのパートナーシップ、コラボレーション(協業)が不可欠であり、EUやUSAの経験に学んでいきたい。特にアメリカはすごいもんです。大体、政府というものに信頼感がないんですね。ちっちゃい政府というのが全体の流れとしてあって、行政も地域のNPOやCBOと如何に組んでやっていくかというのを考えている。それが今のアメリカのコミュニティ・ディベロップメントのおもしろいところだと思うんです。日本では、行政が自分の責任を逃れるためにNPOとしているところがあって、問題があると思うんですね。

日本においてNPO、CBOへの社会的評価は徐々に高まっているとはいえ、その財政基盤、従事者への賃金・労働条件は極めて劣悪であり、改善が求められている。友永さん達が調ベられていたと思いますが、NPOの給料だと7割、かつ女性だとまたその7割、結局5割くらいじゃないかという話を聞いたことがあります。コミュニティワークをもっとやっていこう、そのためにもっとNPO、CBOを評価しようというのが1、です。

2、まちづくり・むらおこしとコミュニティ・ディベロップメント

(1)効用の少ない道路建設や「箱モノ主義」と決別しよう

この間の日本の公共事業は地域に「金をおとす」事が目的とされる「地域失対事業」と化し、地域にとって効用が小さい上に自然環境を破壊することも少なくない道路やダムづくり、そして利用の実態が伴わない「箱モノ」に代表される大規模な建築施設などの建設が目立っている。部落だってこんなこと言ったら怒られますけど、でかいものはいいもんだみたいな時期があったわけです。同対事業としての農業施設なんか、地方に行けばほとんど活用されていないものが多いと思います。

しかし、この延長線上で公共投資を続けることは、すでに自治体や国にとって財政的にも不可能となっている。いまの国と地方公共団体の負債は700兆円くらいあったと思います。それに対して国内GDPが500兆円くらいですから厳しいわけです。日本の場合貯蓄が2000兆円あると言います。将来尾の生活のために貯蓄するしかないわけですけど、かなりアメリカとは違うところですけどね。とにかく今のシステムが駄目になっていることは目に見えているわけです。かつては国全体の建設投資が80兆円くらいだったんですけど、今は50兆円位だと思うんですね。

公共事業の計画にあたっては、<1>費用―効果の評価の徹底、<2>環境アセスメント、特にライフサイクルに亘る環境負荷の削減が不可欠である。事後評価の必要性も強調したい。アセスメントなんかもやるときはかっこよくやるんですが、むしろ事後評価をきちんとやる必要性がある。

(2)公共投資分野の見直しを

地域の公共投資即物的な公共事業といった風潮を改め、公共投資の枠組みを、福祉、環境、文化といった非物的な施策分野へもっと拡充していく必要がある。

この場合も、コミュニティワークを活性化し、自治体行政にとってはその担い手であるNPO,CBOとの協力が不可欠であろう。

(3)都市計画からまちづくりへ

日本の都市計画・都市計画事業は、<1>産業基盤整備に偏重(歴史的には富国強兵の都市計画)、<2>ハード、特に道路、港湾といったインフラストラクチャーの整備が中心、<3>お上の計画・事業であり、住民参加は排除され、国の権限が強大で基礎自治体の権限が弱い、といった問題点が指摘されてきた。

これに対し、私たちは、<1>身近な生活環境整備の重視、<2>情報公開、市民参加、<3>地方分権の計画・事業体制の整備、<4>ハードの都市計画から、福祉、環境共生、防災といったソフトな分野へのシフト、などを掲げ、この内容をもつ都市計画・都市計画事業をまちづくりと称し、地方分権の運動と連携し、一定の成果をあげてきている。

東京の大動脈である外郭環状道路の計画でも、国や都はパブリックインボルブメント(この呼称はいささか問題であり、シティズンパーティシティションが望ましい)と環境重視を掲げざるを得なくなり、一定の成果だったと思います。ただ、この間の地方分権でも財源の地方への移管はほとんど進んでいない。

(4)まちづくり・むらおこしをよりソフト化しよう

都市計画からまちづくりへの転換を推進するとともに、ともすれば物的計画や物的事業にとらわれてきた従来の施策を乗り越え、まちづくりのソフト化、ソフトな計画との一体化を追求する必要がある。

特に高齢者の生活支援と一体化した福祉のまちづくり、こういうとすぐにバリアフリーやユニバーサルデザインといったイメージでとらえられます。それはもちろん必要なことでそこから入っていくことはいいんですが、それだけではなくて、もっと福祉の施策と結びついた環境システムだと思います。環境の維持・保全・創出が重視される環境共生のまちづくり、防災システムの一環としての災害に強いまちづくり、まちづくりの担い手育成を目指した中心市街地活性化計画など。これは中心市街地の担い手育成事業なんですね、計画のソフト化が重要である。

(5)まちづくり・むらおこしをコミュニティ・ディベロップメントに展開しよう

上記のように、まちづくり・むらおこしのソフト化を追求すれば、むしろまちづくり・むらおこしをコミュニティ・ディベロップメントと位置付けることが適当である。私の別の論文で書いていますが、コミュニティ・ディベロップメントは国連の概念なんですね。

そして、まちづくり・むらおこしの分野別の試みは改めてコミュニティ・ディベロップメントを構成するコミュニティワークとして位置付けたいと、今私は考えているんです。

3、地域を総合的に捉えよう-都市と農山漁村のネットワーキングを目指して-

解放同盟でも全国に部落があるわけですから、もう少し全国の部落のネットワークというのもありうると思うんですが。

(1)自治体の領域を越えた施策の推進を

国の縦割り行政に対し、自治体はその是正に努力してきた。その努力は評価されるが、一方で、農山漁村の自治体、都市の自治体と領域が分断される中で、自治体はその領域内での施策に終始しているのが実情といえよう。

しかし、領域を限定された中での施策展開では、経済のグローバル化の進行が急速な今日、もはや事態に対応できなくなっている。

残念ながら自治研においても、大都市ではまちづくり、農山漁村においては、農業振興とむらおこしとテーマが空間領域ごとに設定され、地域を越えたテーマ間・コミュニティー間の有機的連携、ネットワーキングの追求がおろそかにされてきたきらいがあろう。

(2)具体の事例に即した自治体間ネットワーキングの試みを

 日本では、市区町村でできなければ都道府県、都道府県でできなければ国という建て前があるんですが、ドイツを見てますと、市町村にまたがる都市計画で道路の問題とか対立したらどうするかというと、強調ができなかったら権限を州にとられるので必至になってやるんですね。あらかじめ市区町村で無理だから県へという日本の発想が変で、具体的なレベルでやってみて、無理なら上にという発想で考えないと駄目だと思います。

 市区町村を超えた施策は都道府県で、都道府県を越えた施策は国でという従来の発想を乗り越え、市区町村間の、あるいは市区町村と都道府県の協業・連携が必要であろう。

土地利用計画や道路計画はもちろんのこと、自然環境や水行政においても、水系に即した自治体関連携といった発想が必要であろう。

 かつての、江戸時代の地域空間は水系ごとにつながっていたわけですね。それにたいして近代の鉄道網や、道路網はそれをぶった切るかたちなんですね。

(3)コミュニティワークを中心とした広域的ネットワーキング

 有機農法を実践する農家・農業集団と、都市の消費者・生協との間のいわゆる産直も自治体を超えたコミュニティワークのネットワーキングである。

 都市住民のグリーンツーリズム、ルーラルツーリズム、エコツーリズム志向と、農村部におけるルーラルリゾート、体験農業、オープンエアミュージアムの試みは相互の連携をますます必要としている。

 また、都市部に居住する住民が近郊に設けられたクラインガルテンを、クラインというのは小さいという意味で、ガルテンは庭です。これはドイツの試みで、ドイツというのは都市の中は高密度ですけど、少し出れば田園部なんです。そこに200-300m2ので、クラインガルテンを20-30年で貸し出して、そこに小屋なんかもあって、3部の1を花、3分の1を野菜、3分の1を果樹なんかを作って、これはドイツの高齢化対策の最たるものですよね。日本でももう少し身近なところでやるべきだし、私は自分で農場をつくったりしてきたわけですけど、地域の農地をもっと開くべきだと思います。

(表2)

(4)地域別主要課題

 この次に見てほしいのは、皆さんのところに表2があると思うんです。公共圏というのは、公共のかかわる行政とNPOと市民と。良く我々の分野で言いますと「公」の分野と「私」の分野が日本というのはえらく固いとおもうんですね。例えば寺なんかは、物としては「私」になるんですけど、空間の利用としてはかなりパブリックなもので管理でいいじゃないかと思います。逆に公共の所有でも管理は地元に任せるということをしないとできないものもあるわけです。いままで公共でくくっていた部分をもう少し分けていきたい。地域社会ごとにどんな問題があるかということを図式化した上で、地域を越えたまちづくりのテーマを図表化して示しています。具体的には今度の自治労の自治研のグループの改編とも絡んでいるわけですけど、農山村は農業の再生だけ、都市の方はまちづくりだけというように、あまりにも分断されているというのは変じゃないですか。もう少しお互いの問題を共有しながらどういう関係性が作れるのかなんてやっていこうじゃないかというのを書いたのがこの表です。

 特に私が興味をもっているのは共の領域なんですけど、日本でどこが一番おもしろいことをしているのかというと、わたしはやはり部落ではないかと思うんですね。私自身年をとって文部省の科学研究費を審査するとか、住宅関係の財団で研究費をつけるという役割を担わざるを得なくなっているんですけど、こんなすごい福祉のまちづくりとかこんなおもしろいものというプロポーザルを沢山見るんですけど、部落ほどおもしろいのはないと思います。特に大阪でも西成は進んでいます。実は今度の自治研でも大阪から富田さんに出てくれということでやっているんですけど、そういうかたちで部落がもっているまちづくりの経験を各地域がうまく活用できたらなぁと考えております。

(注)この日の発表を発展させた形で、内田は自治労自治研全国集会徳島大会のまちづくり部会で基調報告を行った。この報告は予め「月刊自治研」2002年9月号に「地域再生とまちづくり・むらおこし」というタイトルで収録されている。
2002.07.13に報告されたものです