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2005.02.24
部会・研究会活動 <国際身分研究会研究会>
 
人権条例等の収集と比較研究および提言プロジェクト報告書
人権のまちづくり(中間報告)

  谷元昭信(部落解放同盟中央本部)

 資料を3つ出しています。

 1つは「『人権のまちづくり』運動推進基本方針(案)」です。これは昨年の部落解放研究集会に提案させていただいたものです。部落解放同盟の中に、人権施策検討委員会という委員会ができあがっています。その中に3つの作業部会が、昨年、設置されました。1つめは、日本の人権の法制度にかかわる作業部会。2つめは、同和行政・人権行政の新たなあり方に関する作業部会。3つめが、人権のまちづくり運動に関する作業部会。それぞれで、これからの部落解放運動の根幹にかかわる大きな方針を検討しようじゃないか、ということで、研究集会で中間報告というかたちで報告をしていきました。その1つが「『人権のまちづくり』運動推進基本方針(案)」です。

 そういったことで、この3つの作業部会で、3つの中間報告書が出ています。実は、これは3つで1つの解放運動の今後の方向性を示す文章であります。今までの同和行政を総括し、これからの新たな人権行政をどう展望するかという大きな流れの中で、1つは日本の人権政策全般にかかわる法制度の中で部落差別をはじめとして差別をどのように撤廃するか。これは法律制度にかかわる取り組みであります。これらの取り組みを霞ヶ関とか永田町にまかせておいたのでは、現実には実体化しない。これをいかに地域の生活圏域で具体化していくか。これが「人権のまちづくり運動」として、解放運動としても推進していこうではないか、という流れの中で、3つの文章がまとめられています。この文章になっている方針の方は、じっくりと目を通していただきたいと思います。

 

 「人権のまちづくり運動」の方向性をまとめるにあたって、よりわかりやすく、なぜこういった問題意識をもったのかというところから、話をしたいと思います。

 資料の2つめ、レジュメの方にまとめさせていただきました。

 3つめの資料は「地域福祉計画の実践と人権のまちづくり運動」というものです。



 I..「特措法」期限後の同和行政の現状に関する特徴

(1)「特措法」切れで何が変わったか

 昨年3月末で、33年間続いてきた特別措置法という法律が切れました。

 この「特措法」切れで何が変わったのかという問題です。

  1. 私は「特措法」切れというのは、2つの意味あいがあると主張してきました。

    1つは、今までの同和行政が特別対策に偏重した手法であったところから、一般対策に変わるだけであって、同和行政そのものはなくならない。そういった意味では「手法的転換」という意味あいです。
    もう1つは、今までの同和行政の持ってきた限界、欠陥を克服しながら、人権行政へと発展させていく意味あいにおいて、「発展的転換」ということです。

  2. 現実に法律が切れ、全国的に同和行政の状況を見ますと、現在では4つの形態に分類できるのではないかと思われます。

    1. 法律の切れ目が、同和行政の切れ目と、後退の現象を見せているところです。1つは共産系が強い地方自治体において、同和行政終了宣言といったような傾向も出てきています。同時に解放運動と行政とのシビアな対立があったところで、たとえば広島県三次市などにおいて、法がきれた状況の中で、今までの隣保館の性格を変えてしまうといったような後退型が、部分的にですが出てきています。
    2. 今までやってきた施策を、なんとか維持しよう。しかし、だんだん縮小していこうという、段階的後退というかたちでの維持型。
    3. 何とか今までやっていた施策を維持しながら、成果をそこなわないように発展させようと思っているのだけれど、どのように発展させたらいいのか、わからないかたちです(発展的模索型)。
    4. 発展型。特に、大阪府や近畿などを中心にして、先ほどの発展的転換という意味をしっかりとふまえながら、人権行政として確立しなおしていくという型です。

  3. 全同対が、加盟の各地方自治体にアンケートを取ったら、同じような傾向がでています。上の4つの傾向に、今、あるのではないでしょうか。
    問題は、法期限後、同和行政が一定の混乱を起こしていることです。それでは、何が混乱なり、困惑の原因になっているのか、ということです。

(2)何が問題なのか、そしてどこで混乱しているのか。

 それには、3つの要因があるのではないかと考えています。

  1. 特措法時代の同和行政の総括ができていないからではないか。だから、特別措置法という法律が切れた後の同和行政が混乱、困惑しているのではないか。
  2. 新たな同和行政における一般施策をどのように活用して同和行政を新たに組みなおすのか。一般施策の活用方法というのが、確立できていないからではないのか。
  3. 同和行政を一般行政として位置づけると、よく言われます。しかし人権行政とは、何なのかという概念が、漠然としているのではないか。

(3)ドグマからの脱却と新たな課題の発見

 実は、運動体側の方も、今までの同和行政に依存したようなかたちでの運動のあり方、あるいは運動の発想自体が同和行政の受け皿的な発想で、いろんな運動の発想を考えていたのではないか。そういったことも反省しながら、この事態を乗り切っていく必要があるんじゃないかと思います。その点については、きょうは、あまり突っ込んだ話をする時間がありません。

 <1>たとえば、運動側が言ってきた「部落問題は、あらゆる差別問題の原点だ」という「原点」論。さまざまな人権課題が存在する現在で、この「原点」論は、どのように位置づけられていくのか。あるいは答申などが書いていたように「部落問題は、わが国における最も深刻にして最重要な課題である」という言い方。じゃあ、「部落問題が最も深刻で最重要な課題であるなら他の差別課題はどうなんだ」といった問題を言ったときに「あらゆる人権問題、差別課題に軽重はない」ということとの整合性は、どのように位置づけるのか。これは、整理しておく必要があるだろうと思います。

 さらには、被差別当事者がよく使ってきた「踏まれた者にしか、踏まれた足の痛みはわからない」という「痛み」論。

 こういった問題が、実は特別対策的発想の根拠論になってきたのではないかということも反省しながら、もう1度、検証してみる必要があるだろう。これは、運動的観点からも、しっかりととらえていく必要がある。

 <2>それを考えていくときに、今日いわれている「複合差別」の視点、あるいは「差別の社会的機能」の視点を、もっともっと掘り下げ、運動論を更に豊かなものにしていく必要が今日、強く要請されているのではないか、と思います。

 <3>そういった作業を通じて、人権の課題と部落差別撤廃の課題を有効に結び付けていく解放理論の再生と言いますか、再編成と言いますか、こういったことをやっていく必要があるのではないか、と思っています。

 そういったところで「『特措法』時代の同和行政の総括」は「人権のまちづくり」運動を展開していく1つの大きな視点になっていきます。この総括について、この場におられる方がたは、いろんな場面で聞かれていることと思います。


II.「特措法」時代の同和行政の総括

(1)特措法時代33年間の同和行政の功罪

  <1>同和行政の成果と欠陥という問題をしっかりと押える必要があります。

  <2>特に今までの同和行政がもってきた大きな欠陥は、この33年の中で、逆差別意識、ねたみ意識を生み出してきたのではないか。これが、いまだに克服しきれていないのではないか、というところは、ひじょうに大きな問題として考えていく必要があるのではないか、と思っています。

 同和行政の欠陥の2つめの問題は、特別対策的な施策が33年間と長期化することによって、被差別当事者の受益者の中に行政施策に依存する傾向も現実に生み出してきたのではないか。そういった意味では、いろんな施策が部落差別をなくす、あるいは当事者の人間的自立をうながすといったような政策効果として考えられるよりは、むしろ要求されれば出すと。要求する方も、もらえるものはもらっておこう、取れるものは取っておこうという関係の中で、行政施策への依存の傾向が、強く出てきたのではないか。自立という視点を欠いた特別対策施策の長期化によって、いろいろな弊害を生み出してきているのではないか、と思われます。

 私は、被差別当事者の方も、それに依存する側面もあったが、行政の方も当事者の方から要求されれば、その要求に応じて、何のためにと、しっかりと吟味することなく、ズルズルと惰性の上で出してきたのではないか。いうなれば、当事者と行政の共依存関係が、ここにあったのではないか、という気もします。

 いずれにしても、自立の視点を欠いた特別対策の長期化による問題点があったのではないか、と思っています。

 ただ、問題は、この同和行政の欠陥、未指定地域の問題もありますが、これらの問題がなんで出てきたのだろうか。ここが実は、今までの同和行政が持っていた限界としてあったのではないか。ここのところをしっかりと踏まえなかったら、同和行政を人権行政へ、どのように転換するのかというところの問題点が、十分に見れないのではないか、という思いがしています。

(2)特別法の限界に引きずられた同和行政の限界

 私は、3つの大きな限界があったのだろうと考えます。

  <1>同和行政の目的が、格差是正の行政というかたちで矮小化されたのではないか。

 格差というのは、結論からいえば、差別の結果なんだ。この結果に対する取り組みを続けておれば、差別はなくなるのか。ところが、ものごとには、結果があれば必ず原因があるわけですから、差別の結果に対する取り組みと同時に、差別を生み出し支えていく原因をも見据えながらなくしていく取り組みを、しっかりと同和行政の目的に、位置づける必要があったのではないか。しかし、今までの同和行政は、目的が差別の結果に対する取り組みだけに矮小化されたのではないか。

 だから、差別撤廃するための行政は、差別の結果に対する取り組み、差別の原因に対する取り組み、差別の再発防止に対する取り組みの3つが、目的の中に据えられないといけないと私は考えます。

 <2>同和行政の対象が、同和地区への行政というかたちで限定化されたのではないか。

 部落差別の問題は、部落に問題があって部落差別が起こっているわけではなく、部落であることを理由に差別をする日本社会の中に問題がある。これは、すべての差別問題が、そうですよね。だいたい、被差別当事者の名前を冠においてナニナニ問題、たとえば部落問題、女性問題、障害者問題という。そこに問題があるかと言えば、そうではなく、たとえば女性差別の問題であっても、女性の側に問題があって差別が起こっているのではなく、女性であるという性のちがいをもって差別をする男社会に問題がある。障害者の問題にしろ、黒人の問題にしろ、すべてそうなんです。そうだとすれば、部落差別の問題も、部落の側に問題があって、部落差別が起こっているのではなくて、部落であるということを理由にして差別し排除する日本社会の問題である。

 とするならば、部落差別をなくすための同和行政の対象は同和地域への行政であっていいはずがない。むしろ、部落問題解消の鍵は、部落外の日本社会の中に、いかにして差別撤廃の政策を展開するか、というところに力点が置かれないといけない。にもかかわらず、同和地区への行政というかたちで、地区内に限定されていたのではないか。

 <3>手法における限界があったのではないか。

 同和行政の手法は、同対審答申(同和対策審議会答申)の中で「今までの日本における行政施策が部落を枠外においてきた。これからは、そういったことがないように、差別行政を反省して同和行政をしっかりやるんだ」ということで、同和行政のやり方も書いていたわけです。一般施策の関係制度が、部落を素通りしないように、関係制度の改善をいってきた。すなわち、一般施策をいかに適応するかということを、その手法の一つとして、明確に打ち出していたのです。しかしながら同時に、長い間、枠外においてきた行政的歪みがあるから、それを急速に底上げするために、期限を決めて、集中的に施策を打つんだ。それを法律によって、担保するんだ。すなわち、特別対策という手法を取るんだ、ということになったわけです。

 言うならば、最初から一般対策の運用改善と特別対策の2つの手法で同和行政をやるんだ、といったけれど、ご存知のように特別措置法ができて以降、財政優遇法ですから、これを使えば地方自治体にとってひじょうに安価に同和対策ができる。ということで、この法律に乗っかる事業を、優先的に、どんどんやり始めたのです。時間が、どんどん経っていって、最初の10年の延長が終わり3年の延長になり、今度は法律の名前が変わり5年延長された。時間の経過とともに、だんだん行政の現場の第1線の人たちにとっても、もともとの同和行政の2つの手法というのが忘れられ、同和行政の骨格法になっている特別措置法に乗っかる事業だけが同和行政の事業だ、すなわち同和行政イコール特別対策の行政だというかたちで考えられ始めたのではないのか。

 私たち運動体の側も、世代が交代していくなかで、だんだん、そのようにとらえられてきた。すなわち、同和行政の手法において、特別対策に偏重したという3つめの限界も持ってきたのではないか。

 ここを押えておかないと、特別対策を担保する法律が切れたら、同和行政も終わりなんだという誤った考え方が出てくる要因になるのではないか、と思います。

 この同和行政がもっていた限界を打ち破っていく方法というのは、今いった3つの限界を、どのように克服していくかという方向として、同和行政のこれからの方向性が出てくるわけです。

 1つ考えておかないといけないのは、そのような同和行政の限界を、30有余年にわたって黙認してきた要因と理屈もあったのではないか、ということです。ここは、みなさんの方でも十分検討していただかんといかんと思います。また、部落解放・人権研究所でも、ここを分析していただきたいと思っています。

(3)従来の同和行政の限界を支えた要因と理論

 <1>差別実態の認識論に問題があったのではないか(2領域から5領域へ)。

 今までの差別の実態をどのようにとらえるかと言った場合、同対審答申(同和対策審議会答申)の考え方がものさしになってきたのではないのか。すなわち、同対審答申が「部落差別は、多様な領域において、多様な形態をもって表れる。これを大別すると2つの領域に分けることができる。すなわち1つは実態的差別と、もう1つは心理的差別である」という内容です。この実態的差別と心理的差別という2つの領域で、部落差別の実態は語られてきたのではないか。

 同対審答申が「実態的差別」とは、「被差別部落の生活実態に具現化された差別」といったわけです。いうなれば、低位劣悪な被差別部落の生活環境実態です。「心理的差別」とは、端的に言えば「国民の部落に対する予断と偏見だ」といったわけです。

 だから、部落差別の実態調査というと、被差別部落の生活実態調査と国民の意識調査です。なぜ、このような調査がされるのかというと、この2つの領域論に引っ張られているからです。しかし、この2つの領域の中で語られる差別の実態が、本当に部落差別の全体像を表わしているのか。ここのところを、一遍検討しせんといかんのではないか。

 実態的差別といったことでも、被差別部落の低位劣悪性というのは、実は差別された側の実態ではないのか。それならば、差別する側の実態、差別させられる側の実態も明らかにされなければならないのではないのか。これは、先ほど同和行政の限界のところで出てきた「目的が矮小化された」という問題と絡んでくるわけです。

 差別を生み出し支えている実態である差別の原因が明らかにされていないのではないか。いうなれば、これは、さまざまな社会のシステムです。さまざまな、わが国における差別を支えている「イエ思想」の問題、これと絡む「戸籍制度」の問題というような社会システムの問題としての差別を生み出す実態が、本当に明らかにされているだろうか。そういった意味で、実態的差別といったときにも、差別される側の実態、差別する側・させられる側の実態という2つの領域を明らかにする必要があるのではないか。

 「心理的差別」といった場合は、「国民の部落に対する予断と偏見」という。けれども、これは差別する方の心理実態です。する方の心理実態があるならば、される方の心理実態もあるはずです。そうすると、差別を受けたときの心の傷、屈折、トラウマ現象といったような問題が、エンパワー問題と密接に結びつきながら、もっと明らかにされる必要があるのではないか。

 そうすると、差別事件などの実態も、ひっくるめたら、今まで同対審答申がいってきた2つの領域からの差別の実態だけではなくて、少なくとも5つぐらいの領域から、実態をしっかりと分析しなかったら、全体像が浮かび上がってこないのではないか。

 <2>部落差別独自性論の問題です。つまり、部落差別は他の差別とは、ちがうという言い方です。本当に、そうなんだろうか、ということです。確かに部落差別と女性差別、部落差別と民族差別などなど、これらは全部、歴史的な由来がちがう。しかし、よく考えてみたら、差別はそれぞれちがうけれど、差別の結果もたらされている不利益な状態は共通しているのではないか。すなわち、これが差別の社会的機能の問題として発揮される、さまざまな社会的矛盾というのは、社会的弱者といわれるマイノリティのところに集中的に表れるのです。

 部落問題では、長い差別の結果、教育や就職の機会均等を奪われた、結婚の自由が奪われたなどと言います。しかし、よく考えてみたら、これらは部落差別固有の結果ではないのです。在日コリアンも、差別の結果、教育や就職の機会均等を奪われ、結婚の自由を奪われているのではないか。障害者はどうか? それなら、差別の結果は、共通項を持っているのではないか。

 権利回復のための闘いは、実は、この視点が大切なのではないのか。今までの歴史の中からいえば、教科書無償化の闘いは、最初は部落だけの教科書無償化の闘いだったけれど、これを独自性を最大限活用した一点突破の理屈として前面に押し出して、この権利を部落が勝ち取ったときに、この権利は部落の権利ではなく国民の権利、市民的権利であるとした。こういった闘いを、もう一度、われわれの中に取り戻さないといけないとちがうか。部落の内から外へ打って出る取り組みが、実は必要なんだろうと考えます。

 <3>行政責任万能論というのが、やっぱり運動体の中にもあったのではなかろうか。

 何か自分たちに不都合があると、行政が何とかせんかい、と言ってきた。行政の方も、わかりました、と言わざるを得ないから言ってきた。こういうふうな変な関係が出来上がってきていたのではないか。すなわち、人為的に作られてきた差別をなくすという第一義的な責任は行政にあるとしても、行政だけで差別が本当になくせるのか。これを考えたときに、それぞれの行政の責任の問題、あるいは企業責任の問題、地域社会の責任の問題、個人の責任の問題、さまざまな責任の役割があるんじゃないか。ここのところを、もう1度問い直す中から、人間的な自立というところで、ものごとを考えていく必要があるのではないか。

 <4>同和地区指定論の問題。これは、まだ1千カ所近い未指定地区が放置されてきた。今までは地区指定がされていなかったから、施策を打てないといってきた理屈が、皮肉にも法律が切れたことによって、今まで何の手立てもやらなかった未指定地域においても、さまざまな不利益な実態があるなら、ここに手を打たなければいけないという問題が出てきました。

 同和地区指定論の持っていた限界を、うち破りながら、本当に人権行政をどう展開するのかという課題が、掲げられているだろう。


III.人権行政としての同和行政の方向

 こういったことを押えながら、結論は、人権行政として、これからの同和行政をしっかりと組み立て直していかなければいけない。そうなってくると、人権行政の前提は、よく考えてみると、形式的論理矛盾があるのではないか。行政というのは、一種の権力機構である。一方、人権というは公権力の抑圧に対して個人の尊厳、存立を守るという抵抗の思想として歴史的には形成されてきた。その人権が、行政という公権力の冠にかぶせられることによって、人権行政ということが言えるのであろうか。

(1)人権行政の前提

 言えるとするならば、その前提があるだろう。1つは、行政は公権力という側面もあるが、とりわけ地方行政は市民の利益を代表する側面もあるわけですから、そっちの機能を、いかに前に出していくのか。そういうところで、考えていくならば、人権行政の前提になるのは、3つの問題点が据えられなければいけないのではないか。

  1. 1人ひとりの人間を大切にするという意味あいで言うなら、1人ひとりの人間がその人らしくいきれることの支援。すなわち自立を支援する機能が必要ではないか。

  2. 上からの押し付けの民主主義ではなく、人権というのは下から作り上げてきたという歴史的経過を考えれば、住民参加の機能が据えられなければならない。

  3. 人権とは不可分の要素であるわけですから、1つひとつがバラバラになってはいけない。総合対策の機能。

 この3つの機能が前提として据えられないと、人権行政というのは機能しないのではないか。

(2)人権行政の中身

 これをやった上で、人権行政の中身を考えていったら、今日段階で、友永さんがまとめていたことですが4点ぐらいに集約できるのではないか。

 

  1. 部落差別をはじめ一切の差別を撤廃していくことをめざす行政
     
  2. すべての市民が自己実現できることを支援する行政
     
  3. 部落差別の撤廃や人権確立を妨げている制度や風習・慣行を改めていく行政
     
  4. 憲法や国際人権諸条約を日常生活の場で、実現していくことをめざす行政

 これらを人権行政の中身として打ち出していく必要があるだろう。そうすると、人権行政として位置づけられた同和行政という考え方も導き出されてくるのではないか。

 問題は、人権行政を推進していく上で、3つの前提機能のうち、住民参加の機能を特に重視する必要がある。行政の力だけでは人権行政は推進できない。住民パワーをいかに汲み上げていくか、というところで「人権のまちづくり」運動というのを、住民主導で立ち上げていく必要があるのではないか。


IV.人権行政推進力としての「人権のまちづくり」運動

 このことを考えていくと、日本においては冒頭に言いましたさまざまな欠陥、限界をもっていたにもかかわらず、世界に誇ることができる人権行政としての先駆性というものを同和行政はもっていたのではないか。ここの点は強調しておく必要があると思います。

(1)人権行政は住民参加なくして成り立たない

 

  1. 特に、住民参加の関係でいえば、同対審答申も書いた「地区住民の自主的運動と、緊密な調和をもって同和行政を展開する」ということは、住民参加の原則をしっかりと持っていたのではないか。
     
  2. 同時に、これについては運動体の方が反省しつつ、大きな課題として、これからやらなければならないことがあります。それは、自分たちのことは自分たちで決めるという住民自治の問題です。行政に何でもかんでもしてもらうという関係から、自分たちのことは自分たちでやるんだ。それを行政に支援してもらうんだ、という住民自治の関係を作り出していく必要があるだろう。

(2)「人権のまちづくり」とは何か

 部落解放運動の中で「人権のまちづくり」運動にいたるこういった考えを、この10年間ほど、いろんなかたちで検討してきました。いよいよ部落解放運動の戦略的課題として、「人権のまちづくり」運動を押し出していこうということで文章をまとめました。

 1つは、「人権のまちづくり」運動が部落解放運動にとって、どういった意味をもつだろうかということです。

  <1>「第2次部落解放総合計画」としての推進

 1970年代から地区内改善運動ではありましたが、それらを中心として部落解放総合計画運動を全国的に進展してきました。そういった意味では、道が狭くなるところからが部落だと言われた以前の低位劣悪な部落の実態が大きく変貌して、地区内環境改善が相当進んだ。それと同時に、同和行政の結果の中に表れてきた「ねたみ差別」「逆差別」の意識も、そうとうに進んできました。これを、いかに克服していくか。

 1.地区内改善運動から周辺地域への視点

 これが部落の内から外へ打って出ようという、第3期部落解放運動の1つのスローガンでした。これからは、第2次部落解放総合計画として「内から外へ打って出よう」という取り組みを押し出していく必要があるだろう。すなわち、地区内改善運動から、周辺地域の改善運動へ。行政区、校区を射程に入れた運動へと押し出していく必要があります。

 2.部落問題の完全解決はあらゆる差別を許さない社会的土壌の形成と視点

 同時に、部落差別だけが単独で解決されることはない。そういった意味では、部落差別を本当に解決しようと思ったら、他の差別をも許さない社会的土壌を作り上げていく視点を持たない限り部落問題は解決できません。

 3.複合差別(被差別部落の中の差別構造)撤廃の視点

 他の差別との関連性の中で、複合差別撤廃への視点を入れながら「人権のまちづくり」をやっていく必要があるのではないか。

 それらを押し出していきたいと考えています。

 <2>「人権のまちづくり」の基本視点

 1970年代からはじめられた日本各地での一般的な「まちづくり」に対して、われわれが今提起しているまちづくりは「人権のまちづくり」です。

  1. 箱モノ作りではない人づくりの視点(個人の尊厳と自立・自己実現)
  2. 住民自治のルールづくりの視点(人と人との豊かな関係づくり)
  3. 住民参加の仕組みづくりの視点(人と行政との公正な関係づくり)
  4. 人権社会のシステムづくりの視点(人と社会との公正な関係づくり)
  5. 安心・安全の環境づくりの視点(人と自然との共生の関係づくり)

 この5つを基本視点に、「人権のまちづくり」を提起しています。これらをどういったかたちの青写真で、まちづくりに落とし込んでいくのかということは、「人権」を縦軸にしながら、それぞれの生活領域の分野を横軸にして、考えていきます。

 <3>「人権のまちづくり」の基本構想

 先ほど、三重県の報告でも、「人権」の問題と評価システムをどのようにしていくかという議論をされていました。あのような観点から、考えていきますと、

  1. 福祉分野で、バリアフリー・ユニバーサル構想をどのように実現していくか。
  2. 教育分野で、人権文化創造構想をどのように実現していくか。
  3. 産業・労働分野では、地域経済活性化構想と絡め、どのように展開していくか。
  4. 環境分野では、ゼロ・エミッション構想を具体化する中で、人権の視点をどのように深めていくか。
  5. 情報分野では、デジタル・タウン構想を具体化する中で、人権の視点をどのように深めていくか。

 特に、部落解放運動の観点から言いますと、とりわけ力を入れてやることができるのは、1つは福祉分野です。「地域福祉計画」が大きく出されてきました。特に、日本の福祉行政においては、歴史的な区分でいうと、3つめの段階に入ってきました。戦前の治安の福祉、戦後の措置の福祉、そして2000年に社会福祉事業法が大幅に改正され新たに権利の福祉というかたちで、キーワードも「個人の尊厳」「住民参加」といったような問題が福祉行政の間で大きなウエイトをしめ、社会福祉の基礎構造改革という大きな転換点の中で、地域福祉計画が打ち出されてきています。

 先ほど、江橋先生が「わが国の福祉は、人権ぎらいだ」といわれていました。それを、まだ問題は持っていますが、国自体は、大きく方針転換をしてきています。

資料「地域福祉計画の実践と人権のまちづくり運動」について

 この地域福祉計画を、まちづくりの中で取り組めるのではないか、と思いを持っています。それが別紙、3つのめの資料「地域福祉計画の実践と人権のまちづくり運動」にまとめています。これは、あとで時間があれば見ていただきたいと思います。

 特に、「市町村地域福祉計画及び都道府県地域福祉支援計画策定指針のあり方について(1人ひとりの地域住民への訴え)」(2002年4月、国から都道府県への通達されたガイドライン)です。大阪府の方は「大阪府地域福祉支援計画」をまとめています。

 国の方が出したガイドラインは、これまでの国の文章と比べて、「これは、ほんまに国の文章かいな」と思うぐらい、変わってきています。特におもしろいのは「地域福祉計画の基本目標」の4番目に書かれている「生活関連分野との連携」というところです。福祉・保険・医療が今までの福祉の分野でしたが、「地域福祉の範囲として、の一体的な運営はもとより、教育、就労、住宅、交通、環境、まちづくりなどとの生活関連分野との連携が必要となる」というふうに、きわめてトータルに地域福祉という問題を考えてきています。人間のあり方そのものを問い直す視点から、地域福祉を考えている視点が、ひじょうにおもしろいところだと思います。

 また、社会福祉の基礎構造改革の中で、ソーシャルインクルージョンという考え方が出されてきているのは、注目していいんではないか、と思います。

 こういった部分をわれわれのまちづくりの中に取り入れていく必要がある。

 また人権教育・啓発推進法は、法律はできたけれど、実はほとんど具体的に活用しきれていないのではないか。各市町村に人権教育の行動計画を策定するように努力要請されています。それによって、国連人権教育の10年行動計画など、いろいろされています。しかし、もっと人権教育・啓発推進法を活用し、予算措置も引っ張りながら活用できるのではないか。これを「まちづくり」の中にしっかりと取り込んでいくことができるのではないか、いかなければいけないのではないか、という思いがしています。

(3)「人権のまちづくり」運動の意義と進め方 

 そういう意味から、一般的には「人権のまちづくり」を提案していますが、部落解放運動にとっても、大きな意義をもっているのではないか、と考えています。

 「部落解放運動にとっての意義」ということで、6点ほどまとめてみました。

  1. 同和行政の従来の成果を継承発展させていくとともに、その限界を克服しながら、人権行政の中身を実際に創り出していく運動として推進していく。

  2. 1600を超える地方自治体で差別撤廃・人権確立の「条例、宣言」が制定されています。これが、絵に描いた餅にならないように、どのように具体化し活用していくのか。そういう意味で「人権のまちづくり」運動は、その受け皿になるのではないか。

  3. 差別の問題は、実は日常生活圏域、地域共同体の中で起こってくるわけです。さまざまな差別的な土壌、仕組み、あるいは人間関係は、地域共同体の中にあるわけですから、これを具体的な実践の中で、地域共同体の抱える差別的な土壌を改革していく運動として「人権のまちづくり運動」を提起いていく必要があります。

  4. 部落内外の共同闘争として前進させていく。

  5. 地方分権の問題として、住民自治あるいは住民参加を現実に実現していく運動として、位置づけることができるのではないか。

  6. 国際人権基準などを日常生活の中で、いかに具体化し活用していくか。

 これを「人権のまちづくり運動」を通じて検証しながら、地域の特色を生かしながら取り組んでいく意味あいもあるのではないか、と考えています。

 これから、2003年5月に部落解放同盟全国大会を予定しています。ここで、中間報告である「『人権のまちづくり』運動推進基本方針(案)」を、最終的な解放同盟の方針として確定した後、「人権のまちづくり運動」を全国展開していく方向で考えています。

 そういった意味で、部落解放・人権研究所の友永所長にもお願いしていますが、「人権のまちづくり運動」で提起しました問題意識なり「人権のまちづくり運動」を進めていく政策研究を、このプロジェクトで引き続き検討していただき、実際に「人権のまちづくり運動」を進めていく上で、政策理論の方向性を更に見つめていただくとありがたいなと考えています。

 ただ、「人権のまちづくり運動」は文章でスーッと書いていますが、全国的に進めようとしますと、大阪市のような都市部落もあり、あるいは長野県のような少数点在の農山村部落もあり、さまざまな形態のまちがあるわけです。これらのまち、1つひとつ、それぞれで政策ケースがちがってくると思います。その都度、その都度、こういったところでの「人権のまちづくり運動」をするためには、どういったやり方があるのだろうか、といったようなことも、ひっくるめて政策検討していただければ、ひじょうにありがたいなと思いを持っています。

 こういったお願いもして、解放運動がこれから全力をあげて取り組もうとしている「人権のまちづくり運動」についての提案を終わらせていただきます。

2002.12.21に報告されたものです