【第2報告】
西洋のレイシズムの議論は、人種的なカテゴリーではなく、能力の欠如などを理由として排除する新しい人種主義をテーマにすることがある。しかしそれは、アジアでは昔からあることだ。例えば、科挙に受かる能力があるかどうかによって差別があるのであって、夷狄だから差別するわけではない。そういう意味では、部落差別ははじめから新しい人種差別であったと言える。
東アジアの視点から日本の歴史をみた場合、現代の<帝国>に通じるような、宋代以降の皇帝独裁と貨幣経済で成り立つ近世中国のとなりで、そうした社会のあり方を受け入れるのか、受け入れないのかをめぐって展開してきたと見ることができる。
鎌倉・南北朝期は農本勢力と商業勢力の争いであり、その後は商業ベースで進んだ。商業を重視すると権力が専制的になる。こうした社会は、宋代市場経済と同様である。その正反対の社会が江戸時代である。
こうした文脈で日本の近代化を考えると、それはまさしく宋代社会の中国化と言える。明治維新は儒教思想の徹底、天皇親政運動など、天皇の中国皇帝化が目指されていた。さらに、近代的改革として、科挙の導入、封建制の解体、科挙官僚の巡回など、宋代中国が導入したことを千年遅れて実施したのである。また、明治期は超市場原理主義でもあり、民権運動が高まって自己責任が高まり、官営工場が民営化されていく。
しかし、明治は中国化の挫折によってが終わる。明治憲法による分権的体制の確立、日清戦争による大きな政府、税金納付と再分配の仕組みが確立され、「中選挙区制」が成立した。こうした中国化とは異なった社会が大正・昭和時代の総力戦体制であり、個人化ではなく集団化が進んだ。こうした仕組みは戦後も引き継がれ、高度成長期における企業との雇用(主従)関係の成立などは、社会構造的に言えば江戸時代的な仕組みに戻って行くことであった。
しかし、新自由主義的政策が進む現代では、集団を作って再分配することに道徳的非難が高まる時代となった。ついに日本史は終わるのだろうか?
(文責:内田龍史)
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