2 企業の取り組み 現在~「我々とは何者か」
では、そうした人権問題への取り組み、人権教育・人権啓発への取り組みを具体的にどのように進めているのか?企業の立場で、同和問題をはじめとする様々な人権問題の解決に取り組んでいる大阪同和・人権問題企業連絡会(以下、大阪同企連)の活動を中心として報告させていただきます。
なぜ、企業が人権問題に取り組むのか?
ノーベル経済学賞を受賞した、ミルトン・フリードマンは「企業とその経営者は株主利益の極大化を追求すべきで、それ以外のこと(メセナ活動や人権活動)をすることは株主に対する背信行為である」と指摘しました。今日、この指摘はいかがでしょうか?答え、考え方が二通りあります。
ある考え方では「そもそも会社は株主だけの持ち物ではない。会社を構成するのは『人』『物』『金』であり、そこで働く役員・社員・従業員もまた、会社の構成員である。物である、商品=事業を購入する消費者も同様である。そして金=資本を投資している株主も構成員の一人である。構成員のいずれかだけ(ここでは株主)を意識した経営は問題である」という見方です。すなわち、企業を取り巻くステークホルダーの総意・総和としての効用を高めることが経営者の役割であるという考えで、今日的な企業の社会的責任を説明するプロセスに近くなります。
もう一つの考え方もあります。それは、フリードマンがいうように「株主利益の極大化を追求すべきである」というものです。ただし、株主利益は、単に一時的なものではない、将来にわたる株主の総利益を追求すべきである。将来の利益を得るためには、投資が必要であり、事業の種をまく活動も必要です。当然、社会が平和で平等で安定した社会になるように努めることもまた、投資です。農家がより多くの収穫を得るために土地を耕し、肥料を施し、潅水する。それと同じように商品・サービスを提供して消費してもらい、利益を得ようとするのなら、その市場が元気で購買力が高い状態に保つことが必要です。今日、格差拡大が問題になっています。格差が広がり、市場から購買力が失われるとしたら、どんな良い商品も必要なサービスも誰も購入することが出来なくなります。乱獲による資源の枯渇は、消費市場でも同じことが起こり得るのです。
ところで二つの考えは共に我田引水的なストーリーですから、もう少し別の視点から検討してみます。それは短期の利益を狙うファンドの存在です。有名な「お金を儲けることは悪いことですか?」という質問です。お金を儲けることが悪いことだとすると、資本主義は成立しません。儲けることが悪いのではなく、儲けるまでの手続き=手段・プロセスが問題なのです。企業活動の中で、不正な行為・手続きがあって、それによって利益を得ているとしたら、それは犯罪です。不正な手段で情報を入手しそれで利益を上げること、フェアでない取引により安値で仕入れることによってあげる利益もしかりです。法に違反さえしなければいかなる手段も許されているのでしょうか?今はやりの『はげたかファンド』は、法の隙間を狙って利益を生むことが能力であると思っているようです。
しかし法の隙間を埋めるのは消費者の行動です。有名な消費者の抗議行動の事例はいくつか報告されています。欧米で報告されてきた「ボイコット(不買)運動」をより進化させて、良い行動をする企業の商品・サービスを購入するという、「バイコット運動」を提唱します。こうした事例はすでに実例も多くあります。アメリカで有名なジョンソン&ジョンソン社の頭痛薬「タイレノール毒物混入事件」への対応と消費者の行動があります。費用を度外視して消費者の生命・安全を優先したJ&J社は市場から大きな支持を得ました。事件後の同社の永続・発展は企業のグッド・プラクティス(=よき行動)を後押ししています。日本でも参天製薬の目薬で同じような事件と対応がありました。同社も費用を度外視した回収を決断し、その後も市場からは大きな支持を受け続けています。企業のグッド・プラクティスをサポートする市場が、企業に良き行動を決断させるものです。ボイコット運動と効果・結果は同じことでも、心情的には行動しやすいと思いませんか?この「バイコット行動」を成人向けの人権研修の場では必ずお願いすることにしています。環境への配慮や人権への配慮に企業の目を向ける。それが消費者が出来る、そしてすべき行動です。
CSRと内部統制
今日、格差拡大社会、自己責任社会のもとで、とかく利益のみを追求する企業が増えています。これも有名になった言葉ですが「これぐらいはまーいいかな、と思った。誰でもやっていて、許される範囲だと思ったんですよ」。利益のみを考えているとすぐに陥るのが法律・ルールの下限からの陥落です。自己流の判断でバーの高さを引き下げる。誰もがやっている、みんなで渡れば怖くない。そして、ばれなかった。怒られなかった。今度はもっとバーを下げても…。悪貨は良貨を駆逐する。そしていったん下がった判断基準は引き上げられことはありません。
そうした多くの失敗の上に経営ルールが厳しくなってきました。専門的な話は避けますが、J-SOX法(相次ぐ会計不祥事やコンプライアンスの欠如などを防止するため米国のサーベンス・オクスリー法〈SOX法〉に倣って整備された日本の法規則)の施行や会社法の改正で企業の内部統制の仕組みがとても厳しくなります。守られなければどんな法律も無意味ですが、企業の自主規制が進めば社会にとっても有益です。また、守られない、守らない企業は経済社会からの退場を余儀なくされるでしょう。
公平で公正な取引において利益を上げ、それを配当や次の投資に回していくことで今日の経済・社会は回っています。いんちきをする企業が繁栄できない社会にすることも今を生きる私たちの任務です。それは持続可能な社会の発展のためにも必要なことです。
人権教育・啓発推進法の成立と行政・企業の取り組み
ところで、2000年12月に「人権教育・啓発推進法」が制定されて6年が経ちますが、この法律は存外、知られていないようです。国や地方公共団体の責務を定め、さらに国民の責務として「(第6条)国民は、人権尊重の精神の涵養に努めるとともに、人権が尊重される社会の実現に寄与するよう努めなければならない。」と規定しています。
第3条の基本理念では、「国及び地方公共団体が行う人権教育及び人権啓発は、学校、地域、家庭、職域その他の様々な場を通じて、国民が、その発達段階に応じ、人権尊重の理念に対する理解を深め、これを体得することができるよう、多様な機会の提供、効果的な手法の採用、国民の自主性の尊重及び実施機関の中立性の確保を旨として行わなければならない」と定めています。様々な機関で研修や啓発の取り組みが行われてはいますが、まだまだ不十分です。行政機関が適切な方向を示せば企業ももっと取り組みが進むと思います。
そうした意味からも、2007年度から始まる『大阪企業人権協議会』の人権問題に取り組む『サポートセクション』としての役割に期待が持てます。8000事業所に及ぶ規模の会員を持つ同会が機能すればきっと大きな前進になると思います。それぞれの企業にうまく活用していただくことを提案します。
今日的な取り組みの意義・到達点は?
大阪同企連は企業の立場で先進的に人権問題に取り組む企業集団です。さて、「我々はどこから来たのか?」設立の経過と原点は後述しますが、今日私たちが認識している使命は「大阪同企連スピリッツ」として、内外に公表しています。それは、次の二つの項目です。
「人権を尊重する企業作り」に取り組み …会員内での行動
「人権が確立した社会の実現」を目差す …組織外への動き(資料1 2004年10月制定)
自企業の運営を人権を尊重した中でやって行こうという対内的な行動と、企業外への働きかけの両方を意識しています。
「雇用と啓発が車の両輪」という方針のもと、これまで述べてきたような啓発の他に、同和地区住民や今日的には様々な就職困難層の就労支援にも取り組んでいます。「雇用は最大の啓発、啓発が出来ていないと雇用は難しい。雇用することが啓発になる。」ということです。大阪同企連の新たな重点項目として情報発信=広報に取り組みます。これまでは組織内部での活動が重点でしたが、その限界を認識しつつ人権に取り組む組織としての社会的責任として社会へ発信していくことにしました。
企業の人権への取り組みその原点 過去~「我々はどこから来たか?」
部落地名総鑑事件の教訓と企業の課題 30年前、私たちの先輩は何に気づいたか?
大阪同企連の原点、それは「部落地名総鑑事件」を契機にしています。ただし、私たちは事件に関与したことへの贖罪として取り組んでいるのではありません。私たちの先輩は、事件を通じて『企業の差別的な体質に気づいた』のです。そして、それを糾していく取り組みを始めたのです。人権問題に取り組むことによって企業の差別的な体質を改めることが出来る。それが従業員のやる気を高め、生産性を向上させることにつながることに気がついたのです。当然収益性の向上につながるのです。ただしそれは即効性がある取り組みではありません。少し残念ながら、すぐに利益につながるのではありません。が、ゆっくりでも確実に企業の「底力」を高めていきます。
大阪同企連の取り組みのきっかけは「部落地名総鑑事件」でした。しかし今日では贖罪やリスク対応ではなく、自らのための取り組みとして、企業の立場で同和問題を始め、様々な人権問題に取り組んでいるのです。
大阪同企連のこれまでの取り組み(過去10年間の取り組みを中心に)
大阪同企連のこれまでの取り組み状況を簡単に振り返っておきます。
対外的な宣言としては(組織としての主張)、『大阪同企連人権宣言』(1993年)、『大阪同企連スピリッツ』(2004年)の二つがあり、また毎年の『基本方針』を総会資料で明示しています。
組織内の改革に努めてきました(常にPDCAのサイクルを回す工夫)。
「変化に対応できない組織は衰退する」との基本認識のもと、組織の内外の変化に対応して、方針を再検討してきました。大阪同企連改革(1996年度から)、中期目標の設定、中・長期ビジョンの設定(2002年度)、そして新たなビジョンの検討(2005年度から)に取り組んできました。
取り組んできた成果
会員のための研修・啓発資料やシステムを検討し確立してきました。また、多くの貴重な活動の記録もまとめてきました。多くは、会員内の資料ですが、外部への提供・販売(版権譲渡)も行ってきました。これらは、以下のとおりです。
同和問題啓発冊子「企業と同和問題」等の発行(1978年から)
「慟哭」「証言」など、取り組みの記録を編集・発刊(1987年から)
「足跡(10周年)」「道程(15週年)」「20年のあゆみ」「5年のあゆみ(25周年)」
「生きる、啓く、創る-企業内研修の手引き」(1986年から数次の改定)
差別の解消に向けて「あなたの行動と役割」=会員企業の行動指針(1989年から)
「これからの人権研修のすすめ方」研修推進員のためのガイドブック発行(1996年度)
「企業内各種システムの見直しと改善に取り組むためのガイダンス」の作成と組織内活用(1999年度)
「必携 あなたもできる。企業の人権研修ハンドブック」の編集・発行(2004年度)
「関連会社の研修・啓発の進め方に関する提言」取りまとめ(2004年度)
「啓発の取り組みガイドライン」作成(2006年度)資料2
大阪同企連人権標語の募集・選考・表彰(毎年)
「ホットライン21」の発行(年3号)
組織としての取組み
組織としての取り組みは、「会員企業への支援」「会員企業を通じた研修・啓発」に加え、最近は「社会へ訴える活動」にも取り組んできました。会員企業への支援の一環としては、先にあげた大阪同企連で制作した冊子類があります。各社の担当者を育成することで会員への支援をしています。また各会員の好事例を紹介しあっています。毎年2回の責任者会議や担当者会議で好事例を報告・紹介しています。人事・総務事務のガイダンスを発表したこともあります。社会へ訴える活動としては、市民啓発講座があります。2005年は大阪市内の人権文化センターで2回開催しました。2007年1月には大阪梅田の地下街において、一般通行市民を対象にして、伝統芸能「阿波木偶(でこ)箱廻し」を主催して開催しました。伝統文化・芸能を通じて人権の大切さを訴えることが出来ました。
また、組織・団体向けの取り組みの一環として、啓発講師団の結成と派遣があります。年間30件程度の要請に組織対応として派遣しています。収益事業ではありませんが、講師の一部は謝礼金の一部を同企連へ入金したり、社会福祉法人などへ寄付もしています。
2006年12月、やっと、ということになりますし、今のところはリーフレット程度で非常に少ない情報ですが、組織のホームページを開設しました。(http://www.osaka-doukiren.jp/)部落解放・人権研究所へ資料・情報・原稿を提供・協力し、ネット上の人権ポータルサイトである《ニューメディア人権機構“ふらっと”》へは会員・賛助会員として入会し各種教材の提供も組織内の啓発委員会で制作・提供しています。
大阪府民の人権意識調査結果から(企業での研修が大きな効果を挙げている)
今回の調査のもとになった、2005年大阪府「人権問題に関する府民意識調査」の結果を見ると、企業の人権啓発担当者としてはとても嬉しい結果がありました。調査の結果は、格差拡大社会という背景からか2000年調査と比べてマイナスの方向が多かったのですが、「企業で人権啓発・研修を受けた人には、人権問題に対して大きなプラス志向」が見られました。企業内人権研修の成果があるということを私たちのエネルギーにして更なる取り組みをしていきたいと思います。
ここで「一灯照隅、万灯照国」という言葉を紹介しておきたいと思います。言葉自体は天台宗の開祖最澄の言葉です。意味するところは、「一つの灯りは一隅しか照らすことが出来ないが、そのような灯りでも万人が灯せば国全体を明るくすることが出来る」というものです。企業人も個人としての灯り(人権尊重の行為)は小さいかもしれませんが、多くの企業が集まれば国全体が暮らしやすい、美しい国になるのです。その、一灯を増やすことも人権研修の役割です。灯りを伝達するためにも自己研鑽が必要です。
人材育成 人権リーダーの育成はどのようにしていくか?
大阪同企連では、「会員の為の同企連、会員企業への支援」を合言葉に、新任の担当者の早期育成を支援するプログラムを持っています。それに従って人権リーダー育成に努めています。が、担当者になるための前提して、人権啓発リーダー養成事業の修了を義務付けています。それが、(社)部落解放・人権研究所の部落解放・人権大学講座(解放大学)です。今日的な人事異動の仕組みの中で就任後に講座に参加する担当者もいますが、担当者の選任にあたって解放大学の修了者から選んでいただくことにしています。
一口に「人権問題」といっても、課題も多く奥は深いのが人権です。研修や啓発をしたり、相談員となって課題の解決にあたるにはそれなりの勉強が必要です。「人権教育のための国連10年」が定める「知識」と「技術」に加えて「態度」を形成することが必要です。リーダーとして組織を引っ張る人にはそれなりの準備がいるということです。リーダーが間違うことほど危ないことはありません。解放大学では長年の経験に加え、今日的な変化への対応も図っておられるので、解放大学を修了すれば一定以上の「知識」と「技術」を習得、そして「態度」が形成されたと見ることが出来ます。その後の実践がそれらを深めることはいうまでもありません。
会員企業の取組み事例 ~規模の大小について
2006年度に整理した「啓発の取り組みガイダンス」にも表現してありますが、取り組みを継続、システム化するためには社内の体制を整備する必要があります。企業には労働安全衛生法などに基づいて作る委員会制度がありますが、それと同じように人権問題に取り組む委員会を制度化することが効果的です。推進委員会は社長以下トップが参画した組織とし、委員会規定で、推進委員会で何を議題とするか?まで文書化することが望まれます。その他、専任の担当部門の設置や取り組みを推進する「推進リーダー」など、スタッフを養成することが必要です。そして何より大切なのは、組織もシステムも作っただけではだめで、機能しているか否かの確認が大切です。
大阪同企連の活動を紹介したときに「大企業だから出来る」とか「中小企業では専任の人をつけることが出来ない」とかいわれます。が、小さい規模の企業・事業所こそ取り組みが必要であるし、取り組めば効果はすぐに出るのです。年間数回の研修に専任の人をつける必要は無いでしょう。コストも少なくて済みます。組織は社長が決めればそれで進むのです。中小規模の企業・事業所では組織よりも個人のやる気が大切ですが、やる気があればすぐに出来るといえます。
社会的に有用で、やれば企業にメリットが生まれ、誰もが喜ぶ。それが人権への取り組みです。まず、取り組んでみる。その一歩が今、求められています。
活動のハウツー・注意点
折角取り組みを始めても、途中でしぼんでしまう企業もあります。そこで注意点を紹介しておきたいと思います。まずは、場当たり的ではなく、少し先も見て計画的に実施することです。その上で、企業における品質管理の手法と同じく「PDCAサイクル」で回すことが必要です。どんなに良い仕組み・システムも見直していかないと古くなってしまいます。
人権への取り組みは安全管理と同じ面が多くあります。99%安全でも、1%の失敗でも事故につながることを認識しておかねばなりません。安全管理の失敗も人権教育の取りこぼしも人の命、尊厳にかかわることです。効果的な取り組みになるためには、担当者だけの活動にならないように、多くの人を巻き込むことも大切です。人権啓発は心の安全衛生管理といっても良いでしょう。
そして、「目的と手段の明確化」も必要です。あくまでも目的をしっかり理解したうえで、様々な工夫をして手段は柔軟に使えばよいのです。企業の現状、啓発担当者の知識・経験の状況、受講者のレベルなど等で手段はかわるべきです。そして、人権問題・人権研修が特別なものではなく、業務の中に当たり前に人権課題があるという状態へ持って行って頂きたいのです。安全管理、品質管理、原価管理etc.企業の普通の活動と同じレベルにしていけば活動は定着します。
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