はじめに
1991年の最初の町長選挙立候補の時、家々を1軒1軒訪問する中で公約を探しはじめた。そして、そこで見たものは、痴呆性高齢者が座敷牢状態にあったり、80歳代を80歳代が介護するという老老介護状態や介護によってパニック状態に陥っている家庭、等々の悲惨な介護現場であった。
このような将来に対する見通しが全く立たない現状で、誰かがこれを保障しなくてはならない、それは政治だと考え、告示日の直前に初めて出した公約、それが「高齢者福祉政策」であった。
福祉国デンマーク訪問
「高齢者福祉政策」について、まずデンマークを訪ねた。デンマークの福祉政策は大きく3つの柱によって成り立っている。ひとつは、人手の確保をしっかりとしているということ。例えばコルベックという人口3万1000人ほどの町では、ホームヘルパーが125人ほどおり、町の250人に1人がこの仕事に従事している計算になる。ふたつ目は、補助器具について、当事者一人ひとりの状態にみあった道具の提供を全額公費でまかなっているということ。どんな障害があっても健常の人と同じような日常生活がおくれるようにという視点で、法律も整備されている。三つ目は、住宅政策である。例えば全身麻痺で首から上しか動かせることができない人でも一人で生活できるような保障を基本としているのである。
これらの諸政策ならびにサービスが一人ひとりの利用者の状況に合わせて適切に提供されており、また、それを可能にしているのは住民の参加と合意というプロセスを踏んでいるということであり、この点を学んで鷹巣町でも実践できないかと考えた。
住民参加と基盤整備
そこでまず、住民が自由に参加し、議論し、行動し、自らの地域を自ら作り上げていく組織を立ち上げた。「住民参加の福祉のまちづくりワーキンググループ」である。60名ほどの日当なし、手弁当からのスタートであった。基本的な考え方は、「自ら考え、提案し、できるものは自らボランティアとして実行すること」ということである。
ワーキンググループでは、まず町の高齢者の実態を知るため聞きとりをおこない、でてきた課題を「すぐできること」「少し工夫すればできること」「予算化しなければできないこと」に分け、自らのボランティアと行政への提案により、一つひとつ解決していった。
具体的には、1993年、ホームヘルパーを5人から30人にして、日本で初めてのヘルパー24時間派遣体制を組み、また、デイサービスについては、国が中学校区を単位としているのに対して、町では小学校区を単位として通所に配慮した。グループホームについてはスウェーデンでの研究をもとに1グループ8人単位を基本として取り組んでいる。さらに老人保険施設建設では、完成までの間に住民からの提案について取り入れたりした。また、この施設では利用者本位の発想で、起床や就寝時間、入浴時間やアルコールなどについて自由にしており、さらに福祉用具のリサイクルとして殺菌室で管理し、各部分を個々人に合わせて調整、貸し出しも行っている。
人権としての視点と条例づくり
現在の日本では、痴呆や高齢の人に対して縛り、拘束しており、人権侵害が行われている。つまり、痴呆や高齢など福祉問題は人権問題なのである。このことに対しての取り組みが「鷹巣町高齢者安心条例」づくりであり、デンマークの「社会サービス法」が手本となった。
条例には3つの柱があり、「権力行使」「人権問題の解決」「事業者協議会の設置」である。キーワードは「権力行使」である。介護保険の対象となる施設等を前提として、そこの利用者の自由意思や自己決定を否定したり、利用者の行動を管理したり制限したりするサービス提供者の行為を「権力行使」と呼び、これをゼロに近づけることを意図したのである。この「権力行使」を減らすための方策として、「○○の場合は縛ることができる」「××の場合は閉じ込めることが可能だ」というように具体的な表現で例外的に限定された権力行使を認め、それ以外は一切認めないという方法を採用している。
この条例は取締条例ではなく、協議会で話し合って、ケアの内容を改善していくことが目的であり、権力行使を「記録」し、「報告」し、場合によっては「公表」し、最後にその権力行使をゼロに近づけるための「学習」を行う、ここが重要なポイントなのである。つまり、施設で行われた権力行使について、それを記録して(第7条)、町に報告してもらう(第8条)、そしてそれを研修の教材化していくプロセスの中で、権力行使が防止されたり、権力行使の判断基準が統一され、合理化されていくのである。
最後になるが、この条例により介護サービスの質の向上は、一朝一夕とは決していかないが、間違いなく可能になる。それは、必ずや高齢者の「安心」を保障することに結びつくものと確信している。
(松下龍仁)
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