調査研究

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2004.12.13
部会・研究会活動 <「人権のまちづくり」事例収集比較研究・提言プロジェクト
 
「人権のまちづくり」事例収集比較研究・提言プロジェクト・学習会報告
2004年11月4日

今、なぜ、人権・太鼓ロードなのか」

浅居 明彦(部落解放同盟浪速支部)

はじめに

 2002年3月の「法」失効後、部落解放運動も大きな変化を迎えている。これからは部落差別撤廃・人権確立という原点を忘れることなく、時代に応じた多様な取り組みが必要であると感じる。「人権・太鼓ロード」もそんな新しい試みの一つである。

きっかけ

 1987年10月、400年の太鼓づくりの歴史を持つ浪速に太鼓集団「怒」が誕生した。ようやく打ち手が産声を上げたのである。それからさらに15年後の2002年6月、「人権・太鼓ロード建設計画実行委員会」が発足した。この委員会発足の背景には、大阪人権博物館(リバティおおさか)の入館者アンケートや鳥取県境港市の「水木しげるロード」、ドイツ・ニュールンベルグ市の「人権ロード」などの刺激があった。

これから

 「人権・太鼓ロード」は、皮革産業と太鼓づくりで全国的に有名な浪速の歴史を、正しく、わかりやすく伝えていく、人と人との交流を深め、人権文化のまちづくりに役立てようとして取り組んできた。

 具体的なは、JR大阪環状線「芦原橋」駅、「今宮」駅からリバティおおさかなどの一帯をフィールドミュージアムと位置づけ、10のゾーンに分けて整備を進めている。例えば、その一つとして「芦原橋」駅からリバティおおさかまでの道沿いに案内表示を設置しているが、単なる道案内ではなく、浪速の伝統産業である皮革関連産業の理解が深められるようなさまざまな工夫がほどこされている。

 そのほかにも、「海の玄関口」と名づけたゾーンでは1700年代後半、薩摩藩で多大な業績を上げた海運業者・仲覚兵衛が住んでいた鹿児島県知覧町との交流を記録した銘板や、江戸時代、部落外に通じる唯一の道であった旧渡辺道の整備、などがある。

おわりに

 部落解放運動に参加し活動を続けてきたが、これまでの自分自身の体験や太鼓集団「怒」での経験、気づいたことなどを地域から発信していく一つの手段として、「人権・太鼓ロード」に今後も関わっていきたい。この「人権・太鼓ロード」をハード面の完成で終わるのではなく、スタートとしてより豊かな人間関係の創造をめざしていきたい。

(松下 龍仁)