調査研究

各種部会・研究会の活動内容や部落問題・人権問題に関する最新の調査データ、研究論文などを紹介します。

Home調査・研究プロジェクト・報告書一覧国際身分制研究会研究会 > 学習会報告
部会・研究会活動 <国際身分制研究会研究会>
 
国際身分制研究会研究会・学習会報告
2001年6月24日

華族たちの近代

(報告)浅見雅男(編集者)

------------------------------------------------------------------------

 華族制研究をやり始めたきっかけについて、浅見さんは、従来歴史学で捉えられていた封建遺制論で収まりきれない事、爵位の決定過程など不明な点に疑問を持ったことから出発した。中でも封建遺制を見直す代表的な事例に「赤化華族事件」がある。これは、元来天皇の藩屏たる華族が天皇制否定の共産党に入党した事件で、中でも岩倉の子孫である靖子は転向後自殺したといったものであった。これらの事例が発端になって華族の見直しが開始された。

 まず華族制度の形成過程については、華族制度は1869(明治2)年から1884年にかけて形成され、華族の任命は家単位で行われ、戸籍筆頭のみが爵位を持てた。華族は任命された時期や元の出身階級に従って大きく家柄華族と勲功華族に分類でき、家柄華族は、旧公家や大名であり、勲功華族は軍功や政治家、実業家、官僚であった。

 浅見さんは、意識の面でも両者に違いがあり、勲功華族は叙勲を勲章の大きな物としか思っていなかったところがあるので、家柄華族こそが華族であるとした。

 また、日本の華族制度を研究する上でよく比較されるのが英国の貴族である。浅見さんはイギリスの貴族で、sir,knightは貴族ではなく、あくまでも国王と対等な存在こそがそれであるとした。そういう意味でも家柄華族こそが比較の対象となるのである。

 ところが、日本の華族は英国の貴族のように領土を保有しないので、エリートとして国家への義務を誓う「貴種」にはならなかった。実際、軍人にならない、不勉強である等の「貴種」とは言えない言動が目立った。その結果、浅見さんは、華族の自意識を再検討するに至った。華族は天皇を中心にした一種のファミリーの様な意識であり、華族そのものの意識は前近代から殆ど変わっていないのではないか、という仮説に行き着いた。浅見さんは、華族制度からみえるものとして、ファミリー意識が、結局は、天皇制護持に働いたのではないかと結んだ。(伊藤健一)