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国際身分制研究会研究会・学習会報告
2000年10月21日

日本古代の皮革―加脂剤を中心として―

(報告)永瀬康博(御影史学研究会)

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はじめに

 近世において、「穢れた」皮に人がなぜ寄ってくるのかということだが、皮は儲かるからだと思う。しかし、儲かる一方でそれを作る人は差別されるということが近世の話としてある。

 それでは、古代では皮はどのように扱われていたのか。このことを人間の話と、技術的な話とを交えながら、これまで自分が行ってきた部分と、この発表で解決せねばならない部分を報告したい。

 サブタイトルに示した加脂剤とは、皮を柔らかくするために使われる油のことである。このことが、どうしても皮について考える際に不可欠なものだと思っている。

1 皮革加工について

 私の皮研究に入る第一の要因は、奈良時代の『続日本紀』宝亀十一年八月十八日の条に始まる。この条では、鉄甲から軽くて、頑丈な機能性の良い革甲への変更が述べられている。また、10年後の延暦九年閠三月四日の条には、10年の間に2000領の革甲を作ることができたと述べられている。こういった記述が、一体何を意味するのか、ということが私の皮革史研究の始まりあった。しかし、私はこれほど多くの革が出て来ることは疑わしいと考えている。

 次に、鞣技術を明らかにするために『延喜式』内蔵寮の記録を見ると、鞣技術と染める技術の2つが記載されている。このことから、皮を鞣す人と、皮を染める人がそれぞれ存在したことが理解できる。

 それでは、皮を鞣す技術はいつ頃始まり、どこから伝えられたのか。基本的に中国大陸から朝鮮半島へ伝わり、それが日本へ伝えられたのだと考えている。

2 文献上の脳について

 次に、どのような動物の脳が集められ、どのように油として使用されたのかである。そこには2つの問題がある。1つは、文献上の脳漿鞣しについてで、今日においては、その脳は考古学で頭蓋骨がない馬の骨が発見された結果、馬の脳であったと考えられている。しかし、律令の『賦役令』には調の副物として、正丁一人に対して納める各品目の中に、「脳一合五夕」とあった。ここで、脳とは特定の動物の脳と記載されていなかったことから、単に馬の脳だけが集められたのではないということが理解できる。しかし、『続日本紀』養老元年十一月戌午条には、正丁の調の副物が廃止され、中男作物制に変わり「脳一合五夕」の記録は省略されたようである。このことから、なぜ省略されたのかということが一つの問題点である。もう1つの問題としては「脳一合五夕」つまり脳の量の問題である。

3 脳から脳漿へ

(1)豚の脳漿

 今回、四頭の豚の脳を入手し、その重さは当初、405gあった(1993年8月27日)。そして、45日目には、磯で嗅ぐような腐った匂いがきつくし、脳漿の表面には焦げ茶色の膜のような物が覆っていた。またビンをゆするとぐらぐらとゆれる程度の硬さにまでなった。さらに、水が上に脳漿が下にたまっている状態を見うけることができた。西田直志さんが、豚の脳漿は水っぽいので皮鞣し用の脳漿には使えないと言っていたように、豚の脳漿は皮鞣しに合わないといえる。

(2)牛の脳漿

 今回入手した牛1頭分の脳の重量は、382gでった(1995年9月21日)。1年5ヶ月目には、全体に茶色ペースト状になり、その中にアイボリー色の固まりと黄褐色の層ができ、横に倒しても動くことはない程のペースト状になった。また、20cmほど鼻をビンに近づけると、腐敗臭というよりは脳漿独特のきつい匂いがした。重量は171.7gであり、はじめの重量から55%減少していた。

まとめ

 この報告では、皮革加工のこと、また脳の取得から始まって腐熟させ脳漿となるまでの過程を述べてきた。ここで明らかになったことは、脳を入手できる条件についてである。

 次に明らかになったことは、鞣し用に使うために脳を腐熟させる期間と、その期間経過後の脳の量と脳漿の質である。つまり、牛の脳の量は採取してから1年5ヶ月後には171.7gとなり、これを度量衡の量に当てはめてみると2合3夕になり、「脳一合五夕」という課税条件に十分適合しているといえる。しかし、豚の脳は採集時で100gであり、45日後にはその4分の1程度に減少したため、「一合五夕」には到底いたらない。また、牛の脳と比べるとたいへん水っぽく、脳漿として品質的に問題があることも明らかになった。

 このように、鞣し用として脳は必要であるが、調の副物としての課税対象としては条件が煩雑でなじまなかったといえる。それゆえに中男作物への移行の中で省略されてしまった。調の副物では具体的に正丁一人がどのようにして脳を集めたかは明らかではないが、腐熟して脳漿になり、それを鞣し用の目的として使用したことは確かである。

 脳を腐熟させることは古代も現在も変わらない。ところが、脳は誰の所有であるかとなると現在を検討する場合でも複雑であった。これを古代の時代に当てはめてみるとさらにまた変化すると考えられる。しかし、それについては今後の課題としたい。(友永雄吾)