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国際身分制研究会研究会・学習会報告
2001年3月20日

『勲章』から見る身分・階級制度

(報告)大薗友和(フリージャーナリスト)

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úJ研究の発展

 日本の勲章は律令制時代の「勲位」から存在するが、現代の勲章制度は1871年に確立された。特に、幕末から明治にかけて欧州視察を終えた伊藤博文が、西欧型の近代中央集権国家を作ろうとしたときに絶対に必要なものであると、強く後押しした。しかも、「公・侯・伯・子・男」という華族制度とこの勲章制度が両輪になってはじめて、中央集権のヒエラルキーができると考えたのである。彼は自ら賞勲局の総裁になっています。

 こうして明治になって出来た勲章制度の最上位の「大勲位」(菊花章頚飾・菊花大綬章)は、皇室・皇族だけしかもらえませんでした。以下順番に勲一等から勲八等まであるが、さらにその中でも、菊花章、旭日章、宝冠章(女性はこれのみ)、瑞宝章といった種類に分かれ、全部で28階級を数えた。一般人向けには、軍功に報いるものとして金鵄勲章があったが、これは戦争を助長するものとして利用された。

 今となってはタブーだが、明治体制の国家のヒエラルキーは、「宮中席次」ですべてが決まっていた。例えば晩餐会に誰が招かれるかとか、その席順とかいうものはこれに則っていた。戦後でも実は隠れたかたちでこれが残っている。

 この「宮中席次」は、第10階までランクがあり、この中に皇室・皇族・華族、位階階級のほか立法・行政府の階級や勲章のランクも含まれていた。例えば、第1階第1位は大勲位受章者だし、第13位には「桐花」(実質上貴族階級でない一般の人が受章できたのはここから)、第18位には勲一等受章者が数えられていた。

 だから、戦後処理でGHQが進駐してきたときに、勲章制度は実質上の階級制度としてまっさきに廃止された。

 戦後、勲章は、絶対天皇制や軍国主義とイメージ上で繋がっていたので、なかなか復活されなかった。しかし、吉田茂の時に「産業勲章」構想が起り、1964年、所得倍増政策で有名な池田勇人の時に復活する。

 そうして当時、勲一等が経団連、日本商工会議所といった財界のトップに大量にバラまかれた。勲章は戦後の経済至上主義の「錦の御旗」になったわけである。

 本来人間が持っている多様な価値観が、戦前のある時期から軍国主義に向ったように、戦後のある時期からは経済至上主義という唯一の価値観に向けられる。そこが日本人の強さでもあるし、恐さでもある。

 結局、偏差値教育に代表されるような競争社会の中で、大学も高校も産業・企業予備軍という形を取ったわけだから、皆われわれ自身が経済至上主義を底辺で支えていたというのが高度経済成長だったと思う。

 問題は勲章制度が復活されるときに明治時代のはじめに作った時代錯誤の28階級をそっくり復活させてしまったことである。

 時代錯誤の勲章制度と経済至上主義が重なるとどうなるかというと、本来個人的なものである勲章が、企業、あるいは業界自体のランキングになってしまう。企業、業界ぐるみの、巨大な組織的競争を勲章は引き起こしていったのである。

 結局、勲章の存在意義は、企業や業界とってはその格上げの手段であり、個人にとっては戦後の平等社会の中でのランキングになってしまっているようである。

 これにともなって、財界ではより高い受勲条件に見合うまで企業のトップが引退せず、居座るという「老団連」化も引き起こされている。もちろん、政界でも勲章はおおいに利用される。

 本来、勲章とは論功行賞するもので、例えば勲八等では、何十年も毎日掃除をして働いてきたおばさんの功労を賞するというあり方もありうる。また実質上、日本に限らず、ほとんど世界中の国に勲章があるように、為政者が国を治めようとする場合の権力の一つのあり方だと思う。だから、全否定してしまうのはおかしいし、難しいと思う。

 ただし、それが戦前のように、一つの階級になって、新たな差別構造になったり、それを助長するような方向に今あると思うので、それに対しては非常に否定的に捉えている。     (山本崇史)

(著書に『勲章の内幕』(現代教養文庫、1999年)があり、今回の発表はこれに基づいている。)