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国際身分制研究会研究会・学習会報告
2001年10月14日

部落差別の原理を考える

(報告)川元祥一(作家)

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 今回(第34回国際身分制研究会、2001年10月14日)の発表では、川元祥一(作家)さんに部落差別の原理について、自ら考えるところを報告して頂いた。興味を持たれた方は川元祥一著『部落差別を克服する思想』(解放出版社、2001年)をお読みいただきたい。

 部落差別が分かりにくい理由は3点あると考えている。(1)全ての差別は差異の固定から始まると考えるが、部落差別の場合はそれが何の差異に基づいてのかが分からないこと、(2)差別の原理がわからないこと、(3)最近、ケガレと部落差別の関係が注目されているが、その関係が正確に分析されていないということ、この3点である。そこで、これらの点を考慮しながら私なりに部落差別の原理は何かを考えてみたい。

 部落の歴史的仕事を概観すると、水番、山番、牢番、街道守、警備役、斃牛馬処理、皮細工、刑場の労役、神社・仏閣の浄めなどにまとめられるが、これらの仕事はすべてケガレに関係する仕事である。つまり、部落民の仕事とは、集約すればケガレを浄める「キヨメ役」だと言える。

 翻って考ると、「部落民」=「生まれながらのケガレた存在」という発想が部落差別の主要な要素であるが、よく引用される延喜式では、穢忌の期間は人が死んだ場合の30日間が最も長い期間である。

 したがって、そこには「生まれながらの」という発想はない。ケガレが部落差別の主要な要素であるのは、ケガレを避けるという忌穢意識とケガレが伝染するという触穢意識が観念的に連合された場合である。 部落民が「生まれながらのケガレた存在」とみなされるという事態は、触穢意識を考慮すれば、部落民がケガレに触れつづけていることを意味するはずである。ということは、先に述べた部落の歴史的仕事が固定化されたときが、部落差別の始まりだということになる。

 このように部落差別の原理を理解すると、同和教育においても部落を積極的に「キヨメという文明的装置」として評価することができる。また従来の「士・農・工・商・穢多・非人」という教え方も、職業的カテゴリーを通して「士・農・工・商・キヨメ役」というふうに教えればいいと言える。

 同和教育では部落だけ教えるというのではダメだと思う。部落がその周辺の農村や漁村との関係の中で、キヨメの装置として機能してきたことを、「生活文化地図」を作り上げて教えるべきだと思う。

 部落が何を作っていたか、材料をどのようにして仕入れたか、また農民が何を作っていたか、それぞれの人や商品がどのように関係を結んで生活してきたのか、その当時の生活のあり方を立体的に想像し、教えていけば、部落に対する偏見もなくしていけるだろうと思う。 (山本崇史)