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国際身分制研究会研究会・学習会報告
1999年09月15日
人類学からみた迷信・ケガレ・差別

(報告)小田 亮(成城大学)


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 報告者は文化人類学者として、「迷信」を再定義し、「迷信」(とりわけ、ケガレ)と差別が結びつくのか、という問題提起を行った。

 具体的な事例として、ロマ(「ジプシー」)のケガレと日本のケガレを取り上げ、比較を行った。ロマのケガレは、身体から何かを排出する行為(洗浄、排便等)であり、ロマの居住空間である馬車やトレーラー等では禁じられている。病院等もケガレた場所と認識されている。

 一方、日本人の手を洗うという行為が如何に「迷信」であるのか、これは世界の民族からみると例外的で、これこそケガレに基づいている行為であると指摘した。

 しかし、ケガレに基づく行為を比較検討すれば、日本の場合は衛生学上の根拠に基づいている違いがあり、このような近代科学、合理主義に基づくケガレは結局のところ、普遍性を帯びているので、押しつけになる。

 「迷信」は、そもそも、臨機応変で場当たり的な行為なので、放っておけば自然に、場当たり的合理主義ともいうべき原則が働き、うまく変化していくものであり、故に「迷信」に基づく「葬式帰りに塩で浄める」等は差別にそのまま繋がらない。

 逆に「迷信」を教育によって変えるべきものであるとすれば、近代科学・合理主義の危険性=植民地主義になる。

 ではなぜ、近代科学・合理主義が植民地主義になり、差別に繋がるのか。それには、人種理論と衛生学が重要な役割を果たしている。

 近代のケガレは人種理論や衛生学によって役割や負の観念を固定化させてしまう。その例として、植民地時代のインドカースト制で、国勢調査によってカーストを固定化させた例をあげた。これは、臨機応変で場当たり的なものを否定する近代国民国家の規律化による支配の技法である。

 近代の差別は「他者」と「人種化」=差別される人々の再生産と固定化にある。だからこそ、文化相対主義を擁護すべきであるとまとめた。

 尚、質疑応答で、報告全体の根拠が不十分との指摘や前近代でも「迷信」の永続・固定化の傾向はあったのではないか等の質問だ出たことを付け加えておく。

(伊藤)