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ヨーロッパにおける賤民
阿部謹也は、中世人はふたつの宇宙の中で生きていたという。ひとつは自然界の緒力を人間が制御している範囲内の小宇宙で、もうひとつはその外側に広がっている大宇宙である。一般民衆の意識は、大宇宙の要素とそれにかかわる人々は、畏怖の対象であり、異能の存在であった。
それはキリスト教が普及した12,3世紀以降、両宇宙の狭間の人間を賤視した。というのもキリスト教はふたつの宇宙の存在を否定し、ひとつの大宇宙の論理で、すべてを一元的に整序しようとしたためである。それにより、ふたつの宇宙の間に存在しえた異能力者が、賤視の対象へと変化していった。
キリスト教による宇宙の一元化は一方で差別を生んでいったが他方で差別を解消した。18,9世紀にはふたつの宇宙観がヨーロッパで消えていくにつれて、被差別民も消えていくことになる。
1215年のラテラノ公会議で伝統的賤視が消滅したといえる。しかし、新たな差別(非キリスト教、民族など)とその克服の出発点でもあった。
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インドにおける被差別民
バラモンは、『マヌ法典』(A.C.2〜B.D.2頃)により、カースト制度の根底にある宗教的・文化的生活規範を律し、その後のインド社会に決定的な影響力と役割をはたした。
カースト制度は諸集団の社会的役割を固定化し、それらの集団を階層秩序の中に位置づけることによって進んだ。また、カーストを支えた思想は、「浄性がきわめて低いと評価される生業に従事する集団を、不可触民(アウト・カースト)として排除する」ものであった。
「不可触」の民と言われるゆえんは、上記の生業の穢れが実体とされ、様々なレベルでの接触によって伝染し、汚穢をひきおこすからである。
指定カースト(SC)は、憲法上の要請に基づき一部の面で前進をみている。
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中国における「賤民」
国民的身分秩序としての良賤制は、北魏(439〜534)以後成立したという。中国の良賤制の特質は、賤身分が国家的身分として身分体系の中に組み込まれている点である。それを支えたのは儒教であり、特に『韓非子』の哲学が大きく投影している。
賤民制が解体したのは、制度・実態が大きく変化した清代であった。しかし、社会的レベルでの差別は依然として存続していた。