今回の報告は、グローバル化についてである。中でも経済のグローバル化である。これは、差別と人種主義を惹起する。この対抗戦略として、水平社宣言は再評価できる、というものである。
グローバル化には、3つの区分が可能であるという。第1にグローバル化とは、資本主義市場経済の全世界的拡大によって、政治、経済の規模が、地球規模へ移行することである。第2に、ネオリベラル・グローバル化である。これは、自由放任主義を徹底化させることによるグローバル化である。
国家が反ケインズ主義的政策によって、福祉政策を減らし、多国籍企業を重視する政策をとるからである。第3に、ネオリベラル・グローバル覇権である。ネオリベラル・グローバル覇権とは、上記の秩序を唯一の覇権国家が中心になり、展開することである。この展開は、各国の支配階級、新中間層等の支持によって、可能となる。
これらの、グローバル化の諸相は、次のようにして歴史的に形成されたという。
<1>ネオリベラル・グローバル化の経済・金融構想。これは、国際経済機構が、一切の規制を撤廃し、市場競争の原理を導入し、世界経済のグローバル化を徹底させることである。この時点で大競争による不満の捌け口として、人種主義の高揚が生まれる。
<2>グローバル覇権下の政治・軍事構想。覇権国を中心とした先進工業諸国は、上記の経済・金融政策を展開するために、不安定要因を取り除く必要がある。その協力体制として、グローバル覇権下の政治・軍事構想は成立する。
<3>グローバル文明の西欧中心主義。その覇権国の秩序は、西欧を中心とする。西欧を中心とした諸政策の展開は、近代西欧文明の終点とも言える。その結果、文明の衝突を引き起こし、文明相対主義の必要性を生むのである。
これに対する日本国家の対応は、「北」的立場からの対応である。不法労働の阻止、覇権国家の監視体制に協力しているからである。日本国内で、それを支える構造は、日本のグローバル国家主義と市民主義の結合にある。これは、排外的市民主義によって成立している。
それは、日本神国論による、マイノリティー抑圧と、江戸時代の鎖国を契機とする「和」、「同和」意識に起因している。そのため、日本にとって、ダーバン会議は、ネオリベラル・グローバル覇権の踏み絵でしかなかったのである。
かかる、グローバル化の下では、帰属を超える反差別大同団結が必要である。それには、水平社宣言を再評価すべきである。水平社宣言は共同社会を軽視する市民主義に対抗する意義がある。なぜなら、単なる個の解放ではなく、水平運動は、全世界の差別されている人々の解放を目指しているからである。よって、水平者宣言は、反グローバル覇権共同戦線の「神話」として評価すべきなのである。