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国際身分制研究会研究会・学習会報告
2003年3月22日
部落差別について考える
-日本中世史研究の視点から-

脇田晴子(滋賀県立大学)

 日本の部落差別は今日にいたるまでなぜ解消されずに残っているのかという問題について、報告者はこれまで中世の被差別民を部落差別の淵源であるとの認識から研究を続けてきた。中世の被差別民が担ったのは、人間と動物の「生老病死」の世話であり、それは人間や動物の存在には不可避的なものであり、もっとも大事なものであった。それを社会的に担わされていたのが被差別民であり、女性であった。そこにこそ差別の根源がある。

 被差別民は、中世社会のなかで形成され、それが近世社会にいたり固定化、強化されたと考えている。かつて部落差別の政治起源説がいわれたことがあったが、差別の契機、階級支配にもとづく差別の強化にはつながるが、それがそのまま差別の起源になるとは思えない。では宗教、地域、職業、人種が差別の起源になりうるかといえば、それも差別の契機、強化にはなるが、起源とはいえない。

 中世の被差別民については、その差別の中核をめぐって散所説や非人説などの議論があった。報告者は、これまでの非人説に加えて、仏教の殺生禁断思想によって「悪人」とされた穢多との双方で考えるべきであり、この穢多を中核にして、その周縁に同心円状に非人、散所非人(声聞師)が配置され、差別の構造が成立していると捉えている。

 では、中世の基本的支配体制と被差別民のあり方はどのようにとらえられるであろうか。中世社会は荘園公領制社会であるが、被差別民はその支配体制からはじき出された人びとであった。基本的なあり方は、まず共同体から貧困、身体障害、重病などのによって没落した人びとである。つぎに「化外の民」と呼ばれた漂泊民、非農業民である。つまり、庶民は領主に従属して、貢納をして土地所有などの権限を認められ、その奉仕と御恩との関係において村落や都市共同体を形成しているが、そうした関係から外れた人びとが差別の対象になったのである。

 中世領主への隷属度の強さから差別が生まれると考える見解もあるが、中世初期に体制から外れて差別されたのち、下級の差別されている仕事に携わらせるために、領主層が体制内に取込んで職掌人化したものであると考えている。

 また、不浄視・卑賤視の原因には、基本的には支配階級による輸入思想の展開に求めることができ、殺生禁断堕地獄思想、触穢思想、三世思想の三つを挙げることができる。ただし、それには受容の条件があった。

 最後に被差別民の身分解放(脱賤化)の問題である。日本中世は流動性のある社会であり、鎌倉後期以降、都市や村落共同体の成立によって差別の強化は進展したが、それは徐々に進行したため、被差別民の上昇転化の機会が存在していた。猿楽能の大和四座や穴太散所からでた石工集団の場合が著名である。

 中世社会のなかでは脱賤化への道が存在していたが、統一権力による近世社会の成立は、被差別民階層の形成や差別観などが政治的に固定化される。そして近世後期以降、そうした動きが都市から農村へ、また支配層から庶民層まで浸透していき、社会的差別が強くなっていくのである。それは女性差別の場合とも符合するのである。

(文責・崎谷裕樹)