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2004.11.16
部会・研究会活動 <身分制研究会>
 
第úL期国際身分制研究会報告書

国際身分制研究会編
 (A4版・167頁・実費頒価・2003年6月)

世界の身分制と職業に関する覚書
―良賤制を基軸として-

三宅正彦

  身分制は地域により、時代により、様々な姿で現れてくるけれども、良賤制という基軸を必ず伴うものであるというのが、私の見解です。良民と賤民の区別というのは、職業、居住、税負担の三つの点で、特色をもつと考えております。

  まず良民の方から見ていきます。職業の面では安定的な職業についています。安定的な職業は溯れば溯るほど農業に一本化します。居住の面では、立地条件の良いところに居住できます。税負担の面では、過重であります。

  これに対して、賤民身分は、職業の面では、安定的な職業から遠ざけられています。肉体的・精神的にハードで経済的には不安定な職業に囲い込まれています。居住の面では立地条件のよくないところに居住せざるをえません。税負担の面では、良民に比較して軽いのですが、これは重い税負担をかけることができないほど貧しいということと表裏一体です。

  これが、私なりの身分制の見方であります。こうした身分制理解を前提に、今回は世界の身分制について見ていきたいと思います。

朝鮮

  まず朝鮮の「衡平社主旨」について見ていきます。そこには「我々も朝鮮民族二千万の一分子であり、甲午年六月より、勅令によって白丁の称号を除かれ、平民となった我々である。/愛情をもって相互扶助し、生活の安定を図り、共同の存栄を期すべく、ここに四十余万が団結して、本社の目的であるその主旨を鮮明に標榜せんとするものである。」とあります。

  甲午年は、1894年です。朝鮮民族の二千万のうち四十余万が白丁であることがわかります。

  『愛国新聞』第20号(1924年9月11日)の「衡平運動/朝鮮の特殊部落民たる/白丁のなす水平運動」と題する記事のなかには、「朝鮮には由来三つの階級がある。それは両班階級と常民階級と白丁階級とである。両班階級は政治的権力も経済的権力もある階級であって常民階級は政治的権力はないが経済的地位を持つて居る階級で又白丁階級に至つては政治的にも経済的にも何もない真のプロレタリア階級である。そして白丁階級は季王朝九百年の間両班常民階級から人間扱をされなかつた。その迫害はたとへようもない悲惨なものであつた。その職業は奪はれその生活は常に脅かされて居た。そして皮革業や獣肉販売業を営んで今日に至った。」とあります。ここではいわゆる七賤民を除いて両班・常民・白丁の三つの階級にシンプル化しております。白丁は主として皮革業と獣肉販売業を営んでいるわけです。

  東亜日報の1925年12月18日付の記事「職業の均等を盟約 原州衡平社で」には、「江原道原州衡平社では先般の江原衡平社大会で決議された一般経済問題に対して考慮中であった。元来原州衡平社は社員が数百余名に達する関係上、社員の生活状態とそれに伴う職業が同一でなく、社員間にも差別感がなくはなかった。そのため去る八日午後七時に社員たちが社長金八用氏宅に会合して決議した結果、従来数人の社員の間で経営してきた獣肉販売業は彼ら少数分子の単独事業であるために、多数の失業者を出す原因となり、これは衡平精神に背馳するものであるとして、この席で牛肉、猪肉、牛血、屠夫、柳器の五組合を組織し、全社員三十一戸二百余名の職業の均等化と生活の安定をはかることによって社員団と運動に奮闘することを互いに盟約した。」とあります。衡平社に属するものとして、牛肉販売・猪肉(豚肉)販売・牛血販売・食肉処理・柳器販売の五つの職種があったことがわかります。

  次に白丁差別の現状を知るために「韓国『白丁』差別の今」(朝日新聞夕刊、1994年8月6日)という友永健三さんが書かれた記事を見ます。

  この六月、奈良市で開催した第十六回全国部落解放研究者集会に、大河小説『白丁(ペクチョン)』で著名な韓国の作家、鄭棟柱(チョンドンジュ)氏を招いて貴重な話をうかがうことができた。

  部落解放研究所が近年、韓国における被差別民衆・白丁に対する差別撤廃運動であった衡平社(ヒョンピョンサ)の歴史を学ぶ過程で鄭氏を招くことになったのであった。昨年四月、晋州(チンジュ)の慶尚(キョンサン)大学で開催された衡平社の創立七十周年を記念する国際学術会議の報告者の一人であった私は、白丁に対する結婚差別など、差別の現状についていくつかの質問をした。

  これに対して、鄭氏が、学術会議の直前に韓国文化放送(MBC)で報道した特集番組「韓国白丁たちの人権状況」のために、進行役として全国各地を巡って行った街頭インタビュー結果を、次のように報告した。

  「あなたの子どもの、またはあなた自身の結婚相手が白丁の出身者とわかった場合どうするか」という質問に、六十代、五十代の二十人全員が「反対(それも強硬な反対)」、四十代では六割が反対で、四割が「愛し合っているのなら認める」。三十代では三割が「考える」、五割が「問題ではない」、二割が「問題にすること自体が問題」と回答。二十代も三十代とほぼ同様で、三割が「考える」で、七割が「親を説得して結婚する」と回答した。

  韓国の白丁と類似した歴史をもつ日本の被差別部落出身者との結婚に関する同様の意識調査結果に示される「反対」の回答より厳しいのが目をひく。

  これはテレビで放映される街頭インタビューで聞いた結果でありますから、本音ではより厳しい結果が出ると思われます。なかでも、「六十代、五十代の二十人全員が『反対(それも強硬な反対)』」とありますが、六十代、五十代と言えば、結婚する当人たちの祖父母もしくは父母の世代にあたります。私は韓国の留学生の指導教官をしたことがありますが、韓国での家意識は日本よりはるかに強いものがあるようです。祖父母や父母が結婚を許さないという態度をとれば、当人同士が結婚することはきわめて困難になるのではないかと思います。講談社のモーニングコミックスの中に、韓国人の黄美那(ファン・ミナ)さんという人が書いた『李(イ)さんちの物語』という全四冊のマンガがあります。これを見ると、韓国の家の統制力、家父長の権力の強さがわかります。まさに戦争前の日本の家制度を彷彿させるような強さです。

  韓国の場合、歴史的な白丁差別が現在においてもなお存在していることが確認できると思います。


中国

  京都大学の東洋史の教授だった宮崎市定さんの『科挙史』(平凡社)を次に見ます。東洋史では京大系と東大系で、身分差別をめぐって非常に大きな意見の相違がありまして、京大系は内藤湖南以来、現在まで中国は宋の時代から自由な社会であり身分差別は存在しなかったという見解を貫いております。宮崎さんも一般論では同様の見解なのですが、具体論では科挙の歴史を扱う中で身分差別について触れているんです。ご承知のとおり、科挙とは中国前近代の国家公務員登用試験であります。各地方に学校がありまして、それに入学するための試験を学校試といいました。学校は授業をする場ではなく、定期試験のみを課するものです。科挙の受験者は、まず一番目の科挙の試験である県試から府試→院試→郷試→省試→殿試と受かっていかなければなりません。そして、覆試という、合格した者が本当に実力で受かったのかどうかを調べる試験が附属しています。

  さて、一応、この試験は男子ならば誰でもが受験できるわけですが、宮崎さんの『科挙史』によれば、「学校試に応ずるには特別の資格を要しない。ただ身分清白なるを要する。近世の中国には原則として階級的区別は存在せず、四民平等であるが、同時に幾多の賤業の存在を認め、この賤業従事する者を身分不清白とし、賤業を去りて三代を経過せざれば充分に清白とならぬので、万民の師表となるべき官吏に進む試験を受けることを許さぬ。いわゆる身分を不清白ならしむる賤業は次のごとくである。」というのです。「不清白」というのは、日本語で言う「ケガレ」であります。

  それで、ケガレのある者として次のような者を挙げています。<1>「奴僕」、<2>「娼優、」<3>「隷卒」。この隷卒というのは、役所の下級の下働きに従事する者のことで、主なものとして牢守、盗賊追捕、走り使い等の役に服するもので、役所によっていろんな名前で呼ばれています。

  それから<4>「中国特有の賤業」として、まず「山西・陜西の楽戸、江南の丐戸、浙江の惰民」を挙げますが、これは要するに民間の楽師であり、かつ葬儀の手伝い人であります。「広東の蛋民、浙江の九姓漁戸」、それからここには出て来ませんが、後で紹介する記事に出てくる福建省の「連家船民」、これらは要するに漁師のことです。

  これらの人々が「賤業」だとして科挙の試験を受けられず、差別されてきたわけです。宮崎さんは後の部分で、これだけは中国に階級制度の実在したことを認めざるを得ないと書いております。

  では、現代ではどういう状態でしょうか。アメリカの社会学者ジェイムズ・L・ワトソンさんがチームを作って香港と台湾の社会調査を行い、『中国の死の儀礼』(平凡社)という論文集を出しました。そのなかに収められたワトソンさんの「広東社会の葬儀専門職─穢れ、儀礼の実施、社会的階層」では、香港在住の広東出身者の調査をしています。そして、「私が広東の死の儀礼についてもっと深く徹底調査し始めた時に、これらの人々(葬儀専門職─三宅注)がなぜ社会的賤民であるのかが明らかになった。つまり彼らは死体を処理し、墓を掘り、棺を担ぐことによって生計を立てているからである。そのような人びとは死の汚染力に常にさらされる事によって永遠に穢れていると、村人達は信じている。したがって死穢が不注意な者に移されないよう、彼らとのいかなる社会的な交渉(身体、言葉、あるいは視角による)も避けられねばならない」と書いています。

  蛋民については、可児弘明さんの『香港の水上居住民』(岩波新書)の中で発表されたものが詳しいと思います。この研究会でも三年前可児さんの発表を拝聴しました。さて、可児さんは本の中で「船上生活者の割合は陸上に住む中国人にくらべて格段と低い。香港でいえば1911年に総人口の13.5パーセントを占めたのが最高であって、1931年には8.3パーセント、最近では4パーセント以下である。逆に少数集団であり、部分社会なのである。そして陸上と水上社会は、これまで常に差別、被差別の関係に立って一千年間を推移してきた。」というふうに言っておられます。この前のご報告では、最近、香港に行かれて蛋民の船を探したけれども、わずか2、3隻しかなかった。皆陸上にあがって漁師以外の仕事についた。しかし元蛋民であることが分かると差別されるので、極力それを隠しているということでした。

  本の中で、「船上生活者にたいする差別は、陸上との通婚禁止、陸上住居の禁止を主な内容とするものであった。陸上との通婚が妨げられたため、船上生活者相互で結婚しあうことが行なわれたが、これはインドのカーストにあらわされるような身分的内婚の制度といってよい。さらに陸上に土地家屋を所有して居住したり、陸上で就職したりすることが禁じられたから、教育、衛生その他の社会的給付をうけることもできなかった。」というふうに指摘されています。

  連家船民については、1999年11月2日の『朝日新聞』朝刊の記事「『船民』、漂泊の日々に別れ」に、次のようなショッキングな記事が載っております。

  先祖代々、船上生活をしてきた中国・福建省東部の「連家船民」と呼ばれる人々が、来年初めまでに完全に姿を消すことになった。中国政府が進める貧困救済政策の一環で、全世帯に土地が与えられ、陸に上がっての生活が始まる。最貧困層と言われ、結婚などで深刻な差別を受け続けてきた人々は今、浜辺に出来た新築の家で、養殖業による新たな生活を始めようとしていた。

  ということは、すでに革命後何十年も経つのに、1999年まで政府は連家船民が船上で生活して、陸上に上がることができないという事態を放置していたわけです。だから政治的身分としての差別は、中国の憲法で廃止されているはずですけども、社会的差別は続いているわけです。続けて記事を見ます。

  台湾海峡に面した同省東部の寧徳地区ショウ湾鎮。入り組んだ入り江に長さ五メートルほどの小さな船が百以上も漂っている。家族五、六人が一つの船で身を寄せ合って、一日の大半を船上で暮らす。漁で生計を立てる家業が継がれてきたが、学校に行けない子供は多い。先祖の多くは中国の戦乱の歴史の中、各地を追われて、流れてきた人々だ。

  同省政府は一億六千万元(約二十二億円)を投資、約六万七千人の船上生活者に対する土地の無料提供に踏み切った。陸に定住できるように養殖業を起こし、家の建築に補助金を与えた。昨年末で三千六百七十六戸、一万六千七百六人の船上生活者が残っていたが、来年二月の旧正月までには全員が海上での漂泊の日々に別れを告げ、陸に定住する。

  建築中のレンガ造りの自宅の前で、連風釵さん(二六)は「波や風におびえて夜中に何度も目を覚ます生活から解放され夢のようだ。子どもも学校に行ける」と話した。

  連家船民の人々が陸上に上がるような事態になりましても、果して本当に差別がなくなるのであろうかというと、社会的差別はなお続くのではないかという危惧を持たざるをえません。


インド

  次に『マヌの法典』(田辺繁子訳、岩波文庫)をみていきたいと思います。ご承知のように『マヌの法典』は今から約二千年前にインドの支配民族アーリア族で作られたものだそうです。第一章につぎのように記されています。

  八七 而して、大なる威光を有する彼は、この全創造物を保護せんがために、彼の口、腕、腿、及び足より出でたるもの(即ち、バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ)に、各々業(義務)を定めたり。

  八八 バラモンには(ヴェーダ)úヘ授と學習、自己又は他人のための行祭、布施を與へ、又受くることを定めたり。

  八九 クシャトリヤには、人民の保護、施與、供犧、(ヴェーダの)學習、及び感覺的對象に對する無執著を指定せり。

  九〇 ヴァイシャには、牧畜、施與、供犧、(ヴェーダの)學習、商業、金錢の貸與、及び土地の耕作を指定せり。

  九一 されど主宰û~は、これらの(他の)三種姓に甘んじて奉仕すべき唯一の職能を、シュードラに命じたり。

  バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャがいわゆる再生族であるのに対して、シュードラは一生族であるとされます。第十章につぎのように記されています。

  一三 ヴァイシャ、クシャトリヤ及び、バラモンの女によりてシュードラより(それぞれ)アーヨガヴァ、クシャットリ及び、人の最下級のものたるチャーンダーラ生る。これらは、種姓の混亂より生ぜるものなり。

  「アーヨガヴァ」、「クシャットリ」については、注がついていませんので賤民身分なのでしょうか、はっきりしたことは分かりません。

  一六 シュードラよりは逆の順序に從ひて(より高き階級の女より)三つの低き生れの息子アーバサダ生る。即ち、アーヨガヴァ、クシャットリ、及び人類中の最も下級なるものたるチャーンダーラ生る。

  バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ、および「最下級」とされるチャーンダーラの五つの身分が、前近代のインドの基本身分であったということです。

  『朝日新聞』(1997年5月11日)の記事「『しにせ』衰退で多極化」に、現在の政治的勢力の支持層と、ブラーマン(バラモン)、クシャトリア、バイシャ、シュードラ、及びハリジャン(チャンダーラ)といったカースト構造がどう対応しているかが載っておりますが、そこから各カーストの人口比がわかります。ブラーマン(バラモン)が7パーセント、クシャトリアが7パーセント、ヴァイシャが6パーセント、シュードラが55パーセント、ハリジャンが25パーセント。したがって、インドでも前近代の身分制が現代においても維持されていることは明白であります。


チベット

  次に河口慧海さんの『チベット旅行記』(講談社学術文庫)を見ていきます。彼がチベットに経典を収集するために潜入したのは、1900年でありまして、当時チベットは中国人以外の者には鎖国をしておりました。そこでまず彼は中国に入って中国語を学び、それからチベットに潜入し、医者をしながら人々の信用を集め、チベット密教の勉強を行いました。最後は国籍が露見するんですけども、多数の経典を収集するわけであります。そこでの見聞を書いたものが『チベット旅行記』でありまして、この中で彼はチベット社会についての考察をしております。

  この本でチベットの貴族(華族)階級として、ゲルバ、ンガクバ、ボンボ、シェーゴという4つの種類を挙げております。彼はこのような貴族階級について、「普通から言えば非常な金持であるべき筈であるに非常に貧乏人が多い。ンガクバといえばチベットでは貧乏に限ったように思われて居るけれども、またンガクバといえば貧富に拘わらず最も敬わなくてはならんもののように一般人民が思うて居る」と指摘しています。

  それから、「チベットではこれよりも下の種族即ち平民あるいは最下族がどれだけ金を持ちどれだけ社会に勢力を得るに至っても、決してこの古豪族の貧乏人に対しては威張ることが出来ない。」とも指摘しています。つまり、明らかにチベットは身分制社会なわけです。

  チベットで平民は「トムバ」と言われていまして、この「トムバ」も狭義の「トムバ」と「トムズー」の二つに分かれるということです。狭義の「トムバ」が良民で、「トムズー」が賤民であります。このトムズーがどのような職種に封じ込まれているかと申しますと、「渡船者、漁師、鍛冶屋、屠者の四つで、これらの中でも渡船者と漁師は少しく地位が高い。決して鍛冶屋と屠者のようではない」ということです。

  この鍛冶屋と屠者とは他の平民とは決して一室内にて共に飲食することが出来ません。渡船者、漁師もその飲食器を共にして喰うことは出来んけれども一室内に団坐して飲食することが出来る。ただ自分の椀で自分の物を喰うというに止まる。この四つの最下族は決して他の種族と結婚することが出来ない。もし平民以上の種族の子供がこれらの最下族の者と野合するような事があった時分には、その上等種族の子供はただ階級から退けられて最下族に陥らなければならぬ。

  この最下族中の鍛冶屋とか屠者などが金を拵えてその商売を罷め、農業あるいは商業をするようになりましても、彼らは永久に最下族として決して普通社会の交際を受けることが出来ない。しかし他の上等種族で鍛冶屋の技に巧妙な者があって、自ら好んで鍛冶業をする時分には、その血統が悪いのではなくただ技が巧妙であるのですから、これをリク・ソー(工士)といいます。

  ここに身分と職業の関係が直接にあらわされているわけであります。差別する原因というのはその職業ではなくて、その身分によるわけです。良民が鍛冶業をしても差別されない。ところが鍛冶屋が鍛冶業をすれば差別されるし、また鍛冶業をやめて農業や商業に転向してもなお差別は続けられるわけです。おそらく、この1900年代のチベットというのは18世紀、19世紀のそのまま状態であったのでしょう。

  さて、それから後もチベットに入って調査した人がいるのですが、その中で一人、青木文教さんの『西蔵遊記』を見ておきます。ただし、残念ながら『西蔵遊記』そのものは手に入らなかったので、それを再編集した『秘密国チベット』(芙蓉書房)で見ておきます。

  文成公主の庵の跡から東に向いラッサの北東の隅に当れるミンルーの石橋を渡ると界環路は南に折れて市街の中に入る。ただし環路の左側はラッサ界外として市内には編入せられていない。もとはほとんど草原であったところへ支那人が多く入り込んでから屠殺を業とするものが殖えたが、界環内に居住することができないので、この付近に特殊部落を形造ったものである。この部落に沿える環路を通る時、不快の感ずるのはヤクの角で牆壁を築いた屠殺場でヤクが屠られている現象を目撃することである。(「支那人」「特殊部落」は原文のまま)

  先ほどの河口慧海さんの表現で言えば「屠者」、その具体的な描写がここでなされています。

  その後、チベットはどうなったかということについては、川喜田二郎さんが調査団を率いてチベットに行っております。彼は、詳細な大部な報告書を提出しているわけですが、それは残念ながら未見であります。ただ、彼はやや随筆風に『鳥葬の国』(講談社学術文庫)という本を書いております。

  では現在のチベットはどうかというと、現在日本にいてチベット文化研究所長をしているペマ・ギャルポさんという人の書いた記事「チベット民族の嘆き」が2000年4月6日の『中日新聞』夕刊に載っております。そこで、チベット社会が現在「百二十万人もの人々が犠牲になり、現在も六百人以上の政治犯が獄中生活を強いられ、そのなかにはダライ・ラマ法王が認知した少年バンチェン・ラマが、世界最年少の政治犯として囚われの身になっている」と書いております。非常な不正常状態にあるようで、現時点でチベットで身分制がどうなっているかということは分かりません。


ヨーロッパ

  次にヨーロッパの身分制ですが、藤田幸一郎さんの『手工業の名誉と遍歴職人』(未来社)から中世ヨーロッパ社会で差別を受けた人々を紹介します。

  1. 共同体に属さない異端者
    大道芸人、乞食、浮浪者、盗賊、ジプシー、宗教的異端、異教徒、ヴェンド人(スラブ人)
  2. 共同体とその住民に奉仕する下級吏員と職業
    1. 治安維持機構の下級吏員
      死刑執行人、裁判所下僕、都市下僕、裁判所番人、門番、森林番人、耕地番人、夜警、乞食取締り人
    2. 公共サービスに従事する職業
      墓堀人、道路、河川・下水清掃夫、皮はぎ人、製粉屋、羊飼い、れんが製造工、陶工、風呂屋、床屋
  3. その他
    麻織布工

  さらに、婚外児が名誉なき者として賤民として扱われておりました。

  それでは、現在において身分制はどうなっているかというと、そうしたことを研究した本がまったくない状態で、やっと見つけたのが一昨年出版された渡辺幸一さんの『イエロー』(栄光出版)という本です。彼は商社マンなんですが、イギリスへ行って日常の差別の中で苛まれてきた体験記です。ヨーロッパへ行った人はおそらくこの人と同じような差別観を持たれて帰ってきたはずなのにあまり話を聞きません。

  階級制度があれば、そこに差別意識が生まれるのは、また自然の成り行きである。それが、イギリスで黒人や東洋人に対して、差別が横行する一因と言えなくもない。

  ところで、イギリスにおける上流階級の定義は何かとある人に聞くと、「厳密に言えば良い家系と財力の両方を兼ね備えている階級」と言う。
  「それでは、一代でバージン航空などバージン・グループを築いたリチャード・ブランソンのような人は上流階級か」
  「彼はビジネスでの大成功者に過ぎない。誇るべき血統というものがないから、中流階級の上というところかな」

  ただし、別のイギリス人によれば「血統こそが問題なのであり、財力は特に問題ではない」とのことであった。いずれにしても、由緒ある家系こそが、上流階級であることの絶対条件であるようだ。

  私は、ここで彼がいう階級制度は身分制度だと思います。血統によって人を階層区分するのは、身分制の徴表です。とすると、このようなヨーロッパで刑吏や皮剥ぎ人の子孫に対して差別がないというのは私には信じ難いのです。「良い家系」の対極は、「賤しい家系」なのですから。