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2004.11.16
部会・研究会活動 <身分制研究会>
 
第úL期国際身分制研究会報告書

国際身分制研究会編
 (A4版・167頁・実費頒価・2003年6月)

部落差別の原理を考える
-忌穢・触穢と職業の固定-

川元祥一

I はじめに

 最近出版した私の『部落差別を克服する思想』(解放出版社、2001年)をもとに話をすすめてゆくことになります。部落差別を克服する思想というと、大げさな感じがするんですが、他に適当な言い方がなくてこのようになっています。部落問題を考える中で、今日でもわからないことが多くあると思います。その分からない理由には三つぐらいの大きな理由があると私は考えております。

 それはまず、差別の祖型、つまり部落差別は何の差異にもとづいているかが分からないということだと思います。普通、人種差別にしろ身体障害者への差別にしろその差別の祖型ははっきりしております。すべての差別は差異の固定化から始まると言われますが、部落差別の場合は何の差異にもとづいているかが分からないということです。もう一つは、なぜ差別があるのか、差別の観念的な原理がわからない。それから最後に、ケガレと差別という課題がありますが、その関係が正確に分析されていないということ、この三つが部落問題が分からない原因だと思っています。それでこれらの点を、可能な限りはっきりさせてみたいと思っています。

 そこで、私のアプローチの仕方をまず述べておきますと、部落問題というのは、その歴史的な性格上やはり政治的な問題として扱われることが多かったと思いますが、私の場合は、文化面からそれを見ていきたいと思っています。それから、人権問題として差別を克服するという動きが、国際的にも大きな流れになってきております。これは大事な事です。ただし、普遍的な人権意識を手掛かりにしながらも、私自身は主体的に部落問題の内側からどう克服していくかが重要だと思っています。それから、ずいぶん以前から言ってきたことですが、私は差別だけでなくそれを歴史的な関係性の内にみることも重要だと思っています。

II.基本的認識──人の存在・個性はその仕事から

 私はどんな人間でも、その人の存在とか個性とか文化的体質というものを見ていくには、いろんな見方があると思いますが、よく分からないときは、何を仕事にしてきたかを見ることから始めています。何を仕事としてきたかだけで良いとは思わないし、全てだとは思いませんが、何も手掛かりがないときは非常に良い基盤になると思います。

 それで、部落の歴史的仕事をまず見ていきます。歴史的には「役」「御用」とか「役目」とかいう言葉で言われている仕事ですが、例えば、私は次のように大雑把に分類しております。

 つまり、水番、山番、牢番、街道守、警備役、斃牛馬処理、皮細工、刑場の労役、神社・仏閣の浄めなどです。芸能の関係の仕事が入っていないと思われるかもしれませんが、私はそれは神社仏閣の浄めのなかに入れて考えております。もちろん、他にもまとめ方はあるだろうし、あるべきだと思いますが、私の場合はこのように考えているわけです。またその他、生きるために、その日その日の日銭を稼ぐための仕事を「生業」とするならば、この中には生業は含まれていません。政治的、制度的に規制された役割のみです。これらの役割を具体的に地域史の中で証明したのが本の70頁から75頁に書いておりますので参考にしていただければ幸いです。こうしたまとめ方で最もポピュラーなものが、中尾健次さんの『江戸社会と弾左衛門』が詳しく分析していますが、弾左衛門が幕府に提出した享保年間の「御役目相勤候覚」というものです。そこには水番・山番・神社仏閣の浄めがありませんが、全国的にはそれらもよく知られています。

 でこれらの仕事をさらにまとめると、次のようにまとめられると思います。

  1. 警察機構(危機管理機構)として民衆の安全を守った。
  2. 具体的浄めとして解剖医学、太鼓の文化など生活文化を作った。
  3. 精神的浄めとして祭りの先導、浄め(掃除など)を行なった。

  これらの具体的な役割を基盤にして考えると、部落問題はアプローチしやすくなると思います。最初にいった部落問題が分からない三つの原因も、これを基盤にして考えていくと解けると思っています。

 しかもこれらの仕事はすべてケガレに関係する仕事です。そこでケガレとは何かがポイントになってくるわけです。文化人類学者の波平恵美子さんの『ケガレの構造』という本があります。ケガレの分類や分析は、ずいぶん人によって違うものだ、と日頃思っていますが、この波平さんのケガレ観が最も適当だと私は思っていまです。しかし、それでも曖昧な部分があります。

 参考に言いますと、波平さんは、ケガレを、特殊で異常なもの、不浄、穢れたもの、邪悪なもの、罪、不幸、不運。死、病気、怪我、災難など。そして、広義の意味での神聖なもの。これは具体的にはケガレを清める道具、例えば竹や榊などのことを指すと思います。しかし、ケガレの分析で、穢れたものを入れるのではあいまいさがあります。

 そこで私はケガレを三つに分けて考えます。<1>動物や人の病気・怪我・出血・死。<2>自然の天変地異。<3>一定の規範を破るもの。この三つだと思います。そうすると、先に挙げた仕事はすべてケガレという現象に対して何かの形で対処する、それを浄める仕事と考えられるわけです。浄めるというのがどういうことかというのは、民俗学の宮田登さんがおっしゃっていることが正しいと私は思っています。つまり、具体的なケガレの処置、あるいは社会的に精神的にケガレを正常なものに回復・再生することだと思います。こうした点を私は部落問題を考える上で基本的に認識しておくべきだと思っています。

III.部落差別の原理

 江戸時代の穢多身分に話を絞ることになります。仕事のうえで非人身分は穢多身分の補助的機能を果たしたと思っています。穢多が、江戸時代の初期から中期にかけて、文献的には生まれながらのケガレ、生来のケガレという発想が見受けられる。ケガレを分類する学者の中には、部落民自体がケガレであったのだから、波平さんのケガレの分類はそれが足りないという学者がおります。前から私はこのことに疑問をもっていました。なぜ部落民がケガレた存在になったのかが分からなかった。しかし、部落民が生来のケガレだったという発想そのものが制度的なものだという仮説をおいた方が分かりやすいと思ってきたわけです。

 波平さんの分類からするとケガレという現象自体は人間も自然も含めて、必ずどこかで発生しているものです。しかし、この分類からしても生まれながらにしてケガレた人がいるという考え方は、おかしいわけです。どんな人でも、その人の全存在がケガレであるとする発想は、やはり的確でない。したがって、そのような発想が制度的であるとするのが正しいと思います。

 そうすると、部落民が生まれながらケガレであるという発想・制度がどうして出来たかという疑問が湧きます。この疑問は別に私だけが持っている疑問ではなくて、中世史や近世史の学者の多くが持っている疑問だと思います。例えば、触穢意識についての論考などでよく言及されます。私も、触穢意識によって、部落民をケガレた存在と考えるようになったと思います。つまり、ケガレに触れるとその人もケガレるという発想です。指摘する人はけっこういます。しかし、他の観念などをこの触穢意識を差別の原理と集約した形で論考されることはあまりなかったと思います。

 部落民が生まれながらのケガレであるというのが、触穢意識によるとして、じゃあなぜそれが差別になるのかという疑問も当然湧いてきます。その答はケガレを避ける意識、つまり忌穢意識が働いて差別になると考えられます。したがって、人間の全存在を排除する差別は、忌穢意識と触穢意識、この二つが部落差別の観念的原理として不可欠な要素だと思います。一方だけではダメで、両方を取り上げないと分析は出来ない。私はこれを「忌穢」と「触穢意識」の観念連合と呼んでおります。

 「忌穢」と「触穢意識」の観念連合と考えていくと差別の原理が比較的分かりやすくなると思います。この二つの観念がいつから始まったか。おそらく忌穢意識も触穢意識も縄文時代から、あるいはもっと前からあったと思いますが、ただそれを政治的制度としてきっちりと確立したのは、よく引用されますが延喜式だと思います。

 延喜式において、忌穢は「穢忌」と表現されていますが、これら「忌穢」と「触穢意識」の二つが一体として観念連合となり、初めて部落差別に結びつくという考え方は、これまで意外となかったわけです。じゃあ、延喜式が部落差別の始まりなのかというと、そうじゃないわけです。例えば延喜式の穢忌の期間は人が死んだら30日間、生れたら7日間、家畜が死んだら5日間といったふうに書かれていますが、この穢忌の期間は長くても最高30日間なんですね。このことと、生まれながらのケガレという発想は、合わないわけです。だから、観念連合によって部落差別ができたという私の説を証明する史料にはならないわけで、厳密にいうと私の説は仮説であります。

 しかし、生涯ケガレた存在という発想は、生涯ケガレに触れつづけることを意味していると思うわけです。ずっとケガレに触れつづけるという事態は、最初に言った仕事あるいは役割が固定する時期だと思います。この固定化の時期が部落差別が始まる時期だとすれば、部落差別の習俗説は間違いだと思います。ただ単に、政治起源説というと、大雑把な政治起源説がこれまでありましたので、私はそう言いたくありませんが、制度的なものであることは確かだと思います。

 この制度がいつ始まったかについて、網野善彦さんは、戦国時代に何か大きな変化があったのだろうと言っております。彼がそういう風に言う背景には、ケガレに触れる仕事も中世にはあるわけだけども、その従事者は職人として捉えられるものだという考えで、私もその方がいいと思うわけです。つまり、これまで中世的差別と、近世的差別がごっちゃになっていましたが、中世は私の言葉でいうと差異の世界というべきだと思います。例えば、親鸞を引用して、石、河原、礫のごとき我等なりとか、悪人正機なんかが、部落差別を見たうえでの考えと言われてきたと思いますが、彼が見たのは部落差別とは違う、差異の世界だと言いたい。

 しかし、一方で東大の石井進さんは、鎌倉幕府の八幡宮で浄めの仕事をしていた犬神人の流れと、近世の穢多・非人のつながりを『鎌倉御家人制の研究』という本の中で書いています。彼はそこに職業的なつながりを見ています。つまり、警備役とか警固役などの警察機構が、鎌倉時代の犬神人から近世の穢多・非人までつながっている。したがって、彼は継続した部落の歴史として鎌倉時代の犬神人まで見ているわけです。ただし、彼は差別の質の違いを見ていないと思います。中世と近世の差別の違い、私はこれを差異と差別の違いと考えるべきと思いますが、これは多くの学者が指摘しているところであり、私は網野さんの考えが正しいと思っています。

 先に述べた部落の歴史的仕事の全てが同時に固定化されたかどうかわかりません。しかし、ケガレを再生処理する仕事が、身分的に固定した時期が部落形成史の始まりと考えたいと思っています。

 ところで、触穢意識自体はすくなくとも日本に独特のものではありません。触穢意識とは言わずに感染呪術と言いますが。ジャームス・フレーザーという20世紀初頭のイギリスの文化人類学者の書いた本で、『金枝篇』という有名な本があります。『金枝篇』は世界中、と言っても主にイギリスの植民地、そしてそれを基盤にしながら世界各地のキリスト教以前の呪術の世界を網羅的に扱ったものです。彼はこの本の中で世界中の呪術の原理を次のように言っております。

 呪術の基礎をなしている思考を分析すれば、それは次の二点に要約されるもののようである。第一は、類似は類似を生む、あるいは結果はその原因に似る。第二に、かつてたがいに接触していたものは、物理的な接触のやんだ後までも、なお空間を距てて相互的作用を継続する。前の原理を類似の法則といい、後者を接触の法則また感染の法則ということができるであろう。

 フレイザーの考えはその後人類学者によって批判や修正がありますが、この法則の分類は認められていると思います。ただ、フレーザーの考え方、呪術が遅れたもの、未開のものという考え方は否定されています。彼は呪術よりも優れたものとして、キリスト教を持ち上げ、ある意味では植民地化を正当化していたわけです。もっとも、純粋な宗教的意味では、呪術から教学宗教への進展はあったと私は思います。

 第二の感染の法則が、触穢意識に当たると思いますが、第一の類似の法則による呪術も日本にはものすごくたくさんあって、例えば、大阪でよく知られている春駒は、養蚕技術を人間の幸福や作物の豊穣に類似させた類似の法則によって成り立っている門付芸だと言えます。万歳は家寿とも言われますが、これも堅牢な家と人間の健康・幸を類似させたものです。ですからどちらの法則も部落問題を考える上で重要なので、それぞれの地域で現代的に変革したり、新しく展開してもらいたいと思っています。こうした文化に注目することで、天皇制とは違った文化・価値観を部落問題が提示できると私は思っています。

 触穢意識とは、感染呪術のことだと言えますが、この感染呪術が克服された国はいくつもあるわけです。触穢意識を構成要素としてもつ部落差別を克服していくために、そうした世界史を振り返ることも重要だと思われます。

IV.部落差別の祖型=差異

 全ての差別は差異の固定から始まる、つまり差異の制度的・社会的固定化によって差異が差別になる。これは構造主義の中で、多くの事例をあげながら言われていることだと思います。その固定化の時の差異が、部落問題においては何なのか、ということが分かりにくかったわけです。これまで職業起源説や習俗起源説、人種起源説などいろいろありましたが、それはその差異をよく把握していなかったことに因っていると思います。

 これを改めて、これまで見てきた部落が歴史的に担ってきた仕事に関連させると一定のものが見えてきます。古代も中世も、これらの仕事への偏見・排除はあり、「忌穢」も「触穢」もありました。しかし、これらの仕事が一定の身分の者に固定化されることによって、触穢意識が固定化される、と見ていくと部落差別の祖型が改めて分かってくると思います。一つはケガレを浄めるキヨメ役として、部落民の仕事は全て位置づけることができるということ。そしてこのキヨメ役が固定化されることによって触穢意識が固定化されるということ。したがって、この観点から言えば、部落差別は職業起源説と言えると思います。とはいえ、従来の職業起源説とは違います。従来のそれは屠畜や皮革業あるいは肉食業を重視して言われたようなものです。私のいう職業とは、さきほどいったように、「役割」「御用」と呼ばれていたもので、つまりまとめて言えば、キヨメ役です。

V.文化的存在としての部落-部落学

 全国の部落は、江戸時代の穢多・非人や雑種賤民も含めて、文明的存在だったと考えます。ここで言う文明とは何かと言いますと、梅棹忠夫さんが言っていることを参考に、文明とは、自然と人間の間にあって、人間の側にあるすべての道具・装置・制度など、あるいはすべてのシステムである。文化はそのなかで価値を現す、と言えます。このように考えると、部落の歴史は自然や社会の破壊的部分にふれて文明・文化を創ったことになります。

 私は十年ぐらい前筑波大学で講師をし、最近は立教大学で教えています。立教では「人権とマイノリティー」という講義でやってくれと言われたので、一度、私は渋ったわけです。人権で部落問題を考えることは非常に大切なんですが、それだけでは済まないだろうと。しばらく大学側がいうテーマで講義しながら、自分は何がしたいのか考えました。それで、2001年から「部落学」というテーマで講義を始めました。

 この試みはこれまでの同和教育に、ある程度問題提起できると思っています。大学での講義でレポートを書かせた経験からいうと、ほとんど学生が、部落差別の厳しさがよくわかりましたとか、差別がなくなるよう頑張ります、などと書きます。しかし、そんなことを私は一言も講義で言っていない。なのにそのようなステレオタイプなことを書いてくるのです。それが彼らが受けてきた同和教育のすべてかどうか、断定はできないけども、そうしたことを学んだのじゃないかと思うわけです。そこで私は、部落が果たした建設的な役割や仕事を教えようと考えて、部落学という講義を始めました。その講義で、私が最初に学生に言うのは、部落とは文明的存在だということです。さきほどから部落の歴史的職業はキヨメだといってきたことで分かると思いますが、部落はキヨメという文明的装置だと思っています。もちろん、キヨメと言っても歴史の上の天皇や今の神官までいろいろあるので、部落だけに限らないわけですが、天皇や神官は言葉だけの儀式ですが、部落は具体的なキヨメです。そうした部落のキヨメが文明的装置であると思うわけです。

 具体的部落が築いてきた文明は、ケガレ、大きく言えばカオスに触れながらそれを再生・リサイクルする文明だと言えます。

 文化について言えば、文化が価値だと言われれば、和太鼓というのは価値だと言えるわけです。太鼓は世界中に幾らでもある。でも、最近は国際的に和太鼓が人気となっています。和太鼓がもつ音や形が、価値を伴っている。つまり、太鼓という一つの類型のなかで、部落が作ってきた和太鼓が他の太鼓と違う価値をもっているということが言えます。そういう意味で、部落は価値を作ってきたと私は言っています。こうした観点から、和太鼓をはじめリサイクル文化を、どのように行われ、どのような特徴をもっていたか、ということを大学で教えています。

 部落が文明的存在であり装置であるという私の見方について、アメリカの北イリノイ大学の先生が、これで日本文化論の本当のところが見えるかもしれない、日本人の深層心理がわかるかもしれないと言っています。今後、彼は自分でこの観点から研究すると言っておりました。私との共同研究もすすめたいといってくれていますので、その時名前を発表します。

 今村仁司さんが『排除の構造』という本の中で、ケガレが恐ろしいので、それを避けようとして、人は秩序をつくる、だから差別はなくならないということを言っておりますが、一方で、人類はケガレ=カオスに触れたからこそ、医学、自然科学など、科学や文明を作ったということをちゃんと認識すべきだと思います。怖いからこそ、誰かがそれに触れて克服しようとして、例えば医学という文明を発達させ、病院という機関、文明的装置を作ってきたのは常識です。

VI.部落問題と職業的カテゴリー -周辺社会との関係を描く-

 私は江戸時代の身分呼称を書き直したり、言い直すという発想はありません。ただ、現在それをわれわれがどう考えるか、どう認識するかと言った場合に、必ずしも歴史に忠実である必要はないと思っています。そうした意味で現代的認識として、私は身分呼称についても改めて現代的に考えます。

 最近の小学校の歴史の教科書には、杉田玄白が『解体新書』を書き上げる過程で、解剖に協力した人が、穢多身分とまでは書いていませんが、きびしく差別された人たちだったと書かれています。その教科書を使って学校の先生がどのように生徒に教えるかを、二三の学校で授業参観して見ました。僕が良いと思う授業は、そこで穢多・非人という言葉を使っていました。

 ただ、授業として教室の中では、それは正解ですが、それを聞いた生徒が外に持ち帰ったときに、授業中と同じような雰囲気で穢多とか非人という言葉を使えるかというと、僕は疑問に思うわけです。穢多・非人という言葉が差別的な遊戯に使われるということも聞かれます。そうした現状で、この呼称をうまく説明するにはどうすればいいかということを考えるわけです。

 江戸時代の身分呼称は、士・農・工・商・穢多・非人・雑種賤民といわれました。最近はこの呼称が居住地で呼ばれたりしますが、その正否は歴史学の中で議論すればよいでしょう。しかし、士・農・工・商は職業的カテゴリーをもっているので、私はこのカテゴリーを重視したい。そこで、まず第一義的に江戸時代の部落の職業的カテゴリーを「キヨメ役」と呼びます。これまでの身分呼称も士・農・工・商までは職業的カテゴリーですが、穢多・非人になるとカテゴリーが変わってしまう。何のカテゴリーかわからなくなる。だから士・農・工・商まで職業的カテゴリーを通したならば、最期まで職業的カテゴリーで呼ぶべきだと私は思うんです。いろんなところで提案しているわけですが、「士・農・工・商・キヨメ役」というふうに呼べばよいと思います。史料的に見ても、13世紀の『塵袋』で、「キヨメヲエタト云フハ何ナル詞ハソ」と言っているわけです。本来「エタ」は「キヨメ」と呼ばれていたわけですから、まったく根拠のない発想ではないと思います。そこで、さきほどの教科書を教える場合、キヨメ役が解剖に協力したと教えれば、そう混乱なく先生たちも教えることができると思うんです。教科書にもそのように書けばいいと思います。必要ならカッコをつけて「キヨメ役(穢多)」又は(非人)とすればよいのです。雑種賤民の職業的カテゴリーは「諸芸」でよいと思います。

 もうひとつ提案をしたいと思います。私は「生活文化地図」を描いて、同和教育に役立てるべきという提案をしています。例えば、古地図には農村もあれば、漁村もある、穢多村もあれば非人の村も描かれている。それを通して、部落と周辺社会がどのような社会的関係の中で、それぞれの生活を営んできたのか、そういったことを教えるべきだと思うんです。これまで見てきた部落の歴史的な仕事は、部落だけでは成り立たない、周辺社会との関係性や協力のなかにあります。相互の関係性で成り立つものです。差別だけを教えるのはなく、人々の生活のうえの相互の関係・協力を具体的に描き、教えるべきだと思います。部落だけ教えるというのではなくて、総合的に農村も漁村も含めた関係を教えるために「生活文化地図」を作り上げて、部落がどんな仕事をしていたか、太鼓なら太鼓を作るために、いろんな材料をどのようにして仕入れたか、また農民が何を作っていたか、それがどのように流通したか、それぞれの人や商品がどのように関係を結んで生活してきたのか、その当時の生活のあり方を立体的に描きだし、教えていく。そうすることで、部落に対する偏見をなくしていけるだろうと思うわけです。東京では品川宿を抱えている中学校でこの話をしましたら、おもしろいということで空き教室を生活博物館と名づけて、いろいろな部落ゆかりのものを集めて展示して勉強しております。私はこうした教え方をすれば、部落問題を楽しく地域全体のものとして勉強していけると思います。