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調査研究

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2004.11.16
部会・研究会活動 <身分制研究会>
 
第úL期国際身分制研究会報告書

国際身分制研究会編
 (A4版・167頁・実費頒価・2003年6月)

歴史的な視点から見た部落差別

寺木伸明

はじめに─日本の被差別部落とインドの被差別カースト地区の現状の概略

 最初に日本の被差別部落とインドの被差別カースト地区の現状の概略を少しお話したいと思います。まず人口ですが、1993年調査で被差別部落数(同和地区数)は4442地区、被差別部落の人口(同和関係人口)は89万2751名、当時の日本の全人口に対する比率は0.72パーセントとなっています。なお、この4442地区は、同和地区として行政により指定された地区の数でありまして、全国には未指定地区がありますから、実質はおよそ北海道と沖縄県を除く全都道府県に6000地区あると言われております。そして、この未指定地区の人口、および様々な事情で被差別部落から出て生活しておられる人口を見積もりますと、およそ300万人に達するのではないかと言われております。現在日本の人口は、1億2600万人ですので、総人口に対する比率は2.38パーセントということになります。

 一方、インドは、後で詳しくご報告があると思いますが、押川文子編『業者カースト制度と被差別民 第五巻』(明石書店、1995年)によりますと、1991年センサスで1億3822万3277名です。インド人口は9億を越えているそうですから、総人口に対する比率は16.3パーセントということになります。

 日本の被差別部落出身者の全人口に対する比率に比べて、インドの被差別カーストが占める比率が非常に高いということが分かっていただけると思います。例えば、ガンジス川流域にありますウッタル・プラデーシュ州だけで2927万6455人に達しているというわけです。

 日本の差別の状況についてお話しますと、最近特徴的なのはインターネットなどのニューメディアを通した差別でありまして、被差別部落出身者を侮辱したり、罵倒したり、あるいは攻撃を呼びかけるような内容や、被差別部落の所在地を知らせる内容の差別記事がインターネット上に書かれたりしております。その他、結婚差別もまだあとを絶ちません。各地で行われている意識実態調査によりますと、例えば一昨年の堺市の市民調査では20数パーセントの成人が、子どもが部落出身者と結婚する場合に反対すると回答しております。また、その他に、失業率が高いとか、中小零細企業への就職が多いなどの問題があります。

 他方インドでは、様々な差別の結果、やはり仕事のない人が多いです。また昔から従事してきた下層の仕事、つまり死体を焼く仕事や掃除の仕事、洗濯の仕事などに今日でも従事し、その収入が非常に少ない状況に置かれている。農業に従事している人も多いようですが、多くは小作であり困窮している状況にあるということです。

 生活環境の面では、日本は1969年に制定されました法律の成果によりまして、かなりの被差別部落の環境改善が進んでおります。これに対して、インドでは、私が視察をさせてもらったところでは、多くの場合まだ環境改善が進んでいませんでした。もちろん、インドは大きな国で、各州が言語州と言われるほど、言葉が違っておるぐらいです。ですから、地域ごとに様々に異なる特徴をもっておりまして、インド合衆国と呼んだ方がいいのではと思わせるぐらいです。例えば、南西部にあるケララ州に行きますと、被差別カースト地区もずいぶん環境改善されていて、劣悪な状況ではありませんでした。ですから、もしケララ州だけ見て、インドから帰ってくれば、インドもかなり環境が改善されていると思われるでしょうが、そうではなく地方ごとにかなり状況が異なっていることを断っておきます。

 それから施策の概況ですが、これは特徴だけ申し上げますと、日本の場合には同和対策事業特別措置法以降の法律によって、主として部落の劣悪な生活環境を改善するという方向がとられてきました。それに加えて個人施策が若干、補足的に採用されているという状況です。

 これに対してインドでは、リザベーション政策という特別枠政策が展開されていて、例えば国あるいは州の職員、つまり公務員のうち、現在であれば16パーセントほどを別枠として設けて採用するとか、軍人の場合も同じく16パーセントの別枠を設けるという政策が行われてきました。大学も同様の特別枠が設けられております。日本でも試みとして、いくつかの大学に特別枠を要求するという動きもありましたが、なかなか成功しませんでした。現在、私が聞いておりますのは、部落出身者だけではありませんが、アイヌや在日朝鮮人などのマイノリティに対して、四国学院大学で若干特別枠が設けているようです。

 それから解放運動の状況は、日本では、現在、部落解放同盟という組織が一番大きな組織であって全国的に運動を展開しておりますが、その他にも全日本自由同和会、全国部落解放連合会などの組織が運動を展開しております。インドも、後でお話があると思いますが、1942年にアンベドガルさんによって、全インド指定カースト連合という組織が出来て以来、組織的な運動が展開されています。現在ではインド共和党とか、1992年に組織されたダリット連帯プログラム国民実行委員会という形で、様々な階層のダリットの人たちや下層民、宗教者を巻き込んだ運動が展開されております。

1.被差別部落の起源

 さて、これからが本論ですが、私は日本史を専攻してきましたので、その立場から部落問題をどう考えたらいいのかということをこれからお話をさせていただきます。その際、できるだけインドのカースト制度の歴史と比較しながらお話したいと思います。

 まず、被差別部落の起源です。最近、起源の時期について「中世初頭」説が出てきておりますが、依然として私や脇田修さん、中尾健次さんのように「近世初頭」説をとなえる研究者もおります。

 「中世初頭」説は、11世紀初期を起源とする説で、およそ今から一千年まえに被差別部落が出来たという説であります。それでこの説をとる研究者は、上杉聡さん、峯岸賢太郎さん、山本尚友さんがおられます。一方、「近世初頭」説は16世紀の末頃から17世紀の半ばにかけて被差別部落が形成されたという考え方で、およそ今から350年から400年前ということになります。

 次に起源の原因ですが、政治起源説と社会起源説の二つがあります。かつては政治起源説の中でも特に政治一元的起源説が唱えられていました。入門書や概説書、あるいは小中高などの教育の場でも、この政治一元的起源説が展開されていたように思います。ところが、最近、私も含めて、脇田修さん、中尾さんもそうだと思いますが、単純なこの政治一元的起源説ではなくて、分業・共同体・階級や、宗教を含めた観念などの様々な要素を考慮した政治起源説が展開されております。

 次に社会起源説ですが、峯岸賢太郎さんは、習俗的差別が被差別部落を生み出したという考え方であります。例えば、部落の人は穢れているので火を一緒にしない、あるいは共食をしない、通婚をしないという風俗習慣に基づく差別から部落が出来たのであって、権力が部落を作ったのではないという考え方であす。

 インドの被差別カーストの場合、これは国際身分制研究会を通じて学んできたことでまだまだ勉強不足で、間違っている可能性もありますが、被差別カーストの起源は少なくとも2千年前に遡ると推定されています。これは4年程前に来られましたインドのバグワンダスさんが公演されましたときにおっしゃったことです。非常に長い歴史を持っているわけです。確かに紀元前2世紀頃から紀元後2世紀頃にかけて作られたと言われます『マヌの法典』にすでに、「人の最下級のものたるチャンダーラ生まれる」などの表現で、「チャンダーラ」という階層が出てまいります。これが漢語に音写されて「旃陀羅」になって、日本に伝わってきたわけです。

 それでインドのカースト差別の原因は、これまた研究途上ではっきりしたことはまだまだ分かりませんが、およそインドにおいても分業・共同体・階級・「征服-被征服」関係も含む政治・宗教が要素として大きく絡まって出来上がったと考えられます。現在のところ、紀元前の1500年頃にアーリア人がインドに侵入して支配権を握った。それ以降、彼らに有利なようにカーストを定めて、一番上をバラモン、順にクシャトリア、バイシャ、シュードラというふうに決めたと言われおりますが、一部、侵入される以前のドラヴィダ人の社会の中にこうしたカースト的な構造ができていたのではないか、と考える説もあるようです。もしそうだとしても、アーリア人が入ってきてさらに明確化したことは変わりないと思われます。初めから被差別カーストがあったわけではなくて、その後の長い歴史を通じて紀元前後ぐらいに被差別カーストが生まれてきたと推定されます。

 特に「チャンダーラ」と呼ばれた被差別カーストは、『マヌの法典』を読みますと、種姓の混乱より生ずとありますので、異なるカースト間の結婚によって生まれた子どもが「チャンダーラ」に入れられたようです。つまり、秩序に反した者を下へ落としていったということも考えられます。

 それから、インドの場合は特に被差別カーストが職業共同体として存在しているということが言えると思います。先ほど言いましたように、掃除や洗濯、火葬のサブカーストが職業共同体として、ずっと存在してきていて、分業と共同体が非常に深い関わりを持ちながら、かつ宗教でそれが規制され、最終的にそれが政治的支配、長い間の裁判の過程でもって上下関係が確定してきたというふうに考えられます。

2.被差別部落の主たる職業

 次に日本の被差別部落の主たる職業ですが、前近代が皮革業・履物業。特に雪駄製造業です。その他太鼓の製造、そして農業。日本の場合には江戸時代からかなりの土地を実際に所持して農業経営をやっていたということが特徴的だと思います。もちろん、小作もございました。近代になりますと、皮革業が盛んでしたが、営業の自由の名のもとに、だんだんと一般資本が進出してきて、今や皮革産業は一般資本の方がかなり大きな力を持つようになっております。もちろん、姫路や和歌山、大阪もそうですが、皮革産業が部落産業として依然として大きな力を持っている地方もあります。それから近代になりますと屠畜・食肉業が盛んになります。履物業も依然として続きます。土木関係を中心とした日雇業も多いです。それから、公務員に採用される人も増えてきましたが、これは就労対策の結果です。しかし、この場合、清掃、汲み取り業、公園の整備作業などの現業の部分が依然として多いと言われております。会社員も増えてきておりますが、中小零細企業の会社員が多いようです。

 インドの被差別カーストについては繰り返しになりますので、簡單に述べますが、皮革業・洗濯業・清掃業・火葬業・農業が主なもので、農業の場合は多くの場合、小作であります。それでインドの場合、同じく被差別カーストと言いましても、900以上の分業集団に分かれていると言われております。インド憲法にはリストが附録されているようですが、937の指定カーストが記載されているということです。

3.役務

 さて、日本の前近代の被差別部落の役務は、皮革の上納、これは後に代銭納になる場合もありました。それから、行刑役・警察役・掃除役とありましたが、これは中世とのつながりが深いと考えられます。近現代は1871年に「解放令」が出されましたので、それ以降、役務はなくなりました。

 インドの場合の役務については、まだ調べきれていないですが、例えば、先ほども申しましたバグワンダスさんによれば、罪人の執行の仕事をやっていたようです。この点を今後分析していく必要があるかと思っております。

4.宗教

 それから宗教ですが、日本の場合は、仏教の浄土真宗が圧倒的多いです。浄土真宗の中では、部落寺院をわざわざ「穢寺」と位置付け差別しておりました。他に浄土宗・天台宗・真言宗・日蓮宗がありましたが、こういうところでは特に差別戒名がたくさん存在していたようであります。近現代になりますと、戦後の1968年だったと思いますが、本願寺が調査したところによりますと、部落のいわゆる檀那寺は9割が浄土真宗だということです。長い間、「部落組」と言われる「組(そ)」がございまして、部落のお寺だけを集めて「組」が作られていたようであります。普通の「組」は、地域別に構成されていましたから、部落寺院もその地域の「組」に入るべきですが、そうじゃなかったわけです。

 インドの被差別カーストの場合には、ヒンドゥー教が宗教的背景として非常に影響力をもちました。『マヌの法典』の31節には「而して、この世の増福のために、(彼はその)口、腕、腿、足より、バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラを造れり」ということで、創造主が、その各身体部位から4つの階層を生んだことがはっきりと書かれています。そして、その与えられた任務は、「バラモンには(ヴェーダ)教授と学習、自己又は他人のための行祭、布施を与え、又受くることを定めたり」(88)とあるように、他、クシャトリヤは「人民の保護」、ヴァイシャは「牧畜」「商業、金銭の貸与、及び土地の耕作」。それから91節では「されど主宰神は、これらの(他の)三種姓に甘んじて奉仕すべき唯一の職能を、シュードラに命じたり」というふうに、はっきりとヴァルナによって神より与えられた役割が違うということが書かれているわけです。これを聖なる聖典として信仰するわけですから、いかにカースト制度がヒンドゥー教と深い関わりを持つかが、分かると思います。そして、ここが、日本の部落差別と大きく違うところだと思います。

5.ケガレ観

 インドの被差別カーストに対する差別も、日本の部落差別も、その観念的背景には強いケガレ観があると思います。例えば、昔の伊勢国、現在の三重県の記録に、年次ははっきりしませんが、京都の穢多身分の人が、おそらくお伊勢参りに来て伊勢の旅館に泊まったところ、京都天部村の穢多であることが露見してしまった。それで問題になり、けしからんということでいろいろと処罰されたわけです。このときに部落の人が食べた料理を作った火に関わった者は31日の禁忌を受け、その竈は破壊し、その土は全部、土中に埋めたとあります。このように激しいケガレ観、特に日本の場合には、死んだ牛や馬のケガレにまつわる皮革の仕事をしてきましたので、このような厳しいケガレ観に基づく差別が起こったのであります。

 インドの『マヌの法典』に関しては、ケガレに関わる規定が頻繁に出てきます。

6.日本の部落差別とインドのカースト差別に共通するもの

 以上の検討を通して言えることは、両者に共通するのはケガレ観(不浄視)を伴なう身分差別であるということです。身分というのは、『被差別部落の起源とは何か』(明石書店、1992年)に書きましたように「代々世襲によって継承され、固定化される生得的な社会的地位をさす。通常、同一身分内での通婚(内婚制)や職業の固定化と世襲化の傾向がみられる」ものです。ですから、インドでも職業共同体を通じて代々カーストは継承され、結婚は同じカースト同士、あるいはサブカースト同士で行われていますし、日本でも江戸時代においては長い間、穢多身分同士が結婚をせざるを得なかったわけです。「解放令」以降も、様々な社会的差別のために部落外の人との結婚が非常に困難でありました。最近は解放運動の力や市民の理解が深まってきましたので、通婚が増えてきまして、青年においては約70パーセントの人々が部落外の人と結婚するようになってきております。しかし、その場合でも多くの障害があって、それを乗り越えた上で結婚しているという状況です。

 インドでは、インド憲法が1950年に制定されて第17条で不可触賤民制の廃止をうたっております。日本では1871年の「解放令」、1947年の日本国憲法の第13条で差別が禁止されております。このように法律では差別が禁止、ないしは廃止されているにも関わらず、事実上は存在しているところに共通点がありまして、その一つの原因がケガレ観に基づいた身分意識ではないかと思われるわけです。