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調査研究

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2004.11.16
部会・研究会活動 <身分制研究会>
 
第úL期国際身分制研究会報告書

国際身分制研究会編
 (A4版・167頁・実費頒価・2003年6月)

労働と差別の研究
-職業への偏見・差別が生まれる前夜-

中野輝行

「職業への偏見・差別が生まれる前夜」

1.はじめに――若干の経過

自治労徳島県本部で現業闘争を担当し、学校用務員への差別撤廃の取り組みを進める中で、用務員差別を「用務員は学校長の指揮下にあるが、それは学校運営の分担であって、人間の上下関係を意味するものではない。にもかかわらず、仕事上の指揮監督(上下関係)を人間関係に転化された」ことによって学校用務員に対する差別がある、とした。そして、学校用務員差別の議論をもとに、職業差別とは「職業に対する社会的評価を、その職業に従事する人間の評価とすることである」とまとめた。

だが、職業差別の成立と原因を先学の研究から調べてみたが、その多くは「人の嫌がる仕事」「賤視された職業」とアプリオリに表現され、何故「賤視され、嫌がられた」かの理由は自明のこととされていた。

生産と分業の拡大で剰余が生まれ、それによって支配階級が登場し、支配され搾取される階級や身分が生まれ、支配される階級・身分の「労働」に対する賤視が生まれ、職業差別が生まれた、が通説であったといえる。しかし、渡辺仁は平等な社会といわれる縄文時代にも一定の条件があれば階層化することを明らかにし、その要因となったのは「尊い仕事」と「役割」であった。さらに、労働とは近代的な歴史概念であり、労働には宗教的儀礼的ヴェールにつつまれていたのである (1) 。

マルクスは、生産様式をアジア的、古代的、封建的等と規定しているが、渡辺仁らはこれらと別に「名誉や威信が関与する威信経済」で縄文世界を分析した。さらに、貴賤は同時に誕生したのが今日的な理解であるが、これらの経過の中で、「尊い―貴」の観念が社会的に成立しただけであり、賤は未成立であった。国家の誕生の中で「貴」グループが社会的に自分たちを「貴」として認知させるために「政治的身分」として「賤」をつくったのである。だが、この賤の成立は未だ政治(支配層)の世界であり、社会的な認知・合意は引き続いて様々な手だてが加えられたのである。権力は秩序であり、権力は「法」に保障されて存在し、秩序は「制度」に支えられるからである (2) 。

また、職業差別を考えるとき、避けて通れないのは分業と部民制である。インド共同体の分業は、商品交換をともなわない自己完結的な体制であり、共同体への奉仕の役割が共同体規制としてあった。そのため、インド「不可触民」の労働と支配は、ワタンダール(マハーラシュトラ)、ジャッジマーニー制(北インド)、ガラ-ク制度(グジャラート)、パトロン・クライアント関係(北インド)などがあった (3) 。これらの関係は、地域差があるものの、経済支配と身分支配が同時に存在し、インド独立後も引き続いていた。

だが古代日本の部民の基礎は農業であって商品交換に依存した職能民でなかったのである(4)。そのため、大化の改新後には品部・雑戸として特別の戸籍による管理が必要になってくるが、品部や雑戸への賤視観念は未だ社会的な認知ではなかった。

(1) 今村仁司「近代の労働観」岩波新書、1998年、P11-14
(2)安能務「権力とは何か」文藝春秋、1999年、P220
(3) 資本論第4編第12章第4節「マニファクチャア内分業と社会的分業」
(4) 叢書「カースト制度と被差別民 第2・4・5巻」明石書店、
(5) 「石母田正著作集第二巻」岩波書店、1988年、P251


2.生業への賤視と、労働の歴史的概念

96年に全国大学同和教育研究協議会(会長 沖浦和光・桃山大学教授)企画によるインド・カースト制度現地研修に参加し、以降97年、99年と参加。カースト制度現地研修は、インドで最も不浄な職業の一つといわれる清掃労働や様々な職業差別を実感するためでもあり、問題点を整理するためであった。

そして、第2回の現地研修参加後、個々の生業が何をもって評価もされ、卑下もされたかの具体的な事例を調べ、(1)自然の「もの」に「手を加える」ためにアニミズムとの関係(タブー)をもち、畏怖の対象から賤視の対象となった。(2)奴隷に「労働」を強制させたため。(3)社会的「有用性」が認められない。の三点を挙げた。

もちろん、これらが単独で忌避・賤視されるだけでなく、三点が重なり合っていることも多くあり、社会的・政治的・文化的影響などをどのように受けていくかが検証課題となった。

一方、職業に対する社会的評価は、時代や社会情勢によって変化している。特に現代で評価の高い医師は、日本や西欧などにおいて、近世までは賤視の対象であった(1)。ヨーロッパでも近世当時の内科医たちは機械や技術を蔑視し、その蔑視された機械的技術を使っている外科医を軽蔑し(2)、刑吏が外科医を兼ねたことも賤視の原因となった。

また、「労働」そのものを研究するなかで、次のような労働の歴史的概念があり、今日的な意味合いでは労働が理解できないことも明らかとなった。そのため、労働の概念が成立する以前を「生業」、「生産活動」と表記することにした。

  1. 労働とは歴史的な概念であり、職業の成立も日本では古代末期であり、今日の「職業・労働」の概念で古代を見ることはできない。今日で言う「労働」とは、生産活動や生業に意味付与された様々な宗教的道徳的評価のヴェールが取り払われたものである。

  2. 他人のためにする労働は蔑視されるが、労働そのものは蔑視されていない。古代ギリシャ(紀元前8-7世紀ころ。ヘシオドスやホメロスの時代)では、労働蔑視の傾向は存在しなかったといわれる。労働の見方が変化するのはポリスの時代に入ってからであり、ギリシャ社会の拡大発展と奴隷制の展開があった(3)。また、奴隷制が労働を軽視したと言えば間違いであり、古代ギリシャのような他者のための労働であって、労働そのものではなかった(4)。

  3. 生業評価の基本となる有用性概念が、超歴史的概念として普遍性を獲得していることは、再検討課題にすべきである。

ちなみに、大地をはじめ、あらゆる自然物に神が宿り、自然に対し人為的に手を加えることに強い禁忌の気持をもつことは当然であろうと、中世の話になるが、依然として労働に対する宗教的ヴェールの保持を三鬼清一郎は指摘している(5)。

(1) 布施昌一「医師の歴史」[第一章・医は賤業という歴史]中公新書。1979年。
(2) P-M・シュル「機械と哲学」訳・粟田賢三、岩波書店、1972年、P26-P27
(3)杉村芳美「『良い仕事』の思想」中公新書、P62-P65
(4) オルランド・パターソン「世界の奴隷制の歴史」明石書店、2001年
(5) 三鬼清一郎[『普請と作事』「日本の社会史第八巻・生活感覚と社会」


3.生業の分化と評価――尊い役割の誕生

前記したように、インド・カースト制度現地研修に参加するも、何故、どのようにして特定の労働・職業に対する評価や価値づけが行われたかは依然不明であった。だが、渡辺仁(1)はアイヌの生態系の分析から、同一地域社会内部において、男の生業形態に狩猟中心と漁撈中心の2種があり、前者が社会的に高い評価を得ていることを確認した。さらに、アイヌのカジキ漁は必需の食べ物でもないのに命をかける価値があり、生業分化と階層化を明らかにした。

そして渡辺仁は、通説とも言える剰余の発生による搾取と階級、身分の発生に対して、高い威信を伴う高貴な仕事(特殊化狩猟、集団儀礼、遠距離交易等)に由来する身分の格差と、そのような仕事から由来する富の格差、生業に対する「貴」の評価が生まれたことを、土俗考古学の手法により推論した。この土俗(民族)考古学に対する評価に賛否はあるが、渡辺仁は土器の種類(粗雑か精製か)の分析により、生業に対する評価は縄文時代中期頃(今から約5千年前)に生まれた。

人類学者はこれまであまりにもしばしば機械的に首長制の出現を、剰余生産に起因させてきたが、歴史的過程からすると、両者の関係はすくなくとも交互的なものであり、未開社会の現実機能からすると、話はむしろあべこべなのである。リーダー制こそが、家族制剰余を不断にうみだすのであり、ランクと首長制の発展が、あいならんで生産力を発展させている(2)。

このような宗教・儀礼による尊い生業の登場について、今西錦司も地母神を祀って祈り、予想どおりの収穫があればその初穂が捧げられ、余剰食糧の蓄積がはじまり、地母神に仕える専門の神官が可能になったとしている(3)。

剰余は生産性の向上で生まれた。が通説となっているが、自然発生的に剰余が生まれるのであれば、先住民族の世界でも生産性の向上が当然確認されなければならない。なぜ剰余が生まれたかといえば、広瀬和雄が指摘するように、労働への神秘的ヴェールが一枚ずつ剥がされたからである。水田稲作導入の前提として、自然環境は人にとってもはや絶対不可侵の存在ではなく、制御できるというイデオロギー形成があってはじめて、「川の流れ」をせき止めて水位を上昇させ、原野を伐関して水平にしつらえた水田に引水するという行為が可能になった。労働対象たる自然に対する認識について一つの階段を昇った(4)のである。すなわち、生産手段(労働対象と労働手段)への意識的関与を行う人間が登場したのである。

この意識的関与こそが、威信-名声の獲得を主な誘因とする物質的欲求充足行動であり、首長制である。マルクスが云うアジア的・古代的生産関係が生まれる生産関係の有り様と考える。文字通り、労働に宗教や儀礼が色濃くまといつく時代での生産関係である。

(1) 渡辺仁「縄文式階層化社会」六興出版、1990年
(2) マーシャル・サーリンズ「石器時代の経済学」訳・山内昶、法政大学出版局、P164-P165
(3) 今西錦司「人間社会の形成」NHKブックス、1966年
(4) 広瀬和雄「耕地の開発」(佐原真・都出比呂志編「古代史の論点‡@環境と食料生産」小学館、20 00年)


4.生業の貴賤誕生は支配層の観念である

今回報告の中心的課題である職業の貴賤の誕生について、いつ、どのようにして生まれたかを提示したのは、井上清である。井上清は「人の貴賤がつくられ、それに応じて職業の貴賤がつくられた」ことを記している。この表現は6世紀から奈良朝(8世紀)の時代においての表現であるが、さらに、紀元前後の農業生産と分業の拡大で生産が発達して司祭が現れ、さらに支配氏族が登場して搾取を開始し、3世紀の社会には王と貴族(支配階級=搾取階級)と平民と奴隷(支配され搾取される階級)の四つの身分が出来たとしている(1)。

だが、前記したように、「貴-尊い」観念は誕生しているが、「貴-尊い」が制度として誕生するのは、国家の登場を待たなければならない。権力は「制度」に支えられて存続するからである。

日本における国家の成立について、7世紀以降説がほぼ定説化し、エンゲルスの示した四つの指標(地域による人民の区分、物理的強制力装置、徴税制度、官僚機構)をもとに、完備した古代国家が完成するのは7世紀後半-8世紀初頭である(2)。

ちなみに、中国で「貴賤」が表記されるのは、白川静(字訓)によれば荘子の時代である。しかも、貴賤は財貨・富の観念であった。

また、魏志倭人伝の「大人、下戸」について様々に議論がされているが、地位議論をめぐる前提は国・国家との関連である。佐伯有清は、社会的にそれほど大きな較差があったとはいえず、水野祐も、大人の中にも身分・出自によって大人とされるものと、年齢階層の規制によって大人になるものとの二種があり、国の大人と、邑落の大人とに区分されたとしている。一方、山尾幸久は、下戸の隷従・依存は疑う余地がない。弥生時代の終末期の中国史料に現れた「国」は、人間の不自由なありかた、不平等な間柄を成り立たせている基本的な枠組みである(3)と国の成立を前提に身分制を指摘している。

なお、階級と身分、階層について石母田正は、階級とは特定の歴史的社会の生産関係、その時代の主要な生産手段に対する所有関係によって規定された社会集団であり、身分は階級関係が政治的または国家的な秩序として固定された階層的秩序である(4)。

では、井上清が言う「人の貴賤」はどのようにして生まれたのか。貴という地位がどのように誕生したかを説明できるのは山本耕一の「地位と役割、共軛的関係」である。すなわち、山本は地位によって役割があることは錯視であり、第一次的に存在するのは役割である。だが、ひとたび役割編成態が形成され、特定の人物と特定の役割とが固定的に結合されることによって、この編成態は安定した構造を獲得すると、役割相互の共軛的関係が見失われる。そして、「地位」が恰も独立しているかの如く見做されるという転倒した事態になる(5)。この役割とは、身分制を考える上でのキーワードであり、その意味では中近世で言われる「役負担」の先行形態といえる。

このように、役割が地位を決定するのであり、その逆は錯覚であり、井上清がいう「いやしい人」が従事した仕事が賤業では説明ができない。しかも、職業の貴賤が先にあったのではない。余剰物資の乏しい狩猟採集民の社会は、平等な分配となるが、リーダーの登場は、不平等な分配によって階層化する。ビッグ・マンの地位は、一連の行為の結果、一般人より抜きんでた者として尊敬し、彼に一群の忠実な人間を周囲に引きつけることで成立する。こういう資質は、呪的能力、説得力のある弁説、立派な容姿とともに、経済的智略によっている。寛大さは彼に対する追随者獲得の武器であり、それによって彼はリーダーシップを把握することができる(6)。

だが、だがこのリーダーの役割を固定化するほどの制度的安定はなく、魏志倭人伝には卑弥呼死亡後の戦乱を終息するために壹與を擁立せざるをえなかったし、ビッグ・マンもリーダーとしての役割を果たさなければ交代させられるのである。

このような制度が確立するのは、国家の成立による政治的身分としての確立であるが、この身分制は未だ支配層の観念でしかなかった。それは、自分(集団)よりも高い地位にあると本人あるいは本人が属する集団が思い込んでいる人物(集団)から評価されたいと思う観念は、垂直に作動し、役割相互の共軛的関係が失われて「貴」が自立し、そこに依存し、距離を確認する人(集団)に「貴―非貴」が生まれるのである。

石母田正は行基の宗教的疎外にふれながら、超自然的・超人間的な霊威を生みだした人間または共同体が逆にそれに依存し、そのまえに脆拝し、共同体自体が神的に秩序づけられる(8)。吉村武彦も、日本の古代は首長との関係・距離において、個人または氏集団がみずからの位置・場を確かめうる社会であった(7)。また、奴婢の服色が「そう衣」とされ、百姓の「黄色衣」と区別されるのは持統七年であるが、こうした外的標識をもって良賤の区分をしなければならなかったところに、新たな身分支配が、内的諸条件の欠如の上に強行され、なんらかの方法でこの本来卑賤視されていなかった奴婢に、卑賤観念を付与する必要があった。中世の賤民などに比べて、古代の賤身分に対する民間レベルでの卑賤観が極めて希薄であるのは、このような良賤身分創出過程に原因があり、賤身分とは良民との対置からより、天皇(浄)との関係で創出された身分であるとの感を一層強くする(8)。また、8世紀末頃までの賤身分は、支配層によって、観念的には罪穢あるいは仏教思想による不浄観と結び付けられ賤視されることはあっても、それはまだ社会的通念とはなっておらず、死穢などと係わる差別も顕在化していなかったのである(9)。

庶民の意識について、平安初頭でも死穢に神経質だったのは中央政府であり、庶民はかなり無頓着だった(10)。

(1) 井上清「部落の歴史と解放理論」田畑書店、1969年、P24
(2) 岩永省三「階級社会への道への路」(佐原真・編「古代を考える 稲・金属・戦争-弥生-」吉川弘文館、2002年)
(3) 佐伯有清「魏志倭人伝を読む 上」吉川弘文館、2000年、P193。水野祐「評釈 魏志倭人伝」雄山閣出版、1987年、P426。山尾幸久「新判・魏志倭人伝」講談社現代新書、1986年、P172- P174
(4) 廣松渉・山本耕一「唯物史観と国家論」〔第二章〈地位〉の編成態としての協働聯関と国家〕講談社学術文庫、1989年)
(5) 前出・水野祐 P445-P446
(6) 「石母田正著作集第三巻」岩波書店、1989年、P462)
(7) 吉村武彦「日本古代の社会と国家」岩波書店、1996年、P158-P160
(8) 神野清一「日本古代奴婢の研究」名古屋大学出版会、1993年、P32-P34
(9) 前出・神野清一、P69-P70
(10)高取正男「神道の成立」1993年


5.おわりに――これからの課題

職業差別の歴史を考えるとき、避けて通れないのは、分業と部民制である。マルクスは、所有(不平等な分配)は分業と同時に発生し、分業とは活動であり、所有とはその活動の生産物としている。《所有》というイデオロギーの面では、どれほど似かよっていようとも、首長制では、物への権利が人々の統率をつうじて実現されているのにたいし、ブルジョアでは、人々の支配が物への権利をつうじて実現されている(1)。

身分制の関係で奴婢・家人問題は無視出来ないが、部民制度について若干の問題点を提起したい。それは、品部雑戸への賤視原因として、品部・雑戸が特別簿によって本司の直接的な人身支配を受けたことが挙げられている(2)。これは政治的身分秩序と社会的身分として位置を混同しているのではなかろうか。また、古代社会における分業に規定された身分的差別は、古代社会の生産関係が崩壊するにしたがってその身分的差別も崩壊する(3)、との考え方は、生産関係にまつわる宗教的外皮等の軽視があると考える。

今後の課題としては、第1に、これら部民制はアジア的な情勢と連動し、古代国家が外敵に対する備えとして用意された力を内に向かっても使い、このことと国家成立指標と身分制、職能民の役割と位置である。第2は、職業の成立と、生業に対する支配層の古代的賤視や中世的、近世的な賤視を社会がどのように受け入れたかである。

(1) 前出・マーシャル・サーリンズ、P111
(2) 狩野久「日本古代の国家と都城」東京大学出版会、1990年、P100-P103
(3) 脇田晴子「日本中世被差別民の研究」岩波書店、2002年

この文書は、1月25日の報告時に、分業と身分、支配層のイデオロギー(古代は宗教)、当時の主要な生産関係からの被差別民排除の問題、「役割」と「役負担」、協業と分業、中国春秋時代の五蠧、首長制と差別との関連、威信経済の概念、など、多くのご指摘を頂き、それらへの問題意識を含めて、訂正した。