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調査研究

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2004.11.16
部会・研究会活動 <身分制研究会>
 
第úL期国際身分制研究会報告書

国際身分制研究会編
 (A4版・167頁・実費頒価・2003年6月)

インド・カースト制度現地研修報告会
2002年・ダリット地区の実情-写真を中心に-

寺木伸明

はじめに――インドおよびダリットの人々の概況

  去年の暮れに全国大学同和教育研究協議会主催の第4回インド・カースト制現地研修旅行に行ってまいりました。今日はそのときの報告を中心にさせていただきたいと思います。

  時間も限られておりますので、わたしは前座をつとめるということで、できるだけ簡単にご説明をさせていただいて、桐村彰郎先生、それから沖浦和光先生から詳しくご報告をいただきたいと思っております。また、私は現地で司会をしながら聞き取りをした関係で、十分に記録できていない部分があり、まちがったことを言うことがあるかもしれませんので、あとでご指摘いただければと思います。また、ここで映します写真は、私が撮影したものと、参加者の方が送ってくださったものとがございますので、ご了解ください。

  インドの人口は、桐村彰郎先生のレジュメ「インド政府の差別改善政策をめぐって」を見ますと、10億2700万人となっております。ここに挙げました指定カースト(ダリット)の人口は91年のセンサスによるものです。州によってばらつきがありますが、我々が行きましたのはますデリーで、91年でおよそ940万人の人口を抱えておりまして、そのうち、179万4836人が指定カーストで、人口全体に占める割合は19.1%ということになります。

  今回は北のデリーと、西側のムンバイ、そこからデカン高原のオーランガバードというところに行ったわけですが、そのムンバイもオーランガバードもどちらもマハラシュートラ州に属し、875万7842人という多くの被差別人口を抱えております。

  それから、最後に行ったところがゴアで、小さい州です。フランシスコ・ザビエルがこのゴアに到着してここを中心に布教をしたわけです。ゴア州は、全部で116万人ほど人口がありましたが、そのうち指定カーストは2万4364人ということで、全体の州人口に占める割合が2.1%です。

  このように見ていきますと州によって大きな差があるということがわかっていただけると思います。例えばパンジャーブ州になりますと州人口に占める割合が28.3%と高くなり、州人口のおよそ4人に1人が指定カーストの人ということになります。

  他方、アルナアーチャル・ブラデーシュ州になりますと、指定カーストの人口が4052人で、州人口に占める割合が0.5%ということで、州によって大きな差があるということがおわかりになると思います。

  これを合計しますと、1億3822万3277人、つまり日本の総人口を上回る人々が、インドではきびしいカースト差別を受けているということになります。また、全人口に対する比率16.3%です。

  インドは25の州からなっておりますが、インドは言語州といわれるほど各州によって言語が大きく違い、公用語が15ほどあります。ここにインドのお札がありますが、10ルピノのお札の裏側にやはり15の言語でお札の価値の表示がなされています。私も現地に4回行って、つくづく感じたことですが、1つの州だけを見てインド全体を論じることはインドカースト制度だけではなしに、インド全体の実像を取り違えることになるということです。

  それでは、これからさっそく写真を見ていきたいと思います。

1 首都デリーにて
2002年12月16日(月) ニューデリーのタージパレスホテルにて

アジア人権センター所長バグワン・ダス(Bhagwan Das)氏・子息ラフル・ダス(Rahul Das)氏およびインド共和党国会議員ラムダス氏と会見

  我々の泊まったホテルにアジア人権センター所長のバグワン・ダスさん(写真向かって右)、ドクターの息子さんラフル・ダスさん(一番左)が来られました。バグワン・ダスさんとは第一回目のときにデリーでお会いしていろいろお話をうかがったことがあります。バグワン・ダスさん父子は1998年、やはり国際身分制研究会の会合に日本へ来ていただいて、報告していただきました。また、昨年の11月、バグワン・ダスさんが日本に来られて、いろいろ報告をされました。

  少しおくれて、ラムダスさん(写真真ん中)が来られました。ラムダスさんはインド共和党の出身で、現在は無所属で国会議員になっておられます。この3人の方にお会いしまして、現地でいろいろ話をうかがったわけであります。

  これはそのときの模様の写真ですが、立っている方が現地案内人のガイドさん、メイラーさんで、今回も大変活躍してくださり、通訳もしてくださいました。

  これから、そこでお聞きしたことをご紹介したいと思います。まずバグワン・ダスさんのほうからおうかがいしました。

  現在のカースト制の実態についてお聞きしたところ、約5,000のジャーティがある、ということでした。上はバラモンから下は被差別カーストにいたるまでの5つのカーストのなかに、さらに小さなサブカーストがあるということで、それがジャーティと呼ばれるもので、それがおよそ5,000あるということで、大変複雑な社会構成になっていることが分かります。そして約600あまりのトライブズ(ST)、指定山岳民族といいますか、先住民族のような人々がおられます。ダリットだけをとりあげますと、839のジャーティがあるとおっしゃっておられました。同じくダリットと言われる人々のなかでも、様々なグループがあって、それを全部含めると839にもなるそうです。ですから日本の被差別部落のように共通する部分が多く全国水平社や部落解放同盟という形でまとまりやすい状況にあるのとはちがって、差別を受けているグループのなかにまたいろんな階層があって、なかなかまとまりにくい、という側面があります。

  次に国会の状況について聞きました。インドの国会には上院と下院がありまして、上院にはリザベーションの割り当てがないということでした。一方、下院には割り当てがあり、1991年の調査では約16%が被差別人口であり、7%がSTといわれる先住民族でしたので、全体の22.5%がそういう人々のためのリザベーションとしての特別枠であるということです。議員532人のうち、125人がその割り当ての席になるわけです。その125人のうち、79人が被差別カースト、46人が先住民族になるということです。そこで、さらに詳しく聞きましたところ、この79人が被差別カーストから選出されてくるけれども、結局彼らは大きな政党に属さざるをえない、そうでないと選挙に勝てないということでした。つまり、当選しても結局インド人民党や、国民会議派といった、大きな政党の意向に拘束されるということで、本当に被差別カーストの人たちの利益を代弁しているかというとそうではない、ということです。出身は被差別カーストでも、被差別カーストの解放のためにはなかなか動けない、ということで、あとでラムダスさんにも聞きましたところ、国会議員のなかで、真に被差別カーストのことを考えて行動している議員は自分だけである、というようなことをおっしゃっていました。

  現在、インド共和党に所属しておられる議員は3人おられるそうで、上院に1名下院に2名、このうちの1人がラムダスさんで、政党所属は共和党ですけれども、選挙に出馬するときは無所属だそうです。

  また、インドでは被差別カーストの約70%が農村部などの田舎に居住しているそうです。

  教育政策についてたずねたところ、都会ではあまり大きな問題はない、というように答えておられましたが、田舎に行くと就学率が低く大きな問題を抱えているそうです。

  また、息子さんのラフル・ダスさんに被差別体験について、お聞かせくださいとお願いしたところ、医者になってから病院で貧しい女の人が子どもを産むとき、それを助けたということで、あとで病院で問題になったということでした。貧しい女性が出産するのを医者として助けることが問題になる、という差別の状況があるということを紹介してくださいました。

  それから、もう1つ我々が関心を持っていましたのは1991年に始まった、ダリットソリダリティープログラム全国実行委員会がどうなっているか、ということでした。ちょうどバグワン・ダスさんが代表をやっておられましたので、どうなっていますかと聞きましたところ、ショックなことに2001年にバグワン・ダスさんは代表をやめて、脱会をしたということでした。この全国実行委員会はブッディストだけではなく、ヒンドゥー教徒、クリスチャン、モスレム、ジャイナ教徒などいろんな方が参加し、しかも被差別カーストの人だけでではなく、OBCといわれるシュードラの下のほうの階層の人たちも含めて一緒にいろいろ運動していこうということだったので非常に注目していたのです。ところが、そのうちのクリスチャンのグループが、自分たちの利益を追求しだしたので、バグワン・ダスさんは、それに反対をして、やむをえずやめたということでした。後日、ムンバイのほうで、ラムダスさんの懐刀のような方が、もう1つの理由はバグワン・ダスさんが75歳と高齢だからではないか、とおっしゃっていました。

  そういった説明をうけたあと、息子さんのラフル・ダスさんに引率してもらい、デリー市内の被差別カースト地区を案内してもらいました。ラムダスさんは国会議員のため非常に忙しく、十分な時間がとれなかったため、もっといろんなことを聞きたかったのですが、残念ながら深いところは聞く時間がございませんでした。

被差別カースト地区の状況

  さて、連れて行っていただいた被差別カースト地区ですが、これは、地区の入口あたりのところです。地区の名前は「ムルニカ地区」です。デリー市の人口は現在1200-1300万人に増えてきているということで、市内だけで160地区の被差別カースト地区があるということです。そこで、このときこの地区の人口は20万から30万といわれたのですが、これは通訳の方のミスかと思います。これは一桁ちがう200万-300万人が正しい数かと思います。といいますのも、91年の調査を見ましても、被差別カースト人口は179万余りと出ていますから、それ以降人口が増えたことを考えまして、およそ200万-300万人の被差別カースト出身者がいると見ていいのではないかと思います。

  このムルニカ地区はヒンドゥー教徒がほとんどで、およそ500世帯余りの地区です。家屋は平屋の建物で、屋根にはテントがかぶせてあります。これは同和対策の行われる前の日本の被差別部落の状況によく似ておりまして、路地などもこのように狭くなっています。

  そこを抜けて、少し外側に出て、上のほうから写した写真がこれです。このように家が非常に密集しておりまして、全部平屋です。横はレンガや土壁ですが、屋根はテントをかぶせていて、風で飛ばないように石などをのせています。

  これも、ほぼ同じところから撮った写真です。

  このようにそまつな家ばかりですが、子どもたちはそんな中でも、どこの地区へ行っても感ずることですが、表情が明るく、写真をとってほしくてすぐにこうやって集まってきます。この地区のすぐそばには焼き場があり、ここの住民は火葬をおこなう仕事についてきましたが、現在は掃除、ホテルのボーイ、公務員なども増えてきています。ただし公務員といっても現業部門でトイレ洗い、ガードマン、皿洗いなどの仕事中心にやっておられます。家の中も入らせてもらったのですが、家には割合テレビや冷蔵庫があったと思います。

  その後、もう1つの地区、ハリジャン・バスティ地区にも行きました。

  ここは、バルミキという預言者を祀っている地区で、これはヒンドゥー教の分派なのだそうです。このバルミキという預言者が低位カーストの解放を提唱した、という伝説のようなものがあり、ここはその神様を祀っている地区で、約300所帯です。仕事は掃除人です。ここの建物は日本でいうところの同和対策で建てられた同和向け改良住宅のようなもので、ほとんどの人が公営の住宅に入っておられます。

2 デカン高原のオーランガバードにて
12月18日(水) アジャンタ・アンバサダー(ホテル)にて
地元有力者の結婚式とダリットの人々

  ここのアジャンタ・アンバサダーというホテルに泊まったところ、夕方になってどんどん人が入ってくるので、どういうことかなと思っていましたら、ホテルの裏側の広場で結婚式が行われるということでした。およそ2千-3千人の人が集まっていたらしいのですが、聞きますと、土地の有力者の息子さんの結婚式だそうで、バラモンの階層でした。息子さん自身はエンジニアです。この黒い服を着ているのが新郎で、その向かって右が新婦です。2千人-3千人もの人たちが入れ代わり立ち代り入ってきては食事をしていくというような光景が見られました。

  そのうち、我々もだんだん大胆になってきまして、舞台に上がって握手をさせていただいたり、近くで写真を撮らせてもらったりしました。

  舞台に向かって右側、つまり舞台から見て左側の一角に座っていた人たちがどうもダリットの人々のようでした。服装もきれいに着飾っておられるのですが、その他の出席者の服装に比べると、やはり粗末な衣裳でした。このあたりにかたまって20-30人おられました。この人たちが結婚式に招かれて参加しておられたということが注目されました。これは、のちにガイドさんのメイラーさんに聞いたところ、自分の記憶しているところでは、15年ほど前までは、あまりこういうことがなかったように思う、ここ15、6年前から、被差別カーストの人たちも結婚式に招かれるようになり一緒に参加できるようになったのではないか、ということでした。ただ、これは個人の記憶ですので、一般化はできませ。最近はこのようにダリットの人たちも結婚式に参加するような状態ができているようです。 そして、メイラーさんは、ここに招かれたダリットの人たちはおそらくこの有力者の家に何らかの関わりのある人ではないか、会社経営であれば、会社の下働きの従業員であるというようなことで関係があるから招待されていたのではないかと言っておられました。

  とにかく、盛大な結婚式で花火まで上がりまして、すごい祝賀会でした。これは近くから撮らせていただいた写真です。これが、ダリットの人たちです。

被差別カースト地区の状況

  オーランガバードはデカン高原にございまして、標高600メートルくらいのところで、有名なアジャンタ遺跡という仏教壁画やエローラ遺跡の近くになります。総人口150万人で、ダリットの地区は20地区あるということです。そのうち最大の地区が6万人ということでした。これから、そのオーランガバードの地区の写真に入ります。

  これが、地区の一角にたっている施設で、左にアンベドカルさんの像がたっています。右側がニューブディストの地区でありまして、仏さんが祀ってある仏教関係の施設になります。一番上のところにブルーの旗がたっておりますが、これが仏教徒の旗です。インドではどこへ行きましても旗がたっているのですが、私どもが泊まったホテルの屋上にもこういうふうに旗がひるがえっているわけです。全部で8つの旗がたっていますが、それぞれの宗教にシンボルとしての旗があり、これはそれを表示していて、それぞれの信者がケンカしないで仲良くやっていこうという意志を表現しているのだそうです。ゴアでも私ども船に乗ってクルージングをしましたが、そのときも同じように7つから8つの旗がひるがえっておりました。それもそれぞれの宗教を表す旗なんだそうです。

  そしてこのような旗を見ると、どのような地区がどういう信者の地区か、ということが一目で分かるということでした。

  この地区はオーランガバードのアンベドカル・ナガル地区です。被差別カースト地区にはこの「アンベドカル」の名前をつけたところがけっこうあり、ムンバイにもありました。それほど、アンベドカルさんは被差別カースト出身者に尊敬されている人で、地名にまで名前がつけられているほどです。これは日本でいうと松本治一郎町というような町名になるわけです。この地区は人口約3万人で、オーランガバード市内では2番目に大きな地区だということでした。職業は主にスウィーパー、それからアイロンがけ、ミシン仕事、皮革の仕事をやっておられるそうです。中へ入っていきますとこのような状況になります。

  さきほどのデリーの地区と似ています。ほとんどが平屋で、まわりにレンガを積んで壁にして、その上にトタンやテントをかぶせています。また道路も整備されていない状況です。

  ここを視察させていただいたあと、バスで通りかかりましたところ、広場にこういう地区があったので寄っていただきました。これは、広場に掘っ立て小屋式の粗末な家を建てて住んでおられる地区です。ここはもともと被差別カースト地区としてあったのではなく、各州から来住してきた、ということです。現在は100-150人がここで生活をしているということで、3年ほど前から住み始めるようになったようです。

  ここの住民は周りの州から移住してきたわけですが、もともと被差別カーストの出身の人のようで、ここは新しい被差別カースト地区ということになります。日本でも明治維新以降にできた被差別部落があり、筑豊炭鉱地帯であるとか、姫路市内、舞鶴市内の被差別部落などのような新しい部落がそれにあてはまります。我々が行きましたら、たくさんの人が集まってこられまして、このような写真になりました。

  これから写す人がここの村の指導者です。頭に赤いターバンを巻いている人です。らくだ4頭、ポニーが3頭おるんですが、このらくだは何のためにいるのかと聞きましたところ、このらくだを街につれていって、子どもを上に乗せて乗せ賃ということでお金をもらうということでした。またポニーも同じように子どもを乗せて何がしかのお金をもらって生活の足しにするんだ、ということでした。テントの数はおよそ25ほどありまして、ここにもやはり青い旗が立っていまして、ニューブディストの人々です。また、職業は火葬の仕事をやってきておられ、ここの学校も非常に小さく、小屋のようなところで勉強しています。しかし、さきほど申しましたように指導者はなかなかしっかりした方で、地区の人々の信頼を得ているようでした。

3 巨大都市ムンバイ(旧ボンベイ)にて
12月20日(金) ウォルリー地域のラムダス氏の事務所にて
インド共和党マハラシュートラ州委員長ガイクワッド(Sumantrao Gaikwad)氏と会見

  オーランガバードを立ち、ムンバイに戻りまして、この方にお会いしました。これが写真です。この方がマハラシュートラ州のインド共和党の州委員長のガイクワッドさんです。前に行ったときもラムダスさんと共に出席しておられました。州の責任者ということで、おそらく選挙となると、この方が選挙事務所長みたいな役割を果たすのではないかと思います。これは会見をしているところの写真です。

  そこで、聞き取ったことを簡単に紹介しておきたいと思います。

  インド共和党と、さきほど申しました、バグワン・ダスさんがかつて代表をつとめておられましたダリット連帯プログラム全国実行委員会の関係を聞きましたところ、あまりインド共和党として、熱意をもって積極的にこの組織と連帯してやっていこうという意欲は感じられませんでした。ただ、目的は一緒である、ということは強調しておられました。 それとインド共産党との関係を聞きましたところ、関係は悪くない、しかし、考え方は100%違うということで、解放への考え方の道筋はずいぶん違うのだろうと思います。日本の場合は日本共産党と部落解放同盟はいろんなことがあって、うまくいっていませんが、インドの場合はダリットの利益を代弁しようとしているインド共和党と共産党はそれほど仲が悪いわけではないようです。

  最近、バラモン階層以外の人でも、バラモンの僧侶になれるようになったようです。これは大きな意義があるんではないかと思い、注目して聞きましたところ、意外とさらっとした答えで、指導者としてはあまり大きな意義を認めておられませんでした。別に被差別カーストの人がバラモンの僧侶になったとしても、それは解放にとってあまり大きな意味を持たないのではないか、という判断をしておられるのではないかと思います。バラモンの僧侶になるということは、ヒンドゥー教のなかでは大きな意味があるので、ここから風穴があいて、カースト制がゆれるということがあるのではないか、と我々は考えたのですが、そういうとらえかたはされていませんでした。

  リザベーション政策について聞きましたところ、だいたいにおいてインドでは成功している、と明言されました。また、就学率もいろんな対策の結果、じょじょに向上してきている、ということで、学校でもムンバイの場合、カースト差別問題を教えているということでした。

  また、死んだ牛の処理をどうしているか、と聞きましたところ、現在は州政府が行なっている、しかし、実際に仕事に従事しているのは公務員としてのダリットであるということでした。

被差別カースト地区の状況

  この写真は事務所のあったアンベドカル・ナガル地区で、こういった建物がいくつか建っていました。これは日本でいう改良住宅にあたると思います。しかし非常に老朽化しておりまして、色も黒くなりシミがついているという状況でした。

  もう1つのカンブル・ナガル地区は、ニューブディストの地区で仏教に関わる施設がございまして、集会所、あるいは礼拝所のようになっているところです。仏像の右上にはアンベドカル博士の写真がかざってあります。その横に、こういうものが飾ってあり、これが若き日の精悍なラムダスさんです。

  この地区は大きな地区で3,000-4,000所帯で、人口が3万-4万だそうです。仕事について聞きましたところ、トイレ掃除を中心としたスウィーパー、それから現在は工場に働きに行く労働者もいるということでした。この地区の99%がニューブディストということでした。中に、幼稚園、保育園があるということで、これがこの地区の様子です。地区の中には診療所があり、メガネをかけている方がお医者さんで、ラルさんという方です。

  12月21日(土)に、ムンバイから、空港に向かう途中の地区であります。

  これが、ムンバイのドービー・ガート地区で洗濯カーストです。マハラクシュミ駅裏にあります。人口は96年に聞いたところでは、約5,000人という大きな地区です。このとき、洗濯物を100枚洗って、150ルピーにしかならないということでした。つまり100枚洗っても500円くらいの収入にしかならない、というような状況でした。

  このように洗濯物がずらりと並んで、非常に壮観な感じがします。ともかくほぼ全員が洗濯業に従事しておられる洗濯カースト地区です。少しわかりにくいですが、この写真のようにコンクリートで区切られた自分の持ち場があり、そこで洗濯をしています。

12月22日(日) ゴアの被差別カースト地区の状況

  その後、ここから南のゴアに飛行機で飛びまして、ゴアの視察をさせていただきました。

  そのときは、ゴアのダリット地区まで遠かったので中までは入れませんでした。これは地元の指導者たちと会見をさせていただいたときのものですが、この地区はモスレムの人々が中心の地区です。ゴアの地区には仏教徒がほとんどいない、と言われましたが、そのあとゴアの州関係の活動をされている方に聞きますと、その方は仏教徒でした。また、話のなかでつじつまが合わないことがいくつかありました。ここはゴアのチンベル地区で、130軒ほどの地区でした。仕事は労働者、建築関係、ホテルのシェフ、公務員などで、公務員にはスウィーパーはいないということでした。ここでおもしろかったのが、昔この地区ではニセ金を作っていた、ということです。実際、使っていた道具を写真で見せてもらったのですが、そんなわけで、刑務所につながれた、ということです。現在はもちろんやっておられませんが、これはおそらく金属加工ですね、そういうことに従事していたダリットの人たちがあちこちから集まってきてここに住みついたということじゃないかと思います。

  現在、ダリットの子どもたちはゴアでは全員学校に入学しているが、学校は高校までで、大学へは行かず、結婚は同一カースト同士でしかしていないということでした。

  また、ダリットはダリットであるという証明書があり、そのコピーをいただきました。州政府の政策を聞きましたところ、ダリット地区では水道、電気は無料の政策をとっているということでした。このダリット地区の1ヵ月の生活費は約2,000ルピー、約6,000円ということでした。この地区は実際は山の丘の中腹にありまして、我々はそれを眺望しました。奥の小高いところに家が見えておりますのが、被差別カースト地区です。

  かつて、ザビエルが最初に来たのはゴアの海岸で、とてもきれいなところです。インドというと喧騒でゴタゴタした印象がありますが、実際にはいろんなところがあり、ゴアというところは静かで緑の多い地域です。しかし、そこにも被差別カースト地区があり、差別を受けている人たちがいるというわけです。

  ゴアにはニューゴアとオールドゴアがありまして、このオールドゴアにザビエルゆかりの地が多くあります。ここがボンジェズ教会で、フランシスコ・ザビエルの遺体が安置されています。これは公開されたときの写真ですが、このようにミイラ化しています。こういったところを見学しまして、州のダリット関係の人々と会見をしました。そのときの写真です。右手にゴア関係の人たち、左手に我々が座ったわけですが、真ん中でこちらを向いておられる方がゴア州議会の議長です。やはりダリット出身者です。そのときには、ほかにダリット関係のいろんな団体の代表者が出て来ておられました。日本でいうと同和会系といいますか、いわゆる融和団体系に属すると思いますが、それぞれ銀行マンであるとか商社マンであるといった、政財界の実力者が集まっている関係機関のようでありました。ゴアはさきほどもいいましたように、ダリットの人たちの人口が少ないので、それに応じて州の職員のリザベーションのパーセンテージも2%であるということでした。全国平均では16%ですが、ここは少ないので2%ということです。

  このゴアには被差別カースト地区が11地区あるそうですが、同じダリットのなかにも5つのグループがあって、序列決まっていて、一番上がマハール、これは竹細工を中心にする人、上から二番目が靴職人、三つ目がジャルワラと呼ばれる道路掃除人、四つ目がスウィーパーとくにトイレの掃除人、一番下が皮なめしのジャーティの人々であるということでした。ゴアでは、被差別カーストとそれより上のカーストの人と結婚すると1万ルピーを州政府が結婚祝金として贈るということで、カースト間の通婚推進政策というようなことをやっておられるということでした。

  そのあと、ゴアの昔の砦の見学をしまして、その帰りしな、近くに、林のなかでこのようなテント生活をやっておられる地区がありました。1997年12月に行ったときもほぼ同じような状態で生活をしていました。ここは主にデカン高原のほうから降りてきて住みついた人々で、約20所帯、110人ほどが住んでいます。仕事はスウィーパー、ホテルのボーイの仕事も若い人はしているということでした。こういう状況です。

  前に行ったときよりも、中がきれいになっているという感じを受けましたが、建物自体は5年前とまったくかわらないという状況でした。

  この人たちは先住民系です。顔を見て下さい。鼻のあたりに鼻輪のようなものをたくさんつけておられるのが特徴です。

  以上、長くなりましたが、これが今回行った被差別カースト地区の概況です。

【注】報告当時は写真を使用して説明が行われたが、この報告書では都合により、写真は掲載していない。