青少年拠点施設プロジェクトの第12回会合は、7月26日(土)18時30分から、もと日之出青少年会館会議室において開催された。
今回の会合では、プロジェクトとして行っている第二次ヒアリングの結果をふまえて、現在、生江地区において子育て・教育運動を実際に担っている方々に報告をお願いした。特に、高校生ボランティアや地元支部青年部がかかわる子ども会「なぎさ会」の活動について、その現状と課題についてお話を伺った。
まず、なぎさ会は条例廃止後から現在に至るまで、もと青少年会館(以後「青館」と略)に部屋をうまく確保しながら、平日の午後(放課後)と土曜日、夏休み・冬休み・春休みなどの学校の長期休みの期間に、主に居場所づくり活動を続けている。また、昨年度は平日で10名程度の参加であったが、今年度は17-8名が参加しており(登録上は30名弱)、夏休み中も20名前後の子どもが参加している。地区外の子どもや障がいのある子どもも、数は少ないが、なぎさ会に登録・参加しているという。保護者会もこの間何度か開かれており、子ども会の活動に協力的である。
実際の活動面でいうと、なぎさ会では、普段は高校生ボランティアが中心となり、それを支部青年部のメンバーや支部役員などがサポートする形で営まれている。また、最近では活動を終えて帰るときに「おわりの会」を行い、「使ったモノの整理」や「あいさつをする」等の活動のルールなどをそこで確認をしているという。夏休みの午前中は主に宿題に取り組む学習会、午後は地元の学校の理解・協力により、プールでの活動などを行っている。また、他にも夏休みには二泊三日のキャンプや、学期中の学校代休日の遠足(野外活動施設でのバーベキューなど)、大阪市の子どもの体験活動デリバリー事業を利用して、「ゆかたで舞う」「落語」等の体験活動にも取り組んだという。
一方、報告者からは、今後の活動継続を考えたときに、いくつかの課題があるとのことであった。例えば、今、主たる活動の担い手である高校生ボランティアの進路の問題がある。新たな活動の担い手が地区内外から見つからない限り、今かかわっている高校生ボランティアが卒業後地元に残らない道を選べば、これまでとは少しちがった運営形態を考えなければいけないことになるからである。また、子どもたちの学力保障面での取組みや、部落差別の問題を子ども会のなかでどのように語っていくのか、という課題もある。このほか、おやつ代や野外活動などの参加費のことなど、収入の少ない家庭にとっての費用負担の問題もある、とのことであった。
ただ、報告者としては、今まで青館事業任せだった地元支部や地域のおとなたちが、条例廃止後自前で子ども会活動を運営するなかで、あらためて一人ひとりの地元の子どもたちとつながる機会を得たことが、とてもよかったとのこと。また、子どもたちとキャンプ等でかかわるなかで、喜びを感じるような出来事もいくつかあった、ともいう。そして、子ども会活動の継続に向けて、口コミで活動を子どもや保護者に知らせるなど、地元校の教員から協力が得られたことも大きかった、とのことであった。
このような形で、生江地区「なぎさ会」では、実質的にかつての青少年会館における「子どもの広場事業」や「解放子ども会」が取り組んできたことを、条例廃止後、地元支部青年部とボランティアが軸になって展開してきた。保護者や地元住民、運動体、地元の学校などが協力して、青館を有効活用して、学期中・長期休みを問わず子ども会活動を実施した例として、生江地区の取組みはとても貴重である。今後、前回報告の西成地区「スプッチ」の取組みとともに、大阪市内の他地区へと広がることを期待したい。
また、当日の議論において、今の「なぎさ会」の取組みは、かつての「解放子ども会」の取組みによく似ているという趣旨の意見が、元青館指導員の参加者から出された。もしもそうだとするならば、私たちがもう一度、かつての解放子ども会時代や初期の青館での実践などをふりかえり、日ごろの活動内容や指導者、保護者組織のあり方などに学ぶことが、今後の大阪市内各地区での子ども・若者の活動を考える上で有効であろう。こうした点にもかかわって、今後のプロジェクトとしての取組みにおいて、座長から「青館事業史」や「子ども会史」を検討する別プロジェクトを立ち上げてはどうか、という提案もあった。
|