第1部では国際的動向と理論的諸問題、第2部では日本におけるワークフェアとワーキング・プアについて、各論がなされている。
第1章でまず、ワークフェアを「何らかの方法を通して社会保障・福祉給付を受ける人々の労働・社会参加を促進しようとする一連の政策」と定義し、ハードなものとソフトなものがあるとしている。70年代から福祉の雇用指向が進み、これがワークフェアに向けた再編といえるとし、その中で、労働の性格が問題とせざるを得なくなっているとしている。
第2章ではイギリスの例を検討している。「規律訓練型社会政策」に乗れない階層に関する現状認識が行われているが、ここには3つのアポリアがあるとして、自己責任、消費社会における労働倫理の問題、さらに労働市場の二極化が指摘される。日本に導入する際の問題としては、ニート問題が焦点となることで、課題がぶれてしまっていると指摘する。また、仕事と職場の品格が問われているとしている。
第3章では、社会保障給付の抑制のイメージが強いワークフェアを再考し、逆に社会保障の充実という側面もあった点を指摘している。つまり就労を条件とした給付や税額控除は、低所得者向けの所得保障という光の側面もあるということである。
米国の例が第4章で検討されているが、貧困家庭一時扶助離脱者は、結局脆弱で不安定な存在であり、ワーキングプアに近い存在だと指摘している。
第5章では、非正規労働の国際比較が行われている。ほとんどの国で非典型労働者が増加しているにしても、日本のように解雇コストが高く、法定福利厚生制度の事業所負担に差がある国で非典型労働者の増加が著しいとして、解雇法制や社会保障・税制を含む抜本的な改革が必要だとする。
第2部の各論では、まず第6章でシングルマザーの問題が検討される。日本の母子家庭は貧困な労働者モデルである。日本の基本的なモデルは男性稼ぎ主型・専業主婦モデルであって、そこから外れる母子家庭は貧困な労働者にならざるを得ない。60年代からシングルマザーには自立への主体性が要請され、強化されている。社会保障政策でも、死別と生別、離婚と非婚で差別が設けられ、家族の序列化が行われてきた。その中で自助努力が求められてきたけれども、それはもはや限界であり、モデルの転換、ワーキングプア政策でのジェンダーの視点の導入、ディセントワーク、福祉と教育を連結させるなどの政策の転換が必要だとしている。
障害者福祉と就労支援に関しては(第7章)、働きたくても働けない、労働市場から排除された障害者の存在が明らかにされ、その中で、就労に限らない多様な社会参加のあり方を最終的に提言している。
第8章では、生活保護における自立支援プログラムを再検討している。自立支援プログラムは福祉事業所単位の支援をはじめる可能性を生み出した点を一定評価した上で、「福祉から就労」だけではなく、就労のための福祉や福祉を受けつつ就労するという視点も必要だとしている。
第9章では地域就労支援事業が分析される。この事業を通じて、働く意欲を持つ就職困難者の存在、そしてそうした人々が既存の雇用政策から排除されてきた実態、さらには就労に向けた阻害要因の発見と解決の装置として位置付け、日本における社会的包摂の一つの試みとして評価されている。
第10章では、「究極のコスト・パフォーマンス=『雇用のない経営』」として、大企業で横行している偽装請負、偽装雇用などの違法な労働実態を告発し、政府と労働組合の役割の重要性を指摘している。
本書の意義として、広義のワーキングプアの定義を用いて考察することが有用である。公的扶助を受給しながら就業している人たちやボーダーライン層を含めることで、この層が陸続きであり、ワーキングプアの隙間に落ちる層がいる点を明確にすることができるためである。また、労働の質と社会保障に関して言えば、制度の転換期にある点からも、両者をいま一度包括的に議論するために両者を結びつけることが重要である。
また、非正規労働と母子家庭の議論が出てくるが、人件費削減のためにパートを用いている。日本におけるパートは、日本の雇用システムにおける補助的労働として生まれてきたという点から問題を考える必要がある。つまり、女性が補助的な地位にあり、賃金や保障の面で正社員と大きな格差がある。非正規の問題を検討する際に、日本的な前提条件としてジェンダーの視点を踏まえる必要がある。そこから母子家庭の課題にも関連付けることが有用と思われる。
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