植民地化における朝鮮において、人類学研究として重要なテーマであったのは、シャーマニズムや生体計測調査に基づく形質人類学であった。例えば鳥居龍蔵は、朝鮮人と日本人は同一民族であることを主張し、その証拠として日本神道とシャーマニズムの類似性を提唱した。
その後、シャーマニズムについては秋葉隆が、形質人類学については上田常吉が類似性を確認する。また、朝鮮の知識人である崔南善や李能和は朝鮮のシャーマニズムを朝鮮ナショナリズムの核心としてとらえていたが、そのような主張は鳥居のような類縁性の視点によって植民地統治の正当化に「協力」することになり、朝鮮に対する「日本化」の強制という枠組みのなかでのささやかな「抵抗」にとどまった。
このように、日本人と朝鮮人との類縁性を提示する言説(例えば)は、植民地支配が有する暴力性や、それに対する抵抗といった現実を絶えず覆い隠そうとする。つまり、植民地状況下における支配―被支配の現実を隠蔽する一種のレトリックという性格を持つのである。
全体の議論においては、類似性ではなく差異をめぐる議論はどのように行われてきたのか、植民地化という制約の下での崔南善の言説をどうとらえるか、「人種」「種族」「民族」概念の違いと部落問題との関連、類縁性の確認と植民地としての支配―従属の関係性、混血に対する当時の評価、などをめぐって議論が行われた。