〈第1報告〉
従来、身分制度の成立は政治的な支配の結果であると捉えられていたが、実は意図せざる結果であったのではなかろうか。実は宗旨改めが身分制度の固定化に大きな役割を果たしたのである。宗旨改めは、幕府の命によってキリシタンを取り締まるために行われたものだが、結果として人別帳が戸籍の役割を果たし、身分を固定することとなった。
福岡藩における身分制度は、武士の下に百姓・町人・浦人という平人が、人外として皮多・非人・寺中(歌舞伎役者)が、制外として宗教者が存在していた。ここで百姓・町人・浦人のちがいは、住む場所である。郡部に住む者は百姓、城下町に住んでいる者は町人、海岸部に住む者は浦人といった具合であり、このことは身分ごとに固まって暮らすという身分制度の原則を示している。
また、親の身分がそのまま子どもの身分になるということも身分制度の原則であり、したがって、親が非人身分であれば、子も非人身分であり、非人から平人へと身分を変えることはできない。親の身分が子に引き継がれると言う意味で、宗旨改めに身分が書き込まれるということが、身分制度に大きな影響を与えたのである。
〈第2報告〉
ハンセン病療養所内には自治会が組織されており、それぞれの療養所にさまざまな資料が残されている。各療養所は立地によって運営が異なっており、周辺に行くほど状況が厳しくなっている可能性があるが、療養所どうしでは交流もあり、刊行物を交換しあっているようすも伺える。そうした資料のなかには「ハンセン病文学」と呼ばれる文芸作品が多く残されていることが明らかとなった。
これまでに刊行されてきたハンセン病に関する資料集には文芸作品が含まれておらず、歴史研究者はそうした文芸作品を扱ってこなかった。このようなハンセン病をめぐる文芸作品を用いることにより、療養所に在園した人々の<声>を聞くことが可能となるのではないか。
〈第3報告〉
現在進行中のハンセン病をめぐる裁判は、大きく分けて2つある。一つは、ハンセン病療養所での医療過誤をめぐる裁判、もう一つは、旧植民地下でのハンセン病問題である。
医療過誤裁判は、多摩全生園で起こった誤った治療によって後遺障がいをおった退所者による裁判である。問題は、隔離された状況であるがゆえに生じた医療過誤であり、2005年1月31日に東京地裁で原告の国に対する損害賠償請求が認められたが、国は東京高裁に控訴している。
旧植民地下でのハンセン病問題は、韓国小鹿島のハンセン病者隔離政策によって被害を受けた方々を「補償法」にもとづいて、日本の植民地支配下で隔離された方々による補償請求が却下されたことにより、裁判がはじまった。小鹿島のほかにも旧植民地下のハンセン病問題は手つかずのところも多い。