阿部さん
歴史学においては、1990年代半ば大きな節目であり、西川長夫によって「国民国家論」が登場し、小熊英二の議論も登場した。しかし、時代と社会の中に位置づけるという作業は、小熊にとっては得意ではなかったようだ。こうした小熊の議論を先に進めたものとして坂野の著書は評価される。
坂野の試みは、人類学者の言説を時代や社会の中に位置づけてみるということである。観察されるものであった日本人が、観察する主体へと変化する。他者に出会うことによって自己の同一性が揺らぎ、人類学が持っているまなざしが脱構築される。学知の政治性を自覚することの重要性が説かれる。自己は常に他者化される契機に曝されており、他者を語るうえで常に自己を問い直さなければならない。
このような視点は、人類学だけではなく、「国語」研究でかなりの蓄積があり、「帝国」や「観光」をめぐって、日本史でも展開しつつある。
歴史学は、そのまま記述する、実証の領域で空白域を記述する、政治性の自覚が及んでいないような領域(空白域)を明らかにするの3つの方法があるが、今後の歴史学は、空白域を埋めるもとして展開するのだろうか。
黒川さん
全体を通じて、包括的・詳細な目配り、丹念な資料調査、実証がなされており、近代日本の人類学研究についての最初の本格的かつ全体像を描き出した研究である。人類学を通じて、「日本人」の自己認識と他者認識をめぐる学知言説がはらむ政治性を暴き出しており、学問(科学)が常にはらむ政治性を問題化している。
また、アイヌ・琉球とともに、被差別部落の人々に対する人類学者の向き合い方を知る手がかりとなる。人類学者たちは被差別部落の調査を行っているが、解放令が出た後なのに、「旧エタ」「元エタ」ではなく、「エタ」という言葉が使われていることが、人類学者のまなざしを知るうえで興味深い。
また日本人の起源論として「混合融和」があるが、このような思想は帝国公道会の主張にも影響しているのだと考えられる。