調査研究

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2006.02.21
部会・研究会活動 <都市下層と部落問題研究会>
 
都市下層と部落問題研究会・学習会報告
2005年12月10日

琉球弧の近代史と「民族」・再考

與那覇潤(東京大学大学院博士課程)

 これまで、「琉球処分」については、日本「民族」の統一を示す事例であり、否定的に評価されてきたが、本報告では「琉球処分」ははたして民族問題だったのかどうかを問い直したい。

 そもそも前近代の東アジアにおいては「国境」は存在せず、お互いが勝手に勢力圏を考えていたにすぎない。日本も中国も琉球を属国だと思っていたのであり、議論をしてもいなかった。それは明治初頭も同様である。また、同じ民族という論理で沖縄併合を正当化したとしばしば言及されるが、当時の言説に従えば、住んでいる人の出自は問題ではなかった。

 実際に、琉球処分時には人種起源論は採用されなかった。日本側は人種起源論を正当化の論理として使うことは可能であったが、利用しなかったのである。

 「人種・民族」問題にならなかった理由は、主権国家が国民国家原理を前提にしていなかったからである。当時、国家と民族は結びついていなかった。また、東アジア側の要因としては、清朝支配の関係もあり、中華世界では「出自」よりも「徳」が重視されたこと、国家を代表するのは「国民」ではなく「国王」であったこと、東アジア大での「同文同種」意識が共有されていたこと、日本語の人種概念は「似ている」にすぎず、「血縁」という発想がなかったことがあげられる。

 琉球帰属問題が実際に「民族問題」になったのは、前近代的な東アジアの国際秩序が解体し、「人種・民族」に関する知識がより精緻化されてからである。後者については、伊波普猷など、沖縄の人たちが果たした役割が大きい。伊波普猷は、沖縄の地位を上げるという発想があるがために「人種」を重視し、アイヌとは違う正しい日本人種である沖縄に言及することで沖縄の重要性を主張するのである。このような主張は、日本の支配を正当化している側面もある一方で、日本に対する抵抗となっているところもあり、両義的である。


書評:坂野徹『帝国日本と人類学者―
一八八四‐一九五二年』(勁草書房)

阿部安成(滋賀大学)
黒川みどり(静岡大学)

阿部さん

 歴史学においては、1990年代半ば大きな節目であり、西川長夫によって「国民国家論」が登場し、小熊英二の議論も登場した。しかし、時代と社会の中に位置づけるという作業は、小熊にとっては得意ではなかったようだ。こうした小熊の議論を先に進めたものとして坂野の著書は評価される。

 坂野の試みは、人類学者の言説を時代や社会の中に位置づけてみるということである。観察されるものであった日本人が、観察する主体へと変化する。他者に出会うことによって自己の同一性が揺らぎ、人類学が持っているまなざしが脱構築される。学知の政治性を自覚することの重要性が説かれる。自己は常に他者化される契機に曝されており、他者を語るうえで常に自己を問い直さなければならない。

 このような視点は、人類学だけではなく、「国語」研究でかなりの蓄積があり、「帝国」や「観光」をめぐって、日本史でも展開しつつある。

 歴史学は、そのまま記述する、実証の領域で空白域を記述する、政治性の自覚が及んでいないような領域(空白域)を明らかにするの3つの方法があるが、今後の歴史学は、空白域を埋めるもとして展開するのだろうか。

黒川さん

 全体を通じて、包括的・詳細な目配り、丹念な資料調査、実証がなされており、近代日本の人類学研究についての最初の本格的かつ全体像を描き出した研究である。人類学を通じて、「日本人」の自己認識と他者認識をめぐる学知言説がはらむ政治性を暴き出しており、学問(科学)が常にはらむ政治性を問題化している。

 また、アイヌ・琉球とともに、被差別部落の人々に対する人類学者の向き合い方を知る手がかりとなる。人類学者たちは被差別部落の調査を行っているが、解放令が出た後なのに、「旧エタ」「元エタ」ではなく、「エタ」という言葉が使われていることが、人類学者のまなざしを知るうえで興味深い。

 また日本人の起源論として「混合融和」があるが、このような思想は帝国公道会の主張にも影響しているのだと考えられる。

(文責:内田 龍史)