大阪人権博物館は、2005年12月4日にリニューアルした。1日あたり450人〜500人の来館者があり、リニューアル前よりも1〜2割り増しになる見込みである。
博物館活動の基盤としては、他者・自己・資料・人間像・社会像との「対話」、どのように伝えれば議論できるかといった「自己検証」、そして「内的完結しない」ことがあげられるが、今回のリニューアルでは、「物議を醸し」「違和感を感じる」展示を目指した。
人権や差別の問題を、見る者が他者の問題として考えるのであれば「違和感」は感じないはずだ。見る者と問題が無関係ではないようにするための展示はどのようにして可能なのかを探求し、博物館の展示表象行為そのものを対象化する必要性を感じている。博物館が提示したストーリー性に対して、学芸員自身がどう向き合っていくか、自己省察ができているかが問われている。
展示の構成については、学芸員の本質を考えるところからスタートした。学芸員は、資料に内在している意味を提示すること、資料から考えて、テーマを構成すること、専門分野を徹底することが求められる。学芸員が書くことと、当事者の解説をどう両立するかという問題については、全ての資料に館の書誌情報を掲載し、ほぼ同じ大きさで、当事者(最も関わりの深いひと)による解説文も掲載している。どうしても文字が多くなってしまうが、そのあたりの判断は見る人に任せるしかない。
今回の展示のメインはコーナー2「私の価値観と差別」である。価値観は個人の拠り所になっている反面、排除や忌避を生み出すことにもつながっていること伝えている。
リニューアル前との比較では、造作物があまりないということ、HIV・ハンセン病・ホームレス・性的少数者などのあらたな当事者が登場していること、当事者の主張をかなり増やしていることなどがあげられるが、リニューアル後の反応としては、賛否両論ある。「平たくて面白くない」「明るくなった、見やすくなった」などの感想がある。
今後の課題として、差別問題を考えると必ずアイデンティティ問題に回帰するが、当事者・非当事者の2分法では解決できないことがある。このような2分法を乗り越えないといけないのか、あるいは乗り越えなくていいのかを考え続ける必要がある。また、表象行為はステレオタイプも生み出してしまう。博物館が問題のありかを考えるキッカケになるかどうかが問われている。
(文責 内田龍史)