映画「人間みな兄弟―被差別部落の記録」は、同和対策審議会が設置された1960年に完成しており、同和対策事業実施以前の被差別部落の実態を映し出した映像である。部落問題(被差別部落)のありようを伝えることは、被差別部落に与えられてきた「徴」を強く刻印することでもある。このような表象は、当該時期の部落問題のありようを、実態に加えて社会の側の認識を規定していくことになったと考えられる。また映画の作り手=表象する側と被差別当事者=表象される側の意図のズレも想定できる。
被差別部落を映像にすることにはむずかしさが伴っていた。特に、映像の対象となる当事者が誇れないという問題や、「みじめさ」をそのまま映し出すことが差別なのではないかという指摘もあった。それゆえにこの作品では「差別と貧乏を統一的に」描くことが目指されていた。
作品に対する評価として、雑誌『部落』125号上では「座談会「人間みな兄弟をみて」」がなされており、総じて批判的に評価されている。しかし、部落差別を、資本主義・権力による民衆の分断・「つくられつつある」という点からとらえる姿勢が貫徹されていることについては評価されている。
制作の意図としては、映画という手段によって「国民」へ訴えること、資本主義的社会構造の問題として「正しく前向き」にとりあげること、自分自身の問題として対決すべき問題としてとりあげることが目指されていたが、どれだけその意図が伝わったのかという問題は残る。