調査研究

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2006.07.24
部会・研究会活動 <都市下層と部落問題研究会>
 
都市下層と部落問題研究会・学習会報告
2006年6月17日

映画『人間みな兄弟』にみる部落問題の表象

黒川 みどり(静岡大学)

 映画「人間みな兄弟―被差別部落の記録」は、同和対策審議会が設置された1960年に完成しており、同和対策事業実施以前の被差別部落の実態を映し出した映像である。部落問題(被差別部落)のありようを伝えることは、被差別部落に与えられてきた「徴」を強く刻印することでもある。このような表象は、当該時期の部落問題のありようを、実態に加えて社会の側の認識を規定していくことになったと考えられる。また映画の作り手=表象する側と被差別当事者=表象される側の意図のズレも想定できる。

 被差別部落を映像にすることにはむずかしさが伴っていた。特に、映像の対象となる当事者が誇れないという問題や、「みじめさ」をそのまま映し出すことが差別なのではないかという指摘もあった。それゆえにこの作品では「差別と貧乏を統一的に」描くことが目指されていた。

 作品に対する評価として、雑誌『部落』125号上では「座談会「人間みな兄弟をみて」」がなされており、総じて批判的に評価されている。しかし、部落差別を、資本主義・権力による民衆の分断・「つくられつつある」という点からとらえる姿勢が貫徹されていることについては評価されている。

 制作の意図としては、映画という手段によって「国民」へ訴えること、資本主義的社会構造の問題として「正しく前向き」にとりあげること、自分自身の問題として対決すべき問題としてとりあげることが目指されていたが、どれだけその意図が伝わったのかという問題は残る。


期待される「部落民」像―1970年代を中心に

内田 龍史(部落解放・人権研究所)

 部落解放運動の主体形成に関わる問題として、部落民アイデンティティの希薄化の危惧がある。こうした危惧は、「部落民とは誰か?」という部落民規定に関する議論とも重なりあっていると思われるが、では、希薄化していない「部落民」とはどのような存在なのだろうか? その手がかりとして、部落解放奨学生集会資料などから、部落解放運動が部落の子どもたちに期待していた部落民像をあとづけることを試みる。

 部落解放奨学金は、1966年の文部省「同和対策高等学校等奨励費補助事業」が開始されたことにより本格化する。1969年には部落解放同盟主催による第1回部落解放奨学生全国集会が開催され、全国から3000人の奨学生が結集した。奨学生集会は現在も高校生集会として毎年開催されている。

 集会初期に奨学生に向けられたメッセージからは、「各地の部落、学校にかえって部落解放運動の中核となって活動する」「自身のおかれている立場を自覚し、差別の本質をふかめ、解放理論を作りだしていく」ことが期待されていたことがわかる。また、全国各地から一同に部落出身である仲間と会すことによって、集会は集合的なアイデンティティを強化する機能を果たしており、社会的立場の自覚を促すことにもなったと考えられる。また、解放教育運動においても、「部落民宣言」の実践に見られるように、社会的立場の自覚というキーワードが頻出する。

 しかし、子どもたちが期待される部落民でありつづけられるかどうかは、地域に根ざした職業達成が可能かどうかに左右される。アイデンティティ希薄化の議論は、運動に参加し続けられるような職業達成条件の整備とセットで考えられねばならないだろう。

(文責:内田龍史)