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2005.07.12
書 評
 
今西  一

黒川みどり 著

解放出版社、2004年11月刊、A5判、230頁、2,400円+税

 戦後の「部落史」研究では、社会経済史から運動史、そして「地域支配」論と研究の重点が移っても、「部落差別」とはなにか、という根本的な問題が、歴史学的には充分に議論されてこなかった。そこで、一九八○年代からフェミニズム、「在日」コリアンの研究者たちから、斬新な「差別」論が提起されるなかで、「部落史」研究は、どちらかといえば守勢にまわり、若い研究者の心を充分につかむことはできなくなった。もちろん、その背景には、一九六八年の五月革命、八九年以降の社会主義体制の崩壊などによる、マルクス主義歴史学の衰退という大きな問題がある。

 このような状況のなかで、筆者の黒川みどり氏は、果敢にも近代「部落史」に、新しい理論を持ち込み、体系的な叙述を試みようとする研究グループ(都市下層と部落問題研究会)のリーダーの一人である。すでに『異化と同化の間』(青木書店、一九九九年)という学位論文をまとめられたが、それを一般の人たちにもわかりやすく書き直されたのが、本書である。評者は、氏よりは年長であるが、いまだに近代初期の研究にとどまっており、氏のように近現代史全般への体系的な議論は展開していない。評者としては不足であろうが、氏の著書の概要を紹介し、若干の疑問を述べることによって、評者の責任を果たしたいと考えている。

 なお著者の『異化と同化の間』については、関口寛氏(『民衆史研究』第六○号、二○○○年)や、三重県を舞台にした労作『地域史のなかの部落問題』(解放出版社、二〇〇三年)については、重松正史氏(『部落解放研究』第一五五号、二○○三年)などの、幾つかの優れた書評がすでに公表されているので、評者は屋上屋を架すことのないように、両書評では充分に触れられなかった、部落問題=「人種主義」論を中心に論じたい。

本書の概要

 本書は、部落問題を、「できるかぎり他のマイノリティのありようも視野に入れながらその歴史を明らかにしようとするもので」ある。特に「『人種がちがう』」あるいは『異種』といったことばで表現される」、「人種主義」という「近代の徴」が、時期によってどう変化するかに注目している(「はじめに」一〜二頁)。

  I の「『開化』か『旧習』か」では、「解放令」の施行の目的について、上杉聰氏・丹羽邦男氏以来の「地租改正」説に立ち、渋沢栄一の役割が強調されている。しかし、「解放令」反対一揆のところでは、「この当時の被差別部落の人びとに対する呼称は、『新平民』をはじめ、『旧えた』『新平』『元えた』など」で、「従来の身分制度によりかかる以外には、彼らを区別するための新たな徴はできあがっていなかった」と評価している(二五頁)。

  II の「新たな徴の成立」では、松方デフレによる被差別部落の貧困や、コレラの流行によって、「不潔・病気の温床、そして異種という差別のための徴がつくられていった」(三五頁)とする。人類学者の藤井乾助は「穢多は他国人なる可し」(一八八六年)という論文で、朝鮮からの『帰化人』説をとなえ、「被差別部落の人びとを『国民』から排除する、ないしは、一段劣った二級の『国民』として処遇していく理由」をつくったとしている(四○頁)。さらに鳥居龍蔵の調査では、被差別部落の人びとは『マレヨポリネシヤン種族』に似ており、『蒙古人種』ではない、と結論づけ」られている(四一〜四二頁)。

 また島崎藤村は小説『破戒』(一九○六年)のなかで、被差別部落の人びとを「上層」と「下層」に分け、「後者は顔つきや皮膚の色が異なっており、他の『種族』とは結婚しない」としている。ただし「上層」の場合も、「部落外の人びとと外観上は同じでも、執拗な詮索をしてまで『血筋』が問題にされ、それによって排除される」としている(四三〜四四頁)。

  III 「境界の強化と『融和』」のなかでは、三重県の有松英義知事と竹葉寅一郎による、日露戦後の先駆的な部落改善政策が紹介され、そこでも「被差別部落認識は、いわゆる人種主義としてとらえ」られていたとする(七一頁)。また一九一○年の「韓国併合」以降の「植民地支配をつうじての朝鮮人認識のつくられ方、朝鮮民族への徴のあたえられ方が、被差別部落の場合とまったく同様であること」が強調されている(九○頁)。

  IV 「『誇り』の獲得と『同化』」では、第一次大戦後の長野県の上高井平等会での「人種平等・人類平等」という主張や、喜田貞吉の人種起源論批判が評価される。一九二二年の全国水平社の創立「宣言」が、「エタ」「特殊部落民」という徴を「誇り」に転化したところに、「『部落民』という集団のアイデンティティを確認して」いたとする(一二一頁)。しかし、全水青年連盟が、「日本共産党の指導の下に、無産階級運動の一翼をにな」っていくとともに、日本水平社などは「純水平運動」を進め、運動の分裂を促進した側面があったと指摘する(一三二頁)。

  V 「『国民一体』とその矛盾」では、新体制運動下で「国民一体」のスローガンが掲げられるが、和歌山県下のある旧制中学生の七六名の調査では、「友人として交際するか」との問いに、「なし得ない」と答えた者が三五名、「婚姻をなすか」という質問に対しては、「なし得る」との回答が僅か三名、七一名が「なし得ない」と答えている(一七○頁)。「国民一体」の虚構性が明らかになり、ここにも政治的な「同化」をすすめればすすめるほど「異化」が明確になる、というパラドックスがみられる。また、一九三八年頃から「人種」にかわって「民族」という「融通無碍な概念」が、「大東亜共栄圏」下で浮上してくる。

 最後の VI 「戦後からいまへ」では、戦後もまた、「部落内部で婚姻をくり返してきたため、血族結婚によって遺伝上の問題をかかえている」などの「新たな偏見がつけ加えられ」ている(一九九頁)ことが指摘され、近年の「部落史」の研究状況が概観されている。

若干の疑問

 紙幅の制約で、一面的な紹介しかできなかったが、もっと広く各時期の部落問題が概観されており、各章にはコラムや参考文献が載せられていて、近現代の部落問題の入門書としては、格好の書である。ただ、いくつか評者と意見の異なるところがあるので、それを列挙する。

 ないものねだりになるが、「解放令」の研究では、丹羽邦男氏の研究が明らかにしたように、渋沢とならんで杉浦譲の役割に注目される必要がある。大江卓は、近年の研究によると、賤民「解放令」ばかりか、芸娼妓「解放令」での役割さえ怪しくなってきている。また、「解放令」は、その政策過程だけではなく、実施の過程でどのような社会変化を生むのかまで、検討する必要があるのではないだろうか(拙稿「『四民平等』と差別」『日本の時代史二二』吉川弘文館、二○○四年)。

 黒川氏が最も強調する「人種主義」イデオロギーであるが、まず伝統的な「異人種」と近代社会の「異人種」とが、区別される必要がある。そもそも伝統社会の「異人」とは、山人、山姥、天狗、鬼などを指す言葉であったが(岡正雄『異人その他』言叢社、一九七九年)、もちろん「外国人」にも使われている。評者は、荒野泰典氏のように、「近世を通じて社会に刷り込まれ、再生産された浄穢の観念が、華夷観念と習合し、危機意識によって強められて噴出したのが、幕末の攘夷の意識だった」と考えている(「近世日本の国家領域と境界」『歴史学の最前線』東京大学出版会、二○○四年、二一三頁)。すでに朝尾直弘氏が指摘しているように、近世の差別観は、「貴種」と「賤種」といった種姓観念と、東アジアの華夷秩序の問題から解かれる必要がある(『朝尾直弘著作集 第七巻』岩波書店、二○○四年、他)。その「種姓観念」を、近代的に再生産したものが天皇制国家のイデオロギーである。これは、近代的な「人種観」とは、少しズレる問題である(拙著『近代日本の差別と村落』雄山閣、一九九三年)。

 「人種」や「民族」という概念が、近代国民国家によって造られたものであることは、西川長夫氏らの研究(『地球時代の民族=文化理論』新曜社、二〇〇一年)によって、すでに自明のことになってきている。しかし、部落差別や日本人のアジア観の問題を、すべて近代国民国家の「文明化」の論理だけで説くのは不可能である。黒川氏があげている史料のなかでも、三重県の部落改善運動の指針となった、『特種部落改善の梗概』のなかで、「『祖先』の項目欄には、朝鮮半島からの渡来人、蝦夷」とともに、北畠氏の臣下や「落剥者」などの記載がある(七○頁)。伝統社会のなかでは、鉢の「空也上人絵詞伝」や、えたの「河原巻物」、乞胸頭や香具師の由緒書など、さまざまな由緒と伝統が造られており、そのなかには「異神」に由緒をもとめるものもある。果たして「北畠氏の臣下」を名のる伝承も「人種主義」で解けるのであろうか。

 黒川氏があげた、新体制運動下の和歌山の旧制中学校の調査でも、「被差別部落の起源」で、異民族説に立つ者は、七六名中四名しかいない(一七一頁)し、一九七六年の神戸市の調査では八・七%、大阪市では九・五%である(二○九頁)。これらは、いかに為政者や知識人たちが「人種主義」を植え付けようとしても、民衆のなかではリアリティをもたなかったということの反証になるのではないだろうか。

 これは評者と黒川氏との評価の違いでもあるが、喜田貞吉の「複合民族」説が、「単一民族」説とともに侵略のイデオロギーになった、という事実は、もっと注目されるべきである(拙著『国民国家とマイノリティ』日本経済評論社、二○○○年)。日本の植民地支配は、少なくとも建前では「同化主義」をとり、「多民族国家」(「満州国」)などを標榜する実践もあった。ナチスのような「人種主義」による先住民やユダヤ人、ロマニなどの「絶滅政策」はとっていなかった(M・バーリ他『人種主義国家ドイツ』刀水書房、二○○一年)。これを「有色の帝国」の特色として評価する研究もあらわれている(小熊英二『〈日本人〉の境界』新曜社、一九九八年)。

 最後に、第一次大戦後、「人種主義」に「誇り」をみいだし、「自覚」する思想が、「部落民」のアイデンティティを確立したとする議論であるが、これにも疑問がある。「人種主義」を唱えたのは、上高井平等会や平野小劒の「民族自決団」を除くと、アイヌ詩人の違星北斗ぐらいしか寡聞にして知らない。しかも、全国水平社の創立「宣言」では、この「人種主義」的な文言は削除されているのである。もし人種主義が、多数の部落の人びとの心をとらえていたなら、ユダヤ人のシオニズムとは言わないが、なぜアメリカ黒人運動のなかで出てくるパン(汎)・アフリカニズムのような運動が出てこないのだろうか。

 アメリカでは伝統的なアフリカ帰還運動があるが、第一次大戦後には、マーカス・ガーヴィーの運動が大きな影響をもってくる。ガーヴィーは、かつてはペテン師のように言われてきたが、近年の研究では、「『同質化』に基づく『平等』観に対置されるべき多元的平等観があった」と評価されている(川島正樹「ガーヴィー運動の生成と発展」『史苑』第五○巻一号、一九九○年、八一頁)。これらの民衆運動と水平運動との相違も、比較してみたい課題である。

 この他にも文学作品『破戒』の利用の仕方など、幾つか論じたい問題があるが、すでに紙幅を超過しているので筆を擱くことにする。