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2001年9月25日(火)国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議記念シンポジウムより

日本・世界
−国際人権大学院大学の設立に期待するもの

報告者:横田洋三(中央大学教授、国連人権促進保護小委員会委員)

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 ご紹介をいただきました横田でございます。

 本日、この国際人権大学院大学という夢のある構想を進めようと思っていらっしゃる皆様方がお集まりの会に招いていただきまして、大変光栄に存じます。

 ただいまご紹介いただきましたように、私は、大学では国際法、国際人権法という分野を教えておりますが、同時に国連の人権促進保護小委員会の委員を務めさせていただいておりまして、毎年、8月に3週間ですが、ジュネーブで会合を持っております。

 それとは別に、もう今から10年ほど前になりますが三鷹にあります私の前々任校である国際基督教大学、ICUと略されておりますが、そこで国際関係学科という学科を立ち上げるときにお手伝いをした経験がありまして、そのときに私は国際関係の中で人権が非常に大事だということで日本の大学の中では比較的珍しかったと思いますが、人権関係の科目を2つ含めるように主張してそれが認められました。

 1つが「国際人権論」、もう1つが「平和と人権」という2つの科目です。そのとき、新しい学科をつくり、また人権関係の科目をその中に含めるというような企画に携わりましたので、ここで皆さんが進めようと思っておられる国際人権大学院大学については、私なりにこれまでの経験に基づく希望といいますか、夢と申しますか、そういうものを持っていると思いますので、そのことを最初に少し話をさせていただいて、その後、パネルに参加される方々と一緒に少し議論を深めていきたいと考えております。
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(人権の議論をめぐる世界と日本の状況)

 まず、国際的な人権の議論の場に出て感じることは、日本では人権の専門家、とりわけ憲法あるいは刑事訴訟法とか、そういう法律の専門の方々が議論するときには、大体人権とはこういうものである、あるいは憲法の人権規定から現在の人権問題にあてはめ、そして具体的に結論を出すという、これを普通「演繹」というちょっと難しい表現を使いますが、演繹的な方法で問題を考えるということをやっている訳です。

 これはどういうことかといいますと、具体的に人権問題が出てきたときに、憲法の規定なり、あるいは人権の根本は要するに人に譲り渡すことのできない人間としての尊厳を守るものだと、そういうものであるということから具体的な問題に入っていって、これは人権だから憲法が保障しているので守らなければいけないと、こういう論理構成をする訳です。

 つまり、一般抽象論、人権という抽象論から具体的な事例に話を広げていくという方法をとってきたのですね。

 それをやっていますと、常に新しい問題が出てきたときに、新しい解釈を展開しなければいけない。そして、本当に新しい問題については常に異論が出て、人権を先に進めるということがなかなかできない。その前の段階で、解釈論で議論が出て一歩も前に進めない。

 例えば、アイヌ民族の問題が出てきたときに、アイヌ民族は少数者で少数者の保護という規定も日本国憲法には明文ではありませんのでいったいこれはどの人権に該当するのかという議論になってですね、結局そこで議論しているうちに重要な問題は解決が先送りになってしまうという状況がずっと続いてきていると思います。

 国際的にはそれがどういう状況かといいますと、むしろ問題が先に出てきております。例えば、人権侵害で苦しんでいる人がたくさんいる訳です。政治状況が悪いために拷問をされて亡くなる人、あるいは心や体に傷を負っている人。こういう人たちが世界中にたくさんいる。この拷問の問題をどうやって解決するかという、問題はそこから始まるのですね。

 女性の問題、女性の権利の問題、さらには女性に対する暴力の問題、あるいはルワンダで起こったこと、旧ユーゴスラビアで起こったことを念頭に、今度は戦時における女性に対する暴力の問題、という具合に、一つひとつ問題を先に捉えて、それにもし現在の国際人権の考え方が合わない場合にはそれをどうやって新しく作っていくかということを考える。

 具体的な人権問題が先にあって、それにむしろ人権条約あるいは人権宣言というものを合わせていく。ですから、ない場合には作ろうという、そういう動きになってくる訳ですね。

 人権に関しては、世界で次々と新しい問題が起こってきていますので、例えば、「グローバリゼーションと人権」とか「ヒトゲノムと人権」、あるいは「医療と人権」、この「医療と人権」は最近日本でも出てくるようになりました、臓器移植とか脳死の問題との関連ですね、しかし、国際社会では昔からこのことは議論されてきております。

 それから、「情報技術と人権」、これは最近の新しい問題ですが、全部もう既に人権小委員会で、中心的な課題として位置づけられているものです。毎年、これらについて議論をしております。

 ところが、日本では話が一般論、抽象論から入っていくものですから、日本国憲法には「ヒトゲノムと人権」については何にも書いてありませんし、それが現実の問題になるまでは、被害者が出るまでは、何も議論が進まないという状況になっています。

 国際社会の場合には、新しい技術が出てくると、それが人権にどう影響するかということについてすぐ人権との関係で議論が始まる。そして、足りなければ宣言案を作って、少なくとも法的には規制できないとしても道義的な規制を及ぼしていこうと言うことが始まります。

 この「ヒトゲノムと人権」については、すでに数年前にユネスコで宣言案が採択されております。日本ではまだ、この問題について、理解している人も、人権の専門家にほとんどいないと思います。つまりそうやって、常に日本では、一般抽象論、つまり憲法の人権規定から話を始めていくものですから、なかなか議論が現実の問題と絡み合わないという状況があります。

 9月11日以来、今でも毎日トップニュースになっております連続同時テロの問題ですね。「テロリズムと人権」というテーマはすでに人権小委員会で数年前から扱ってきております。

 そして、ギリシャのクーファさんという国際法の先生がそのテーマの特別報告者になって、既に今年の会期に予備的な報告書を出して、来年はさらにそれの発展した第二次報告書を出すことになっております。この事件があったので、そのクーファさんという人は、多分この問題も扱った報告書を書くのだろうと思います。

 このように、次々と新しく起こってくる問題に対して、取り組んでいるというのが国際的な人権の議論のあり方です。私がつくづく感じることは、日本ではこういう問題をほとんど議論していません。学会でも、裁判所でもあまり扱っていない。

 そうしますと、日本での議論は非常に常識的なレベル以上に深まらないのですが、国際的な場面に出ていきますと、それがどんどん議論され、報告書が出され、批判の論文が出され、またそれについて反批判の論文が出されという形で、議論がずっと蓄積されていっていますので、私が日本での議論を踏まえて国際的な議論に参加しようと思っても、もう私の持っている知識とか理解のレベルというのは非常に低いですね。日本をバックにして出ていくと、どうしてもそこの議論には入っていけません。

 つまり、専門性が私の場合は国際的な場面に出ていったときに、どうも欠如しているという、そういう実感を持つ訳です。現在、国際的な場面において人権の問題を議論するときには、そういう専門性を持った人権の専門家が集まってくるようになりましたので、それを背景にした議論がどんどん進んでいく。

 そして、宣言案が採択されたり、条約案が採択されたりしていくという状況です。そこで、ここに、日本も他の国の人と一緒になって、人権の促進のために何らかのインパクトを与えていこうとするならば、日本でもそういう専門性を持った人たちがきちっと育っていくということがどうしても必要なのだろうと思います。

 ところが残念なことに、日本では大学教育において現在、人権というものを正面から扱う科目を持っているところはほとんどありません。大体、法学部で憲法とか、そういうところで人権を扱う訳です。あるいは、国際法の一部で人権を扱いますが、その他に、人権論とか人権学とかですね、あるいは先ほど言いましたように国際人権論、あるいは平和と人権、こういうテーマで科目を常に出している大学というのはほとんどないと言っていいと思います。従って、専門家が育つ土壌が今までなかった訳ですね。

 かねがね私はそう言う問題について、日本からもっともっと国際社会で貢献できる人材が育ってほしい。そのためには、日本の国内で人権の問題についてもっと専門的な研究と、トレーニングが行われる必要があると思っておりました。

 そういうことがある中で、川島慶雄先生から大阪の方では、実は国際人権大学院大学を作ろうという動きがあるのだということを、しばらく前に話をお伺いしまして、それは大変心強いことだと思った次第です。日本でそういう新しい大学院を作るのは、いろいろと難しい手続き上の問題もあって大変な訳ですけれども、しかし、そういうものを作る方向というのは正しいのであって、是非実現してほしいと思っていた訳です。
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(国際社会で活躍する人権の専門家)

 もう少し、具体的に、どういう専門家が必要かということを考えてみますと、いろいろな専門家が必要であることがわかります。例えば、私は今国連の人権小委員会に専門家として出ております。私には1人代理委員がついておりまして、現在は東京大学法学部の寺尾美子先生が代理委員になっております。

 ところで、私は国際法、寺尾先生は英米法ということで、実は人権の専門家では必ずしもありません。その後、寺尾先生も勉強しておりますし、私もそれなりに勉強をし、ある程度の人権に関する議論には参加できるようになってきたと思いますが、ただもともと人権を専門にする人ではなかったのですね。

 ところが、そういうところに、日本政府が推薦して、しかも国際社会で、選挙とか任命の場合もありますけれども、履歴を見てこの人は大丈夫という一種の審査がある訳ですが、その審査に通ってですね、国際的に活躍する例えば人権小委員会のメンバー、あるいは京都大学から同志社大学に移られた安藤仁介先生は、現在、自由権規約人権委員会の委員をしておられますが、そういうところに出ていく人材というのが、層が厚くいるかと言えば、日本は必ずしも多く育ってはいないのです。

 従って、常に、次の人を誰にしようかというときに本当に苦労する訳です。そういう人材が育っていないということは、やはり日本のような、国際社会において大きく貢献することが期待されている国の場合、国際社会から見ると何となく日本は人権に後ろ向きだというイメージを与えてしまって、いろんな意味でマイナスではないかという感じがしております。これは、一つの例です。

他に、例えば、日本はまだアジア地域に人権機関がありませんのでそういうことにならないのですけれども、ヨーロッパとかラテンアメリカ、まもなくアフリカもそうなりますが、人権裁判所が存在するところでは、人権裁判所の裁判官や検事あるいは弁護士として活動できる人、こういう人が育っていなければならないのですが、日本では残念ながらそういうところにも人が育っていません。

 従って、アジアに人権裁判所ができたとして、日本から誰か出してくれと言われた時に、なかなか候補者が出てこない。そういう意味で、日本はまだまだ人材が不足しているという状況だと思います。

 それだけではなく、いろんな人材が国際社会では必要とされています。例えば、国連にはいろいろな人権関係の会議とか、人権関係の委員会を補佐するための事務局があります。これは、人権高等弁務官事務所と言っておりまして、大体150人くらいのスタッフがいるところです。ここでも、日本人がいま数名おりますけれども、これらの方々ももともとは人権の専門家ではなかったのです。

 そこで働いているうちにだんだんと経験を積んで、現在ではもう立派な人権の専門家ですけれども、問題はその人たちがやめたときに、その後を継ぐ日本人がまだ育ってない。ところが、現在の段階では、昔は他の国も専門家がいなくて、段々経験を積んで育ったのですが、現在は、海外の大学では国際人権関係のプログラムのある大学が増えてきておりますので、そういうところで育った人がもう既にいます。

 そうすると、あるポストが空いて、日本人がやめてポストが空きます、そこに日本人が入れられればいい訳ですけれども、ところが日本から来る応募者は、国連に勤めたい、人権関係をやりたいという希望を持っている人は沢山いるはずで、応募はあります。ですが、応募があっても、きちんと大学院でトレーニングを受けているという背景がない。

 語学の面でも大丈夫かどうかまだはっきりしない。それに比べると、別の国から来た人は英語もフランス語も問題なく話せる。人権関係の専門の大学院で博士号を持っている。しかも、人権関係のNGOで5年働いていた、というような経験を持っている人がいるのですね。日本人のスタッフをそこに入れようと思っても、これは能力中心ですから、とても日本人は入れないということになる訳です。

 こういうところでもやはり、人材が実は必要とされているのですけれども、残念ながら、日本からはなかなかいい候補者が出せない。そこに就職したい、国連に勤めたいという人はたくさんいるのですが人材が育っていない。こういう問題があるのですね。

 その他にも、もちろん、人権のNGOというのは人権の分野では非常に重要な働きをしています。日本でもそうですけれども国際的にもそうです。アムネスティ・インターナショナルとか、国際法律家委員会、ヒューマンライツウォッチとか、たくさんの人権の団体があります。この部落解放同盟が大きく設立に関わった反差別国際運動(IMADR)も現在国際的に活躍している、日本をベースにした国際的な人権NGOです。

 ところで、NGOでも、いい仕事ができるかできないかは、もちろんお金とかいろいろな要素もありますけれども、非常に重要なのは人なのです。そこで、そういうところは常に人を募集しています。日本から是非と言われるのですけれども、そこに推薦できる人がなかなか育っていないという問題があります。

 ジュネーブで今活躍している田中さんという人がいますが、皆さんもご存じかもしれませんが、もう長く勤めておられる方で、この方も、少し今度は違った経験をしたいなと思って、ということも雑談の中では話しているのですけれども、ただこの人がやめたときに、そこに代わる人がなかなか育っていないためにすぐに抜けられないと、こういう意味で、流動性がないのですね。こういう人権関係のNGOも、これからは国際的に活動できる専門的な人材を必要としております。

 その他に、実はもっともっと、人権の専門家は必要です。官庁、中央官庁もありますし自治体の公務員の方もいます。一般的な公務員の方も人権に対して理解と日常的に実践を、人権を尊重するという行政を行うように実践する必要があります。

 そうなりますと、内部のアドバイスをするような人が絶対に必要になります。現在、自治体でも、同和問題や人権問題を担当する部署ができております。そういうところはたまたま配属されてそこへ行って、人権のことを初めてするという人が、恐らく日本の場合にはほとんどだと思いますが、そういう形だけですと、恐らく仕事をやっておられる方は、国際的な議論がどこまで進んでいて、それを理解して、しかもそれに対して日本から何か発言していこうとしても、その議論のレベルに達するまでの専門性がないのですね。

 そのためにご自身は非常に気持ちはあるけれども、自分の今までの教育や訓練がそういうものを背景としていないために、もどかしさを感じられるということも恐らくあると思うのです。こういう方たちの中にはですね、人権を是非自分の専門としたいという人もいるはずです。

 ところが日本では、その人たちに対して、再訓練をする場もないのです。ですから、人権担当の部署に行って、人権のことを是非勉強したいけど、どこで勉強したらいいかというと、先ほど言いましたように日本の大学、大学院には科目すら持っているところがない。ましてや、専門の人権の大学院なんていうのはないという状況です。

 まだまだ、必要な人たちは沢山います。人権の実現に深く関わる公務員は沢山います。警察官、自衛隊員、さらに刑務所の職員、あるいは出入国管理に携わっている人たち、こういう人たちは、日本でもしばしば人権侵害をしていると批判されるケースがあります。この人たちに対してきちっと人権教育をする必要がある訳ですが、これも、人材不足で、なかなか内部でそういった人たちに対して、きちっとした人権教育をすることができません。

 時々、川島先生とか私のようなものが招かれて、1回限りの講演をするということはありますが、日常的にその組織の中で人権の問題に関心を持ち、問題があると思ったらすぐそこに対してチェックをするようなそういう意味の専門家というのは日本にはまだいないし、育ってもいないという状況があります。

 それから、弁護士の先生方は人権の問題に特化した先生が最近は出てきておりまして、その意味では心強いのですが、しかし国際人権となりますと、日本で司法試験に合格し、司法研修所で訓練を受け、弁護士のトレーニングを受けて実務を始めたという段階ですと、そこに至るまでの過程で国際的な人権についての知識を得る場というのがなかなかないのですね。

 司法試験の科目にもないですから。憲法の人権規定ぐらいのところですね。そういう方たちも、人権に関してもう少し高度の専門性を身につけたいと思っておられる方がいるに違いないと思います。

 さらに、「人権教育のための国連10年」というのは1995年から10年間ありまして、今年で7年目ということで、日本も、政府、自治体が行動計画を作って、活発にやってる方だと思いますが、その中でも、特に強調されているのが、裁判官への国際人権の教育ですが、これはなかなか日本も進んでいない状況です。

 最近、少し裁判官に対する国際人権の再研修というのが、司法研修所で行われるようになりまして、私も時々参加させていただくのですが、これは少しずつ動いているという意味では歓迎できますけれども、継続的に組織的に、裁判官の方に国際人権の動きがどうなっているかというようなことをきちっと学んでもらう。あるいは場合によれば、さらに深い研究をしていただくというような機会はまだ作られていません。

 それから、人権のジャーナリスト、人権問題については比較的、新聞は一般の読者の関心もあってカバーすることが多いのですが、ただ実際にはなかなか人権の中身について詳しく専門的に知識を持っているジャーナリストはほとんどおられないと思うのです。

 常識的な人権は、もちろん皆さんと同じように知っている訳ですけれども、一歩深めてですね、例えば、ヒトゲノムと人権なんていうことになると、恐らくそれがすぐに分かるジャーナリストというのはいないのではないかと思います。しかし、ユネスコの会議に行きますと、それがすぐに議論の対象になるということですね。ジャーナリストの方にも人権の高度の専門性を身につける必要のある時代に入ってきているように思います。

 こんなことで、私は人権の専門家というのは国際的に要求されてきており、特に日本のような国ではまだそういう人権の専門家が育っていないという枠の中で考えますと、是非そういう人材を育てるための高度の大学院を設立することは大変いいことだし、いずれできると思います。だとしたら、皆さんがやっておられるように、早く作るために活動されるというのは、私は意味があると思っております。
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(国際的な人権の専門家に必要な資質)

 最後に、どんな知識や経験がそういう人権の専門家にとって必要かということを、私なりの経験に基づいて話をさせていただきます。

 まず第1に、知識とか経験とかそういうことを一切除いて、私は人権の専門家になるためには、人権を促進し保護しようという熱意、情熱がなければダメだと思います。ただ大学院で、高度の専門性を身につけて、それを持っていると国連に入りやすいという動機付けだけでは私はいけないと思います。

 やはり人権を促進したいのだという個人的な熱意が必要だろうと思います。同時に、そういう人は高潔な人格を持っている人でないといけない。人権の専門家が、一般的に見てどうも首を傾げるような道徳観、道義観を持っているような人では、困るだろうと思います。

 別に人権の専門家が、常に堅苦しい、規則にがんじがらめの生活をしないといけないということではないのですけれども、ごく常識的に、人間として当然の行動基準を持っているという必要はあるだろうと思います。

 その次に、やはり人権に関する知識。これは人権の内容と手続きの両面で必要です。内容というのは例えば、女性の権利とか子どもの権利、同和問題、アイヌの問題とか、そういう個々の人権の問題についての知識をもっているということ。

 それから手続きというのは例えば、それを国連に訴える場合にはどこに訴える場があって、どういう手続きをとればいいか、それから国内で裁判所に訴える場合にはどのような手続きがあるか、裁判にいく前にオンブズパーソンのようなシステムが日本にあるかどうか、こういうことを手続き的にきちっと知っているということも大事なことです。この内容と手続きの両面において、人権に関する知識というのは必要だろうと思います。

 それから、最近はですね、人権という問題が非常に広がりを持ってきましたので、関連分野の知識も必要です。例えば、経済学、医学、社会学、さらには化学のような、自然科学も時には必要になります。すべての人権専門家がこういうものを知っている必要はないのですが、沢山いる人権の専門家の中に、ある程度医学の知識を持った人がいるということは、大変重要なことです。

 臓器移植とか、死の定義とかいうような問題と、人権を絡ませる場合には、やはり医学の知識を持っているか持っていないかで、国際的な議論に参加する場合に大きな違いが出てきます。

 それから、人権の問題はこれからは一国の国内だけでは完結しません。日本の問題が国際的に広がり、国際的な問題が日本に入ってくるという格好になりますので、その点については国際的に議論ができるような語学力が基本的に必要だと思います。これもやはり、もし国際人権大学院大学を作る場合には、その点もカリキュラムに反映させた方がいいのではないかと思います。

 具体的には、やはり英語が基本ですが、さらにフランス語がもう1つ加われば、これはもう鬼に金棒です。しかし、英語でまずは人権問題について専門的な議論ができるというレベルに達することが望ましいと思います。

 それからやはり人権の問題は、例えば、宣言案を作るとか、あるいは条約案を作るとか、前向きに次々と新しいものを考えて構想する、創造力、企画力、そして大事なことは実行力ですね。

 こういう問題をどんどん前向きに掴んでいくという能力も必要だと思います。従って、講義をする場合には受け身的に先生の講義をただ聴いてというのではなくて、もっと参加型の授業形態をとることも国際人権大学院大学では必要ではないかなと思います。

 それから最後になりますけれども、もう1つ重要な点は、これはどんな組織でも必要なことですが、人権の専門家にもう絶対必要なものはですね、人間関係を円滑に処理する能力ということです。いろいろな人の助けを借りて、いろいろな人と協力しなければ、人権というのはなかなか前には進みません。

 この人のネットワークというのはすごく大事で、そういうものをどう築いていくか、そして人から得られた信頼を維持していく、それから自分が信頼できる人を大事にしていくという、こういう関係ですね。これは、どんなビジネスをやる場合にも、あるいは官僚になって公務をやる場合にも当てはまると思うのですけれども、私はとりわけ、人権を専門にやる人にとっては、この人間関係を処理する能力というのは絶対に必要だろうと思います。
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(国際人権大学院大学への期待)

 以上のような能力を持った専門家が育ち、日本が国際的な人権の議論の中に積極的に関わり貢献することができるようになれば、すばらしいのではないかと思います。

 この国際人権大学院大学(夜間)ということで、皆さんこれから作ろうという試みをしておられる訳ですけれども、私としても是非応援したいし、早く実現すればいいなと思っている、ということを申しあげて、一応私の最初の問題提起はこれで終えさせていただきます。どうもご静聴ありがとうございました。