講座・講演録

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施設コンフリクトと啓発活動(1)
施設コンフリクトとはどんな現象か−

報告者:大谷 強(関西学院大学)

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「施設コンフリクト」という言葉は、2〜3年前から使われるようになった言葉です。一般的な概念定義では、社会福祉施設を新しく建てようとする時に、住民や地域社会が強い反対運動が起こっていることをごぞんじでしょう。そのため建設計画がとん挫してしまったり、建てるかわりに大きな譲歩を余儀なくされるという、施設と地域間での紛争を施設コンフリクトと呼んでいます。

最近では、大阪市の長居公園にホームレスの人たちの仮宿舎建設が大阪市から提案されましたが、周辺地域の人から非常に強い反対運動がありました。もちろん当事者からの反対運動も別な意味ではありますが、それらがこの例です。

 あるいは京都では、精神障害者の生活支援センター建設を住民、特に障害者を中心としたNPOが計画しました。これはある意味で土地の用途指定が違うという理由もあったのですが、現在のところ、京都市が精神障害者の生活支援センター建設ストップを打ち出したと、2001年2月に京都の地元紙に載りました。

 他にも各地域で特別養護老人ホームを建設しようとしたり、痴呆性高齢者のグループホームをつくろうとした時に、地域の人たちが反対運動を起こしたことなどが伝わってきます。

 また大阪では、大阪市東成区で一昨年に精神障害者の人たちの地域支援センター「すいすい」がつくられました。その時に地元住民が反対を決議し、電柱に建設反対のぼりやビラを貼ったりしたのです。その反対運動の中には区社会福祉協議会の理事もいて、「あなたは福祉を推進する側かどっちなのか」という議論がありました。

 あるいは大阪市西成区でも、精神障害者の通所施設の建設計画がもちあがったところ、地域の町会が反対決議をあげるということがありました。いまは装いを変えて、新しい形で障害者たちが集う場所をつくるということで建設はすすんでいますが、この反対運動によって少なくとも2年か3年は建設が遅れたはずです。

 こういったことはいろんな所で続いていると思います。もっと俗な言葉で言えば、施設ができると地価が下がるといった理由で反対運動が起きている場合もあります。こういったことも含めて、各地域で施設を新しくつくろうとしたときに、住民側から強力な反対運動が起こってしまうことを施設コンフリクトと言っています。

 この言葉は、「衝突」と訳すと住民と施設や利用者とが直接ぶつかっているように感じますが、カタカナにするとそのイメージが和らぐので使われています。これは大阪市が1999年11月に「施設コンフリクトの解消に向けた基本的考え方」を発表してから、よく使われるようになった表現方法です。
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 先に結論的に言えば、なぜこの人権啓発研究集会でこの問題を取り上げたかというと、精神障害者がお互いに相談し、自立生活のために互いが援助していこう。あるいは、自分たちで仕事をして、多少でも自分たちの力を発揮して収入が得られるようにしよう。グループホーム、特別養護老人ホームなどで介護を必要とする高齢者の生活の場をつくろうということに対しての反対運動であれば、これらはそうした主体的な生活の場を奪う、地域での生活を阻害するものです。その地域で「特定の人は日常生活をしてはいけない」と客観的に表明しているわけですから、これは大きな人権問題ではないかというとらえ方ができます。

 単に下水処理場や清掃工場の建設反対や、工場の建設反対とはそこが違うのです。もちろん共通する点はあるのですが、もっと深刻な、一人ひとりが地域で生きていく権利を奪ってしまう問題なんだ、というとらえ方をしようと考えています。

 この問題は最近大きく話題になりました。昔、1970年代〜80年代前半ぐらいまでは、特別養護老人ホームや障害者の施設は町中にはなくて、風光明媚と言えば聞こえはいいのですが、最寄り駅から50分もかかるような山の上や、海が見える丘というのはそうなのですが、街からは30、40分かかるような、それも日に数本のバスしかないような場所にありました。そんなところですと地域の人と接触する機会もなく、ある意味ではそこで雇われる給食関係や介護関係のスタッフ雇用の場にもなるので、あえて問題にはなりませんでした。

 それが80年代後半から、最初に老人ホームの建設反対が広がってきました。この背景には、人里離れた場所にある老人ホームや障害者施設は、本当にそれが望ましい姿なのだろうか。そういう場所に入らざるを得ない人にとって、自分たちの生活の場と言えるだろうか、という反省があります。ですから、施設を町の中にもっとつくろうじゃないか。町中につくれば、家族や友だちがもっと頻繁に訪問できて、いろんな人間関係を豊かにすることができるはずだ。こうして居住地に近い場所への建設がすすんだということがあります。

 また一方では、特に都市部などでは住宅開発が進み、従来は丘の上の施設だったものが周りが全部宅地開発されてしまったということもあります。後から入ってきた新興住民は、「ここでまだ施設を増やすのか。しかも行き帰りを障害者や高齢者がいて危ないじゃないか」と言い出します。

 せっかく買った土地ましてや80年代後半から90年代はバブル期ですから土地の価格は上がりましたが、施設ができたおかげで地価が下がってしまうという反対運動もありました。

 こういった2つの面から、80年代の後半ぐらいから特に特別養護老人ホームの建設に対して地元住民による反対運動が非常に強くなってきたのです。
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 1989年という年は高齢者の福祉において非常に大きな転換点でした。政府は1989年に消費税導入と引きかえに「高齢者の保険福祉の10ヶ年戦略」いわゆるゴールドプランを提案しました。今後高齢社会で介護を必要とする寝たきりや痴呆症の高齢者が増えて、支援が必要な人が増えてくる。もっと福祉施設をたくさんつくって、生活を支えるようにしようという施策が始まりました。

 当時、特別養護老人ホームには全国で約3万人が生活をされていました。現在は約30数万人と、この10年で10倍になりました。この他に老人病院、療養型病床群、老人保健施設などもたくさんつくられています。いまそういった施設で生活をされている高齢者の方は、50万人から60万人は増えているのではないかと思います。

 そうすると、これまではちょっと離れた所だったので、「いや、うちの地域とは関係ない」と考えられていたのですが、建物の数が増えてきてそういうわけにはいかなくなりました。それから、デイサービスやデイケアが行える施設を、89年にできた老人保険福祉計画によって中学校区に1ヶ所は建設するということとなりましたが、いまは中学校に2ヶ所ぐらいそういった施設がつくられています。そうするとデイサービスやデイケアに行き帰りをする人が増えてきています。

 また、かつては精神障害者の人たちは精神病院に入っていればいいんだと考えられ、精神病院も多くが山の中や丘の上のほうにありました。私たちがよく実習や施設訪問に行っても、きちんと地図に入り口が書いてないので迷ったりしました。内科や外科はすぐにどこにあるかわかるように看板もあるんですが、精神病院はとても細い道を入っていくようなわかりづらい場所にありました。

 ところがそういった所に入院している精神障害者の人たちは、本当はこんなに長く入院したいわけではなく、地域社会に出て当たり前の生活をしたいんだという声を80年代後半から90年代にかけて出すようになりました。それでも、まだ全国で30数万人が精神病院に入院しています。約半分の方が5年以上の長期入院です。中には、18歳のとき受験勉強中のストレスで発病して、30年間入院し、48歳になってやっと出てきた人もいるのです。

 そのように長い間入院していると、ますます地域社会に生活復帰することができなくなります。だからできるだけ早く帰ってきたいんだけど、地域に帰っても精神的な不安などに対するアドバイスが必要です。そこで誰かが相談にのってくれる場所がほしい、ホッとできる場所がほしい。あるいは、一人で閉じこもっているよりも外に出てお互いに話をしたり、一緒に作業をして、食事も一緒に作って、そして気持ちを少しでも和らげる場所がほしい、ということが言われるようになりました。
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 精神障害者関係で言えば、ここ1、2年でそういう集まる場所や自分たちが作業をする小規模作業所がたくさん増えてきました。通勤するためには町中にそういう場所をつくるのは自然です。また、障害者自身も商店街を通り抜けそこに通ってきて、帰りに商店街で物を買って帰るとことが社会とふれあうことになります。買い物のしかたを覚えたり、人付き合いをもう一度回復していくチャンスになります。

 そういった理由で障害者自身からも、身近な所で集まる場所をつくりたいという声が広がってきたのです。行政側もそうした言葉に対して、遠くの施設に高齢者や障害者だけが閉じこめられるのはある意味差別ではないか。町中で生活を営めるのが、本当に人間らしい生活ではないかということをそれなりに受け止めてきました。ですから、日本の福祉政策としてもこの10年間で厚生省や各自治体の政策は大きく変わりました。

 高齢者で言えば、1985年のゴールドプランを受け継ぎ、1992〜3年ぐらいに各地自体とも高齢者の保険福祉の10ヶ年計画がつくられています。介護が必要になっても地域で生活するための地域計画が、全国の市町村で1993年ぐらいにつくられたと思います。その延長上に2000年4月から介護保険が始まりました。介護保険でデイサービスやデイケアに通いますが、自分の家からせめて30分ぐらいの地元にそれぞれつくろう、と介護保険の需要計画がつくられました。また、2000年に老人保健福祉計画も議論されました。

 障害者についても、障害があっても地域であたりまえにノーマルな生活が送れるようにする。障害をなくすのではなく、障害をもちながら当たり前に生活できるようにしようということで、政府は1994年に障害者の福祉の7ヶ年戦略、ノーマライゼーイションプランを出しました。これは各自治体には作成義務はなく努力義務でしたが、いま全国で約半分以上の市町村で障害者の保健福祉計画が策定されていると思います。
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 ノーマライゼーションの語源を説明します。ナチスの占領下のデンマークにバングミゲンセンさんという、反ナチスの活動家がいました。さいわい出てくることができたのですが、一時期、捕虜となりナチスの収容所に入れられてしまいました。収容所ではナチスが一方的に部屋も日課も決めてしまうなど、職員側が自分たちの生活のすべてを決めてしまいました。自分から外にできることはできない、一方的に収容されるということをナチスの時代に経験します。

 戦後デンマークに戻ってみると、同じことをデンマーク国民は知的障害者や精神障害者、高齢者にしていたことに気づきました。ナチスの収容所と同じように、お前たちはこの施設にいろと言われ、自分から外に出ることはできません。中にいれば、元気な職員が日課を決めて、生活を自分で決めることはできない。これは当たり前の生活ではないんじゃないかと考えました。障害者ばかりが集まっているのも当たり前じゃないし、障害者に日常生活とは違う一方的な指示命令ばかりの生活も当たり前ではないということです。

 この反省からつくられてきたのがノーマライゼーションという言葉です。ですからノーマライゼーションという言葉には、障害を持っている人や介護を必要とする高齢者ばかりを一ヶ所に集めてしまうことへの反省の意味があるのです。また、日常の地域社会の中に障害者や高齢者や若い人がいるのが当たり前なのであって、そういった人たちを排除してしまった地域社会はそのほうが不健全だという意味です。高齢になるのも動けなくなるのも、小さい頃から動けない人がいるのも当たり前なんだという考え方から出てきたのです。

 これらを実現しようと思えば、町中で人々がふれあっている所で同じように生活をしていく。そして特別な援助が必要な場合は援助をしていく、という形で施設の建設が地域で始まってきました。そうすると、その地域での反対運動が起きるようになりました。

 反対運動にはさまざまな理屈がつけられます。大阪などでは、「施設は必要だし、私も福祉は賛成です。高齢者や障害者の方は普通の住宅に住んでの生活は難しいので援助の場所は必要です。でも、なんでうちの町内なんですか」という反対です。あるいは、「この地域にはいろいろ福祉施設はあるのに、またわざわざこの地域に建設するのですか。施設が集中しているから、そういう人たちばかり集まってくる」という声。あるいは、「用地買収をしたときに、これは公園、文化ホールをつくるといって用地買収をしたと聞いていたのに、そこに障害者施設をつくる。これでは行政不信だ。」という声もあります。

 また、「高齢者施設は自分のおじいちゃんも動けなくなったし必要です。だけどなぜ障害者施設なんですか」という言い方であったりします。そういった人たちも10年前は高齢者施設に反対していた人たちですが、いまは高齢化社会で、結婚をしていればどちらかの家族には介護が必要な人がいる状況ですから、高齢者施設の必要性は否定できなくなりました。「だけど障害者の施設は…」という話になるのです。

 では、高齢者と障害者のどこが違うのですかと問うと、「その中でもなぜ知的障害の人なのか。あの人たちは何をするかわからない。なぜあの人たちの施設をつくるんですか。」とまた意見が変わるのです。最後には、「知的障害者の人はいいですが、精神障害はこまります。恐い事件もあったし…」となるのです。

 はじめは福祉施設反対だったのが、高齢者施設はOK、つぎは障害者でも話のわかる障害者はいいけどコミュニケーションをとれない知的障害者はダメ。知的障害者はOkとなったら、こんどは精神障害者はダメと変わっていくと思います。

 あるいは行政との関係では、「事前に説明がなかった、土地の買収の問題、急に町会長の承諾もなく勝手に施設建設を認めた」などです。または設置場所が学校の近くであるとか、通学路の途中にあるからダメという声もあります。いまは通所型の施設が多いですから行ったり来たりがあります。

 ずっと施設の中にいるのであれば、その中に閉じこめておけばいいという話になりますが、通所となると「子どもたちの登下校にぶつかったら…」という社会生活上の不安があるなどです。大阪でも実際にそういう内容のポスターやのぼりが出ていたことがあります。「この閑静な住宅地になぜ障害者施設なんだ」という。そこが非常にやっかいな部分なのです。

 つまり、理念として福祉社会を否定することはありませんし、必要だということはわかっているのです。高齢者や障害者たちが地域で生活すること自体に反対するとは言えなくなっています。そういうことを言うと差別だ、ということはわかってきた。でもよりによってここに、ということでの反対なのです。
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 こういった時に反対の理由として、行政が持ち出されます。建設は社会福祉法人、NPO、医療法人などが行うのですが、自治体が認め、施設の建設費には国や県や市の財政も投入されますから、そういう意味では行政も責任者じゃないか。さらに土地も市が斡旋したり安く借り上げた場合、市が公園用地や文化ホール用地に買ったものを障害者施設に転用した。そこで手続論の批判が出てきます。「説明がなかった、最初の説明とは違った、急に説明があった」など。以前は社会福祉法人が福祉施設をつくるときには地元同意書が必要でした。その段階で地元同意書を持っていくと、「聞いてなかった、急にこんなことを持ち込まれてもこまる」となるのです。

 一昨年ぐらいから地元同意書は必ずしも必要ではないとなりましたが、それまでは施設や行政の担当者が夜中まで町会の役員宅に呼ばれて抗議を受けていました。その時も理念として施設の必要性は否定はできないんです。しかし、反対運動をされている方にはこれは人権問題だという意識はないと思います。そこがいままでの啓発活動と非常に違うところです。

 また、反対運動される方たちの本音の一つに、知的障害者や精神障害の方とつき合ったことがないことによる偏見があります。マスコミ報道であるような、「刃物を振り回したとか、急に襲いかかった」という話が出てきます。また、地域の顔役が精神障害というのはこんなんだと言うとすべての障害者がそうなるのです。こんど施設をつくっても、そこに通ってくる人たちは皆そういう人たちなんじゃないかという固定観念の増幅があります。

 「理念は認めるんだけど、でもあの人たちは別だ。私たちは何をされるかわからない」という声があります。あるいは、「自分たちが話しかけてもコミュニケーションがとれない」と言われます。本当に話しかけたことがあるのかというと、なかなかそれはないんです。遠巻きに見ていて、話が通じないような人は歩いているだけで不気味だという意識もあります。

 もう一つは、ホームレスの例に見られるようなことです。大阪市大のグループが2年ほどホームレスの人たちの実態調査を行いました。それと同時に大阪市でホームレスの人をどう見ているかという市民意識調査を1999年に行い、2000年に結果が報告されました。この中に典型的な意識が出ています。約67パーセントという多くの人、3人に2人が「ホームレスは不健康だ」と見ています。それから、「汚い」というのも3分の2。また、「怠け者だ」というマイナスイメージがとても多いのです。

 ではホームレスの人と実際に話たことがあるかというと、「不潔だし臭いもするし、何をされるかわからないから話したことなんてない」と。では、話したことないのになぜ不健康だとわかるのですかと問うと、「見ていればわかる」となります。
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 またO-157食中毒事件がありましたが、その頃によく子どもたちの間ではやったのは「うつる、うつる」という言葉です。少しさわったぐらいでうつるわけはないんですが。これはHIV患者に対してもそうですが、うつる、伝染するということが言われます。いまの社会の中にある清潔意識や保健意識はいい面もあるのですが、逆に強すぎます。そのことが、不潔だとか、汚い、臭いがするということへの差別になります。本人は差別と思っていなくても、遠ざける原因になります。

 ここで行政がいくら啓発すると言っても、肌身に感じる臭いや見た目といったのはその人の価値観です。怠け者だといいますが、実際にホームレスの人たちに調査をしてみるとホームレスになる前まで一生懸命働いてきてリストラされた人たちがたくさんいます。どっちが怠け者やというぐらい一生懸命に仕事をしているのに、その実態を知らずに怠け者だと決めつける。イメージで拒否反応が増幅されるわけです。

 町会の集まりなどでは、施設擁護とは言いにくい雰囲気がつくられています。そういう時に、これは正義なんだといくら啓発しても、頭ではそうだとわかるけど、肌身は拒否してしまうという問題を抱えています。
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 部落差別も一番初めは、匂いや音や仕草などに違和感を感じ、拒否感があったと思います。そういう意味でこれは行政として啓発といっても、今までの手法では難しいと実際に感じています。肌身の感覚を変えることは非常に難しいのです。それが根本にあるので、完璧な解決への手だてはまだ模索中です。よく言われるのは総論は賛成、各論は反対です。その根底には人間の感覚的な意識がありますから、理性や頭に訴えかける啓発活動だけでは、わかったよといいながら反対の手がなかなかおりないという現実にぶつかっています。

 もう一つのほうはわりと楽にできます。行政手続きを批判する形で町内世論を取り付ける人物に対する説得です。「事前説明がなかった、一方的に決定した、別な用地と説明されてきた」ということには、高齢者や障害者も同じ住民ですから説得できる可能性はあります。もっと言えば、学校や保育所建設の時でも子どもの声がうるさいなどの反対があったのに、それが少しずつ変わってきたように変わってくると思うのです。行政手続きへの批判に対してはきちんと、いつ、どういう形で決定したのかと明確にすべきです。

 最近非常にいいことは、介護保険の需要計画やその前の障害者プランを作るときにかなり当事者の任意参加が進んでいると思います。介護保険で言えば、1号被保険者65歳以上の方も委員に入っています。例えば大阪市や大阪府などでは、障害者の福祉計画をつくる委員会では、障害者やその関連の人たちで委員の半数ぐらいを占めていますから、住民の中の障害者や高齢者自身が委員会で発言して計画を決めています。行政が一方的に決めたのではなく、障害者自身の声、住民の声も含めて計画を策定し準備をしてきました。

 また、大阪市東成区の精神障害者の地域支援センターであれば、障害者自身がこつこつと活動してきて自分たちが寄り集まる場所をつくりたいと願ったこと。それを行政がバックアップしたことをきちんと説明する必要があると思います。と同時に、トラブルが起きたときに、最初から行政が決めたんだから決めたとおりにやると押し切るのは非常に良くないと思います。むしろ、かえってトラブルを大きくしてしまう要因になるでしょう。当事者自身の声が中心になる必要があります。

 一方で逆の問題があったのも事実です。かつて1980年代後半に多かった施設コンフリクトとしては、当時は社会福祉法人が老人ホームをつくったり、医療法人が計画する精神障害者の復帰センター建設計画に対して反対運動が起きました。その時に、社会福祉法人や医療法人の当事者任せにしてしまったのです。行政は金は出すけど、施設建設は法人がやるからという面もありました。それで逆にトラブルがあったり取引があったりしました。

 昔、火力発電所や原子力発電所をつくるとき地域に還元金が出たという話が伝わってくると、それが過大な情報として流れてきて、「反対運動をしながら代わりのものを取れないか」という話になった面もあります。行政と施設を建設する主体との関係が完全に離れていたら、逆に問題が大きくなることがあります。そこは距離の取り方が非常に難しいところでもあります。
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 もう一つは、福祉施設をつくることに対しても障害者の中でもいろいろ意見があります。よくわかった住民から言えば、「障害者ばかり集まる施設をつくるのは障害者自身も反対しているじゃないか」ということもあります。ホームレスの問題で言えば、大阪市長居公園にあるホームレスの人の避難所は、確かに入るのを嫌がるだろうなという施設です。阪神淡路大震災の仮設住宅よりももっとプライバシーのない、生活の場というのにはあまりにも窮屈だし、安住できない施設です。そういう面があるので、障害者やホームレスの人にとってもそういう所に入りたくない、という意識があるのも事実です。

 阪神淡路大震災の時も、仮設住宅に高齢者や障害者が優先的に入居した結果、誰かが倒れても自分も同じだから助けに行けないようなコミュニティができてしまいました。あんなのはもう嫌だということもあります。ですから一般に福祉施設というと、当事者から言えば一ヶ所に集められプライバシーのない生活を押しつけられるのは嫌だという意見があります。

 ですからいま議論になっているのは、高齢者のグループホームというのは100人という規模ではなく、9人ぐらいの高齢者が入居し、それぞれ10畳ぐらいの一室があってそうして共同生活ができるグループホームであるとか。精神障害者や知的障害者の人たちが通う施設でも20人〜30人ぐらいの規模。その人が日々通ってきて、いろんな相談をしたり仕事をしたりして自分の家に帰るという通所施設です。作業所でも、さおりを織ったり、粘土細工をしたり、紙すきをしたりという作業をして、終わったら夕方帰るというサービスのもの。

 そういう意味で、高齢者や障害者も大きな施設を建設してくれと言っているわけではなく、もっと身近な所での生活を望んでいます。地域によっては、松山などでは昔の大きな民家をそのまま貸して、そうすると自分の家にいるような落ち着いた感じになるそうです。あるいは、ちょっとした町工場のような所で障害者が作業するとか、そういうことがはじまっています。

 また、施設はそもそも障害者や高齢者も批判していたことに対して、今つくられている施設は一ヶ所にたくさんの人を集めた収容所みたいなものでなく、必要があるときにそこに通ってきて、お互いに助け合いアドバイスをしたり力づけてもらって、あるいはそこで仕事をして帰る場所なんだ、というように位置づけが変わってきています。

 そうするとますます地域の人々との触れ合いが増えます。それはいいことなんです。行き帰りの途中に商店街に寄って買い物をして帰ろうかとか。今日は暑いからそこの喫茶店に入って一服して帰ろうか、というつき合いがあるから逆に町の中にある施設がその人たちの生活の場になってきます。ここに大きな転換があるのです。ただそうすると、先ほどの住民の嫌悪感や恐怖感とぶつかるのです。つきあってくれなくていい、極端な話、「バスで移動してくれるんだったらうちのとこでもかまわない」という話になるんです。そこがうち破らなければならない問題になってきます。