講座・講演録

部落問題・人権問題にかかわる講座情報、講演録を各カテゴリー毎にまとめました。

Home講座・講演録 > 本文
講座・講演録
 
第15回人権啓発研究集会(2001年2月16日)より

香芝市の人権啓発・教育について
−香芝市同和教育地区別懇談会『くらしを見つめる研修会』から−

報告者:村井偉夫・中野博章・米田俊一(奈良県香芝市)

------------------------------------------------------------------------

★地区懇を支える啓発行政

中野博章(香芝市啓発推進本部専任事務局員)

香芝市は奈良県の北西部で、大阪側に近いところです。大阪の難波まで電車で2、30分です。電車の駅は近鉄とJRとあわせて7つあり、西名阪道の香芝インターを下りたところです。人口は、現在ちょっと超えていますが、約6万4000人です。

住民は、半数以上が他府県とくに大阪府あたりから転入されてきています。奈良県内では比較的、数字的には高齢化率が低いと聞いています。10年前に香芝町から香芝市になりました。

それでは、奈良県の部落差別撤廃に向けた同和問題啓発と同和教育の推進の流れを報告します。奈良県のスタイルは他府県にはないかたちになっています。

まず14、5年前、奈良県も香芝町も含めてですが、地区別懇談会などの同和教育は教育委員会のひとつの部局が中心になって、そこだけがやっていました。そして、奈良県同和教育推進協議会(奈同推教)と県内の市町村とが、広域的な懇談会をおこなってきました。その中で、同和教育が行政総体の取り組みになっていないと、再三、奈同推協から提起がありました。そこで、市町村がそれを受け止め、やはり行政総体としてやっていくシステムを作る必要があるということになりました。

そして、1986年に奈良県内の市町村で同和問題啓発活動推進本部が設置されました。翌87年には、47市町村すべてに啓発本部ができました。それができて、県レベルの調整機能が必要になり、88年6月に奈良県市町村同和問題啓発活動推進本部連絡協議会(啓発連協)が発足しました。これは、市町村の啓発本部が結集して奈良県の組織を作っていこうという営みです。

現在、毎月11日を「人権を確かめ合う日」としています、毎年4月11日には47市町村で県内一斉集会が開催され、かなり定着しています。これを提唱したのも啓発連協です。奈良県レベルでは「奈良ヒューマンフェスティバル」も啓発連協が企画運営をしながら、奈良県行政の協力も仰ぎながらおこなわれています。

また「人権マンガ」も作っています。人権に関する話題の四コマ漫画を作って、各市町村の広報誌に掲載しています。なにかのイベントがあったときには、キャラクターグッズも配布しています。

啓発連協の本部は、各市町村の市町村長部局にあります。ですから啓発行政と教育行政と同和教育推進運動の3つが、きっちりと役割分担し、連携もしながらすすめています。これが、奈良県のスタイルです。

それでは奈良県の啓発行政の役割はというと、ちょっと乱暴な言い方ですが、同和教育や同和教育運動の取り組みに対して、その周辺づくり、雰囲気づくりを担っているといえるでしょう。ちょっと説明不足ですが、今回の説明は割愛します。

そういう奈良県のスタイルの中で、香芝市の啓発本部に関して報告します。香芝市の啓発本部が設置されて約14、5年になります。事務局は現在、社会福祉課にあります。私は専任事務局員です。事務局長は社会福祉課長が兼務しています。あとの事務局員は、香芝市の7つの他部局から2名ずつ、14名ほどが出ています。その事務職員は兼務ですので、日常はそれぞれの業務を担当しています。各月に第1火曜日、3時から事務局員会議で集まって、意志統一をしています。

そういう組織体制の中で、地区別懇談会(地区懇)をすすめています。地区懇の取り組みは4者で共催しています。4者というのは香芝市行政、教育委員会、香芝市同和教育推進協議会、そして学校の教師、幼稚園、保育所の先生の集まりである同和教育研究会(市同教)です。20年前からこの4者が基本路線の3つの役割を守りながら、連携してすすめてきました。

われわれ行政の啓発本部は地区別懇談会をするとき、自治会長と相談して場所を確保してもらう交渉に入っていきます。それから住民への予告や啓発チラシも公報に折り込みます。それだけでは、とても人は集まりませんから、自治会長との話し合い、あるいは交渉をしていきます。開催当日には、会場設営と当日の会場周辺で公報車による住民への参加を呼びかけます。
------------------------------------------------------------------------

★地区別懇談会をどのように作ってきたか

米田俊一(香芝市同和教育推進協議会事務局)

香芝市の地区別懇談会(地区懇)は、参加体験型の手法を取り入れて5年が経過しました。

香芝市の地区懇が始まった契機のひとつは、当時香芝町に1校しかない中学校の英語教師が差別発言したことです。「地域啓発をもっとしていかなあかん」ということで地区懇が始まりました。しかし職員なり担当が代わる中で、したりしなかったりという状況が続いていました。1988年のすこし前、意識調査の結果を見て、これはやはりやるべきだということになりました。

それで各自治会に「あなたの自治会で地区懇をするから何人は出てください」「PTAでは何人出てください」というような動員体制でやりました。すると88年度は1716人の参加がありました。

1989年は、いちどに14会場で実施して、346人参加でした。この時期は香芝町が市になるときで、いろんなことがありました。そこで、この年は半分の地域で実施して、あとの半分は来年にというかたちで実施したようです。それ以後、ずっとこのような地区懇をしてきました。1回を半分にして、残りの半分をしないと次の年から集まってもらえないという状況が出てきました。

 90年、新たに意識調査を実施しました。そのとき、地区懇を推進している側のわれわれの内部で、地区懇を動員体制でやっていくのがいいのかと話し合いました。やっぱり、旧村の体質がまだまだ残っているなかで、地域の有力者に「何人集めてください」と集めてもらった参加者が、周囲の人の顔色を見ながら意見を言えないような状況を作っているのではないかと反省しました。やっぱり地区懇の場は、どんな意見でも自由に言える民主主義を保障してべきだということに落ち着きました。そこで動員型はすっぱりやめました。

91年、92年、93年と動員型やめて地区懇を開催しましたが、だんだん参加人数が減ってきました。そこで、もう一度地区懇を見直していこうという議論になりました。

その当時、話題になりはじめた「参加体験型」と出あうきっかけがありました。「これって、おもしろいのとちがうか」と思いました。何がおもしろいかといえば、参加者みんなに発言してもらえるし、それぞれが自分自身の見つめなおしもできるのではないかと考え、参加体験型を取り入れることになりました。

実際には、一番はじめにわれわれがぶつかった壁は、今まで「聞くだけ」の地区懇に慣れきっておられる方、地区懇だけではなくそういう研修方法に慣れきっておられる方がどういう反応をするかにありました。はたして参加体験型でやったときに、発言をしてもらえるか、ということです。しかし無責任な言い方になりますが、一度やってみてそれから判断しよう、ということになりました。

そして参加体験型5年計画のはじめに、一番はじめにやったのが「部屋の四隅」という展開でした。

たとえば、ある地域の地区懇はちょうど大相撲秋場所の最中だとします。すると「大相撲好きですか?きらいですか?」とたずねます。答えによって参加者に部屋の四隅へわかれていただきます。その後「なぜ好きですか?」「なぜきらいですか?」とインタビュー形式でたずねます。そのなかで、人には好ききらいや意見にちがいがあって当たり前だということに気がついてもらうのが狙いです。

大相撲がテーマの場合「土俵に女性が上がれないからきらいです」と、はっきり言われる女性の方がいました。そんななかでは「なぜ女性が上がったらあかんのでしょうね」ということを考え、まとめの場面でケガレ意識について少しコメントさせてもらうというやりかたでした。当初は、このような「部屋の四隅」に従来型の講演をミックスしたかたちで実施しました。

この手法にかえて、参加者の方がほんとうに積極的、主体的に参加していただく姿を見ることができました。参加者アンケートを見せていただいて、それでは来年はもっとこれを高めようという相談をしました。本当の話すると、そこから4年計画が始まったのでした。最初から5年計画ではなかったのです。1年終わった段階で、年次計画をつくって「みんながアドバイザー」を展開しようと決まりました。

すんなりとはすすまなかったものの、最初の3年間は「おもしろい」「地区懇がどんどんかわる」「参加者がいきいきしてくる」という状況がありました。けれど、最終年度の5年目は、実施するわれわれはすごく「しんどかった」です。

なぜかというと、受講者の中からまさに差別の現実に向けて足を1歩踏み出そう、また1歩踏み出して2歩目を踏み出そうとしてくれる人がどんどん出てきました。ところが、その思いをいかす場所がないことに気づいたからです。

それを総括して、次の六年目、七年目、八年目の計画をねっている最中です。

------------------------------------------------------------------------

★地区別懇談会を支える教育行政

村井偉夫(香芝市教育委員会同和教育課)

地区別懇談会(地区懇)とは、単年度の1度きりの研修会です。その席上で、どんなにすばらしい話し合いや深まりのある交流がなされても、年1回の地区懇には限界があります。

体験型学習で住民のみなさんに人権の大切さを訴えているのだから、事務局がその周辺を意図的にいろんな研修講座で支えていこうという方針が決まりました。徐々にですが、教育委員会が主催する同和教育の研修あるいは研修講座、市同推教が主催する場や研究集会で、地区懇の研修会と同じように参加体験型の手法にかえていこうとしました。

それから「くらしを考える講座」というのを7月から始め、毎月第3土曜日を主にして、年間8回実施しています。この講座は、私たちはたいへん誇りに思っていますが、過去に13年連続して続いています。これはリーダー養成講座ということで出発し、紆余曲折を経ながらも、来年度も実施していきます。

この講座を受講された方、とくにPTAや子ども会などの代表受験者の方は、かならず、その所属団体に帰られて伝達講習をされるようにしていただいています。講座内容も、主として講義形式でしたが、その何回かの講座を参加体験型学習の講座にかえていきました。講座が終わると、その内容を「くら講だより」という「たより」にして、伝達講習の資料として活用していただくことも、13年間1度もかかさずに続け、いま93号です。ですから、過去5000人を超える方々が、地域に人権学習、草の根運動というかたちでそれぞれ活動していただいています。

さらに、参加体験型学習の推進者を養成する養成講座も、1昨年から市の広報誌である「公報かしば」で公募しました。手弁当で、しかも1日かけてという日程でしたが、なんと30人近い方々が集まってくれました。こうした参加者たちが、地区懇を支える大きな環として徐々に転換をしながら活動しています。

参加体験型学習手法が六年目を迎え、大きな展望と課題がはっきりしてきました。

ひとつは、地区懇の土台となる自治会に、急速な地域環境の変化が起こってきていることです。地域住民の急激な動化、価値観の多様化、職業の多様性、生活範囲の広域化、住民家族の少子化や高齢化の核家族という変化でした。

5年がたって、はじめて参加したという人もいました。あるいはある女性の方は、となりの方とはじめてお会いした、と。「だから、これからお会いするたびにあいさつができてうれしい」とアンケートに書いてくださいました。やはり地域に密着していない教材や中身は空回りしていくのではないか、そういう思いも次第に持つようになりました。

また「行動化」へと動き始めたいくつかの活動の芽を、どう6年目に継続していくかということが重要です。たとえば、地域の高齢者から、通学児童の下校時に巡回指導を私たちがやりましょうという申し出がありました。あるいは、公民館で高齢者向けの料理教室の講座を開設してもらいました。また、地域の高齢者と幼稚園小学校の交流の場が、だんだんと小学校区で設けられています。地域の公民館でも、高齢者と子どもたちが花を植えたり餅つきをしたりという、行事の中での交流がだんだん増えてきました。あるいは各府県との対外的な参加体験型の地区懇交流がはじまっています。

私どもは、六年目へ向けて、これから二つの窓口を作っていこうとしています。

ひとつは、市内の33会場に、教材を考えたり、芽をふき出した「行動化」へ向けての動き具体化するために「人権ネットワーク委員会」的な窓口をつくりたいと思います。二つめは、大きな中央公民館などに「人権センターの窓口」をつくりたいと考えています。