「平和の文化国際年」(2000年)とは?
その背景とめざすもの
米田 伸次さん(帝塚山学院大学国際理解研究所所長、?日本ユネスコ協会連盟中央委員)
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平和の文化の背景
今年は「平和の文化国際年」であるが、日本国内の関心は低く、取り組みもほとんどなされていない。しかし、国連総会は1999年9月に「平和の文化に関する宣言」とそれに伴う行動計画を採択している。また2001〜2010年を「平和の文化と世界の子どもたちに対する非暴力を促進していく10年」とすることも決議しており、国連もユネスコも平和の文化に対してかなり真剣になっているといえる。
国連総会は「平和の文化に関する宣言」のなかで、平和の文化の基本となる考えとして、‡@国連憲章、‡Aユネスコ憲章、‡B世界人権宣言及び関連する国際協定書をあげているが、私はその中心はユネスコ憲章だと考えている。
ユネスコ憲章を読んだことのある人はあまりいないだろうが、「戦争は人間の心から生まれるものであるから、人間の心に平和の砦を築かなければならない」という書き出しは比較的有名である。この憲章は冷戦時代には軽視されたり逆に聖神化されたりもしてきたが、「平和の文化国際年」を迎えて改めて読み直してみると、実に味わい深い文章であることが分かる。憲章の全文を紹介することはできないが、そのポイントは、まず人々をして平和を生み出すための精神を育む、そして平和の精神を1人だけにとどめず世界中に拡げ、連帯していくことが必要だとしている点にあるといえるだろう。もっとまとめていうならばそのキーワードは「平和」「人権」「民主主義」が、平和の文化に不可欠な事柄だということである。つまり「平和の文化」とは、ユネスコ憲章に戻ろうとするルネッサンス運動なのである。
ユネスコが誕生してから50数年経つが、その初期の運動は、時には理想主義的でもあった世界的ヒューマニズムに多くのインテリ層が賛同する形で展開された。ところが60年代後半からは東西対立や南北問題といった政治的色合いの強い問題との関わりが増え、そのやり方に不満を持った米英両国は70年代にユネスコを脱退してしまった。その影響を受けた日本の文部省も次第にユネスコから離れ、ユネスコが提唱したものではない独自の国際理解教育を進めるようになる。しかし冷戦体制が揺らぎ始めた80年代後半からユネスコの政治的傾向は変わっていき、原点に戻ろうとするようになっていった。
では、「平和の文化」という概念はいつユネスコや国際社会に登場してきたのだろうか。
これは恐らく1989年に開かれた「人の心のなかの平和に関する国際会議」で、ユネスコが取り組むべき課題の1つとして提唱されたのが最初だろう。これを受けて92年にユネスコで「平和の文化」の創造に取り組むことが正式に提唱され、93年3月のユネスコ「人権と民主主義のための世界教育会議」ではこれと人権文化との関連も提起されている。一言でいうと、人権文化がなければ「平和の文化」は実現しないというものだ。
その主張は3ヶ月後の「ウィーン世界人権会議」でも全面的に支持され、同年のユネスコ総会では実施に向けたプログラム、94年には「平和・人権・民主主義のための教育」という方針が打ち出されていった。これ以降ユネスコでは、すべての活動を通じて「平和の文化」の創造が目指されるようになったのである。
ちなみにここで打ち出された教育の内容を簡単に説明すると、それまであった国際理解教育と人権教育を統合したものを中心とする教育である。その目的は「平和の文化」を創造する人間を育てることにあり、そのための価値、態度、スキルを築いていくというものである。
国連の動き〜人間の安全保障と平和の文化
これに対して国連はどうかというと、92年に当時のガリ事務総長が「平和のためのアジェンダー」、「開発のためのアジェンダ−」という形で提唱している。この背景にはソマリアでの武力による紛争解決の失敗の反省から、戦争予防措置が必要という考え方があった。武力で紛争を解決しようとするのではなく、予防外交、つまり人権、開発等の問題に取り組んで紛争が起きなくするということである。しかしガリ事務総長のこの姿勢は米国と対立した。米国はグローバル経済で世界を席巻し、その力で世界の安全保障を牛耳って武力紛争をなくしていこうと考えていたからである。この対立のためにガリは事務総長に再選されなかったが、彼の提唱した姿勢は後に「人間の安全保障」構想に発展し、現在の国連の「平和の文化国際年」につながっている。
ガリ事務総長が取り組もうとした、グローバル・イシューと呼ばれる地域紛争、貧困、人権抑圧等の地球規模の問題は深刻化している。これに対処すべく国連は、80年代の終わりから90年代前半にそれらをテーマにした国際会議を積極的に開催するが、ここでそれまでにはなかった動きがみられるようになった。会議開催地にNGOも集まり、政府間会議にプレッシャーをかけ始めたのである。つまりそれだけNGOが力をつけ、国際社会もその存在を無視できなくなってきた。
国連もその力の必要性に気付き、グローバル・イシューの解決に向けた市民の育成に乗り出した。そこで生まれたのが3つのキャンペーンである。1つ目は94年に国連が提唱した「人権教育のための国連10年」、もう1つがユネスコの「平和・人権・民主主義のための教育」、そして3つ目が、96年にユネスコが発表した「21世紀教育国際委員会報告(ドロール・レポート)」である。これら3つを連動するものと捉えて私は「95年国際教育キャンペーン」と呼んでいる。それぞれを個別に捉えるよりも、連動するものとすることでその共通項を見出だすほうが有効だと考えるからである。
これらキャンペーンの提起する共通項は5つあると思う。‡@人権文化を築くことで「平和の文化」を築く、‡Aグローバル・イシューを解決する市民を育成することで「平和の文化」を築く市民を育成する、‡Bキャンペーンが提唱する教育は生涯学習で実践する、‡C「人権」と「共生」がキャンペーンのキーコンセプトである、‡D価値、態度、生活・行動様式の「学び」を大切にする、ということだ。
「平和の文化」の考え方がユネスコから生まれてきたことは明らかであるが、それに対する思い入れは国連のほうが強いと思う。例えば先述のガリ事務総長の姿勢もそうであるし、94年の社会開発サミットに国連が送ったレポートに「人間の安全保障」の必要性が述べられていたこともそうである。このレポートの趣旨は、グローバル・イシューこそが人間の安全を脅かす暴力であり、そこへのアプローチ、つまり「人間の安全保障」が今後国連が最も力を入れるべき課題であるというものであった。しかし国連は米国との対立のなかで十分な活動ができないため、NGO、世界市民に「人間の安全保障」を実現するためのSOSを送っているのではないだろうか。それがこのキャンペーンだと私は思うのである。
平和の文化とは
では「平和の文化」とは何なのか。
「平和の文化に関する宣言」の具体的な内容については各自で読んでもらいたい。しかしそこに書かれていることは人権文化と比較しても非常に幅の広い内容で、正直言って分かりにくいかもしれない。そこでユネスコが8つのポイントをまとめたものを紹介しておこう。
(a)あらゆる人間の権利と尊厳を尊重する、(b)説得と理解により正義を得るように暴力を拒否すること、(c)排他及び抑圧を終わらせ、和の精神のもとで共に生きていく態度を養うこと、(d)情報の自由な伝達を通して、お互いに学び合い、共有しあう機会をもつこと、(e)生態系のバランスを保ち、すべての生命を尊重するよう行動する、(f)それぞれの人間が異なり、共同体に対して誰もが貢献しうることを理解する、(g)社会を建設していくために男女が平等な立場で参加できるようにする、(h)自分の主張を発言するとともに、他人の主張に耳を傾け、決定を下すこと、である。確かにこれはよくまとまっているが、私としては社会の多様性、持続可能な開発、共生という点を付け加えたい。
ここで人権文化と「平和の文化」にみられる共通点を考えると、まず直接的な暴力に相対する平和の概念だけでなく、構造的暴力に相対する概念としての平和をも重視し、身近な地域生活をどう生きていくのかという新しい視点が提起されていることが注目される。また私個人の自己変革を出発点として、地域での暮らしや活動を重視し、それをグローバルに広げていく点、そして「市民社会」を縦糸、「平和の文化」を横糸として捉えるという視点がある。
では、以上のような「平和の文化」についての取り組みをいかに展開するか。行動計画は一応存在しているが、その様なマニュアル化されたものはあまり意味がないのではないだろうか。なぜならそこには既に取り組まれている、人権や教育等の広範囲な活動が記されているにすぎないからである。重要なのは、それら個別に実践される活動をどうネットワークしていくかということである。つまり個別の活動を市民全体で分かち合っていく、これが「平和の文化」を創造する取り組みの重要なポイントといえると思う。ちなみにユネスコでは、今年9月の国連総会に提出することを目指し、「わたしの平和宣言」の1億人署名運動を行っている。
人とのつながりで平和の文化を
このことをドロール・レポートの観点から述べれば、個別の活動、言い換えると身近な市民活動や地域・ボランティア活動等という生涯学習の場こそが「平和の文化」を築く価値、態度、スキルを育む場であり、その生涯学習そのものが「平和の文化」を築くプロセスであるということになる。しかし残念ながら日本ではこの点が非常に弱い。「私1人では社会は変えられない」という意識が非常に強いからだ。もっと日本人も自分の殻を破って「個」として自立し、その「個」が生涯学習を通じて他者とつながることで自分の可能性を見出していかなければならないと思う。つまり「個」がエンパワメントされ、それが他者と連帯していかなければこの意識は打破できないのである。ドロール・レポートでもこの他者との関係性を「人間として生きることを学ぶこと」として重要視している。
この関係性は非常に重要なポイントである。例えば先述のユネスコ憲章の冒頭部分にしても、心に平和の砦を築くだけでは意味がない。心の中に平和の砦を築き、周りと連帯していくということがユネスコ憲章のポイントであり、「平和の文化」はそれをベースにしているのだということをもう一度確認しておきたい。
NGOについても同じことがいえる。つまり、様々な課題で活動している人々が自分の中に閉じこもらず、いかに横のつながりを大切にするかということである。人権問題、国際協力、ジェンダー等多くの課題が存在するが、それらは一見バラバラのようであって実はそうではない。本来は「95年国際教育キャンペーン」のキーコンセプトである「人権」と「共生」で結ばれているものである。そのつながりが、「平和の文化国際年」という年にNGOの新たなネットワークに発展していくことを私は願っている。
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