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第206回国際人権規約連続学習会(2000年4月19日
世人大ニュースNo.213 2000年5月10日号より

警察官に対する人権教育の課題

金子武嗣さん(弁護士・大阪弁護士会元副会長)

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 私はこれまで被疑者が警察官から暴行を受けた事件で最高裁まで争った経験があり、また大阪弁護士会の人権擁護委員長をやっていた関係で、警察との関わりは多くあった。他方で大阪弁護士会は犯罪被害者の支援機構に入って大阪府警と連携を図っている等、決して常に対立関係にあるわけではない。そこで今日はこういった経験を活かして、警察官に対する人権教育の課題について話をしたいと思う。

警察官による人権侵害

 警察官に対する人権教育がなぜ必要かというと、それは警察官の人権侵害行為が絶えないからである。弁護士会もこの問題には以前から取り組んでおり、大阪弁護士会では警察官による人権侵害電話相談を3日間実施している。たとえば1995〜99年の5年間で計188件の相談が寄せられており、警察官の乱暴な言動や届けの不受理等がその主な内容となっている。確かにこれらは市民の側の一方的な主張であって、割引いて考えなければならない点も多くあるだろう。しかしその苦情累計では例年同じような傾向がみられ、またそれが昨今問題となっている事柄と共通することから、そこには同じような原因があるのではないかということが考えられる。

 また、こういった電話相談だけでなく、もっと積極的に人権救済申告事件として弁護士会に訴えられるケースもある。

 弁護士会は弁護士法第1条により、人権侵害の申告があった際、その事実がある若しくはその恐れがある場合に、弁護士会として当該機関に警告・勧告・要望等をすることが定められている。弁護士会には強制執行権がないのでどうしてもこのような地味な活動になるのだが、弁護士法ができて50年、弁護士達のボランティアで警察官による暴行や不当逮捕等の人権侵害に対する取り組みがなされてきている。

 こういったことは外に対する規律のなさの現れといえるのではないだろうか。これに対して今日問題となっている警察官の不祥事等は内部の問題、内に対する規律のなさの現れであって、それが神奈川県警の覚醒剤事件のもみ消しや新潟県警の不祥事以降明るみに出てきたのだと私は思う。

 私が弁護士になった当時は、ちょうど四大公害訴訟の裁判が行われていた。そこで教わったのは、外に対する公害は内に対する労災ということである。たとえば水俣病でも外に多くの被害を出していたのと同様に、内にいる労働者にも多くの有機水銀中毒を出していた。つまり公害と労災は発生する場所が違うだけであって、根は一つであるということだ。これは決して公害の問題だけではない。もっと大きな意味で組織の根本が病んでいれば、それが現象として内と外の両方に現れてくる。その典型が警察官の不祥事だと私は思う。

警察の組織と理念、教育システム

 警察の組織の形態は、中央集権的階級制度である。上命下服の厳格さと組織の統一性の必要性、あるいは職務従事者の管理のしやすさや職員の栄誉という理由でこの形態が取られており、他にこの制度が取られているのは自衛隊だけである。

 警察の人事制度の特徴としてあげられるのは、国家公務員と地方公務員との二重構造である。国家公務員は警察庁に勤務する国家警察官と呼ばれる警察官と、都道府県に勤務する警視正以上の地方警察官と呼ばれる警察官。そして地方公務員は都道府県に勤務する警視以下の警察官で、これも地方警察官と呼ばれている。分かりやすく言えば高い階級の管理職が国家公務員で、そうではない現場の警察官が地方公務員となっているのである。

 こういった現状の中で最近よく取り沙汰されているキャリア組(前者)とノンキャリア組(後者)の間の問題、あるいは階級差別の問題がある。たとえば両者の間の摩擦がゴマスリ体質として現れるとか、地方の実態を知らないキャリア組が人事や捜査の指揮を取ることによる問題がある。また前線で働く警察官が昇進できないために、現場が腐敗していくという問題点もあげられる。

 ではこれらの問題の根本として、警察組織の理念はどうなっているのだろうか。

 世界的にみて警察の理念には大きく2つの流れがあるようだ。1つは公共の秩序と自由、所有権、個人の安全を維持するためという大陸系の理念。もう1つは本来市民が自己の安全を計るため自ら協力して犯罪を予防する自治体活動、という英米系の理念である。日本は前者の理念を取り入れ、その結果治安維持・公安警察の重視と刑事警察の軽視につながったともいわれている。これが生み出す問題としては、公安警察が国家公務員であって国の統制下にある、財政が国庫、極端な秘密性・中央集権性・エリート性、公安警察の肥大化等があげられる。

 明治以降日本の警察はこのスタイルを維持してきたわけだが、それを支える教育システムはどのようになっているのだろうか。

 警察官の教育システムは警察教養規則によって定められており、大きく分けて警察学校での学校教育と、警察学校以外の主に職場で行われる一般教育がある。ここで行われる教育内容の問題点としては、94年の日弁連人権大会報告書で次の3点が指摘されている。

 第1が人権教育の欠如。警察学校のカリキュラムの中には「法学」として「国民の権利及び義務」という科目はあるが、憲法で認められている国民の基本的人権の尊重という教育はほとんどなされていない。特に少年、外国人、障害者、部落出身者等の社会的弱者・少数者の人権についての教育は皆無といえる。

 第2の問題点は偏向教育である。警察学校のカリキュラムの「外勤警察活動3」には「共産主義運動」「労働運動」「大衆運動」の科目があるが、ここではこれらの運動を敵視するような徹底した反共思想の教育がなされている。

 そして第3が教育についての秘密主義で、警察では警察学校の教育内容はもちろん、カリキュラムや使用している教材さえも公表していない。これについて日弁連も警察庁に申し入れを行っているようだが、その内容は秘密とされているのである。

 以上のように人権教育が欠如し、徹底した反共思想のもと労働・大衆運動を敵視するような教育を受ければ、それらに関わる国民に対してより一層強力な捜査をしても構わないという考えになることは十分に推察できる。実際に革新政党や労働運動に対する弾圧だけでなく、反原発・反公害運動、その他の大衆運動に対する強権的な取締まりや人権侵害が多くみられるが、警察官への偏向教育や人権教育の欠如がその原因の1つとなっていると考えられる。そもそも、警察は中立公正、不偏不党でなければならないと警察法第2条は定めている。このように警察が警察官教育のなかで人権を無視し、特定の政党、労働・大衆運動を敵視するような教育をすることは、民主警察の理念に反するというべきであるだろう。

 また、このような警察に対して唯一ものが言え、警察組織のチェックシステムとして予定されているのが公安委員会である。これにも国務大臣を委員長とする国家公安委員会と都道府県公安委員会があり、制度的には広く権限が与えられている。しかし独自の事務局を有しない等の構造的な問題から、与えられた権限が果たされていないのが現状である。

警察の改革〜人権の国際的スタンダードから〜

 以上のように今日の日本の警察には多くの問題がある。ではそのシステム全体を通じての改善はどのようにすればよいのだろうか。

 問題点をもう1度整理してみると、‡@中央集権階級組織としての問題性、‡A人権擁護の理念の欠如、‡B外部からのチェック体制の欠如、ということになるだろう。これらの改善策として、私はやはり人権理念の確立を第1にあげたい。警察の根本的な理念を現状の治安維持から、国民の生命・身体・財産の保護に転換すること。さらに被害者の救済と被告人等の人権配慮の確立が絶対に必要だと考えている。被害者の救済と被告人等の人権配慮とは一見相反するように思われるかもしれないが、私は両者の根は1つだと思っている。

 次に組織の改善として、閉鎖性の打破が必要だと考えている。具体的には中央集権階級組織を改善して、国家警察から自治体警察への転換を図る。情報公開を進める。そして何より人権教育に関する教育体制を確立しなければならない。たとえ理念や組織がしっかりしていても、教育というその中を流れる血液がしっかりしていなければ、組織全体がおかしくなってしまうのではないだろうか。だからこそ私はこの人権教育体制の確立という点を強く訴えたいのである。

 また、これらに併せて情報公開とは反対の意味になるが、組織の透明性を高めるために外部からのチェック体制の確立も必要であるといえる。具体的には公安委員会の再成や、外部からの監視体制の確立があげられるだろう。

 先に触れた94年の日弁連人権大会以外でも、我々は警察の民主化に対して取り組みを行ってきた。たとえば89年の人権大会では警察民主化の改善策として11項もの提言を行っているし、最近の警察不祥事に対しては、‡@公安委員会制度の抜本的改革、‡A警察情報の公開制度の実現、‡B警察官に対する人権教育の徹底という内容の日弁連会長談話を今年の3月に発表している。

 我々がこういった提言を行うのは、日本の警察に提言を踏まえて民主的な良い警察になってもらいたいという思いがあるからである。そしてさらにそれを実現していく重要な柱の1つとして、人権教育、それも国際的水準からのアプローチがあげられるのだとも思うのである。なぜなら「人権教育のための国連10年」行動計画の対象集団の最初に警察が記されており、またそれを受けた日本政府の97年の国内行動計画でも、『人権を尊重した警察活動を徹底するため、「警察職員の信条」に基づく職業倫理教養の推進、適切な市民応援活動の強化を初めとする被疑者・被留置者・被害者その他関係者の人権への配慮に重点を置いた職場及び各級警察学校に於ける教育訓練を充実させる』ということが明記されているからである。

 しかしご存知の通り、国際人権自由権規約に対する日本政府報告についての98年の規約人権委員会最終見解では、警察の人権への配慮、人権教育の不十分性等について勧告を受けている。こういった現状を十分に把握し、人権教育の徹底を進めていかなければならないのではないだろうか。その具体的な内容としては国際人権規約はもとより、国連の被拘禁者保護原則(88年)や法執行官行動綱領(79年)、あるいはヨーロッパ理事会総会決議の警察に関する宣言(79年)等から人権の国際スタンダードを学ぶ必要があるといえるだろう。

人権を尊重するということ

 人間は、それぞれ立場が違っても、人としての尊厳を尊重されなければならない。それが人権なのではないだろうか。他人の人権を大切にできない者は、結局は自分の人権も大切にできないのではないかと最近私はつくづく思っている。つまり、警察官も被疑者や被害者等の関わる人々の人権を守ってこそ、自分の人権も守れるのではないかということである。

 そういった意味で今後とも様々な取り組みを積み重ねていき、警察の中にも国際人権のスタンダードが築かれていくことを私は期待している。