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第207回国際人権規約連続学習会(2000年5月15日
世人大ニュースNo.214 2000年6月10日号より

リサイクルを通して人権と環境を考える

森住 明弘さん(大阪大学大学院基礎工学研究科助手)

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ごみ問題との関わり〜ごみ焼却工場建設反対の論点

 私は大阪大学の基礎工学部に所属しているが、実は工学の研究は30年以上前にやめている。そのきっかけになったのは水俣病だった。以前は私も恐ろしい薬品を使って様々な実験を行っており、その際に残った薬品の処理方法について教わったのは水で薄めて捨てるという方法だった。当時はそれを疑いもせず、海が無限に処理してくれるものだと思っていた。しかしそれと同じことをしていたのがチッソの労働者であり、その間違いは水俣病によって明白になった。それによって私は廃棄物に関心の薄い工学に嫌気がさし、研究をやめてしまったのである。

 しかし研究はやめても大学に残りたかった私は、ちょうどその頃から活発化し始めていたごみ焼却工場建設反対運動に関わるようになった。当時のごみ焼却の実態は資金も技術もなかったために非常に劣悪なものであったが、それに反対する側もどう反対してよいのかわからない状態だった。そこで私は反論する専門家として関わるようになったのである。

 以前のごみ焼却は非常に御粗末なもので、規模の大きな都市でさえ煙突から真っ黒な煙を出し、本来燃え尽きるはずのごみが燃え切らずに灰の中に残っているような状態だった。したがってそれが及ぼす害も目で見ることができ、最初の頃は「洗濯物が汚れる」というだけでも多くの市民が立ち上がるほど、反対運動も非常にやりやすかった。

 しかしそういった反対運動を続けていれば行政も対策に真剣に乗り出さざるを得なくなり、公害対策は急速に充実していった。そして80年代後半には公害を理由にしたごみ焼却工場建設の反対はしにくくなっていった。そうなると私としても支援する方法がなくなって困っていたのだが、ちょうど同時期に今度はごみ焼却場からダイオキシンが出ているという研究結果が公表され、ダイオキシンの問題がクローズアップされ始めた。そして90年代後半、ダイオキシンは大きな問題となる。

 このように住民の運動を支援する側としては最初は恐ろしい物質が降ってくるという論点でスタートし、対策が充実してくるとダイオキシン等別の論点を探すという経緯をたどってきた。では、ごみ焼却工場建設に反対する住民側の論点はどのようなものなのだろうか。

 これには大きく分けて2つあるといえる。その1つは先に述べたような、有害物質が降ってきて自分の健康が侵されるというものである。しかしこれは、最初は説得力があったが、状況が改善されてくると懸念はあっても実際の被害がないために、現在はあまり有効な主張ではないといえる。ならば公害が出なければ焼却場を建てても構わないのかというと決してそうではなく、もっと根深い論点、つまり感情がある。それは「皆が嫌うごみが自分のところに集まってくるのは嫌だ」という意識である。このような意識に対して、自分もごみを出しながら反対するのはエゴだと主張する識者が今もいるが、これは間違っている。自分とは何の関わりもない地域のごみまでも多量に集められるのだから、それを嫌がるのは当然のことだと私は思う。しかしこれまでこの論点については公的に議論を深める機会に恵まれなかったため、多くの人にエゴだと思われ続ける状況に甘んじてきた。

 そこでなんとか議論できる場を探していたところ、大阪市がそのチャンスを与えてくれたのだった。

大阪市のヤミごみ問題に取り組んで

 80年代前半に大阪市が住之江区に大きなごみ焼却工場の建設を計画し、これに対して周辺住民から反対運動が起きた。しかし先述の通り公害を根拠に反対しても最終的に勝ち目がないのは分かっていたので、私たちは先の2つ目の論点に関連する新たな方向からの反対運動をすすめた。それは大阪市自体が抱える大きな問題を追究することであった。

 そもそもごみというものは法律上大きく3つに分類することができる。1つは工場等から排出される「産業廃棄物」。そしてそれ以外の非製造業の事業活動から出る「事業系一般廃棄物」と、家庭生活から出る「家庭系一般廃棄物」だ。またその処理に関しては、産業廃棄物は都道府県、両一般廃棄物は市町村と管轄が法律上規定されている。しかし法律ではそうなっていても現実は違い、他の市町村のごみ、あるいは産業廃棄物までもが大阪市に入ってきていた。

 大阪市では、ごみは民間の回収業者と市職員が回収して自治体の焼却工場で処理する仕組みになっているが、大阪市の焼却工場は他と比べて処理費用が安いために、民間業者は他の市町村のごみも大阪市に運び込んでいた。また産業廃棄物も同じ業者が扱えば同様の結果を招き、実際それら全てを識別するのは難しい状況にあった。こういったごみが俗に「ヤミごみ」と呼ばれ、大阪市の労働組合もなんとかしようと努力したのだが、結局手に負えなかった。私たちはこの点に注目したのである。

 つまり本来大阪市が処理する必要のないごみをなくせば、新たに焼却工場を建てる必要性もなくなるというアプローチである。私たちはこの論点を裁判に持ち込み、10数年の論争の結果、徐々に良い方向に向かってきた。

 法廷に持ち込まれているのだから市としてはヤミごみの存在を否定するのは当然で、私たちとしても大阪市の廃棄物に占める事業系一般廃棄物の比率が他の市町村と比べて高いことや、実際にヤミごみを持ち込んでいる回収業者の実態等を調べて争っていった。しかし地裁、高裁と続いた裁判は残念ながら証拠不十分により住民側敗訴で終わってしまった。

 しかしこの裁判を続けているなかで、私はあることに気付いた。それは市側は自ら叩かれることを承知の上で争っていたのではないかということだ。この裁判では、通常行政が裁判に際して立てるいわゆる御用弁護士が選定されていなかったり、誰が見ても矛盾が指摘できる程度のずさんな反証が出されたりしていた。あるいはごみ問題を検討するために大阪市が設置した近代化研究会のメンバーに行政に対して直言する学者が選ばれたり、その研究会の報告書が公になっていないのに住民側の手に渡っている等、そう思わざるを得ないサインが多く出されていたのである。裁判官がそうしたサインに気付かなかったために私たちは裁判に負けてしまったが、大阪市職員の真意は別のところにあったのではないかと思っていた。

 私のこうした推測が現実になる決め手となったのは、毎日放送のある記者の努力だった。この記者がヘリで上空から撮影した奈良のごみが大阪市に持ち込まれる映像をテレビで放送したことにより業者に対するプレッシャーが強くなり、大阪市も本気で取り組みやすい状況ができていった。その結果95年からの5年間でなんと年間20万トン(200万人分のごみの量に相当)の事業系一般廃棄物が減少したのである。

 大阪市の誰がこういった采配を振るわれたのかはわからないが、そのおかげでこのヤミごみ問題は大きく改善された。こうした問題は口でいうのはたやすいが、実際に取り組むのは大変苦労のいることである。それに対してこのような対応ができる懐の深い職員が多くおられることに私はとても感心している。

責任の所在と市民運動がすべきこと

 大阪市のケースではテレビの報道や知恵のある職員の対応によってかなり改善されるに至ったが、ではこの問題の原因になったのは何だったのだろうか。

 まずそのきっかけになったのは大阪市のごみ処理の近代化であろう。大阪市はそれまでの埋め立て処理をやめ、日本でもいち早く60年代後半から焼却工場の建設を始めている。以前の埋め立て処理の場合は回収業者の持ち込んだごみを無料で処理していたが、焼却の場合はそうするわけにはいかず、料金制度を導入した。しかしそれまで無料だったものがとつぜん有料になるということで回収業者側から強い反発を受け、交渉の結果生まれたのが減免制度だった。これは条例で定められた料金を市長のかなり広範囲の裁量によって減免できるという制度で、最高9割減免が認められている。これによって、?当たりの料金は85年当時で条例の3円70銭が37銭で済んでいた。当時はそれで問題もなかったのだろうが、このただ同然の値段が結果的にヤミごみを生み出してしまった。そして時が経つにつれこの制度は業者の既得権のようになってしまい、簡単に解決しない問題に発展していったのである。

 また根本的に、行政としてごみ処理について他のサービスとは分けたきっちりとした制度を確立していないことも問題だといえる。ごみも下水道のように量と質によって料金が決まる受益者負担とし、排出者責任の精神を貫いた独立採算制の公営企業会計の制度を採り入れるべきだと私は思う。

 このようにみれば大阪市だけが悪いようにみえるが、決してそうではない。おおもとを考えれば根本的な対策を先送りしてきた厚生省も悪いし、安い処理料で漁夫の利を得ていながら黙っていた排出事業者も悪い。また大阪市が安く処理してくれるおかげで処理しきれない事業系一般廃棄物に取り組まないですんでいた周辺都市にも問題があるし、嫌な仕事をやってもらっているのだから多少の問題があっても仕方がないという意識があるせいか、一向にごみに対して関心をもとうとしない市民も悪いといえるだろう。もちろん実際にヤミごみを持ち込んでいた回収業者も悪い。

 このように今回の問題は誰しもが悪いのだと私は思う。ただ権限を持つ人や組織が他と同じように悪いことをすると、やはりその影響は他よりも大きくなってしまうのではないだろうか。だからこそ影響力の強いところにはきっちり責任をとってもらいたいという気持ちで、私たちは大阪市を相手に裁判を行ってきたのである。

 ただ今回の取り組みを通じて私は、組織としては様々な問題があっても、そのなかの1人ひとりにはいろいろと考えている人がいることを知った。誰かはわからないが先に触れた大阪市の職員もそうだし、回収業者の中にもヤミごみを扱わずに業界を良くしようと頑張っている人も結構いるものだ。だから市民運動というものは意見や建て前を単に主張するだけはなく、具体的事件に取り組むなかでそういった人々とできることを一緒にやっていくことが大切だと思っている。