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第208回国際人権規約連続学習会(2000年6月30日
世人大ニュースNo.215 2000年7月10日号より

予防外交をアジアにも
〜九州・沖縄サミットへの期待〜

吉川 元さん(神戸大学大学院法学研究科教授)

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はじめに

 間もなく日本が議長国となる九州・沖縄サミットが開催されるが、私はなかでもその議題に予防外交があげられていることに期待を寄せている。しかし世界的に最も紛争予防が遅れている、言い換えれば最も多く紛争が起こっているアジア地域において、この問題がいかに提案、実現されるのかが実に気になるところである。そこで「予防外交をアジアにも」というテーマ、突き詰めれば「戦争は防げるものなのか」という大きな問題について話をしたいと思う。

 このテーマは私たちにとって身近な、大きな問題となりつつある。憲法第9条との関係で自衛隊を国外での紛争に派遣できずに資金提供だけを行ってきた日本にとって、国家の安全や国益を脅かす紛争に対するもっとも有効な対応は、紛争の発生を未然に防止すること、つまり予防外交であるからだ。

今日の戦争―周辺国を巻き込む内戦

 まず、戦争というものをイメージしてもらいたい。そうすると最近は国家間の戦争がほとんど起こっていないことが分かるだろう。この10年間に起こった国家間の戦争といえば湾岸戦争、NATOのユーゴ空爆、インド・パキスタンのカシミール紛争ぐらいである。今日の戦争は実は、国家間の戦争よりも一国内の内戦が大きな現象になっているのである。

 内戦と戦争の区別は難しいが、死者が1,000人以上の武力紛争を戦争とする説をとると、第2次大戦後50年間の戦争は164件に及ぶ。このうち国家間の戦争は30件だが、その大半が冷戦終結前に起こっていることを考えると、今日の戦争はほとんどが内戦なのである。さらにそれがアジアとアフリカに集中していることが近年の特徴といえる。またその内容をみると、アフリカは権力・統治を争う戦争が多いのに対し、アジアでは分離・独立を争う戦争が多いという特徴もある。

 このような内戦は国内問題だから放っておけば良いというものではない。たとえばコソボ紛争の際に隣国のアルバニアがコソボのアルバニア系住民を助けようとしたように、戦争は内戦であってもしばしば周辺国を巻き込むものだからである。第1次大戦もサラエボの民族紛争から始まっていることは周知の通りである。

また、戦争は難民を生む。現在世界には5,000万人近くの難民(国外に出た者)・避難民(国内に止まっている者)がいると言われている。これだけ多くの人に医療、食料、住居、職業訓練、学校などを提供することが必要になれば、周辺国には大変大きな経済的負担になってくる。さらに戦争が起こった後のコストも高い。コソボやクロアチアの例からも分かるように、たとえ紛争が解決してもその後の地雷撤去やインフラ整備、あるいは失業問題等で周辺国は莫大な費用を負担しなければならなくなるのである。こういった点を考えると、戦争は起こらないに越したことはないといえるだろう。

 ただ、戦争は起こらない方が良いという考え方が出てきた背景には、そういった方向で取り組める国際政治の環境ができてきたということがあると言える。冷戦体制の下では、東西の対立のために他国の国内問題に関与することはできなかった。しかしソ連の崩壊以後、アメリカ主導ではあるが国連の意思決定がしやすくなった。また、冷戦崩壊後は勢力拡大の必要がなくなり、90年代から途上国援助のあり方も変わってきた。以前は勢力拡大のためにむやみに行ってきた援助にも、人権尊重や民主主義の実現、あるいは大量破壊兵器を開発しない等の条件がつけられるようになってきたのである。

予防外交の背景

 予防外交という言葉は、国連のガリ事務総長が92年にまとめた報告書『平和への課題』に登場している。それ以前の国連の紛争への対応は、紛争発生後、停戦・休戦状態で当事者双方の了解を得て国連が第三者として当該地域に入り、再び紛争にならないようにするPKO(平和維持活動)が主流だった。それに対してガリ事務総長は、紛争が起こる前に予防措置をとることが重要だと考えたのである。しかし実は、この時期にもっとも積極的に予防外交を打ち出したのはヨーロッパ地域であった。

 ヨーロッパが予防外交に積極的に取り組んだのには2つの理由があった。その1つはソ連の崩壊である。ヨーロッパは、ソ連崩壊によって独立した15の共和国に再び独裁政権・権威主義国家が誕生するのではないかという危惧があったため、いかにロシアに民主主義を実現するかということに取り組み始めた。

これは一見予防外交と無関係と思われるかもしれないが、実は戦争はなぜ起こるのかという問題と大きく関係している。欧米で100年ほど前から議論されている戦争原因論では、戦争は単に武力による衝突という現象ではなく、その背後に政治体制というものが深く関係している、国内で人権侵害をしている独裁政権は他国にも侵略行為を行うということが言われている。つまり、平和を実現するには人権尊重と民主主義が必要なのだと考えられてきた。冷戦後、世界に民主主義の国をつくること、人権が尊重されるしくみを作ることこそが長期的に見れば戦争を防止する重要な手だてなのだという見方のなかで、ヨーロッパの人々はソ連崩壊と同時にCIS(独立国家共同体)の国々、特にロシアの民主化を、戦争の予防という視点から取り組むようになったのである。

 もう1つは91年の夏から秋にかけておこったユーゴスラビアの崩壊である。スロベニア、クロアチアといった国が次々に独立し始めたとき、ヨーロッパの人たちは直観的に最後はヨーロッパを巻き込むバルカン戦争になるのだという心配をした。つまり、この時期のヨーロッパは、ロシアや東欧に民主国家、人権尊重のしくみを作るという戦争予防のための長期的目標に加え、民族紛争をいかに予防するかという、非常に差し迫った課題をつきつけられていたのである。

ヨーロッパの取り組み

 先述の通りガリ事務総長は積極的に予防外交を実施しようとしたが、結局それはうまくいかなかった。それぞれの地域でも取り組みは行われつつあるが、理念・仕組みにおいて予防外交がもっとも進んでいるのはヨーロッパである。その具体的な取り組みに話を移そう。

 まずここで理解しなければならないのは、ヨーロッパの安全保障に対する考え方である。日本の安全保障は今でも仮想敵国からの武力侵略にアメリカとの同盟関係で備えるというものだが、ヨーロッパは議論の積み重ねと経験から国際安全保障という協力体制を築いてきた。この考え方はEUという国際統合を実現し、その延長線上にロシアや東欧諸国も含めた54ヶ国が加盟するOSCE(ヨーロッパ安全保障協力機構)がある。ここでは国家の安全ではなくヨーロッパ共通の安全を追求すること、自国の安全だけを追求しないことが明確に合意されている。

 このように地域の安全を追求するようになると、地域の安全を脅かすものは何かということが次に問題になる。それは軍事力の存在そのものに加え、独裁政権など政治のしくみ、あるいはその前兆となる自由の否定であったり、特定の民族への差別であったりする。つまり、こうしたものが将来的に平和・安全を脅かすものだということである。

今日のヨーロッパでは「包括的安全保障」という概念が日常的に使われている。これは、軍事力だけでなく人権問題や民族問題等も含めて平和・安全への脅威として捉らえ、それらに対し包括的に取り組んでいくという考え方である。こうした安全保障観を共有し、地域ぐるみで人権問題や民族問題に取り組むことが平和・安全のためだという「共通・包括的安全保障」の考え方ができているのである。

 以上のような安全保障について、OSCEは厳密に定義をしている。

 まず、安全保障の人的側面として、従来の人権の概念より広い範囲での人権の実現を目指している。これは国際人権規約等で定められている人権に加え、法の支配、民主主義の実現、裁判の傍聴や選挙のモニター等を地域で協力して監視・実現するというものである。

 政治安全保障の行動規範では、全ての軍は民主的な統制(シビリアン・コントロール)のもとに置かれる、軍の予算は全て議会を通す、軍人への人権教育を行う等の規定がされている。つまり軍規を一国の規定ではなく、共通のルールとして監視・実現することが目指されるのである。

 また信頼醸成措置として、誤解によって生じる偶発戦争を防ぐために、軍事演習や軍隊の移動の日程を全て1年前に報告することが義務付けられている。予定にない行動があった場合には、24時間以内の現地査察受け入れも義務付けられている。

 このように人権や民主主義から軍の動きに至るまで、地域の平和・安全に関する事柄は全て透明性が確保され、ルールに従って行動がなされているのである。

加えてさらに注目すべき点は、内政不干渉という国際的な大原則を撤廃していることである。他国の国内問題には干渉しないという内政不干渉原則は国連憲章にも規定されているが、OSCEは、安全保障の人的側面、政治安全保障の行動規範、信頼譲成措置など先にあげた領域に関する事柄は国内管轄事項ではなくヨーロッパ共通の関心事項であり、内政干渉にはあたらないとしている。そしてこうした問題を全体で協議する場が設けられている。

現在ヨーロッパでは、民主主義の実現や人権の尊重が比較的うまくいっている。人権のルール作りをする欧州審議会には現在47ヶ国が加盟しており、その動きを援助、監視する役割をOSCEが担っている。なかには独裁に進みたいという政権やルールに従いたくない国もあったはずであるが、それでも最終的にOSCEの指示を拒否することはない。これには理由がある。ヨーロッパの国は周辺に行けば行くほどヨーロッパの一員になりたいという意識が強い。ヨーロッパの一員になることで期待できる経済的メリットが大きいからである。その一番大きな狙いはEC・EUへの加盟である。EC・EUに加盟してヨーロッパの一員になるためには、欧州審議会やOSCEのルールに自発的に従うということである。

アジアにおける予防外交〜サミットへの期待

 最後にアジアに目を向けておきたい。先にも触れた通りアジアには予防外交のシステムはない。いまだに2国間関係を中心としながら同盟関係によって力の均衡を図るという昔ながらのシステムと、領土問題という昔ながらの紛争が残っている地域である。

 ASEAN(東南アジア諸国連合)は93年に、そのメンバーを拡大してASEAN地域の安全保障を考えるARF(ASEAN地域フォーラム)を結成している。95年にはARFで信頼醸成や予防外交に取り組むことが決められたが、現実にはなかなか進んでいない。その原因は、紛争の原因となる国内問題にまで関わってほしくないという国が多いことにあると思われる。しかし予防外交のためには内政干渉が必要であり、内政不干渉原則を維持しようとする国がある限り、予防外交はできないのである。

 私が冒頭で九州・沖縄サミットに期待を寄せていると話したのは、まさにこの点についてである。おそらくアジアの他の国々は内政不干渉原則を盾に、予防外交には消極的な姿勢を取ることが予想される。そういった状況下でのサミットで日本がアジアにおける予防外交の展開についてどこまで提案できるのか、どこまでイニシアティブを発揮できるのかという点に注目していきたいと思う。