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第209回国際人権規約連続学習会(2000年7月26日
世人大ニュースNo.216 2000年8月10日号より

憲法改正論議と日本の人権

江橋 崇さん(法政大学教授)

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憲法改正論議の流れ

 まず初めに憲法改正論議をどう見るのか、次にそれを人権論から見ればどうなるのかという話をしていきたい。

 現在の憲法改正論議の流れを見ると、まず、国会に作られた憲法調査会というところは大した議論をしていない。衆議院ではもっぱら憲法制定の経過についての研究をしており、その結果自民党のタカ派が主張する「おしつけ憲法」論は色あせていっているということがその成果といえるだろう。参議院の方ではすでにその内容がめちゃくちゃになってしまっている。つまり国会の憲法調査会は、衆参ともに内容がないものである。

 もう1つ、今回の選挙で、衆議院において絶大な威力を持っていた自公保連立が弱まり、議会の3分の2以上という憲法改正発議の状況がなくなったことがある。憲法調査会設置の根拠となる憲法調査会設置法は5年間の限時立法だが、今回の選挙で当選した人が向こう4年間仕事をするとすれば、自公保連立与党は今後5年以内に改憲に必要な3分の2の議員数を持てないことになる。

 つまり、以上のことから憲法改正の動きはトーンダウンし、自民党的改憲は挫折したということになる。

 では護憲論はどうなったかというと、今回の選挙で社民党は早い時点から憲法を選挙の争点に掲げ、全ての社民党議員・立候補者は憲法を守ると訴えてきた。その結果、これまで共産党に流れていた票が社民党に戻るということになった。つまりこれは、一時期現実的な社会党になったときにそれを嫌って原理的な共産党に流れた票が、今度は共産党が現実主義に走り過ぎたために原理主義的護憲論の社民党に戻ったのではないだろうか。このことから、日本社会には非常に原理主義的な護憲論があるということを、我々もきちんと考えておかなければならないだろう。

 今回の選挙結果を私は、論憲(民主)と護憲(社民)が伸びて改憲(自民)が減ったと考えている。本気で憲法を改正しようと思えば、現在の自公保の連立を解消して自民・民主で連立を実現していくしかないだろう。それが現実となる余地は全くないわけではないが、現実的な課題として議論されることは当面はないだろう。これが今日の憲法改正論議の現状である。

三層構造と改憲への提唱

 私は、現実の社会制度を考える、あるいは社会制度を自分たちや人権にとって良いものにするために改革を考える際には、主義主張、政策的思考、政治的戦略の三層構造でいかなければならないと考えている。

 まず主義主張。これは「人権を大切にしたい」とか「差別はいやだ」といった人間の感性・感覚からなるもので、それが一番上にしっかりとなければならない。そしてそういった自分の考え方を現実の政治にどう活かして政策化するのかを考える政策的思考が次にある。さらに政策を考えるだけではなくそれを現実化するために、味方を増やし、敵を減らすといった政治的戦略が必要になる。

 これまでの日本での憲法改正論議は主義主張論、つまりはイデオロギーの対立だけで争われていた。しかし私は、憲法改正の問題もその他の問題と同様に主義主張の対立だけでなく、先の三層構造の考え方で進めていくべきだと思っている。

 自民党的な改憲は挫折し、原理主義的な護憲派が伸びてきているのは事実だが、果たしてそれで全てが落ち着いているのかといえば、私にはそうとは思えない。例えば内閣をみると憲法を盾に行政権を乱用しているが、憲法には国民に対する内閣の責任が明確に規定されていない。国会については、憲法では予想されなかったほどに参議院が大きな力を有したために法案が容易に成立しないといった構造的問題がある。あるいは日本の司法制度は複雑で金と時間が非常にかかってしまい、実際の紛争の解決に十分機能し得ない等、多くの問題があるからだ。

その意味から、私は今までの改憲論とは全く違ったレベルで憲法を考え直す必要があると思っている。まず主義主張をぶつけ合うだけでなくお互いに譲り合って、現実的政治課題として21世紀に向けた憲法についての論議を行う。そして必要があれば憲法改正も視野に入れていけばいいのではないか。その際の改正方法は米国憲法と同様に、増加改正を提唱したい。現憲法は全文残したまま、不足している部分を「修正」として条文を付け加えていく方法だ。これならば現憲法の大枠は残しながら、必要な内容だけを付け足していけるからである。

 もう1つ提唱したいのは、憲法改正に際して強行採決を行わないという約束を連立与党にさせることである。憲法とは民主主義の根幹を成すものであり、ある国の民主主義が本当に成熟しているかどうかは、憲法改正の扱い方によって分かる。強行採決によって憲法を改正する国の民主主義を誰が信じるだろう。強行採決をしないとなれば、多くの人が賛成できる部分しか改正できなくなる。言い換えればそういう部分しか改正してはならないのである。そうすれば憲法改正は、当分は9条のような部分に触れずに、参議院のあり方や裁判所の強化あるいは人権面の補強等、日本の政治のゆがんでいる部分だけを追加して修正できると思うのだ。

 私は憲法を私たちの「家」のようなものだと思っている。家はそう簡単には建て替えをせず、まずは修理、建て増しをする。憲法もそれと同じで、古いものをなくしたりしてはならない。実際私たちには、戦後50年あまり、今の憲法で生活がよくなってきたという生活実感があると思う。

 アメリカやフランス、イギリス、ドイツなど立憲主義の国は、古いものをなくさずに残し、必要に応じて直しながら使っている。それぞれの立場によって不満を残しつつも同時に納得できる部分もあるという、まさに政策的思考によるものである。日本でもこの修正方式をとって、私たちが戦後50年頑張ってきた現憲法を子々孫々に残していきたいというのが、憲法学者としての私の夢である。

上から見た人権論をどう克服するか

 人権論から見た憲法改正論に話を移したい。

 最初に触れておかなければならないのは、日本国憲法の人権規定によって日本の人権状況は良くなったのだろうかということだ。桜井よしこさん等の改憲論者は、人権ではなく人権派の存在が日本社会を駄目にしたと主張しているが、バランスシートを取れば圧倒的に人権規定があって良かったということがいえると思う。

 次に、誰が人権を実現したのか、ということが問題になる。そこに、上から見た人権論をどう克服するのか、という問題も絡まってくると思う。例として生活保護法を考えてもらいたい。憲法第25条は1項で国民の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、2項で社会保障・社会福祉・公衆衛生等に対する国の責務を規定している。ここから日本の生活保護法はスタートするのだが、法制定に際して当時の厚生省の役人は憲法上の「国」を中央政府と捉え、生活保護を地方自治体に任せようとしなかった。地方に任せれば乱給浪給や不公平が起こり、不正や腐敗等の悪の花が咲くと考えたからである。

 こういった考え方の根底には中央政府の役人こそが唯一国家全体の利益が分かり、組織的に権力を行使して国民を善の道に導くことができる存在だという考えがあった。これが最もよく示されるキーワードが、皆さんもよくご存知の「措置」という言葉である。この言葉の意味は「全体の利益を考えて特定の個人に与える作用」であって、特定の個人の利益や主張を考えるというものではない。最近ではこの言葉が良くないということでかなり減ってきているものの、少し古い法律を見れば「措置」だらけになっている。

 一番トップにある憲法第25条は「人権」であるが、生活保護法に降りた瞬間に「措置」になってしまう。つまり、憲法には健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が規定されているはずなのに、憲法第25条2項を経て生活保護法になると、その権利は国から施されるお恵みのような措置になってしまうということである。そして国民は、権利の主体から措置の対象になってしまう。ここに戦後日本の人権論の大きな問題点があると私は思う。

それは上から見た人権論だ。戦後すぐの復興期の日本国憲法制定当時ならまだしも、高度経済成長が終わって役人に国家目標が見えなくなり、国民が自分たちのことについて判断する能力を身につけた現在においても、役人が措置という形で上から人権をばらまいていこうとするのは問題である。

 以上のように社会権は措置という形で上からばらまかれてきたが、ではもう一方の自由権はどうであったかというと、こちらは「公共の福祉」という言葉を理由にして切られてきた。例えばいくらなんでも国が国民の表現の自由はこれだと決め付けることはできないので、自分たちが決めた表現の自由の範囲に都合の悪いことがあれば、公共の福祉に反するとして切る。こうして社会権と同様、自由権も結局は上で決められてきたのである。

 先に述べた通り戦後の日本に人権があって良かったというのは間違いないが、どういう人権があったかというと、残念ながら多くは上からの人権だった。ここをなんとか克服していかなければならないと私は思う。

下からの人権論と憲法

 もう1つ戦後日本の人権論の特色として、国の立法・行政責任を無視してきたことがある。例えば、憲法に人権が規定されている以上政府には積極的にそれを実現していく責任があると考えるのが国際的には常識になっているが、日本ではそうなっていない。日本の場合は法律上差別が存在していなければ問題はなく、現実に差別が存在していればそれは社会問題になってしまう。そして社会問題にはサービスとして対処するが、それをなくしていく義務を国家が負っているとは考えていない。このように国家の責任が欠落していることが、戦後日本の人権論の欠点だと思う。

 しかし日本には人権運動があり、なかでも部落解放運動はその代表格だったと思っている。上からの人権論に対しては、実際に社会に存在している差別の実態を突きつけていくことが大事だった。そしてそれに対して単に行政サービスを行わせるだけではなく、差別撤廃についての行政の責任を明らかにしていったのである。

 こうした責任が、性差別においては男女共同参画社会基本法によって昨年初めて認められた。しかし他方で、人権擁護施策推進審議法では人権擁護・啓発が国の責務であるということが、人権に対する国民の相互理解を促進することが国の責任であるとの内容に擦り替えられているなど、今でもいくつかの問題については国の責任が認められていない。

 私たちが人権について考えなければならないもう1つの問題として、国の奇妙な縄張りの問題がある。日本では教育は文部省、労働は労働省、福祉は厚生省というように管轄が切られており、1つの問題について複数の部局が権限を持つということを極力しないシステムがある。つまり、社会的に存在している差別の問題を総合的に解決することができない構造になっているのだ。

 その点同和行政の場合は、同和行政として総合的に扱うようになったので進歩したと思っている。つまり部落解放運動は自分の管轄の範囲内だけでやろうとする役所との攻めぎ合いの中で、総合的な取り組みを勝ち取ってきたということだ。これは戦後の人権運動の中で獲得されてきた成果の1つであるが、いまだに前進できていないところもあると思う。

 これ以外に運動が求めてきたこととしては、全国画一的でない分権的な取り組み、そして当事者の声が活かされる参加型の取り組みである。簡単にいえば人権とは上からばらまかれるものではなく、憲法に保障されている人権とはこういうものではないかという下からの要求に応じて進められるものでなければならないということだ。この点について今後の鍵になるのは、人々が人権に関してどういう苦情や意見、要求を持つかということだろう。だから私たちは最近、人権救済のための国内人権機関をきっちり作ろうと言っているのだ。

今日の日本は国際的に最先端の存在になり、かつてのようにモデルとする国はなくなってしまった。そういった状況で日本の政治の在り方や、憲法の在り方をどう考えるべきなのか。それはやはり日本の主権者たる市民が毎日の生活の中で幸せになりたいと思っていることをきちんと実現していくことではないだろうか。社会生活での様々な摩擦や不幸せにきちんと対処して、人々の要求を実現していくことが政治のあるべき姿だと私は思うのである。