講座・講演録

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第211回国際人権規約連続学習会(2000年10月24日
世人大ニュースNo.219 2000年11月10日号より

ワークショップでセクハラを考える
〜自分の中にあるジェンダーに気付こう〜

水野 阿修羅さん(メンズセンター運営委員、メンズリブ研究会世話人)

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メンズリブに取り組んだきっかけ

 私は約10年前からメンズリブ研究会を始めている。そのきっかけとなったのは、それより数年前から取り組んでいた外国人救援活動で出会った仲間が起こしたある出来事だった。その人は人権問題に積極的に取り組んでおり、特に外国人女性のために走り回っていた人だった。だがその彼が行きつけのスナックの女性に暴行まがいのことを起こしてしまったのである。

 しかし当時、私の中には「私も彼と同じ立場にあったのではないか」という気持ちがあった。実際私も妻に「外国人には優しいが、私には優しくない」と言われていたし、一緒に活動している日本人女性に対する態度を考えても、私も糾弾されてもおかしくないと思った。そうしたことを起こさない、あるいは女性とうまくやっていくためにはどうすればいいのかということが、私がメンズリブに関わり始めたきっかけだった。

 それから私は、女性問題についての本をいろいろ読んで勉強していった。その結果知識としては様々なことが分かったが、現実の問題として女性との関係は一向に良くならなかった。勉強しても変わらない自分。そんな私にとって効果があったのが、参加型学習とも呼ばれるワークショップ(以下WS)という手法だったのである。

 これから実際に皆さんにもWSを体験して、自分の中に潜んでいるものに気付いてもらいたいと思う。ただ、私は禁止用語集や禁止行動集をつくるつもりはない。快・不快というものは人それぞれであって、特定の行動を禁止すればそれを好む人を否定することになるからだ。だから、私は今日ジェンダー(社会的・文化的につくられた性)についての気付きを提供したいと思うが、答えを出すつもりはない。皆さん自身がどう感じるのかを大切にして、そこから各自で答えを出してもらいたいと思っている。

見る性と見られる性〜WS“顔じゃんけん”から

顔の表情でグー・チョキ・パーをつくってじゃんけんをし、感じたことからジェンダーについて考えました。

 日本人は昔から人の顔を見るのが苦手な民族で、にらめっこという子どもの遊びを通じてそれを訓練したとも言われている。しかし、この「見る」というところにジェンダーの問題が出てくる。

女性の多くは化粧や服装、あるいは座り方などを通じて自分がどう見られるかを意識するように育てられる。これに対して多くの男性はそうは育てられない。昔の方がその傾向は強く、今は時代の変化で男の子も見られることを意識するようになったとはいえ、ジェンダーとしての見る性と見られる性があるのではないか。つまり、男性は見る側にだけ立って、女性を見られる側にだけ立たせていないか。ヌードやストリップにしても男は見る側である。多くの男性は見られているということを女性ほど意識していない。女性の前でヌード写真を平気で広げ、女性がどう感じるかを気にしない男性の無神経さが、女性を苛立たせることもあるのではないだろうか。

言わなくても分かる文化〜肩を揉むWSから

ペアで、最初は黙ったまま、次は話をしながら肩を揉み合い、そこで感じたことを踏まえて水野さんのお話を聞きました。

 アメリカのような多民族社会では、自分を主張したり相手に質問したりしなければお互いに分かり合えない。しかし日本では、皆が自分と同じように感じ、考えていると思いがちになっているのではないか。これが「言わなくても分かる文化」であるが、これは力関係で成り立っている文化である。つまり、立場の弱い人が常に強い人の気持ちを察する文化である。

 男はものを言わないという文化の中で、日本の女性は男性の気持ちを察するトレーニングをさせられてきた。では逆に、男性は女性の気持ちをどれだけ察しようとしてきた、あるいは察するようトレーニングしてきただろうか。たとえ良かれと思ってやったとしても、相手がそれをどう思うのかが大事である。もちろん、どう思うかというのは男だから、女だからと一概には言えず、人によって違うものである。しかし男性は女性の気持ちを聞こうとしない。「黙ってないでなんとか言え!」というのは聞こうとしているのではない。

力を持っている側がそのことを自覚していないと、男女平等だと言われているからそうなのだと勘違いしてしまう。そして、良かれと思ってやったことを相手がいやがっていることに気付かない。黙っているからいいのだろうというのは、力を持っている強い立場にある人の考えなのである。

解決策は個性の尊重

 男女それぞれが、見る/見られるなど一方の役割にはまっているのではないかということに気付いてもらうWSを行ってきたが、ではその解決策はどこにあるのだろうか。それはそれぞれの個性にあると私は思っている。

 現在、人権、人権と言いながらも個性を尊重しない教育が結構行われているのではないだろうか。1人1人の個性を尊重しながら全体をまとめていくことが必要だと思う。それは、WSという方法を通じて、多数決でなくても話し合いでできるのではないか。そして、男性にも女性にもいろんな人がいること、また自分自身のプラス面・マイナス面に気付いていってもらいたいと思っている。

 学習会では、この他にもいくつかのWSを行い、最後に参加者の皆さんに感想を述べてもらったところ、電車の中で化粧をする女性や言葉遣いの悪い女性の例から、やはり男らしさ・女らしさは必要ではないかという意見が数人から出されました。それに対し、男らしさ・女らしさという言葉に抵抗を感じる、マナーや言葉遣いの悪さは男らしさ・女らしさとは関係なく男女ともに守っていくべきものであるのに、特に女性だけが守らされるのは寂しいことだ、という意見が数人の女性から出されました。自分の中にあるジェンダーに気付いていくために、自分がどう感じるか、そして相手がどう感じているかを大切にするという水野さんの言葉が深く受けとめられた一場面でした。