講座・講演録

部落問題・人権問題にかかわる講座情報、講演録を各カテゴリー毎にまとめました。

Home講座・講演録 > 本文
講座・講演録
 
第212回国際人権規約連続学習会(2000年11月10日
世人大ニュースNo.220 2000年12月10日号より

2001年反人種主義・差別撤廃世界会議の意義と課題

武者小路 公秀さん(反差別国際運動事務局長・フェリス女学院大学教授)

------------------------------------------------------------------------

人種主義とは

 2001年8月31日から9月7日まで、南アフリカ共和国のダーバンで「反人種主義・差別撤廃世界会議」が国連主催で開催される。この世界会議では「人種主義と闘うために団結しよう―平等・正義・尊厳」がスローガンの1つとなっているが、その意味について1つだけ解説をしておきたい。

人種主義と闘おうといったときに、皆さんは南アフリカのアパルトヘイトやナチスのユダヤ人に対する人種差別を思い浮かべるのではないだろうか。すると日本ではあまり関係がないものとして、会議に対する関心が少なくなってしまっているのではないかと思う。しかし、私たちに人種主義的だという意識がなくても、たとえば私の外国人の友人のなかには、アパルトヘイトがなくなって以降日本が世界で最も人種主義がひどい国だという人もいる。

 この人種主義という言葉は、国連で使っている、人種差別撤廃条約でいうところの人種主義を指しており、部落差別を含む世系による差別なども含める広義なものである。乱暴な言い方をすれば、女性差別撤廃条約で取り上げているジェンダーによる差別を除くほとんどの差別がそこに含まれることになる。従って人種主義と闘うということは、定義では女性差別以外のあらゆる差別と闘うということになる。しかし女性差別とは闘わなくてよいということでは困るので、世界会議では、たとえば人身売買の被害者に対する人種差別など、広い意味での人種主義と女性差別との組み合わせの問題を特に取り上げることになっている。

世界会議がもつ意義

 反人種主義・差別撤廃世界会議は、1997年頃から国連でアフリカ諸国がこの問題を取り上げるよう主張したことから実現を迎えている。これは大きな特徴といえるだろう。なぜならこれまで人権を訴えていたのは欧米で、南の国々の独裁的な政府はむしろ人権はヨーロッパ的な考え方だと主張していたからだ。つまり、人種主義を取り上げる形で途上国側が人権問題を持ち出した会議だということに意味があるといえる。しかもアフリカ諸国は、人種主義を歴史的に捉えること、つまりあらゆる人種主義は歴史的にみれば奴隷売買と植民地支配の名残であるということを強く主張したのである。

 こうしたアフリカ諸国の考え方はアジアには当てはまらないと思われるかもしれないが決してそうではなく、日本の人種主義はまさに、従軍慰安婦という奴隷制度や、侵略、植民地支配をもとにしたものである。そして今もなお「神の国」という意識があるのは、そういった歴史の流れが続いている1つの表れだといえるだろう。また国内における部落差別といわゆる石原発言にみられるような外国人差別とが一体になっていることから、日本の歴史の中に植民地支配の伝統があったということを考えなければならないと思う。従って、この世界会議は日本にとっても大事な会議だと私は思うのである。

 もう1つ重要なこととして、国連では90年代はじめ以降、政府よりむしろNGOが主役となった一連の会議が行われた。地球サミットや世界人権会議などがそれにあたるのだが、こうした会議では政府間会議に先立ってNGO会議が開かれ、そこで出された提案を政府にぶつけることが習わしとなってきた。しかし国連にとってはこうした会議は非常に金がかかるため、もう終わりにしようという空気になってきている。今回はどうにか実現に至ったが、もしかするとこの世界会議がNGOも参加した国連の一連の会議としては、21世紀の最初で最後の会議になる恐れがある。

 また、この一連の会議では人権問題をはじめ、環境や人口、居住などの様々なテーマが議論されてきたが、それぞれのテーマは実はつながっている。たとえば人種主義と居住問題は一見無関係に思われるかもしれないが、そうではない。広い意味の人種主義を考える上で、居住における差別は今回の会議でも問題になるだろう。また環境問題は先住民族の生活権との関係で大きな問題だ。このように、これまでの一連の国連会議の重要な議題が「差別」という別の形でもう一度取り上げられる、そういう大事な会議だということもできるのである。

会議の議題と準備状況

 世界会議の議題は5つある。まず 1 人種主義の原因である。ここでは先の歴史的な流れや、現在のグローバル化との関係など具体的な問題が議題となるだろう。

次に 2 被害者の現状についてであるが、誰が人種主義の被害者であるかという点は、政府の間では明確には出てきていない。しかしNGOの方ではしっかり整理できているので、そちらを説明すると、NGOは被害者の定義として6つの問題を提起している。まず1つ目がエスニック/国内マイノリティの問題。2つ目がカーストや世系に基づく差別の問題で、ここには部落差別も入る。3つ目が先住民族で、4つ目が女性である。女性については特に先住民族や低位カーストの女性、あるいは様々なマイノリティの女性への差別などの組み合わさった問題が取り上げられるべきだとされている。そして5つ目が宗教的マイノリティで、6つ目が人身売買被害者を含む移住労働者である。

 政府の方ではこれらを議題に入れないというのではなく、どう取り上げるかということで国連人権高等弁務官を中心に議題の整理が始まっている。ここでの方法は地域ごとにいくつかの専門家会議を開き、そこで出てきた問題を取り上げて原案作りの参考にするというものである。

また、この他に議題の原案作りに影響をもつのは、国連人権委員会での議論である。ここで注目すべき点は、今年8月に人権小委員会で世系による差別に関する決議が出されたことである。具体的には、職業や世系・門地による差別は重要な問題で、この差別が著しい国では問題に対する取り組みをすべきであるという内容の決議である。これによって今回の世界会議では、世系・門地による差別の問題が取り上げられることが確定している。

 話を会議全体の議題に戻すと、 2 の被害者の定義を受けて、 3 ではそれらに対する対策があげられている。被害者の状況を改善するために国、地域、国際レベルで何がなされるべきかが取り上げられる、ということである。これは当たり前のことのように思えるかもしれないが、これまでの議論では「この差別が条約のどの部分に当たるか」ということが中心になっていた。それが今回の会議では被害者を中心とした議論がなされるからこそ、これまでの法律的な議論にはなかった問題が明確に提起されているのである。

 次に 4 としては、国、地域、国際レベルで特に差別によって侵害された権利を回復するためにどういった政策が必要かということがあげられている。ここには、先進工業諸国が賛成しないために議題になるかどうかが未定の、補償の問題が含まれている。

  5 はもっと行政的・教育的な意味で、平等を実現するためにはどういう施策ができるかという問題である。たとえば現在取り組まれている「国連10年」の中で会議の成果を活かして、被害者の生活保障や権利救済を行っていこうということである。

一方、NGOは世界会議に向けた独自の準備を進めている。

 人権問題に関心のあるNGOの国際的なネットワークがジュネーブにあり、そこを中心として世界会議に向けた集まりが開かれたり、また各地域でNGOが集まって世界会議に参加・提案していこうという動きも進められている。アジアでは、10月にスリランカで会議が行われた。この会議では、他の地域ではそれほど重要視されていない問題、特にダリットや部落差別等の世系・門地による差別の問題を世界会議のテーマとして取り上げるように強く主張されている。具体的には低位カーストの女性が人身売買されている問題や、華人や先住民族に対する暴力の問題などである。また、議題の提案以外にも2001年8月の本会議、あるいは2月にイランのテヘランで開かれる準備会議への参加に向けた議論も同時に行われている。

日本でも反人種主義を〜「民の国」をめざして

 8月にダーバンで行われる世界会議では先の5つの議題についての議論が行われ、そこからダーバン宣言、行動計画が出されることになっている。これに対して加盟国政府には、少なくとも5年目と10年目に実施状況を報告する義務が課せられることになる。この報告についてはNGOも文句をつけることができるので、政府としては無責任なことはいえないだろうし、NGOの意見を対立的にではなく聞いてくれるかもしれない。だからこそ会議を盛り上げて、人種主義と闘うために国を団結させていかなければならないのであって、それを実現するためにはまず私たちが団結していかなければならないといえるだろう。

 世界的には、アフリカではすべてのNGOが反人種主義の立場を取っており、欧米では人種主義を取り上げているNGOは少ないものの、常識ある人々はネオナチやヘイトクライム(憎悪犯罪)などに反対している。それに対して日本では、これまで個別の差別への闘いはあったが、広い意味での人種主義が大変な問題であるという合意や、それに対する反対の世論の盛り上がりはなかった。しかし石原東京都知事の「三国人」発言によって日本にも人種主義があることがはっきりし、この問題を取り上げることができるようになりつつあるといえるだろう。

 人種主義は、部落差別のような同じ人種の中の差別と、他の人種に対する差別がすべて連動して深刻化してきていることに、現在のグローバル化の中での大きな問題があると私は思う。今後一層多くの外国人が入ってくれば「神の国の時代が良かった」という風潮が出てきて、「国連10年」と全く逆の流れを生み出す恐れもある。だからここでなんとか頑張っていかなければならない。

 以上のような状況を受けて反人種主義・差別撤廃世界会議は開催されるわけだが、それはただ「いけない」と言うだけの消極的な会議であってはならない、つまり、人類が21世紀を生きていくためには人種主義を乗り越えていくことが必要であって、これは差別のない新しい平和な世界を創っていくための会議だということである。であるから、会議のそういった側面を盛り上げて活用していければ、日本における創造性豊かで多様な教育を実現する1つのきっかけになるのではないだろうか。それが日本を「神の国」ではなく「民の国」、つまりは諸民族の国にしていくことになるのではないかと私は思うのである。

質疑応答

Q:華人への暴力という話があったが、インドネシアでは一方で華人によって経済の大半を握られているインドネシア人の不満もある。反華人暴動は許されるものではないが、華人に対する差別という点だけで見ることでは不十分ではないか。

武者小路:確かにおっしゃる通りだ。こういった問題はインドネシアだけでなく、他の地域でもみられる。つまり差別する側とされる側がはっきりしている場合は分かりやすいのだが、お互いに差別されながら差別しているという問題である。

 この問題を解決するためには、法律だけではなく、和解のための話し合いが大切になってくるだろう。南アフリカでは、白人と黒人が一緒になってどういう差別があったのかを話し合って、お互いに和解に持っていこうというやり方が行われている。同じ方式がエルサルバドルで行われており、インドネシアでも現在人権高等弁務官の協力を得て実施が準備されている。

 ただ重要なのは、この和解のための話し合いと刑事裁判のようなやり方の両方が必要だということだ。話し合いはお互いが罪を認めて許し合うことが前提となっており、華人とインドネシア人との対立にはまさにこの方法が必要だろう。だが軍隊が市民を殺したりレイプした場合には裁判が必要である。どういう方法が有効か、ということである。この点では外国からの働きかけが重要なきっかけづくりになるのではないだろうか。そう考えると、今回の会議でも日本はただ金を出すだけではなく、仲介をするなど何かできることがあるのではないかと思う。

Q:世界会議に参加する日本政府の姿勢はどうなっているのか。

武者小路:日本政府はほとんど関心がないといえるだろう。しかし日本は、関心を持たなければ国際的に困る状況にある。明治以来日本は国際的に先進国と認められるために、欧米と同じ人権水準にあると認められることが大事だと考えているからだ。だから今回の会議で私たちが欧米のNGOと示し合わせて、欧米で認められていることを日本でも認めざるを得ない状況をつくっていくことはできるだろう。日本の外圧への弱さを利用して日本の人権水準を引き上げ、同時に欧米の人種主義をなくしていくという国際的な連帯が今回の会議で大切なことだと思っている。